081話 信頼
「よく来られたペイストリー=モルテールン卿。久しぶりに貴殿と会えたことうれしく思う」
「公爵閣下におかれてはご健勝のご様子、何よりのこととお喜び申し上げます。不精を致しまして御挨拶も碌にいたしませんで」
「儂の方こそ、忙しさから挨拶も出来んでな。活躍の様子は聞いておるよ。色々とな。最近もなかなか派手にやらかしたようだな」
「閣下のお耳に届くほどのことに心当たりがございませんが、当家の発展は閣下のお力添えのおかげと感謝する次第です」
王宮に、ペイストリーが呼ばれた。
呼んだのは、ペイスとも浅からぬ縁のある重鎮。国内の軍権を一手に握る軍務閥領袖カドレチェク公爵。
年季と皺の入った顔を綻ばせ、年配の男性は少年を歓迎した。
「して閣下。この度の用件は、やはり父のことでございましょうか」
「うむ。貴殿も承知の通り、モルテールン卿が妃陛下の宝冠窃盗の容疑で召喚された。それについて、いささか儂も困る事態となっておる。貴殿も無関係ではないし、是非知恵を借りたいと呼んだのよ」
カドレチェク公爵は、ペイストリーの賢さを知る。子供の姿と侮って痛い目を見た経験もあるだけに、年は離れていても、ある種の尊崇の念すらある。若かりし頃の自分以上に才気溢れる若者に、新しい世代の波の到来を予感したことも記憶に新しい。
それだけに、現状の拙い事態に際して、藁にもすがる思いでペイスに頼っているのだ。
「窃盗? 父様は窃盗の容疑が掛けられているのですか」
「うむ。ただ、儂は元より、陛下やジーベルト侯爵はモルテールン卿が盗みを働いたなどは微塵も思っておらんよ」
「ありがとうございます。では何故父が呼ばれたのでしょう?」
「それは、モルテールン卿が【瞬間移動】を使えるからよ。ことのあらましは追々説明するが、要点だけ話すならば、密室と思われる場所で窃盗事件が起きたのだ。余人ならば不可能でも、モルテールン卿であれば容易いことである、との理由が大きい」
「かなり強引に思えます。可能だから捕まえた、というのなら、犯罪捜査など成り立たないでしょう」
ペイスは、公爵の説明にいささか憤慨した。
可能だから容疑者、と言われるのならば、男は皆性犯罪の容疑者になるだろう。杜撰にもほどがあると、怒るのは当然のことだった。
「貴殿の思いは分かっている。儂もそう思う。ただ、事情があるのよ」
「事情?」
「これは貴殿が生まれる前のことなので知らずとも仕方がないが、十五年程前にも同じような事件があったのよ。誰も近寄っていないのに、明らかに殺人と思しき溺死体になった者が居た、という痛ましい事件がな」
「それと今回の件と何の関係が?」
「それよ。その事件の時の犯人が魔法使いであってな。儂も責任者として、以後同じようなことがあってはならんと、魔法使いに対してかなり厳しい防護体制を整えたのよ」
十五年前の王宮の事件など、ペイスが知るわけがない。
マスコミがセンセーショナルに煽って書き立てるわけでもなく、ゴシップが週刊誌上で飛び交うわけでもないこの世界。一度緘口令が敷かれた痛ましい事件などは、時間と共に風化していくしかないのだから。
「つまり?」
「防護体制の内実は、警護の観点から詳細は言えん。だが、貴殿を含めて魔法使いが好き勝手に城で魔法を使えんようになっている。庭などは別だが。まあ、使えば分かる、という意味でもあるがの」
「なるほど……あれ?」
ペイスはふと気付く。
王城で魔法が使えない。いや、言葉のニュアンスから、使い難くなっているのだとして。それでは矛盾があることに気付く。
「うむ。貴殿も気付いた通り。これには例外がある。臣下を疑う真似は出来ん、と陛下が仰せでな。陛下の直臣たる貴族家当主本人には、この防護体制は当てはまらぬのよ。モルテールン卿以外にも魔法を使える貴族家当主は居るが、その全てが今回の事件を起こすのは不可能な魔法ばかり。例えば、【発火】で盗みは出来まいよ」
「それで父様が呼ばれたと」
