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おかしな転生  作者: 古流 望
第8章 家出息子はフルーツ味
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077話 RE:越境者


 「何ですって?! 確かですか」


 執務室の中。

 ラミト発見の報せがあったその瞬間。


 「ああ、間違いない。ラミトは隣国の兵に捕まっていた」


 カセロールの発言には、皆が無言になる。

 沈黙を破ったのは、今最も心配事の多い父親、グラサージュだった。


 「息子は、うちの息子は無事なのですよね?!」

 「シイツが確認したところ、一応は無事のようだが、拘束されている」


 知らされた情報に、グラサージュは落ち着いて良いのかどうか、しばし狼狽(うろた)えた。だがグラサージュとてモルテールン家の従士。それなりに修羅場も経験してきただけに、落ち着くのは早かった。

 深呼吸一つで落ち着きを取り戻す。


 「他国の兵が越境、ですか」


 大人たちが深刻な問題に懸念を表明している中。

 ペイスが、何事かを考え込みながら呟いた。

 その様子を見て、他国の兵の越境という事実に改めて皆が向き合う。


 「いよいよ来るべきものが来たという感じですぜ」

 「ああ。我々の領地はまだまだ人口も少ない。それだけに、情報の統制が極めて容易な状況だった。ものごとが秘匿されていることで、焦れてくれば強引な行動を採るものも居るとは思っていたが、まさかあの山脈をこの季節に越えて来るとはな。来るにしても春以降だと思っていた」

 「それだけ、うちのことを恐怖に感じているんでしょうぜ」

 「そういうものか」


 カセロールは、勇敢な騎士である。それだけに、臆病な発想というものがどうしても縁遠いものになってしまう。気弱な人間の考えが、分かり辛いのだ。


 人間の恐怖の根源とは、未知である。得体の知れないものが、防ぎようもなく何時襲ってくるか分からない状況程怖いものは無い。

 予め正体が分かっていれば、幽霊だろうが強大な魔法使いだろうが、対策が考えられるだけに怖さは無い。怖いのは、全く何もわからない事なのだ。

 何処に地雷があるか分からない道を歩くのが怖いのであって、何処に地雷があるか分かっているのならどれだけ強力なものでも怖さは無いに等しい。

 常識では測れないモルテールン領の発展と繁栄は、一応は味方である神王国の貴族からすれば、不気味ではあっても頼もしさがあるし、他家からこっそり聞き出す機密情報にしても、質と量が共に豊富だ。対し、諸外国の領主から見れば、不気味さと恐ろしさしか無い。隣り合っていれば、尚更。いつ落ちてくるか分からない刃の下で寝るようなもの。

 この恐怖心を克服しようと思えば、正体を探りたくなるのが人情である。


 「ってことは、ラミトも今頃は尋問中ってことですかい」

 「無論だ。私があちらの立場であっても、同じ行動をするかもしれん。彼奴らの狙いが当家の探りにあるのなら、知っていることを洗いざらい吐かせようとするだろう」

 「拷問の可能性は?」

 「ある。もしそこまでされていれば、ことは急を要する。向こうが何がしか切迫しているということだからな。何にせよ、成人もしていない身には酷な状況であろうことは間違いない」


 モルテールン領のことを知りたくて仕方がない連中からすれば、モルテールン家中枢に近しいラミトの情報は貴重。まして子供だ。

 都合よく群れからはぐれた羊は、狼にとって格好の標的。

 彼らとて、まさか家出した従士の子が、一人でのこのことタイミングよく目の前に現れるとは思っていなかったはずである。

 しかし、だからと言って見逃してくれると期待するのは愚かしいことだ。

 カセロール達は、状況を悲観視しないし諦めない。だが、楽観視もしない。拷問された上で、人質にされる可能性も視野に入れる。


 「さて……となると、どうやってラミトを救いだすか。ラミトの傍から人が離れたところで、私の魔法を使い一気に奇襲、というのが良いか?」

 「うちの息子がご迷惑をお掛けします」

 「気にするな。結果を見ればラミトのおかげで早期発見できたともいえる。起きてしまった事を謝る前に、どうするかを考えろ」


 グラサージュが口にした謝罪の言葉を、カセロールは軽く頷くのみで流した。

 そもそも、自分の子どもが他人に迷惑を掛けるという点に関して、カセロールほど経験豊富な人間も居ないのだ。息子の不始末に頭を下げる父親に、寛大な気持ちになるのは極々当たり前。むしろ、同情さえしてしまう。


