074話 覗き見た憧れの存在
「へぇ~じゃあ元から商人の勉強をしていたわけじゃないんですね」
「そうさ。親は農家だったし、私も手伝っていた。大体、十エイク程の畑を持っていたかな」
「あ、じゃあうちの方が大きいかも。うちの家でも多分倍ぐらいは畑作ってる」
「そうだね。ここの人たちは、多分恵まれていると思う。大きな畑を持てるし、冬も仕事があるし。やっぱり御領主様が凄いのだろうね」
「あんまり実感無いな~デココさんが畑耕してた頃と比べても、うちって恵まれてるの?」
「どうだろうね。実は農家だった頃ってあまり覚えてないんだよ」
一軒の仮設住宅で、男女が話をしていた。デココとサーニャの二人。
何をしているのかと言えば、サーニャの従業員教育を行うための、基礎知識の確認だ。もっとも、会話するうちに話が逸れていて、今は互いの身の上話になっていた。
現在急ピッチで建造が進む、デココの商店舗。そのすぐ傍に、暫定的にデココが寝起きする為の建物が建てられていた。仮の店舗でもある。
身の回りの世話をするために、昼間だけ雇われた中年女性が出入りする以外は、ほとんど人の出入りの無いボロ屋。
ここに、ペイスからの紹介を受けたサーニャが出入りするようになったのは昨日から。
とりあえずの雇用の意思と、彼女の希望を確認。デココ側の出せる条件等が話し合われ、合意の後に今日に至る。
独身男性の部屋に独身女性が出入りするのは憚られるものがあったのだが、デココが今まで培ってきた信頼と、出入りする中年女性の目も光るとの理由から、サーニャの教育は仮設店舗内で行われていた。無論、昼の間のみ。
デココとしても、ここで下世話な風聞を立ててモルテールン家の信頼、もっと言えばペイスからの紹介を台無しにするつもりは無いので、配慮を怠るつもりも無い。
「え? 覚えてないってどうして?」
「まだ子供だったから、かな。うちには兄が居てね。兄が畑や家屋敷を継ぐことになっていたから、いずれ家を出るつもりで居たのさ。それで十歳の時に、道に迷って偶々村に来た行商人に頼み込んで丁稚にして貰って。その人を師匠と仰いで修行して。師匠の下を離れて独立して。色々あって、こうしてザースデンで落ち着いた、ってわけさ」
「へぇ~そんなことよく親御さんが許可したね」
「してないさ。師匠の馬車にこっそり潜り込んで、なし崩しで丁稚にして貰った。今思えば無茶も良いところ。あの時は馬鹿だったなあ」
デココの語る過去にサーニャは驚いた。
一見すると穏やかで、いつもにこにことしている行商人の顔しか知らなかったから、少年時代に家を飛び出したやんちゃ坊主だったと言われてもイメージが結びつかない。
どちらかというなら、代々商人の家系のお坊ちゃまでした、と言われる方が納得できるのだが、そうではないとデココは言うのだ。
「おっと、話が大分逸れた。つまり、小さい頃の私でも覚えられたことだから、サーニャならば問題なく出来るようになるはずだということだ。まずはこれを全て覚えてもらう」
「これは?」
「春先から間違いなく取り扱うことになる商品の一覧だな。扱う商品のことぐらいは、店員として覚えておいた方が良い」
「多っ!!」
木板に書かれた単語の一覧。
春小麦の品種であったり、豆の品種名であったり、家畜の名前であったり、産地ごとに区別された塩であったり。注意書きと併せて、物の名称が書かれている。ずらずらと沢山書かれていて、その数も百程度はあるだろうか。
「デココさん、これ多くない?」
「これでも常時取り扱わない物は省いた。臨時に取り扱う商品や、客から注文を受けて仕入れる商品なんかもあるし、そこに書いたのなんて序の口だ」
「うっそ~」
「ホント。あと、商人ならそれぞれの商品の大まかな相場を覚えないといけないし、相場が変動する要因だとか、商品の良し悪しの見分け方だとか。そういった商品知識もそれぞれに覚えないと、損をすることになる」
「商人って、思ってた以上に大変なのね」
「コツを掴むまでが大変なのさ。要は慣れの問題。よく見て御覧。多分、馴染みの有る商品も結構あるはずだから」
「あ、ほんとだ」
商人にとって、商品知識とは文字通り商売道具。商人としてやっていこうと思えば、まず頭に叩き込む。大工が釘の打ち方を覚えるようなもので、初歩の初歩と言える。
商品知識を学び、人脈を作り、交渉術を磨いていくことで、商人としての実力を高めていくものなのだ。それを思えば、デココもまだまだ商人としては未熟な部分も多い。
一生勉強しても足りない、と言われるのが商人の世界。
