079話 嵐の予兆
冬も深まる日々の中で、年の終わりの足音を聞く。
今年も残すところあと少しかと、誰もが不思議と感傷に浸りたくなるある日のこと。モルテールン家の屋敷では、ささやかな茶会が行われていた。
「それで、最近はどうなのよ」
「姉様、いきなりどうと言われても、答えようがないです」
「二人とも、何か進展があったのかって聞いてるの。で、どうなのよ~最近は~」
日頃忙しいモルテールン家でも、年末ともなれば家中の行事の準備が目白押しになる。年明けには何かと行事が立て込むため、大人たちはその準備を行う。
ただしペイスは別だ。
政務であればまだしも、神王国独自の行事などには不慣れだからだ。常識外れなことはよく知るが、常識的なことをよく知らないと評されるペイス。彼はこの時期だけ、暇になる。
こういう時こそ私の出番とばかりに姉であるジョゼが準備して、リコリスと共にペイスを誘い、お茶会が開かれていた。
名目としては、秋口に収穫した豆から作った豆茶の出来を見る試飲会。一応、建前としては仕事の一環だ。最近はこの豆茶も、対外的な輸出品目とするべく品質の改良と量産化が試行されていて、出来がいいものはこうしてモルテールン家のお茶会に使われる。
ここしばらく忙しかったペイスを休ませてやろうという家中の気遣いもあり、久方ぶりにゆっくりまったりとお茶を楽しんでいた。
「姉様も知っての通り、最近は忙しかったですから……」
「特に進展といわれましても、こうしてペイスさんとゆっくりお茶を飲むのも久しぶりですよね」
リコリスがモルテールン家に厄介になり始めて、それなりになる。
腹黒い辺境伯たちの思惑を多分に含みながらも、当人たちは割と気楽に受け取っているこの状況。
年が明ければ、リコリスも十代の半ばになる。背も伸び、段々と体つきが女の子から女性のそれへと変わりつつある中。さすがにそろそろ男女の違いを意識しだす頃合い。
そのカウンターパートナーが、元より中身が大人っぽいペイスであるから、何かしら一歩進んだ報告が聞きたいと姉がごねる。
「それじゃあつまんないわよ。だってさ~、二人は婚約者なわけでしょう」
「ええ。僕の大事な人です」
「ノロケは良いのよノロケは。でさ、もうそろそろ、次の段階に進んでもいいんじゃない?」
「次の段階? 姉様、なんだかよからぬことを企んでいる顔になっていますよ」
姉のからかいをあっさり流せるペイスは、普通の顔色でお茶を飲む。
それに比べると、いまだ色恋沙汰に免疫のないリコリスは顔を僅かばかりに赤らめながら、落ち着くためにお茶を飲んでいる。
ジョゼに至っては、最近の嫁入り修行にストレスが溜まっていたのか、ここぞとばかりに“弟夫婦“をからかって楽しんでいた。悪だくみを思いついてほくそ笑む顔は、どこかの弟のそれと似ている。
「むふふん、ということで、ここは一つお泊り会をしましょう」
「お泊り会?」
「そっ、リコちゃんもうちにきて結構経つし、ここでお互いの仲をもっと深めるために、ペイスとリコちゃんの二人が、同じ部屋で一晩お泊りするのよ」
「なっ!! お義姉様!!」
「姉様、そんなこと出来るわけないでしょう」
ジョゼによる提案に、さっきから赤かった顔をもっと赤くさせ、リンゴのようになったリコリス。ペイスにしても、さすがにこの提案は多少の動揺を見せる。
南大陸のみならず、この世界では医療がまだ未熟。それだけに、不用意な妊娠や出産は妊婦の命にかかわるとして、貞操観念にはとてもうるさい。特に、血統が重要視される貴族社会では尚更。
リコリスは、モルテールン家が責任をもって預かっている、他家の独身女性。同じく成人している独身のペイスと、幾ら未成熟な子供で婚約者だといえども、結婚前に同じ部屋で寝起きさせるわけにはいかない。というのが常識である。それはジョゼにしても口を酸っぱくして言われることでもあるわけで、知らないはずがないのだ。
そんな非難めいた弟の抗議を、姉は軽い感じで受け流す。
「大丈夫よ~あたしも一緒に泊まるから」
「……ということは、姉様含めた三人でですか? それならまあ何とか体面的には……」
一応、姉弟同士であれば同じ部屋に寝泊まりするのも、推奨はされずとも許容はされる。倫理的には結構きわどい状況ではあるが、出来なくもないといったところだろうか。
