073話 パン焼きの日
数人の男が村を歩く。
彼らは皆、酷く真剣な様子であった。
「この辺りに倉庫を建てるというのは?」
「ちょっと店から離れすぎている気がしますが」
「いやね、ここだと大した手間もいらずに、作業場部分も併設できるぐらいの土地を確保できるのよ。俺はお薦めするが?」
「もう少し狭くても良いので、店舗から近い方が倉庫は便利です。大きな荷物を倉庫に抱えるようになる頃には、また別途の倉庫を用意する手も使えるでしょう」
街商人デココは、今一番重要な取引を行っている。店舗の縄張りの設定だ。
より正しく言うなら、店舗の建設場所付近で、倉庫として使える土地を協議している。
二十年近くモルテールン領に出入りしてきたデココだけに、自分の店舗を建てる場所には最初から目星がついていた。その為、土木作業関係の責任者であるグラスや、内務系の庶務全般を担当するシイツなどと協議の上、店の場所自体は直ぐに決まった。
メインの道路の傍。領主館からは一本道で、井戸も敷地内に敷設可。将来ザースデンが大きくなっていけば、誰もが欲しがるであろう一等地。になる予定の場所に、店舗の建設が進んでいる。
それと並行して、荷物や商品の保管場所となる建物の建設予定地を相談中なのだ。
領主家としても、初めて誘致する商業店舗だけに、未経験が先立つ。故に、細心の注意を払う意味で、シイツやカセロールが直々に対応している。
「そうかい。ならここら辺の家を一旦別に移築するってのが良いかね」
「ここは今誰が住んでおられるのです?」
「空き家だな。年が明けて新しく従士を雇おうと思っていてな。その連中の貸家にするつもりで置いておいたものだ」
「益々のご隆盛、結構なことと存じます」
ピクリ、とデココの耳が微かに動く。
家の移築となれば、またぞろ金が動く。そして、人が新しく雇われて新居に移るとなれば、必要とするものもあるだろう。
或いは、デココがそれを察して動くことを見越して、情報をリークしているのかもしれない。
ここら辺の腹の探り合いは、毎度のお馴染みである。
「とりあえずでかい倉庫が要らねえってんなら、それでもいいさ。ってか、デココよ。お前さん一体うちで何を扱う気だ?」
「さし当たってはモルテールン領に腰を据えて、麦や豆の買い付け。それと、他領に出向いての塩、木材、布、家畜、鉄製品の仕入れが当面の柱になるでしょう。後は、こっちに来る行商人の取引仲介や問屋業を商うつもりです」
デココは、当面の商いの予定を披露した。
無論、モルテールン家の御用聞きであったり、今後生まれる新産業への期待であったりもあるが、現状ではそれらも不確かであり、あくまで収益の柱は別に考えておく必要がある。
モルテールン領で主要な産物を買いとって余所へ売り、余所で目ぼしい消耗品を買ってモルテールン領で売る。
モルテールン領の人口が右肩上がりで、需要も増大していく一方の現状。これだけでもそれなりに収益は安定するはずと見込んでいた。だからこその店舗出店の決断も出来た。
また、行商人相手の問屋業も考えている。
行商人が持ち寄る様々な産品を、一括でまとめて取り扱うことで得られるスケールメリットが肝だ。
モルテールン領で収穫時期に一括で買い上げた農作物などを、不定期に来る行商人に小分けにして売り、細かく利益を得ていくのも問屋業の仕事である。
「それだけやるなら、人手が足らんだろう」
「そうですね。取り急ぎ店番の出来る人間を育てるつもりですが、他に取引を任せられる人間も育てて行きたいものです」
「年を越せば、奉公先を探すのも出てくるだろう。良いのを見つけることだ。後はそうだな……お前も嫁さんを貰うってのはどうだ。家の事を任せられる賢い嫁を貰えば、楽になるぞ?」
「それはシイツさんにだけは言われたくありませんね。年の順から言えば、そちらが先です」
「おうおう、言う様になったねえ」
「皆様に鍛えて頂きましたから。特にペイストリー様にはかなり手厳しく鍛えて頂きまして……」
「そういえば坊を見かけねえな。どこに問題を起こしに行った?」
シイツの言葉に、デココは苦笑いだ。
既に、どこかで問題を起こしていることを規定事項とするような口ぶりについて、である。そして、それを否定する材料を、デココにしても持ち合わせていなかったが故の苦笑い。
そんなシイツの疑問には、カセロールが答えた。
「ああ、あいつは今スカウトに向かった」
「スカウト?」
「デココの店の従業員にぴったりの人物だそうだ。ある程度の読み書きが出来て、しっかり者で、年も若い。物覚えもよく、素直で、人気者だそうだ」
「そりゃ是非うちに迎え入れたいぐらいだ。一体誰なんで?」
「サーニャだ。ほら、一度グラスから懸案事項として挙げられていた娘だよ」
「ああ、あの」
「一石二鳥を狙うのは、ペイスらしい。うちに縛り付けるのに、良い手を打つよ」
「せめて、夢の応援、ぐらいの表現にならないですかい? 大将の息子でしょう」