「そうだ。これは、モルテールン卿を守る為でもある。疑われることが分かっていた為に、早々に召喚して陛下の元に留め置いた。さすれば、少なくともそれ以後に類似の事件が起きても、同じように嫌疑が掛けられることがないし、その時点でモルテールン卿の容疑が晴れる。以前の殺人事件の際は、連続殺人という痛ましい事件でな。ことの最初に召喚という名で保護し、監視下に置いた魔法使いは、早々に嫌疑も晴れて事件解決に功績をたてた。今回も同じことを陛下はお考えになったに違いない。ものが窃盗だけに、事件が続けざまに起きる可能性もあったわけで、その度にモルテールン卿に嫌疑の目が向けられるのを防ぎたかったのだろう」
「なるほど」
城の魔法的防御は、その手の知識が全くないペイスには想像もできない。ただし、軍務の長が断言する以上、そうそう綻びがあるとも考えづらい。
完全な監視下に置いた上で、更なる事件が起きるとなれば、これ以上ない完璧なアリバイが出来上がる。カセロールの為にそれを狙っていたのだと言われれば、召喚にも一定の筋が通っているようにも思えた。
「では、父様の疑いは晴れたのですか?」
「ところが、ここからがややこしい話になる。早々に召喚してモルテールン卿を保護したものの、事件が単発だったために、却って容疑を深める結果になってしまったのよ。事件が続かないのは、犯人が早々に捕まったせいではないか、という声が出始めた。というよりは、それを煽りだした者が居るのだ。何かと目立つモルテールン卿であるし、ここぞとばかりに足を引っ張ろうとするものが出始めておるし、政治的な問題を孕み始めた」
「それで、何とかできないかと僕を呼んだ」
「その通りだ」
モルテールン準男爵家は軍家である。内務の家であれば、例えば有事の際は後方支援に回るし、外務であれば戦後処理が仕事の場。対し軍家は、率先して前線に出向く。カセロールが軍家に属するのは必然だ。
大きな目で見るならば、カドレチェク公爵率いる公爵派の派閥にカセロールも含まれていると言える。
それはすなわち、モルテールン家の失態が、僅かながらでもカドレチェク公爵の傷になるということを意味する。
「モルテールン家は、先ごろレイング伯をやり込めたと聞く。ヴォルトゥザラ王国とのやり取りも仕事の範疇である外務閥は、横やりを入れられた形になって面白くない。内務閥は、今回の窃盗事件の責任回避に、スケープゴートを欲している。この両派閥は普段一枚岩にはなれるはずもないのだが、それだけに手を取って動かれると、非常に始末が悪い」
「……それは、今起こっていることだと?」
「これは儂の責任でもある。あちこちで恨みを買っているでな。モルテールン卿を徹底的に貶め、それをもって儂の影響力を少しでも減らそうとしているのよ。この場合、事件は解決しないまま、モルテールン卿が極めて疑わしい状況を継続させようとする。そしてそれは、時間がたてばたつほど容易になるだろう」
時間がたつほどカセロールの嫌疑は深まる。それは、別に犯人が居たとして、残した痕跡や証拠などは、時間と共に薄れていくからだ。相対的に、カセロールが犯人だったのではないか、という疑惑は深まっていく。何せ、彼ならば間違いなく可能なのだから。
カドレチェク公爵がモルテールン家を庇い、擁護するのは派閥力学からも当たり前だが、その場合はモルテールン家が落ちれば落ちるほど、カドレチェク公爵の傷が深くなる。犯罪者を庇うような目で見られることになれば、カドレチェク家も庇いきれなくなり、そうなればモルテールン家は外交的に疎外されていく。
モルテールン家がそれを避けようと思うのならば、現実的な二つの道がある。
一つは、あっさりと当主を見放して切り捨て、代替わりをする。カセロールがやっていないと信じていても、疑わしきを罰することで、出血を抑える対処法は、存在するのだ。臭いものに蓋をするような行動ではあるが、政治の世界は往々にして行われる方法。
別にカセロールが引退したとしても実質は何も変わらないし、後継者の質次第ではより大きい発展を目指せるかもしれない。
そしてもう一つは、犯人を見つけ出すこと。
モルテールン家の躍進を望まない人間たちが邪魔をする可能性はあるものの、達成できればベストの結果になる。ただし、時間を掛けてしまえば、実はカセロールが犯人だった、という説をより強固にしてしまうリスクも存在する。