それでも世間体としては好ましくないことには変わりがない。そう思ってペイスが顔を顰めていると、姉のほうが更に笑みを深める。
「ううん、違うわよ」
「え?」
「むふふ、このお泊り会の発案者は、別の人なのよ。その人も一緒だから、三人じゃなくて四人ね」
「別の人……まさかっ!!」
ペイスは気付く。
この手の過剰とも思えるスキンシップを好み、最近の忙しいペイスと触れ合える時間が減っていることを寂しがっていて、体面的に一緒に寝泊まりしても問題がない人物。
これだけの条件が揃う人物は、たった一人だ。
「そっ、母様が言い出したのよ。たまにはペイスやリコちゃんとゆっくりと話がしたいって」
「お義母様が……」
ペイスとジョゼの母アニエス。
この二人の親として、彼女もまた人を喜ばせるのが好きであると同時に、驚かすのも大好きというイタズラ好きな性格をしている。
「確かに、母様と同室で寝泊まりというのはまだ。でも……」
「あら? 不服そうねペイス」
「あの母様ですよ? どうあっても僕らをからかおうとしているとしか思えません。正直なところ、気乗りがしません」
「あらそう。じゃあペイスはお泊り会に参加しないと?」
「僕は忙しいので、余計な心労は増やしたくないのです」
ペイスは大人顔負けの知識と行動力を持つ天才児と、誰もが認めている。
だが、そんな異才であっても苦手とするものがいくつかある。母親というものも、そのうちの一つだ。
産み育ててくれた母親に対して恩もあれば愛情もあり、どうしても邪険に出来ないために、からかわれても強く返すことが出来ないのだ。
故に、そんな相手との夜会などは、可能な限り避けたいと思うのが当然である。
しかし、そんなペイスの様子を姉は笑顔のまま眺めていた。
彼女とてモルテールン家の子。明らかに嫌がっているペイスを策に引きずり込むぐらいは、やってのける。
「ペイスぅ~」
「何です? 何と言われても僕は不参加ですよ?」
「あらそう。じゃあ無理には誘わないわ。でも、そうなるとリコちゃんはどうでしょうね~」
「リコ?」
リコリスの立場は、今は弱い。
あくまでお客さんという立場ではあるが、婚約者として相手の家に厄介になっているというのも事実。将来の義母となるかもしれない相手や、義姉となるかも知れない相手に対して、むやみやたらと反感を買うわけにもいかず、どうあっても一歩引いた対応をせざるを得ない。
ましてリコリスは生来おとなしい性格で、不満があってもグッと堪えてしまう程度の我慢強さもある。
「母様がどうしてもっていえば、リコちゃんは断りづらいわよね?」
「そうでしょうね」
「つまりペイスは、リコちゃんだけを母様の面前に立たせておいて、自分だけは身の安全を守ろうというわけね。いいのよ別に。それはそれで貴方の選択ですものね~」
「姉様、性格悪くなりました?」
「失礼ね。貴族として成長したと言って欲しいわ。第一、ペイスは人の性格をとやかく言えると思ってるの? 父様やシイツが何度泣かされたことか……もう少し貴方も跡取りとしての自覚を持って、責任感というものを身に着けるべきよ。この間だって、結果的に上手く収まったから良かったようなものの、敵地の真っただ中に乗り込むなんて真似したらしいじゃない。後から聞いて私や母様やリコちゃんが、どれだけ心配したか分かってるの? だいたいペイスは昔っからあたしたちに相談もなく危ないことに首を突っ込むから」
「分かった。分かりました。確かに、最近は心配をお掛けすることも多かったと思いますので、その辺の釈明もあわせてご説明いたします」
「つまり?」
「……参加します。そのお泊り会とやらに」
「むふふ~素直な弟は好きよ~」
ジョゼは、弟の頭をかき抱いた。
この抱き着き癖は、母親からの伝統である。
いい加減成人したのだからやめて欲しいとペイスは常々思っているのだが、アニエスやジョゼが治すそぶりを見せたことは一度もない。
義母や義姉と一緒とはいえ、ペイスと同じ寝室に寝るとなったリコリスなどは、既にテンパっているため、早々に侍女のキャエラが引き取る羽目になった。
「それで、そのお泊り会とやらは何時やるつもりですか?」
