076話 越境者
ラミトは独り、考えていた。自分が如何に愚かしい行為をしていたのかと。
隣国の兵に捕縛され、尋問される中。真冬の屋外で、後悔は既に半日は続いていただろうか。
「いい加減に吐いたらどうだ?」
成人間際の少年の前には、一人の男。
服装こそ山岳用のそれだが、ヴォルトゥザラ王国レイング伯爵家の紋章が入ったマントを身に着けている。伯爵家に属する正規兵の証。
「だから、知らないものは知らないんですって」
「強情な奴だ。素直に吐けば、温かいお茶と食事があるんだぞ? 良いかね、君は当家の領内に不法に入ってきた招かれざる客だ。それでも素直に知っていることを話すなら、それ相応の礼遇をもって扱おうと言っているのだ。いつまでもそうして意地を張っていては、腹が減るだけ損だぞ?」
「なら勝手にしておいてくれ」
「君もしぶといね」
マントの男。伯爵家に属する、貴族号を持つ騎士。
ヴォルトゥザラ王国は神王国に比べてより封建的色合いが強く、貴族でありながら王家でなく地域領主に仕える者が居る。彼もその一人。
男はラミトを拘束したまま、その場を離れて仲間の元に行く。
小さなテントの中には、同僚が数人座っていた。
「あの坊やは吐いたか?」
「駄目だ。性根が座っているのか、本当に知らないのか。知らぬ存ぜぬの一点張りだ」
「いっそ拷問で吐かせてみてはどうだ?」
「いや、拷問は出来ん。それをしてしまえば最後、モルテールン家と伯家の戦争になる。あの首狩り騎士相手に戦って、まともな睡眠が取れない日々を過ごすのは御免こうむる。あくまで我々は、冬の山中で迷ってしまった為に止む無く下山した、という建前を崩してはならない。あの少年は、その途中で同じように遭難していたのを保護したに過ぎない」
「保護という割には、飯も出さずに寒空の下に放置か」
同僚が笑った事に、笑われた騎士は憮然として答える。
「ただでさえ乏しい食糧事情で、予定外の支出は避けたいのは当然だろ?」
「まあ、建前だの言い訳だのは、あんたに任せるよ。俺たちの任務が果たせるなら、ね」
「任務……モルテールン領の躍進の秘密を探れ、だったな」
「ああ。短期間で突然できた貯水池。急に羽振りのよくなった平民。急激に増えつつある人口と兵力。影響力を増しつつある領主家。これらについて総合的かつ網羅的に、柔軟な対応で情報を集めよ、と閣下は仰せだ」
厄介な任務だ、と騎士は肩を竦める。
総合的かつ網羅的、といえば高尚な任務のようで聞こえはいいが、早い話が何でもいいから行き当たりばったりで手当たり次第に情報を集めろ、という曖昧な指示に他ならない。
例えば今ここで引き返して、特に変わった秘密はありませんでした、と報告して納得するはずが無いのだ。この任務はつまるところ、伯爵を納得させろという事に他ならない。騎士としては、最も厄介な部類の命令。
「難しい任務だ」
「だが、必要な任務だ。モルテールン家には何か秘密がある。それは間違いないのだから。脅威には早めに対処する。閣下のお考えは正しい」
山脈が大きな壁になっているとはいえ、モルテールン家は仮想敵国の一領主。ましてや、単身で一個小隊に匹敵すると言われるカセロールは、最も警戒せねばならない重要人物。
貧乏領地の運営に四苦八苦するだけならば様子見だけでも構わないが、猛獣を閉じ込めていた檻が壊れかけているなら至急に調査が要ると、レイング伯爵は考えている。
だからこそ自分達がここに居るのだと、騎士達は自分自身を納得させていた。そうでもしなければ、寒い冬山を越えてまで、危険な敵地に乗り込むなどしたくない。
「あの馬鹿でかい貯水池について、何時頃から作られていたかぐらいは掴めたのか?」
「いや。何時出来ていたかは知らないと言っている。ある日突然出来ていたと言い張っているのだから、始末に悪い」