 「しかし、政治的に大きな問題にしてしまうと厄介だな」

 「力づくで取り返して、後は知らんぷりの無視を決め込むというのはどうですかい?」

 「向こうがどの程度探りを深めているかが知りたい。疑心暗鬼で対策がとり辛くなるぐらいならば、多少の情報漏洩を甘受してでも、向こうの情報を集めたい。こちらの情報を漏らさず、対処できるのが理想だったのだが……今の状況では難しいか」

 「なら父様、僕が本丸に攻め込んできましょうか?」

 「ペイス、それはお前が直接ラミトを救いだすという事か?」

 「いいえ。ラミトの奪還は父様方に任せます。それよりも、相手がこちらの懐に飛び込んでくることが厄介だと思います」


 ペイスは、父親の性格をよく知っている。伊達に男爵令嬢を惚れさせたわけでは無く、お手本のように高潔な騎士だ。清濁併せのむ柔軟性を持ちつつも、心根には一本通った芯がある。

 騎士として誇り高い性質を持つ以上、相手が完全に両手をあげて無防備なまま庇護を求めれば、問答無用で切り捨てるような真似は出来ないだろうと予測する。

 懐に入られて抱き付かれれば、どれほどの達人でもそれ相応の負担があるもの。超が付くほどの密接した、情報の肉弾戦。向こうの情報を得る引き換えに、此方も情報が盗られる。それこそが狙いに違いない。

 この敵の思惑を回避しようとするならば、懐に入られる前に対処するしかない。


 すなわち、捕縛する前に問題を解決してしまう。


 「直接相手方のトップと、話を付けてきます。父様方には、その間の時間稼ぎと監視をお願いしたいです」

 「時間稼ぎ位は簡単な話だが、相手がどういうカードを持っているかも分からない状況で、こちらから相手のフィールドに出向くのは、不確実性が高すぎないか?」

 「しかし上手くいけば、此方は情報を隠したまま相手を丸裸にする、最良の結果になります。普通に考えれば、僕が捕まって相手により有利な状況を作ってしまうリスクもあるわけですが……」

 「お前に限ってそれは無い、か」


 未だ、相手がどの程度自分たちの情報を持っているか分かっていない。また、敵方の実力も不明な点が多い。この状況で交渉に臨むのは、手札の見えないババ抜きをするようなものであり、どう転ぶかが見え辛い。

 だからこそ、こちらの手札を晒す危険を覚悟で、相手の兵を捕縛して情報を得ようとしていたのだ。


 しかし、カセロールもまた息子の性質をよく知っている。

 正攻法から寝技まで、何でもござれで織りなす交渉術を、この年で身につけている鬼才。この愛息子が、そう易々と敵の術中にはまってしまうことも考えにくい。ならば、最悪のパターンというものは隕石が落ちてくる程度の可能性として、無視して良いとカセロールは判断する。

 そして、今すぐ打つ手で最悪を避けられるならば、拙速になろうとも致命的悪手にはならない。戦場の男は、果断即決が重要。


 「よし、ならペイスは今すぐ動け。連れて行くのは誰にする?」

 「……見た目のゴツい武闘派を二人ほど。脅しに使います」

 「だとすれば、一人はトバイアムを連れて行くのが良いな」


 見た目の厳つさだけでいうなら、トバイアムに勝るものはモルテールン家に居ない。モルテールン家では新人だが、既に古強者の風格さえある。性格はおちゃらけた粗忽ものだが。