「母様と相談だけど、新年の後ってのはどうかと思って。年越しで夜更かしするのは普通じゃない。その後になし崩しでお泊り会に突入ってのが、無理のない建前だと思うの」
「建前を気にするようになるとは。姉様も成長なさいましたね」
「弟に言われると複雑な気持ちなんだけど、まあペイスだしね……」
ジョゼは、男爵令嬢であった母の教育を受け、また人手不足の領地の政務を手伝う機会もあったため、国中を見渡してもかなり賢い部類に入る。ペイスが出鱈目をやらかし始めるまでは、男に生まれてこなかったことを惜しまれたことも多かった。
そんなジョゼからしても、ペイスは飛び抜けて優秀なのだ。弟が優秀すぎる姉として、何かと複雑な心境にもなる。もっと世話を焼きたいのに、焼かせてくれないのだ。
今回の企画を喜んでいるのは、母だけではない。
「新年のお祝いとなると、何か美味しいものを用意したほうが良いですかね?」
「そうね。それで飲んで食べて騒いで、お泊り会を盛り上げるの。あ~ワクワクしてきた」
「折角ですし、僕が腕を振るいましょう」
「やったぁ~!! じゃああたし、あの白身魚のパイが良い!!」
「前に作ったあれですか……この時期に狙った魚が水揚げされているとも限りませんから、今から手配しても間に合うかどうか分かりませんよ?」
「その時はそれ。聞いたところだと、港の幾つかに大きな伝手が出来てるらしいじゃない。美味しい魚と、ペイスのデザートのフルコースを希望するわ」
「それ、ちょっとしたイベントの規模じゃないですよね。結構な大仕事ですよ?」
「良いじゃないの。偶にはワガママを聞いてくれても。あたしだって何時お嫁に行くか分からないわけだし、ペイスの料理なんて今度は何時食べられるか分からないし。リコちゃんやペイスと揃って夜更かしなんて、もう機会がないかもしれないし。う~食べたい食べたい食べたい~!!」
「分かりましたから、足をバタつかせないでください。駄々っ子ですか姉様は」
ペイスの作る料理の美味しさは、モルテールン家では周知の事実。
皆が知らないような材料すらも使いこなし、聞いたこともない調味料を駆使し、見たことがないような技術で作る、食べたことがない料理。
レパートリーも底が見えないほど多いらしく、また常から色々な料理研究や菓子研究をしているために、増えていく一方。
この世界では、菓子職人としても超一流ならば、料理人としても一流の技量を持つ。それがペイストリーという少年なのだ。
「じゃあ、新年の料理とデザートは期待していいわけね」
「他ならぬ姉様のリクエストですから、頑張りましょう」
「やふぅう!! それだからペイスは可愛いのよ」
「だから、そうやってすぐに抱き着くのを止めてください!!」
「あぁ~髪の毛もサラサラね~」
弟の必死の抵抗もむなしく、背も伸びてきた弟をおもちゃにする姉。
この仲睦まじい様子は、乱入者によって止められる。
「若様、ちょっといいですか……って、何やってるんです?」
「ニコロ、いいところに。助けてください」
「ご姉弟の仲が良いのは分かりましたけど、暴れるのは程々に。ジョゼフィーネ様、ペイストリー様をお離し下さい。残念ながら仕事の話です」
「えぇ~」
しぶしぶペイスを解放した姉ではあったが、機嫌はよさそうだった。
ここしばらく勉強や嫁入り修行ばかりで気が滅入っていた分、弟とじゃれてストレスも解消できたのだろう。
ようやく解放されたと、これ幸いに逃げ出すペイス。そんな少年とニコロが連れ立って歩く。
行き先は、執務室だ。
「失礼します」
扉を、ノックと同時に開けて入る少年。
中に居たのは、シイツ、グラサージュ、コアントローといったモルテールン家譜代の面々。
皆一様に表情が硬く、ただ事ではない雰囲気が漂っている。
「何かありましたか」
そう短く問いかけたペイスに対し、答えたのはシイツ。
「坊、大変なことになりやした」
「大変なこと?」
聞き返したペイスはふと気付く。その場に今日は居るはずの男が居ないことに。
モルテールン家にとって大黒柱ともいうべき現当主、カセロールの姿がそこには無かった。
「大将が、窃盗の容疑で召喚されやした」
黒下月の末。真冬の最中のこと。
モルテールン家に嵐の予感であった。