「馬鹿な。あれほど大きな建造物だぞ。作っていることに気づかないわけがない」
「俺もそう思う。もし気付かなかったのが本当だとするならば……考えられるのは、今は知られていない魔法使いがモルテールン家にもう一人居るということだが」
「それも可能性は低いだろう。あの大きさだ。仮にうちの国の魔法使いをそれなりの人数集めても、魔力が足りるか怪しい。一人二人でやったとするなら、人外レベルの魔法使いが居るという話になる」
「数を集めたという可能性は無いか?」
「どうやってだ? 魔法使いは希少だ。我らが伯爵家以上の数が、たかだか騎士爵家……いまは準男爵家か? に抱え込めるとも思えないし、非現実的すぎる。首狩り、覗き屋、後は絵描きの息子に加えて、もう一人穴掘りか? 四人も魔法使いが居るなら、他が黙っちゃいまいよ」
「だよなあ。やはりもう少しあの貯水池まで近づいてみるか?」
「向こうさんに気付かれるのを覚悟でか?」
騎士として、任務を果たさずに帰還するわけにはいかない。
何とかして、十分な情報を得て帰る必要がある。少なくとも、伯爵が満足する程度の情報を。
そうとなれば、実地調査をしてみるのも悪くない。ただし、相当に危険になる事を覚悟の上で。
モルテールン家にとっては農業生産や生活インフラを支える水瓶。その傍でうろうろしていれば、気づかれないはずが無いのだ。武装した他国の人間が重要施設の傍をうろつけば、問答無用で攻撃されても仕方がない。
「気付かれるとしても、やるべきだろう。迷った末に水の補給で近づいた、というのは十分な理由になる」
一大決心をした騎士達。皆でテントを出る。
リーダー格の男は、危険でもやるしかないと、腹を据えて同僚を見た。
ところが、同僚は別の遠くを見ていて、馬鹿のような顔をしている。そして呟く。
「……どうやら、わざわざ情報を探しに行く必要も無くなったようだな」
「何を言って……なっ!!」
同僚が見る方に目を向けた者は、途端に大きな驚きと衝撃に襲われる。
何故なら、つい先刻までは影も形も無かったはずの軍集団が、自分たちを包囲する様にして立っていたのだから。
「気付くのも、行動も、早すぎる……流石は首狩りの悪魔。この行動の素早さだけでも、報告する価値がある」
騎士達は、ただただ驚くしかない。
「不法に侵入した者共に告ぐ。武器を捨て、大人しく投降せよ。さもなくば、敵とみなして殲滅する。繰り返す、直ちに武器を捨てよ」
その言葉に、言われた方は一瞬戸惑う。騎士達が一歩下がった所で、一斉に包囲の人間が武器を構えた。なかなかに統制の取れた動きであり、モルテールン家が常から有事に備えている証左。
包囲の中心に居るのは、この場に居る誰もが知る人物。首狩り騎士こと、カセロール=ミル=モルテールン。
この男とまともに事を構えるつもりも無かったので、騎士達は皆武装解除に応じる態を見せる。
「そこに居られるのはモルテールン卿とお見受けする。我々は、レイング伯爵家の者だ。事を荒立てるつもりも、交戦の意思も無い。武器は置くので、貴君らにも誠意ある穏便な対応を要求する。まずは話がしたい」
「分かった。武装解除に応じるのであれば、話し合いの場を設けよう」
一人、また一人と、様子を見ながら武器を手放していく騎士達。
周りを取り囲んでいた者達は、それを見て同じように構えた武器を降ろしていく。睨みあう両者。
しばらくの時間を経てようやく両者ともに、ものものしい雰囲気が落ち着く。ただし、包囲は崩さないままであったが。
その囲みの中から、一人の男が走り出す。
「ラミト、無事か!!」
「親父ぃ……腹減った」
「この馬鹿息子が。どれだけ心配したと思ってるんだ」
「ごめん。本当に、ごめん」