 「若様、儂も連れて行って欲しい」

 「バラモンドを?」


 危険な敵地への直談判。これに付き従う役目に、ラミトの祖父であるバラモンドが手を挙げた。既に引退しているはずの人間の自薦に、皆驚く。


 「敵地への強硬突入じゃろ? 何かの折に、若様を逃がすに犠牲が要る事態もあり得る。この老骨であれば、惜しくも無いじゃろう」

 「いけません。バラモンドはモルテールン家の功臣。それに、誰であろうと捨て駒にするようなことは出来ません」

 「若様、老い先短いジジイにとっては、このまま老いさらばえて役立たずになっていくのは心苦しいのじゃ。せめて、孫の尻拭いぐらいはさせてくれい」


 結局、爺様の頑固な姿勢と、時間の無い現状から、ペイスに付き従うのはバラモンドとトバイアムの二人になった。残りは、用意が出来次第ラミトの救出と隣国兵捕縛の任務にあたることになる。


 「出来るだけ、急いできます」

 「分かった。ただし、くれぐれも安易な譲歩だけはするな。不意打ちで先手を取られたとは言っても、越境してきた連中を捕まえられるならば状況は五分だ」


 ペイスが上手くやれば状況は極めて有利になるとはいえ、それを狙って失敗し、悪手になるぐらいならば凡手で良い。それはモルテールン家の総意であった。

 総意に頷き、ペイス達は【瞬間移動】の中に消える。



 ペイストリー達がレイング伯爵領の領都、メッポブ=レイングに転移すると、彼らは早速行動を起こした。

 まずは移動しつつの情報収集。


 「バラモンド、ヴォルトゥザラ王国の通貨については知っていますか?」

 「儂が知っているのは一般的なものだけじゃが、ゾゾ銅貨、ブール銀貨、パーリ金貨をよく見かけたの。大体、銅貨二百枚ぐらいが銀貨の相場で、銀貨二十枚ほどが金貨の相場だったはずじゃ。大分昔の話じゃがの。傭兵の日当は、ブール銀貨五枚が相場じゃった。懐かしいわい」

 「目安が分かるだけでも結構。今チラリと確認した街の物価も、大よそ察しがつきました」


 レイング伯爵の屋敷は、小高い丘にあった。豪勢なお屋敷、といった感じのもので、レンガ造りの大きな建物で非常に目立つ。

 領主館に急ぎながら、道すがらペイスは物価を確かめる。


 「若、物の値段を知ってどうしようってんです?」

 「……これで、向こうが戦争をしたがっているのかどうかが分かるんですよ」

 「わはは、からかっちゃいけませんぜ。幾ら若が賢いったって、戦争が起きるかどうかなんて、そんなに直ぐに分かるわけがねえ。玉ねぎの値段で戦争が分かれば、苦労はねえって話だ。ぶひゃひゃ」

 「いや、若様の言っていることは何となく分かるぞい。大抵の大きな(いくさ)の前には、何をするにも高くついたもんじゃ」

 「うぉ、爺さんまでそう言うってことは、本気(マジ)な話だったのかよ」

 「儂から言わせれば、この儂が長年掛けて知ったことを、既に気づいておる若様は頼もしくて仕方がないわい」


 ペイスが確認した限り、レイング伯爵に戦争してまでモルテールン家の脅威を除こうとする意志は無さそうだった。

 それが分かっただけでも、かなり強気に攻められる。

 何せ、相手は戦いの準備を整えきっていない。モルテールン家と同時に準備をし出せば、情報伝達に強いモルテールン家の方が先に準備を終えるのは明らか。いざ戦いをおっぱじめますとなれば、レイング家は不利を承知で戦わねばならない。