「息子だからこそ客観的に評価せねばな。あれは、私以上の策士だ」
「違えねえ」
大の男たちが、大声で笑った。
◇◇◇◇◇
ザースデンの村人が、毎週楽しみにする日がある。
この日ばかりは皆早起きをし、子供たちもうきうきとしながら率先して家の手伝いをする。年寄りもまた、今日がその日だと知れば嬉しそうに微笑む。
それが、パン焼きの日。
ザースデンの旧領主館の傍には、煉瓦でつくられた大きな窯がある。パン焼き用として整備されている窯で、領主たるモルテールン家の持ち物だ。
窯というのは、温度が一旦下がってしまうと上げるまでに燃料を余計に食う。それ故、焼くとすれば一度に大量にまとめて焼く方が効率も良い。
ただ、領内にはパンを焼く窯がこれ一つしかない為、週に一度、ないしは祝いごとの前、村人がパン生地を持ちより、薪代を納めてパンを焼いてもらうのだ。焼かれた一部は使用料という形で、領主家への租税となる。
窯の使用権については序列もきっちり決められていて、中ほどの焼きやすいところは家格の高い家が使い、端の方や釜の手前といった焼きづらい場所には、身分の低いものが割り当てられているのだ。
もっとも、この焼きの悪いものが租税としてモルテールン家に収められ、モルテールン家の下男下女に下げ渡されている、という暗黙のルールもあるのだが。
「だぁ~熱っいわ。もう嫌になる!!」
「当番だから仕方ないよ~がんばろ~」
窯の前でずっと番をしているのは二人の女性。
一人はリラと言う名。
元々癖っ毛なせいか、栗毛がふわふわと緩くウェーブが掛かっていて、少し丸めな顔立ちと、垂れ目がちな目つきとが相まって、おっとりとした雰囲気のする少女。
もう一人が、サーニャ。
キュっと釣り上がり気味の目つきや、スレンダーな体つきから、年以上にお姉さん扱いされてしまう少女。
共に十六歳。リラの方は婚約者という恋人も居り、いよいよ来年あたりには結婚するのではないかと言われている。相手の男の度胸次第。
対しサーニャは未だフリー。周りの者は、別に不細工と言うわけでも無く、性格も割とさっぱりしている彼女が、何故恋人を作らないのか不思議がっている。
何人かから結婚を前提としたお付き合いを願う告白も受けているのだが、如何せん本人にその気がなく、全て振っていた。
この二人、今日は窯当番の日に当たっていたため、日が昇る前から働いていて、日が既に中天に差し掛かろうとする今も尚働きづめと言う状況。
そろそろ疲労で体が重たくなってきている。
「おう、ご苦労さん。二人とも疲れただろ」
「あらガラガン。女の子二人を働かせて自分は休憩って良い身分ね」
「おう。これでも窯役兼任だからな。もっと敬って良いぞ」
「逆よ馬鹿。サボってたこと、シイツさんにでも告げ口って欲しいの?」
「うひゃあ、それは勘弁っす。ほら、窯役権限でこれやるから、二人とも休憩して来るっすよ。水分はこまめに摂るようにってのは、若様のご指示なわけっすし」
「んじゃそうする。あ、燠はもう少しもつと思うけど、新しくしといた方が良いわよ」
勤労少女二人に声を掛けたのは、窯の責任者に就任しているガラガン。普段は森林の警護任務に就いている新人従士で、別にサボっていたわけでは無く、見回りもまた彼の仕事なのだ。
二人と同じく十代である彼なりに、年下の女の子とのじゃれ合いが楽しく、言葉のキャッチボールを楽しんでいる。
サーニャとリラは、ガラガンから受け取った焼きたてのパンを持って休憩に入る。
このパンは、焼き加減を確認する為に焼かれるパンで、窯役が管理する範疇にある標本だ。
焼け焦げることもあれば、生焼けの時もあり、普通は焼く数には入れないのだが、上手く焼ければ普通のパンと変わらない。
当然サイズもきっちり決められている。大人が手のひらをいっぱいに広げた横幅。すなわち親指の先から小指の先同士の幅いっぱいの、更にその二つ分の幅。こがらな人間の肩幅ほどが直径になる大きな円盤型のパンだ。ペイスがピザ生地と評したこともあった。
厚みこそ精々膨らんでも指の関節一つ分から二つ分程度であるが、これ一つか二つが大体一家族の一食に供されるパンとなっている。貧しい家なら一日分になることさえある。
家族毎に違いはあるが、それぞれ同じぐらいの大きさのパンを二十から四十程度焼き上げて、一週間分のパンにするのだ。
焼きたてのパンが美味しいのは、誰しもが共通して思う事。
それだけに、今日の焼きたてのパンが一週間の中でも一番美味しいわけで、村人も楽しみにする道理である。
ガラガンが女の子二人とバトンタッチで汗をかいていた時。
窯の傍までやってきた人影が、勤労青年に声を掛けた。
「精が出ますね」
誰が来たのか、等とは思わない。ガラガンでも分かる、よく知った声なのだから。
彼が声のした方を見れば、やはり想像通りの青みがかった銀髪がそこにあった。
「若様、こりゃまた珍しいところに。視察っすか?」
「まあそんなところです。焼きの加減は?」
「可もなく不可もなくっすね。ようやくこの仕事にも慣れてきたっすけど、忙しいのは相変わらずで」
