089話 新人のお仕事
「ちゅうちゅうたこかいな、はぁ、ちゅうちゅうたこかいな、はぁ……」
「どうしたんです坊。今日は何時にもまして鬱陶しいじゃねえですかい」
「新人さんがみんな取られてしまいましたから。折角新しく手を広げるチャンスだったのに。いい感触だったんですけど……」
「ありゃあ、俺や大将が口を出したんでさあ。坊のところを希望する奴は自殺願望でもあるんじゃねえかってね」
「酷い!!」
「事実ですぜ。ただでさえクソ忙しいのに、新人潰すような真似はさせられませんし、これ以上仕事を増やされても手に負えんでしょうが。せめて新人が育つまでは。俺は従士長として、当たり前の仕事をしたまででさあ。領主家と従士の間に立つのが従士長の仕事ってもんです」
「珍しくまともなことを言いますね」
「俺はいつだってまともでしょうよ」
下らない話をしながら、シイツとペイスが何をしているのかといえば、前年度の会計報告の確認だ。
会計の確認自体は、ニコロが一生懸命纏めたものと、実際の金庫の金が合っているかを確認する毎月の定例作業。これを怠ると、何時金額の帳尻が合わなくなるか分からないので、領内のトップに近しい二人が領主に代わって確認することになっている。或いは領主が直接行う。
今回は新年あけて早々ということもあり、前年度の会計報告も同時に用意することになっていた。
「プラウ金貨が百六十枚、レーテシュ金貨が二十四枚、パーリ金貨が三百枚ぴったり、ボーブ銀貨が四百六十三枚……」
金庫と言っても、御大層なものではない。ティッシュ箱より一回り大きいぐらいの木箱に、仕切りが付いているだけのものだ。昔であれば底の方の模様まで分かっていたのだが、最近は底板の模様を見ることもなくなったというのが、カセロールの密やかな自慢であったりする。
「大丈夫ですね。バッチリです。数は合いました」
「んじゃあ、これは俺が預かりますんで、坊は報告を大将のところに持って行って下せええ。ああ、この手紙もついでに」
「分かりました」
カセロールは今、王家の使いと話をしている。国道を増設中の今、取り決めておかねばならない事や、報告せねばならない経過などが沢山あるのだ。
宮廷雀などは、これを機会にモルテールン家の利権に食いつけない物かと画策してピーチクパーチク鳴いているし、ルートの延伸先の候補地同士が暗闘を繰り広げていたりもするのだが、これもまた貴族政治の無くならない負の部分。
モルテールン家の利権、というものもいくつか存在する。
需要と供給がアンバランスになっている時、調整するのは政治家の役目だが、そこには利得権益が生まれる。
欲しいものが手に入らない時ならば、売る側が強く、例えば購入権のような利権が生まれる。レーテシュ領のお茶利権等もこれに類する利権。誰にどの程度を割り当てて売るか。決める人間の裁量によって損得が変わる。欲しい人間全員に売れないのだから、売る人間を選ぶしかなく、選ぶ基準次第で利益を得る者と得られない者が出てくる。
ペイスが新茶試飲会後にばら撒いた鼈甲飴やのど飴も同じような話。供給が極端に限られている割に、欲しがる人間は多い。自分に対して優先的に売って欲しい、という人間はかなりの数で存在した。
工事の物資搬入を、自分の息の掛かった商会にやらせて欲しい、といった話もある。
利権の分配といえば政治の泥臭い話に思えるが、利害調整というものは政治の本分。より多くモルテールン家にとっての利益を得る為に、差し出すカードの一つがこの手の権利。どこをどう与え、何を得るのか。
利害の調整の力量は、政治家としての貴族の力量そのものである。
応接室に、報告片手にやってきたペイスは、まずノックをする。客が来ていると分かっているので、この時ばかりは中からの返事を待って入室した。
「失礼します」
中にはカセロールと共に護衛のコアントロー。その向かいに座るのが外務官で、更に外務官の後ろに立つのが護衛。
「これはミロー伯、ご無沙汰しております。何方が来られているのかと思えば、閣下でしたか」
「ペイストリー殿も御壮健の様子。王子殿下の舞踏会で御見掛けして以来ですか」
「大事なお話し中にお邪魔をしてしまいましたか」
「いやいや、モルテールン卿とも大事な話は終えております。今は世間話をしていたところです」