 故に、レイング伯は戦いを避けようとするはずと、ペイスはバラモンド達と頷き合う。


 「穏便に行く気はないのじゃな、若様」

 「当たり前です。先に手を出してきたのは向こうなので、下手(したて)に出れば舐められて、また同じことをされかねません。ここは、もう二度と同じことをしたくないと思わせるぐらい痛い目に遭わせて、丁度良いのです」

 「しかし、余所の土地で暴れすぎては、後で揉めたりせんか?」

 「不要な心配です。確かに、越境の件は明らかに事故として処理されるであろう状況ですし、此方がそう受け取る事を伯爵は予想しているかもしれません。だからといって、向こうの予想通りこちらが動いてあげる義理もありません。今有る事実は停戦破棄の越境のみです」


 越境の事実がある以上、客観的な事象のみを現時点で見れば、伯爵が停戦破棄したと受け取ってもおかしくは無い。だから、ペイス達が伯爵領で多少のやんちゃをしたところで、それは戦争中の作戦行動と言い張ることは十分可能だし、そもそも侵攻に対する報復は当然の理屈だ。

 モルテールン家からの報復を避けたいのであれば、伯爵側は誤解であると言い訳をしなければならないはずである。

 モルテールン家側が粛々と事実のみに対応するとしても、おかしな話ではないのだ。


 そして、誤解が解けるまでは戦争中と見なすことも出来る以上、“誤解中“の被害の責任は、誤解される行動を採らせた伯爵にある、とペイスは言い張った。


 「つまり、暴れても問題は無いと?」

 「死人は出さないようにしましょう。恨みを買っても得は無いので」

 「ふふふ、腕がなるのぅ」

 「爺さん、年を考えろよ。まだ腰は癒えてないんだろ?」

 「何の若造。腰ぐらいは丁度良い(ハンデ)じゃ。これでもお前さん程度には役に立てるぞ」

 「口の減らねえ爺さんだな」

 「お前さんほどではないわい」


 メッポブ=レイング。通称メッポの街の領主館に到着したペイス達モルテールン家一同は、早速門番に話しかける。

 笑顔からは程遠い、およそ来客と呼ぶには相応しくない様子に、門番も何事かと身構えた。


 「モルテールン家当主代理、ペイストリー=ミル=モルテールン。レイング伯に抗議したいことがあり参りました。御取次ぎ願います」

 「はい? 来客の予定は聞いておりませんし、伯爵閣下は今お忙しいのですが……」

 「そちらの都合など関係ありません。さっさと取り次ぎなさいと言っているのです。トバイアム、構いませんから、押し通りましょう」

 「まっ、お待ちください。急ぎ取次いたしますので」


 強面(こわおもて)のトバイアムが剣を抜けば、門番は血相を変えて屋敷に飛び込んだ。

 数瞬もしないうちに、執事らしき人間が飛び出してきて、深々と頭を下げる。顔を強張らせながらも、慇懃な態度はさすが伯爵家の家人である。


 「お客様におかれましては、何やらお急ぎの御用が御有りと伺いました。ただいま当家の主に取り次いでおりますので、今しばらくお待ちください」

 「よし、ならば押し通りましょう。居るとすれば執務室あたりですかね?」


 扉を蹴破らんばかりの勢いで、屋敷に押し入るペイス達。慌てて執事や使用人が押し留めようとするのだが、それを気にする風でも無く、屋敷の主の姿を探す一同。

 ドタドタと屋敷が騒がしくなれば、それで大よそのあたりが付いてくる。

 どうやら食事の時間だったらしく、伯爵が食堂に居るらしいと分かった時点で、ペイス達も食堂に向かう。使用人に、穏便に道を尋ねつつ。

 途中には武装した従士と思しき護衛も居たのだが、トバイアムやバラモンドが実力で、或いはペイスが魔法も使って、即座に無力化していく。十人ばかりが屋敷のあちこちでお昼寝する羽目になる。