店員として、商売人の世界という異世界に、足を半歩踏み入れようとしているサーニャからすれば、奥が深いことぐらいしかまだ分からない。
「うんうん、やっていますね~」
一生懸命に商品名を覚えようとする女の子と、それを見ながら仕事をする男。
そんな二人の元に、来客があった。モルテールン領で彼を知らねばモグリと言われるほどの有名人。
「これは、ペイストリー様。御用が御有りでしたら、一声伝言頂くだけでもこちらから伺いましたのに」
「ランニングの途中で寄っただけですから、気にしないでください。ああ、あとついでにデココに相談がありまして」
「ほう、何でしょう」
「家畜の仕入れについてです。このあいだ、とある家に家畜を全て、適正価格で売っ払ってしまったのです。そこで、春になるタイミングで改めて家畜を仕入れて貰いたいのですが……」
「それは商売ですから、任せて頂いても構いません。ですがそのご様子なら、前回のように、ただ単に数だけ揃えれば良いというわけでは無さそうですね」
「ええ。春先と言う季節なら、数を揃えるとなるとどうしても生まれたての子どもばかりになる。違いますか?」
「それは、まあそうですね。間引く前の子ヤギや子羊なら、手に入れるのも容易い。数を揃えろとだけ言われれば、成熟期の個体よりも優先しますね」
「僕が欲しいのは、ミルクを出すものなのです。クリーム系にしろ生乳系にしろ、材料が無いとお菓子が作れないのですよ。季節柄手に入りにくいとは承知していますが、何とかまとまった数で手に入れる方法を思いつきませんか?」
「そうですね……少しお時間を頂けるのであれば、昔の仲間内で手配出来なくも無いと思います。少々貸しのある相手も居りますから、そこからあたるのであれば何とか」
村人相手とは違い、油断の出来ないペイス相手にはデココも真剣になる。多少険しい顔つきになる商談の様子を、これまたサーニャは初めて目の当たりにした。
いっぱしの商人の、商人らしい姿。自分達には見せたことの無い表情に、柔和で穏やかな顔しか知らなかったサーニャは改めて感心する。ギャップに驚いていると言っても良い。
もっとも、そんな少女の眼差しは交渉人同士には関係が無く、話はしばらくすればまとまった。
「さすがデココ。では、多少値は張っても良いですので、ミルクの出るのを多めで百匹ほど仕入れてください」
「予算は如何ほどで?」
「四百レットを用意しましょう。物が生き物だけに現物と引き換えにはなりますが、父様達には話をつけておきます」
「大商いになりますが……十分です。期限は?」
「春。赤上月の終わりまでに」
「再来月までですか。ちょっと期間的には厳しいですが、頑張ってみましょう」
「ええ、頼みます」
お互いに、交渉がまとまれば握手を交わす。
デココはペイスを見下ろしながら、いつの間にか思案顔から商売用の笑顔に戻っていた。
商談も無事すんだと、ペイスはそのまま日課のランニングに戻っていく。
「というわけで、私はしばらく出かけなければならなくなった。ついでに他の商品も仕入れてこられればいいが……サーニャ、早速で悪いけど店の方を頼むよ」
「ええ?!」
ペイスを見送ったデココは、今度はサーニャに向き合った。店を任せるといういきなりの大仕事に、少女は戸惑うしかない。
もっとも、店舗自体はまだ出来てもいないのだが。
「なに、建物が完成するまで様子を見るぐらいで良い。後……そうだな、私の弟子が多分何度か顔を見せるだろう。シイツさんかニコロさんあたりにも頼んでおくから、代金を預かっておいてくれ」
「了解……わたしに出来るかなぁ」
「大丈夫。サーニャのことは信頼しているし、能力にも不足は無いと思っている。きっと出来るよ」
サーニャの初仕事は、とても簡単な仕事だ。店番らしい仕事と言ってもよいが、単にレジ番のような仕事をしろと言っているのだ。
建設の進む商店。その様子を見守ることで、建築資材のちょろまかしや窃盗、サボリによる遅延を僅かなりにも防いでくれるだけで、デココからすればありがたい。
また、デココの弟子のデトマールが、正式に行商ルートを譲られている。当然、メインであるモルテールン領についても必ず行商に来る。
彼からの仕入れ。すなわち、モルテールン領に売りに来るものに関しては、さすがにデココも今のうちからは見積もれない。
手堅く塩や布を仕入れてくるのではないかと予想はするが、不安定な弟子の力量から考えても、どの程度の量を仕入れて来られるか分からないし、そもそも予想通りの品を仕入れてくるとも限らない。デココも若かりし頃に経験があるが、大きく儲けようと焦って、売れない商品を掴まされることもあり得る。
