072話 気づき難い計算
神王国の中でも辺境部に位置するリプタウアー騎士領。
元々ブールバック子爵領として存在し、隣国の監視という意味合いがあった場所が、サルグレット男爵領、ブールバック男爵領、リプタウアー騎士領と分割されて出来た新興領地。
モルテールン騎士領が創設されるまでは、神王国の最辺境という位置づけであった。
このリプタウアー領。村が三つほどあるそこそこ豊かな領地なのだが、去年全ての村が大規模な盗賊被害に遭った。特に被害が大きかったのが、主力産物でもある麦の畑。不本意ながら血肉が撒かれた為に、土地が荒れた。
農業を知る者であれば、排泄物や血肉が腐敗し酸化することで、土中のph値が偏る現象を、体験や経験として知る。糞尿などを直接畑に撒かず、堆肥などとして一度発酵させるのはこの部分でも理由があるのだ。病原菌や害虫の温床にもなる。
また、一度に大量の血液が撒かれた土地は、血中の塩分や鉄分の影響を受ける。早い話が、実りが極端に悪くなるのだ。神王国では、これを死者の怨念が残っているからだと信じていた。
こういった土地が荒れた影響というのは、長ければ数年程度尾を引く。地道な土づくりをやり直さなければいけないという農家の苦労は、現代人の感覚では中々理解しづらい。
そして、ペイスは現代人の感覚を持つが故に、目の前でその現実を見て、改めて理解するに至った。
「話には聞いていましたが、酷い有様ですね」
「ここは特に酷いところだったと聞いています。村人がほぼ全員殺されたらしいですから、今居るのは余所の村の生き残りでしょう」
リプタウアー騎士領の領都にあたる村、クァテラン。
村の周囲を取り囲む農地は、土の色が悪い。更に、麦藁などを保存しておくサイロ等も、この時期の標準量からすれば半分程度に見えた。
麦藁などを焼いたりすることで、土を作っていた形跡も垣間見えたが、この様子ではかつての繁栄を取り戻すのに、相当長い時間を要するだろう。
「この分なら交渉は簡単でしょう。若様がわざわざ出張るまでも無かったのでは?」
「交渉が楽なのは喜ぶべきなのでしょうが、この状況を見れば素直に喜べませんね」
「相手の苦境につけこむのも、俺らの仕事です。死に体に鞭を打つのか、或いは恩を高値で売りつけるのかは違いますが。取り繕わずにいうのなら、相手が苦境であればあるほど、此方には望ましい」
「分かってはいますが、貴族と言うのも因果な商売ですよ」
リプタウアー騎士爵の屋敷は、村の中心部にあった。木造建築であり、土台だけは立派な石造りのようではあったが、上物は築二十年程度の風格がある。もっとも、かつてのモルテールン家ボロ屋敷とは比べ物にならないほどしっかりした建築ではあったが。
すぐ傍に教会がある所を見れば、騎士爵領の領民は皆、敬虔な聖教徒なのだろう。その証拠に、教会にはチラホラと人の姿が見えた。
「それではダグラッド、騎士爵に僕が来たと伝える先触れは頼みます。僕は村の様子をスパイ……ごほん、見聞を広めていますから、教会の前あたりで後ほど落ち合いましょう」
「分かりました」
ダグラッドと一旦別れ、村の中を散策するペイス。
護衛もつけずに歩き回る見慣れない少年を、まさか貴族だとは誰も思わないらしく、物珍しそうな村人の目がペイスに突き刺さる。
それでも遠巻きにしているのは、身に着けている服装がそれなりに高そうなものだったから。
村人たちの常識からすれば、良さそうな服を着て貴族でないのだから、どこぞの商家の子供だろうと考える。
そしてペイスは、それをよく自覚した上で、さりげない情報収集に励む。声を掛けたのは、人の良さそうなお婆さんだ。
「どうも~」
「おやおや、何か用かい?」
「大したことじゃ無いんですけどね。もしよければ、何かご入用のものはありませんか?」
「足りない物というなら、何でもそうさ。ただ、おあいにく様。あたしは金がないから買えやしないけどね。あんたはどっから来なさった」
「お隣の領地からです。ここの御領主様に用事がありましてね」