 食堂の扉。これは年季の入った風格すらあるものだった。

 来客をもてなす折にも使われる部屋である事から、贅沢な扉になっている。

 それを、トバイアムがこれまた蹴破るようにして開けた。中に入るなり、ペイス達は剣を構える。

 食堂には、使用人と思しき数人と、伯爵とその家族らしき人間が居た。


 食堂の上座。まだ四十代と思しき男に向かい、剣を向けたまま口上を伝えるのは、モルテールン家の次期領主。


 「レイング伯爵とお見受けする」

 「無礼者。ここを何処と心得おるかっ!!」

 「モルテールン家当主代理、ペイストリー=ミル=モルテールン。御家による停戦破棄を受け、御命(おいのち)貰い受けに推参。御覚悟!!」

 「んなっ!!」


 レイング伯の家族や使用人は、モルテールンの名を聞いた途端に逃げ出した。或いは壁際に蹲る。ここではモルテールンの名は悪魔並みに恐ろしい名なのだ。

 だが、伯爵本人は上座に居た為逃げ出せないし、ペイス達が逃がさない。

 テーブルの上の豪勢な食事が散らかる事も(いと)わず、伯爵は椅子から転げ落ちる。手にしたのは、食事用の小さなナイフだけだ。これで完全武装のペイス達を相手にできるわけがないと、早々に声を震わせる。


 「ままま、待たれよモルテールン卿。誤解だ。話せばわかるっ!!」

 「我が家に対し兵を差し向けておいて、命乞いとは見苦しい。そちらが戦争を望んだ以上、命を失う覚悟は有ってのことでしょう。ここにきて臆しましたか」

 「ちが、違うのだ。決して、決して停戦破棄などしていない。争いは望んでいない。た、頼む。話だけでも聞いてくれ」


 ガタガタと震えながらも、流石は伯爵家当主。

 小さなナイフを両手で握りしめながら、最後まで話し合いを求める姿勢を崩さない。


 ペイスとしても、舐められない程度に脅すだけのつもりで押しいったので、この辺が潮時かと剣を収めた。

 これは、伯爵の性質を見切ったからだ。越境の件といい、押し入った時の対応といい、伯爵の本質は臆病さにある。平時であれば、慎重な性格として現れ、腰の重たい良い政治家となるのだろうが、人間というものは咄嗟の時にこそ本質が出る。

 ネズミの如き臆病な人間を、これだけ脅せば舐められることは無いだろうと、一旦引くことにしたのだ。ペイスとて、本気で隣国と戦争する気などない。そんな暇があるなら、お菓子作りをする方が遥かに大事である。


 「……良いでしょう。話だけは聞きましょう」


 そう言って、どかりと椅子に座った。周りを、二人の武闘派が固める。ペイスも含めると、丁度平均年齢が落ち着く組み合わせである。


 「ふぅ」


 椅子に座ったペイス達の様子を見て、ようやく伯爵は落ち着いた。

 肝が冷えるとはまさにこのことで、モルテールン家を敵に回すということは、この奇襲が何よりも恐ろしいのだ。首狩りとカセロールが恐れられるのは伊達では無い。


 伯爵が改めて席に座り直したところで、ペイスはおもむろに口を開く。


 「さて……“先ごろ”当家の領地に、御家の兵が事前通告なしに侵入してきました。この事実は当然ご存じでしょうな」

 「……何のことか、分かりかねるが」

 「しらばっくれないでいただきたい」

 「いや、しらを切るつもりは無い。私が兵を動かしたのは事実だが、あくまで当領の中の事。通常の巡回の一環である」

 「では、境を犯した兵など知らぬと? 証拠も身柄も当家は押さえております故、ここは改めて剣に真偽を問うてもよろしいが」


 ペイスが剣に手を掛け、立ち上がる。それを見て武闘派二人も嬉々として剣を抜こうとする。

 未だに心臓の音がうるさく感じていた伯爵は、再びの脅しに慌ててそれを押し留めた。

 この時点で身柄はまだ押さえられておらず、ペイスのハッタリだということなど、気づきもしない。


 「いや、そう早合点されるな。間違いなく山脈の西側を巡回する様に言っておるのだが、季節も季節。遭難したという可能性までは、私も否定しないし、熊にでも襲われて逃げれば、もしかすれば御家にご迷惑を掛けるようなことをしたかもしれない。もしもそういう事実があったなら、当家は詫びる用意もある。そう事を荒立てないでいただきたい」