だからこそ、支払いに関してはサーニャに任せることは無い。素人に任せられるはずもないのだ。
逆に、此方が売る方についてはサーニャに任せられることがある。
予め、交渉の余地のない値段で商品を用意しておき、値引きを一切考えずに定価で販売するのだ。
さし当たって、麦粉を数種類用意しておいて、一袋あたり幾らと決めておく。もし弟子が欲しいといえば、決めてある代金を受け取ってから、商品を渡して欲しい。
これこそ店番としてサーニャに期待する部分である。交渉技術も要らず、値段を覚える記憶力と、多少の算術能力があれば良い。
足し算と銀貨までぐらいの金勘定が出来れば能力的に事足りるし、その点の確認は既にいままでの面接で確認済み。村人としては賢いサーニャなら、能力的には全く問題が無い。ペイスの紹介は確かだ。
デトマールにしても空荷でモルテールン領を発つなどはしないはずで、多少安めに値段を付けておけば、喜んで買うはずである。
「早速準備をしてくるが……明日の朝には私もここを発つ。もし何か困ったことがあれば、モルテールン家の方々を頼ると良い。あの方達であれば事情を知っているし、無下に扱われることは無いはずだ」
「分かったわ」
指示を出し終えたデココは、早速遠出の準備をしだす。
“元”行商人の彼からすれば、旅の用意などは手慣れたものである。
次の日の朝には、二頭引きの馬車の手配が済んでいた。
気負いもなく出かけた店主を見送った女店員は、早速仮店舗での店番を任されている。
といっても客などもまだこないので、残された宿題をこなすだけだ。幾つかの商品の名前とその値段を覚えることと、計算問題の練習がその課題。
これが案外難しく、特に御釣りの計算が厄介だと頭を悩ませる。
そんな風にサーニャが店で木板とにらめっこしていると、彼女の親友が笑顔で遊びに来た。自分の仕事を片付けて、空いた時間で気晴らしに。
「やっほ~サーニャ。お仕事がんばってる~?」
「リラ。あんた何しに来たのよ」
「何しに来たってひどいな~。ナータ商店の看板娘を見に来たに決まってるじゃな~い」
「冷やかし? 今忙しいんだけど」
「なになに~? 木板? うわ、何かいっぱい書いてあるし……。あたし字が読めないから分かんないけど、それがお仕事なわけ?」
「そ。って言っても、本格的なお仕事の為の勉強って感じだけど」
サーニャとリラは同い年という事もあって、仲が良い。
モルテールン領で初めて従士や農民以外の職に就いた村人という話題に、噂好きの女性陣が食い付かないはずもなく、リラとて興味津々でサーニャの話を聞く。
「へ~凄いね~。もう商人って感じだね~」
「あ~……ありがと」
リラは、自分の親友が頑張っている姿を見て、率直な気持ちを伝えた。文字が読めない人間も大勢居る中にあって、読み書きの出来るサーニャはインテリ。村の中に限るならエリートの部類。
その彼女が難しい仕事を早速任されているように見えたから、もう一端の商人のようだと感じた。
しかし、サーニャの反応は微妙だった。
「なに? 何だか変な返事ね」
「う~ん、褒めてくれたのは嬉しいけど。ちょっと前に、本物の商人さんって感じのところ見ちゃったから、それと比べるとね~」
「本物の商人?」
「そっ。見てる限り、別世界の住人って感じだった。何かね、物凄~く賢い人同士が、と~っても難しそうな話をサラっとしてたのよ。それで動くお金も、金貨が何百枚と動くの。しかも涼しい顔して。あれぞ商人って感じだったね~」
「うわっ何それ凄~い!!」
サーニャが置かれた立場を例えるなら、先輩エリート商社マンが、何十億という商談をさらりとまとめる場面を見た、新入社員といったところだろうか。
昨日まで単なる村人だったサーニャからすれば、銀貨ですらひと月の生活費にあたる。金貨なんて一生に一度見るかどうかの大金。
それを一度に何十枚何百枚も動かすような商談が、自分のすぐ目の前で行われていた感覚は、かなりの衝撃だったのだ。
「何だろうな……カッコいいって思った」
「そっかぁ、そうかもね。何だか憧れちゃうね」
「うん、憧れちゃう」
どこか非現実的な光景を、実際に体感したという現実。
遠い世界の話の登場人物たちが、自分たちのよく知る人物であったという現実。
不思議な感覚であったと、サーニャは遠い目をしながら友人に語る。
そんな二人の少女の会話。
物陰で聞いている男が居ることに、彼女たちは気付かなかった。