現実解の二者択一。
どちらを選ぶかなど、ペイスにとっては悩むまでもないことだ。
「真犯人を捕まえます。モルテールン家が落ちることを喜ぶ人間が、邪魔をしてくる前に」
「うむ、儂も出来る限りの協力はしよう。利害は一致するでな」
モルテールン家次期領主ペイストリー。
世にも珍しい少年探偵誕生の瞬間であった。
◇◇◇◇◇
王城の一室。
窓は嵌め殺しの上で、扉が一つしかない、よくあるタイプの部屋。
この手の部屋は、城内で仕事をする人間に貸し与えられることも多い部屋だが、現在は別の用途に使われている。
いや、執務中といえば執務中なのだが、一般的な執務とはイメージが異なるのだ。
「日が落ちたな」
「最近は暗くなるのが早いですね」
「腹が減ったんだが、食事を持って来てくれないだろうか」
「もう少しすれば係の者が持ってきますので、お待ちください。モルテールン卿には不便をお掛けしておりますが、ご理解のほどを」
部屋の中には、カセロールが居る。手持ちぶさたな風で、筋力トレーニングなどをしながら暇を潰していた。
そして、そのカセロールの監視役として、三名の人物が部屋にいる。
代表は、アイスレング男爵。宝冠窃盗事件が起きて以来、責任を最も感じていることから、この任務に志願した。
アイスレング男爵ロックガンドは、当年とって十九歳。先代である父親が病で亡くなり、跡を継いでまだ三ヶ月。
これまでも父に鍛えられていたこともあり、自分の力量にも多少の自信はあった。それが、初仕事と言える仕事で管理していた宝物を盗まれるという不手際。どう取り繕っても、自分の失態であると、自責の念を強くしていた。
そして今、事態は思わぬ方向へと進みつつある。
自分の上役に当たる宮内尚書らが、モルテールン準男爵が極めて怪しいと言い始めたのだ。ロックガンドも貴族である。ここに政治的な意図を感じる嗅覚ぐらいはあった。
宮内尚書からすれば、自分たちの管轄内の失態を、こすり付ける相手を欲していたのだ。いっそ事件が迷宮入りになってくれれば、誤魔化せると考えている節すら垣間見える。
事の起こりが偶然であることを知っているロックガンドは、モルテールン準男爵が犯人だとは思っていない。だが、政治力学がそれを口にさせないのだ。
自責の念は、増すばかり。
「……閣下は何故、そうやって平然とされているのでしょうか」
「ん?」
後悔や自責の念、巻き込んだカセロールへの罪悪感、窃盗犯への怒り。色々な感情が渦巻くロックガンドからすれば、今のカセロールの在り様は異常だった。
濡れ衣を着せられつつあり、政治的に不利な立場に置かれ、理不尽極まりない状況。刻一刻と悪くなる情勢。下手をすれば、自分が切り捨てられて罪を被せられるかもしれない今の立場を思えば、平然としているのは不自然に思えた。
「何故、何故閣下はそうやって落ち着いていられるのです。閣下であれば、今のご自分の状況ぐらいはお分かりのはずだ……何故っ!!」
アイスレング男爵の声は、狭い室内ではとてもよく響いた。自戒を孕む、自らへの慟哭のような言葉。
カセロールは、そんな若者の叫びに、ひどく静かな声で応えた。
「今の状況が、落ち着いていられる状況だからだ」
「馬鹿な。敵だらけになり、こうして軟禁され、何もできない状況で、どうして落ち着いていられるのですっ!!」
カセロールは、功績を立てて一代で成り上がった。それだけに、方々から妬まれているし、疎まれている。
今回の事件をこれ幸いと、良くて傍観、悪くすれば積極的に落としに掛かる者たちは日に日に増えつつある。
一体今の状況の何に落ち着くのかと、ロックガンドは思う。カセロールのカラ元気にさえ思えた。
「私を見捨てない戦友が、絶対にこの状況を解決して見せると信じられるからだよ」
「戦友?」
「ああ。私が心から信じる、最高の男が動いている。そう確信すればこそ、私は落ち着いていられるのだ……アイスレング男爵!!」
「はっ」
「そう気に病まれるな。この事件、時間は我々の味方だ」
ニヤリと笑ったカセロールの顔。
浮かべたのは、探偵少年のそれとよく似た笑顔だった。