ミロー伯爵。
宮廷貴族の中では、外務を担当する家柄。爵位の高さもあり、外務閥の中では重鎮と言われている人物である。
コーヒーブラウンの髪を綺麗に切り揃え、ヘルメットでも被っているように見えるほど丁寧に梳いて、香油を付けてピッチリ固めている。身長は小柄ながら引き締まっていて、一見すると柔和そうに見えるが目つきだけは鋭さが垣間見える。
ニコリと笑っている時は温和で優しそうに見えるが、怒っている時には子供が泣き出すという評判の三十四歳。
カセロールより年下だが、ほぼ同年代ということもあって会話は弾んでいたようだ。
「世間話ですか。僕も同席しても構いませんか?」
「私は構いません。丁度ペイストリー殿の話もしていたところ」
「僕の話?」
ペイスが父親の方に顔を向ければ、少々ばつの悪そうな顔をしたカセロールが、息子の同席を認めるところだった。
「うむ、お前の日頃の素行の悪さを、ミロー伯に相談していた所だ。伯は子育ての経験も豊富なのでな」
「ははは、まあそういうことにしておきましょう。ところでモルテールン卿、最近はザースデンも人が増えているご様子ですな。ここに来る途中も麦の育った畑を見てきましたが、働いている者も沢山居ました。知り合いからも噂は聞いておりましたが、噂以上に御隆盛のご様子」
「そうですな。最近では十数家ほど増えました。冬の間に農地の開墾も行いまして、増えた人口を吸収する下地は出来てます」
「なるほど、流石は名領主と名高いモルテールン卿。ザースデンそのものの方はどうですか。畑だけ広げても、街の方が手狭になっては不満も出る。改めて整備されるおつもりはございませんか?」
「国道整備に絡んで出費も嵩んでおります折、中々そこまで気が回りません。いずれは行わねばならぬと思っておりますが、まだ先の話になるでしょうな」
ミロー伯とカセロールの二人が世間話をしている、と考えるのは素人だけ。
二人の会話の曖昧な貴族的部分を翻訳すれば「お前のところは最近調子に乗りすぎてないか?」とミロー伯が聞いたことに「これでも押さえている方だ」と言い返した形になる。
「そうですか。将来、教会や宿屋が出来れば、私も来やすくなるので是非ともお願いしたいところ。領都の整備再開発ともなれば一大事業ですし、その際には私の知り合いにも手伝わせましょうか?」
「お気遣いはありがたいですが、まだ整備すると決めたわけでもありません。お気持ちだけで結構です」
「ははは、御家の御隆盛に一口乗せてもらおうと思っていたのですが、残念です。ああ、隆盛といえば、確か御家が飴を配っていたでしょう」
「ええ。将来の特産品にしたいと思っております」
アメという言葉にペイスが敏感に反応し、護衛として後ろについていたコアントローが有無を言わさず肩を押さえる。
長い付き合いだけに、阿吽の呼吸。
「モルテールン卿には特別にお耳に入れますが、実は先ごろ私も知り合いから鼈甲飴とやらを手に入れまして」
「ほう」
「中々美味しいものだったので、良ければ作っているところの見学だけでもさせてもらえないかと思っているのですが、如何でしょう」
もちろんかまいませんと笑顔で言いかけたペイスの口を、コアントローは抑える。そのまま、椅子に少年の身体を押さえつける。
ことお菓子に関しては、気を付けねば簡単に暴走すると、良く知っているのだ。
「残念ながら、今は季節が悪い。飴を作るというのは、夏以降に行う作業ですから」
「ほう、そういうものですか。残念ですが、またその頃お伺いするとしましょう。それでは、名残惜しいですがこの辺で失礼させていただきます」
「また何時でもいらしてください。当家は伯の来訪をいつでも歓迎いたします」
丁寧な礼と共に、男は護衛と一緒に部屋を辞した。
見送りはコアントローだ。下手に屋敷をうろつかれないように、出口までの案内をするのが役目。
ずっと押し付けられていた人間は、ようやく一息ついた。
ミロー伯が帰れば、ペイスとカセロールが二人だけになる。
執務室に戻る前に、収益報告係の少年から報告があった。
「関税収入差益が十八クラウン飛び三ロブニ、砂糖加工品売買益がマルで百二十五レットと四分の三、布製品売買益がバツで十五クラウン……これはレーテシュ伯の婚儀などでの臨時支出を含んだからです。豆関連売却益がマルで十一レット飛び一ロブニ……」