「来年は、また人を増やして部下の一人もつけてあげたいところですが……ところで、ここにサーニャが来ていると聞いてきたのですが、彼女は何処に居ますか?」
「ああ。あっちで休憩してるっす」
「ありがとう」
ペイスは、聞いた通りに言われた方へ探しにでる。
冬場の真っただ中なだけあって、丁度日当たりのよい、それでいて風の無い場所に女性二人が座っているのを見つけた。
「二人とも、休憩ですか」
「あ、ペイストリー様」
「もご……こんにちは」
女性陣は、水筒のハーブティーを飲みながら、パンをちぎって食べていた。
年頃の女性として、頬張っている姿を見せるのは若干の戸惑いがあったのだろう。慌てた風な二人の動きを制し、ペイスは用件を伝える。
「ああ、そのままでいいですよ。視察のついでですし、たまたまサーニャに伝えることがあって来ただけですから」
「あたしに?」
「ええ。前にサーニャが、余所の街に行ってみたいと言っていたことを思い出しまして。それで聞くのですが、今でも行ってみたいと思っていますか?」
「はあ? えっと……まあ、行ってみたいなあと思いますけど……これって何か不味い事だったりします?」
「普通ならば、領民が余所の領地に行くのは領主の許可が要りますから、それを抜きにして余所に行く話となれば、罪になることもあるでしょう。それこそ、余所の領地なら死罪と連座もあり得る」
「え?!」
サーニャは心臓が口から飛び出そうなほど驚いた。
自分が口にしていたことが、それほど大それたことだとは思っていなかったからだ。ただ単に、自分の見たことの無い外の世界にあこがれていただけなのだ。
神王国のみならずこの世界において、領主とは統治権を持っている。いわば一つの国のトップのようなものだ。領民は、領主の統治権の下に庇護され、裁判を受ける権利や、財産権は領主によって守られる。だからこそ、街に住まない行商人や船乗りの立場は弱いものとされていた。
そんな領民が余所の領地に行くとなれば、現代でもパスポートが要るように、領主の許可が必要となる。
この許可を受けずに他領に行けば、難民や流民扱いになる。或いは、不法な入領として処罰の対象となり得るのだ。
以前、サーニャが余所に行ってみたいと言っていたことを小耳に挟んだグラスが、カセロールに懸案事項として挙げたこともある。
もっとも、その時は問題なしとして処理されたが。
「大丈夫。その程度で罰するほど父様は狭量ではありませんよ。それよりも、貴女のその夢を叶える方法を提示しましょう」
「はい?」
「先日来、デココが従業員を募集しています。そこに貴女を推薦しておきました。街商人であれば、領主の意向で他領に出向く機会もある。従業員もそれに準じるので、夢を叶える可能性は高い。どうです、新しく出店されるお店で働いてみませんか? 貴女の御両親は、既に僕から説得しています」
「ほんとですか!!」
花の芽が咲き開くような笑顔。サーニャは、嬉しさを全身で表現した。
サーニャの両親は余所からの移住組。といっても、領内に西の村を作り始めた頃の募集に応じた移民であり、そこそこ古株にあたる。
両親が余所の領地を知っているだけに、モルテールン領に不満は無いが、他領に対する憧れも持つ。そんな女の子がサーニャだった。
デココが従業員を募集しているというのは知っていたが、両親が家業を継いで欲しいと願っていた為と、募集が自分の夢に繋がるのだという発想が無かった為に、募集自体には応募していなかったのだ。
「とりあえず、話だけでも聞きに行ってください」
「はい。あ、でも、それだと窯番が……」
「仕方がないので、僕が少しの間だけ代わりましょう」
「えぇ!! ペイストリー様にそんなことさせられませんよ」
「構いません。視察の一環ですから、実際に体験して分かる事もあるでしょう。さあ、窯番は気にせず、早く行きなさい」
「はい……」
何だかペイストリーに申し訳ないという気持ちを抱えながら、サーニャはデココの元に急ぐ。
それを見送ったのは、リラとガラガンとペイスの三人。
特にペイストリーは、とても良い笑顔で見送っていた。先ほどからずっと抱えていた籠を大事そうにしつつ。
「さて、それでは窯番でもやりますか」
「それは良いんですけど、若様、そりゃ一体なんです?」
「ちょっと焼きたいものがあったのでついでに焼けない物かと。お、標本パンのスペースが丁度良く空いているじゃないですか。ただ空くのも勿体ないので、これを置いておきましょう」
「……もしかして若様、狙ってました?」
「ああ、焼けるのが楽しみですねえ~」
窯の辺りには、甘い匂いが漂い始める。パンの焼ける香ばしい匂いや、薪の煙が混然となる、パン焼きの日独特の匂い。
ペイスは香りをかぎつつ、ガラガンの訝しげな眼を何食わぬ顔で受け流すのだった。
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