走り寄り、縛られていたのを半ば強引に外し、息子の五体満足な姿に安心するグラサージュ。シイツの【遠見】で捕まっている所を確認したと言われた時には、心底から心配したのだ。安堵の溜息が白く漂う。
ラミトには結構な憔悴が見られたため、父親に伴われて直ぐに村の方に移送されていく。
疲れ切った二人組を見送ったカセロールは、数人の騎士達に向かう。
「さて、詳しい話を聞こう。事と次第によっては、全員生きて帰れんことは覚悟してもらう」
「……心します。話し合いに応じていただけたことに感謝を」
「まずは名乗れ。私の事は知っている様子だったが、私はお前らを知らん。」
「では代表して、小職が。バフェギン=オル=チェンマイグと言います。レイング伯爵家に仕えております」
互いに険しい雰囲気の中、リーダー格の騎士が名乗る。
カセロールは、名乗りを聞いて片眉だけピクリと動かした。
チェンマイグという家名は聞いた覚えがないが、レイング伯爵と言えばモルテールン家にとっても警戒するべき対象。何度となく家中の会議で挙がったことのある家名だ。
「そのバフェギンが何故当家の領内に居るのか。私はお前達の入領を許可した覚えは無いぞ」
「さて閣下。我々は御家の領地に入ったことは有りません。あくまで、通常の視察中に吹雪に遭い、止む無く普段と違う巡回路を使用したまで」
「何を言うか。現に今こうして、お前たちは我が領地に居るではないか」
「これは異なこと。ユノウェル山脈はヴォルトゥザラ王国の領土でございます」
「なるほど、お前たちの言い分はそうなるわけだな」
二十年以上前のこと、モルテールン地域を含め、神王国南部辺境一帯の領有権を巡って、ヴォルトゥザラ王国とプラウリッヒ神王国の両国は戦い合った。
後の停戦時に、ユノウェル山脈を境にしての、互いの領分からの撤兵が交渉としてまとまったのは歴史的な事実だ。
だが、お互いに領有権を放棄したわけでは無い。
あくまで停戦であり、軍を入れないことで暫定的にモルテールン地域が神王国の支配下にあるに過ぎない。領有の権利自体は自分達にある。というのが、ヴォルトゥザラ王国側の言い分である。
無論神王国側としての言い分は違う。軍を入れないというのは、実質的に統治が不可能になるという事。つまりは、ヴォルトゥザラ王国が何を言おうが、実質として統治権を放棄したことに他ならず、実際に統治するモルテールン家の二十年以上の実績を見ても、明確な神王国の領土である、という言い分になる。
この点では議論をしたところで平行線になるばかり。
「ならば話を変えよう。お前たちが山脈を越えて来たことは、明確な停戦合意違反になる。ユノウェル山脈を境に、東側にはヴォルトゥザラ王国の兵を入れぬとの約であった。それを破ったということは、停戦破棄。宣戦布告と見なすが、それで構わぬな」
領有権の話を取り上げても平行線に終始すると、カセロールは停戦合意についてのみをまず挙げた。
モルテールン地域にヴォルトゥザラ王国の軍を入れない、と明文化されているのはこの合意であるからだ。
カセロールの言葉に、モルテールン家の従士達は一斉に身構える。剣を抜く。
慌てたのは、バフェギン達だ。
「とんでもございません閣下。先に申し上げました通り、交戦の意思は我が主レイング伯爵家始めヴォルトゥザラ王国の者は誰も持っておりません。プラウリッヒ神王国とは友好関係にあると信ずるものです」
「ならば、今回のお前たちの越境については何とする」
「あくまで偶発的な事故として扱っていただきたく思います。何分吹雪に遭いました折、ここに降るより他に生存する方法が無かったのであります。緊急のことで道も分からず、迷い迷ううちにここへとたどり着いた次第です。その点ご理解を賜りたく存じます」
「……分かった。我々としても、やむを得ない場合を除いて、事を荒立てるのは本意ではない。事故として扱う旨、承知した」
「ありがとうございます」