長々と挙げられていく数字の羅列。
前年度の収益全体では、去年に比べるとどうなのか。カセロールの興味はそこにあった。
二年続けての黒字経営となれば、経営が安定したと判断する根拠となりうる。経営が安定してから行おうと思って後回しにしてきた案件も多いので、不安もあれば期待もある。
ペイストリーが何十という項目でずらずらと数字を言うのを木板にメモしながら、時折疑問のあった数字のみ後で調べるためにチェックを入れておく。
「……以上、トータルでマルの四十二レット半となります。プラウ金貨換算で二十一クラウン強」
「ご苦労。いまだに信じられんが、こうして聞くと金貨の山が儲けられる領地になったのだな」
カセロールは、感慨深げに外の景色に目をやった。
応接室からは領内の風貌が見渡せるだけに、実にいい景色だ。かつては赤茶けてみすぼらしかった領内の景色も、ここ数年ですっかりカラフルになったと感慨深い。
「はい。それでこの繰越金は、今年度の大規模な開発投資への資金の足しにしてはどうかとシイツが言っていました」
「……要検討だな。お前の担当する製糖事業や、酒造事業にも今後投資が要るだろうし、更に人を増やす為の準備金も用意しておきたい。折角なら衣装代に回して、ジョゼやアニエスの服も綺麗なものを着せてやりたい」
「分かりました。関係各所にはこの数字を伝え、要望と使途計画を出すよう伝えます」
「任せる。しかし、こうしてみると飴の売買益というのは馬鹿にならんな……」
「単価が極めて高いので、利幅も大きいのです。多分、ここまでぼろ儲けが出来る期間は長くないと思います。量産体制が出来てしまえば値段も下がりますし希少性も下がるでしょうから、ここまで優れた費用対効果は見込めないでしょう。それよりも父上、先ほどのミロー伯の話。気になりませんでしたか?」
「ああ、さっきの話か」
ミロー伯の話と言われて、カセロールにはすぐに何のことか分かった。
「気になった点は、ミロー伯が鼈甲飴を手に入れていたことだな。あれはそれほど数が無かったはずだし、配ったところもレーテシュ伯所縁の家だけだ。外務閥のミロー伯が豊富な人脈を活かして手に入れたとしても不思議は無いのだが、気になる」
「はい。僕もそこが気になりました」
鼈甲飴は、見た目も透き通っていて美しいお菓子。ペイスが一つ一つ手作りで意匠を付けたため、数も限られていた上に用途も限定されていたはず。
今後砂糖の量産体制が整備されれば、製菓の事業を行って技術者の養成を行うつもりではあるのだが、それまでは製法を秘匿しておきたい収益源でもある。
「……情報が漏れたか?」
「その可能性はあります。鼈甲飴は製法も簡素ですし、試行錯誤するだけの手間を惜しまなければ、真似することは容易でしょう」
「下手をすればひとつまみで銀貨が飛ぶような砂糖で、成功するかもわからん試行錯誤を繰り返す……か。そんな奇人はうちの息子だけだと思っていたが」
「父様、実の息子に対して奇人とはひどいと思います」
「事実なのだから仕方がない。お前が普通でないことは、誰に言われるまでもなく私が一番よく知っている」
ふん、と鼻息一つで息子の抗議を弾き返した父親に、ペイスはむぅと唸ることしかできなかった。
「とりあえずミロー伯はこれから何度も顔を見せるわけですし、探りはその時で良いでしょう」
「そうだな」
「さて、報告も終わりましたし、僕は僕の仕事に戻ります。……っと、忘れるところでした。これ、父様に手紙だそうです」
「そうか、ご苦労。お前も下がっていいぞ。くれぐれも騒動は起こすな」
「僕は平和主義者です。安穏こそ求めるものですよ」
一言余計なことを言い残し、ペイスが部屋を辞そうとした時だった。
手紙にざっと目を通していたカセロールが、ふいに声を上げた。
「待て、ペイス」
「はい?」
「ラミトが着任早々いい仕事をしたようだぞ。お前、早速シュタイムに飛べ!!」
港町シュタイム。
レーテシュ伯爵領の副都とも言われる大都会。物流の盛んな街であり、諸外国との交易の中心地ともなっている場所。
そして、多くの権謀が渦巻く魔都でもあった。