 「そうですか。言われてみると確かに、事故の可能性もあります。見ての通り若輩者故、どうにも血の気が多くていけませんね。こういう場はなんとも苦手に感じます」


 ペイスの横に立っていたトバイアムは、いけしゃあしゃあと言い放ったペイスの言葉に思わず噴き出したが、人生の大先輩に脇腹を殴られたことで堪える。


 「いやいや、勇ましいことは決して卑下する事ではありませんぞ」

 「そう言っていただければありがたい」

 「まあ少し落ち着いたところで確認させて頂きたいのですが、当家の者が、停戦時に取り決めた境を越えたのは間違いないのですかな?」

 「はい」


 背中が冷や汗でびっしょりになりながらも、伯爵は落ち着きを取り戻しつつあった。

 その上で、目の前の少年を測る。


 最初に荒事で怒鳴り込んできたことから、恐らく本人が言う様に血の気が多いタイプなのだろう。剣筋も確からしいことは察せられたし、そうでなくともモルテールン家と言えば武勲で鳴らした家だ。跡取りが血気盛んな若武者であっても不思議はない。

 しかし、一旦落ち着かせようとすれば簡単に落ち着いたことから見て、他人の意見には流されやすい性質のように思える。熱しやすく冷めやすい。他人に惑わされやすく、思い込みが激しいとなれば、典型的な猪突猛進タイプだ。

 この手合いは、おだてて機嫌よくさせておき、適当にけむに巻くのが最上か、と伯爵は考えた。


 「これは申し訳ない。重ねて申し上げますが、当家としては越境させるつもりは欠片もございませんでした。それがわざわざ次期当主となられる英雄に足を運ばせる事態にまでなった。当家としても出来る限りの誠意をもって謝罪申し上げます」


 この伯爵の言葉に、ペイスはとても機嫌を良くした風で、鼻息をあえて荒くして言葉を続けた。


 「ふむん。伯爵閣下、誠意ある謝罪といっても具体的にはどうするおつもりか? こうして僕……いや、俺もわざわざ、わざわざ出向いたわけなのだが」


 わざわざ、という部分をあからさまに強調した言葉に、伯爵はペイスを舐めて掛かった。

 こういった、傲慢な態度を見せる貴族子弟などは腐るほど見てきたからだ。今までの経験から言えば、この手合いは駆け引きが苦手で、そのぶん即物的なものを喜ぶ性質がある。


 「であれば、我々の謝罪も含めて金銭をお支払いするのはどうでしょう。もし御家に当家の者が御厄介になったのなら、その件についても含めてお支払いいたします」

 「ほほう……それは良い」


 早い話が、賠償金と身代金で片を付けろ、ということだ。予想が当たっていれば喜ばしい提案なはず。

 ニヤニヤと、下卑た笑みを浮かべるペイスに、伯爵は自分の読みが正しいと確信した。

 舐めるな餓鬼、という反抗心も芽生えてくる。いささか肝を冷やされたが、相手が武力一辺倒の馬鹿となれば、手のひらで転がすなど容易なことだとも感じる。伯爵家の当主として政務を執ってきたのは、自分だとの自負もある。