「ただし、事故とは言え越境の事実は許容しがたい。レイング伯爵にもそれ相応の抗議を強く行い、不手際について賠償を請求する」
「我々ではその点お答えしようが無いのですが……」
「では、納得のいく回答が得られるまで、お前たちの身柄は当家で拘束する」
「なんとっ!!」
バフェギンは、今度は驚いたふりをした。
彼らの目的はモルテールン領についての情報収集である。拘束されるとはいえ、合法的にモルテールン領に滞在できるのであれば、情報を取得する機会にも恵まれやすくなる。願ったりかなったりだ。
それだけに、困ったようなフリを演技しながら、交渉を続ける。
「それは困りますな。我々とて騎士の端くれ。せめて相応の礼遇を頂きたい」
「お前たちは我々の同胞を虐待していたようだが、それでも礼を尽くせと?」
「見解の相違でしょう。我々としても、物資の乏しい中で遭難していた少年を保護したのです。感謝されこそすれ、虐待とは心外です。我々が保護していなければ、あの少年は行き倒れていたに相違ありません」
「……保護という割に、縛られて憔悴していたようだが?」
「保護した際に少し取り乱していたようでしたから、双方に怪我人を出さない為の処置です。暴れられて我々に被害が出ても困りますし、かといって少年を傷つけるわけにもいかない。止む無く行った措置であり、此方は保護という認識ですが?」
「ほう?」
ここが踏ん張りどころと、バフェギンは張り切る。
モルテールン家の招かれざる客人として領内に入れて貰えるのは御の字だが、かといって完全に拘束されてしまっては任務を果たせない。
ある程度の監視は受け入れるにしても、それなりの行動の自由が欲しい。
そして、こういうこともあろうかと、捕まえた少年には怪我をさせないようにしていたのだと、内心でほくそ笑む。
「我々は、モルテールン卿に対して剣を向ける気はなく、先の少年についても最大限配慮して保護しておりました。図らずも越境してしまった件を事故とお認め頂けたのであれば、騎士として、名誉ある待遇を求めます」
名誉ある待遇とは、捕縛や拘束といった身体的自由の喪失を伴わない待遇、という意味だ。早い話が、勝手にさせろと言っている。
無論、バフェギンとて認められるとは思っていない。揺さぶりの一環として、テクニックの一つに強気に出る手法があるのだ。
こうして押しておけば、若干引いた所で折り合いがつくだろうとの目算。
だがしかし、バフェギンはまだ気付いていない。この場に最も厄介な交渉人が居ない事を。
交渉の前提をちゃぶ台返しでひっくり返す、迷惑事クリエイターの姿を。
レイング伯の部下達が、少年の姿を見たのは、既に交渉が纏まった後だった。いつの間にか、少年の姿が増えていた。小柄な体躯に、今までは隠れていたのを見逃したのだろうと、気にもしない。
合意した内容は、越境の件を事故とし、伯爵が相応の賠償金と身代金を払うまで身柄の軟禁を甘受し、軟禁中は行動の自由こそ無いものの、発言や飲食の自由、仲間内の会話等々を認めるという内容。
バフェギン達は心の中でほくそ笑んでいた。伯爵との交渉が纏まるまでの時間を使い、自分たちの任務を果たせる、と。
だがしかし、その思惑はカセロールの発言で吹き飛ぶ羽目になる。
少年から何やら耳打ちされたカセロールが、険しい顔を緩めた。
「諸卿、喜ぶと良い。レイング伯は賠償等の支払いを終えた。よって諸卿らは自由の身だ。今すぐ、この場で身柄を解放しよう。速やかに、レイング伯領に戻るように。ある程度は我々の部下も見送りに同行しよう」
碌な情報収集も出来ない中で、再度の山脈越えを命じる無情な通達。幾らなんでも早すぎると、絶望を貼り付ける騎士達。
カセロールの背後に隠れつつその様子を見ていた少年は、一仕事終えた満足感に浸るのだった。