 「しかし……あまり大きな金額は、急にお支払することも難しい。どの辺が妥当な金額になりましょうなぁ」


 伯爵は、ペイスに対して交渉のボールを投げた。力量の探りと言っても良い。

 身代金と賠償金の相場も、腹積もりは有る。だが、見ればペイスは幼い。交渉事のいろはも知らぬ年頃。ここは、どの程度の知能があるかを測ってからでも遅くない。


 「一括で、パーリ金貨三十枚では?」

 「それは法外な値段ですぞ」

 「ならば二十枚」

 「いやいや、相場から言ってもまだ高すぎます」


 本来ならば、パーリ金貨で五十~七十枚程度が相場だろうか。それを分かっていながら、伯爵はあえて首を振り続ける。

 別にここで交渉が決裂しても構わないのだ。時間を稼げば稼ぐほど、恐らく軟禁されているであろう部下達が持ち帰る情報量も多くなる。情報料だと思えば、後で多少割増しになる危険があるとしても、ここで急ぐ必要は無い。よほどの好条件でない限りは、食い付くつもりも無い。


 「う~ん、二十枚なら相場だと思うのだがなあ。これ以下に下げるというのも……」

 「こちらとそちらでは、相場が大分違うようですな」


 伯爵は知っている。神王国プラウ金貨ならば、確かに二十枚でもギリギリ相場の範囲であることを。金貨二十枚というあたりで渋っている少年が、自国の常識に囚われているのだと推察する。他国の金銭相場に疎いのは、未熟な交渉人にはよくある話だ。

 そう思ってじっとみていると、少年が何やらぱっと顔を上げた。


 「そうだ、良いことを思いついた。一度に無理というなら、分割というのはどうだろう」

 「ほう、素晴らしい発想をお持ちですな」


 所詮は子供の浅知恵である。

 賠償金の分割という行為自体は、別にそれほど珍しいことではない。この場合、どう分割するかで更に交渉力が必要となるのだ。今までの行動を見るに、目の前の少年がこなせるとも思えない。

 そう伯爵は考えた。故に、脇が甘くなってしまった。


 「じゃあ、絶対に払える額として、月にゾゾ銅貨一枚」

 「ははは、それなら確かに簡単に払えますな。しかし銅貨一枚づつなど、総額の交渉は脇に置いても、払い終えるまでに何十年かかるかわかりませんぞ?」

 「それなら、次の月は銅貨二枚。更にその次の月は四枚にしましょう」

 「うんうん、それぐらいなら貧しい当家でも払えましょう」

 「じゃあ決まり。初めは銅貨一枚で、一カ月ごとに前の月の倍を払う。期間は……二年ぐらいでいいかな?」

 「良いですとも。おおそうだ、お互い言った言わないの水掛け論になってもいけませんから、文書も残しましょうぞ。私としても、将来名高い英雄となるに違い無い方と、名前を並べるのは名誉なことです」

 「うんうん文書ね。それが良いね」


 おおよその相場で、銅貨四千枚で金貨一枚だ。

 銅貨数枚を重ねたところで、大した金額になるはずもないと、伯爵は文書を(したた)めた。後でカセロールあたりが出張って来て、ごねられることを防ぎたかったのだ。ペイスが【瞬間移動】を使えると知らないので、帰還を含めて十分に時間を稼げたはずだと思い込んだのもあった。


 両者のサイン。

 これで無事、身代金と賠償金の交渉は終わりである。


 伯爵の館をモルテールン家の面々が出た時、銀髪の少年の顔には輝く笑顔が浮かぶのだった。


曽呂利新左衛門という人物が居りました。

過去、あの豊臣秀吉すら騙した話が残っています。


さて…ペイスの交渉の結果で、どれほどの総額になるのか。

気になる方は、計算してみてください。

(一年は、うるう月を含めて13ケ月です)

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― 新着の感想 ―
バイバインの恐ろしさはドラえもんを観た人か、食品衛生管理者でもないと解らんかもしれんねえwww ペイストリーはその点、細菌の増殖速度や複利法の話でこの手の話をきちんと知っている。これは御菓子職人の面目…
[良い点] 「戦場の男は果断即決が重要」 果断即決なんて言葉、文豪吉川英治の三国志以来、目にして懐かしくも嬉しかったです。
[一言] 確か、畳の縁に米一粒で次の縁に・・・・・・って奴でしたっけ?。
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