「そりゃそりゃ。ご苦労さん」
「どうです、何か御領主様に言いたいことがあれば、それとなく伝えておきますよ?」
「そうさねえ、最近は塩が高いよ。冬支度でも足らずが出たから、何とかして欲しいねえ」
「それは大変だ。分かりました。ちゃんと伝えておきますよ」
「期待はせずにおくよ。ほっほ」
同じような調子で何人もの話を聞きまわり、ペイスが教会の前に戻った時にはダグラッドはすっかり待ちくたびれていた。
「遅いですよ」
「思わぬ収穫が多かったものですから。先触れは何と?」
「これから若様が伺うとだけ」
「なら早速行きましょう」
リプタウアー騎士爵の屋敷は、玄関口からすぐに応接間へ繋がっていた。
先触れもしていたからか、さほど待たされずに当主がやってくる。
厳格な騎士、といった感じのする男性。モルテールン家当主よりは年が少しだけ上という話ではあったが、白髪が混じった上に薄くなった頭を見れば、相当年上に見えてしまう。
頬が少しこけていて、疲れの為か目の辺りが腫れぼったくなっていた。
「ようこそ、ペイストリー=モルテールン卿。近頃何かと噂の貴君とは、一度ゆっくりお話してみたいと思っておりました」
「高名なリプタウアー騎士爵閣下にそういって頂けるとは、光栄に存じます。閣下のことは名高い勇士であると常々父から伺っておりまして、本日こうしてお会いできることを楽しみにしておりました」
「なんの、貴君の御父君に比べれば、私の武功や勇名などは些細なものです。ま、どうぞお掛け下さい」
「失礼します」
ソファを勧められたペイスは、背後にダグラッドを立たせての、社交辞令の応酬から始めた。
リプタウアー騎士爵は武勲を立てて今の地位に居るので、その点褒める内容を選ぶ必要も無くて楽ではある。
だが、社交辞令だけでは今回の目的を果たせない。
「さて閣下、今回貴重なお時間を頂きましたのは、一つご了承いただきたいことがあってのことです」
「ほう、何であろうか。他ならぬモルテールン家からのお話であれば、友領の領主として出来る限りのことはさせていただくつもりですが」
「ではご厚意に甘えまして。実は近年当家の下では領民が増えてきておりまして、それだけに不足するものも多々ございます。特に喫緊の課題となっているのが水の確保。しかしながら御存じの通りモルテールン地域は水気に乏しい土地柄故、目ぼしい河川がございません。止む無く、定石に則って貯水池を作ろうとしております」
「なるほど、流石はモルテールン閣下ですな。そこまで領民を思いやるとは。モルテールンの御領地で池を作るとなると、相当に費用も嵩みましょう。豊富な資金が御有りというのは、羨ましいですな」
水気の乏しい土地が、限られた水の利用の為に貯水設備を作るのは極々当たり前の政策。それだけに、リプタウアー騎士爵も必要性については頷いた。
「つきましては、ハパパ山に貯水池を作りたく存じます。この件で、閣下にもご了承いただきたいと思い、本日うがかった次第です」
「なるほど、それは御配慮痛み入る。無論、簡単に了承できぬ事と承知でおっしゃっておられるのでしょうな」
「勿論」
ハパパ山を境として、リプタウアー騎士爵領とモルテールン準男爵領は隣り合っている。一応はモルテールン領内にこの山がある事にはなっているのだが、なだらかな傾斜の山だ。何処から何処までが山だと明確に線引き出来るものでも無い。迂闊に許可を出せば、相当騎士領側に押し込んだところまで手を出されるかもしれない。
それに、領境に建造物を建てられて、万が一の軍事侵攻の足掛かりにされても敵わない。
過去の先例に倣えば、領境の山に地下資源が見つかり、その鉱脈が他領まで伸びていたことが後から分かった事例などもある。そうなって来れば、揉め事の火種をダース単位で抱え込む羽目になる。
何事も無く平穏無事に居たいなら、領境の付近はお互いに手を付けない空白地帯とするのが良いのだ。
「一応、山頂から見て当家領側のみを開発する予定ですので、閣下の御懸念は承知しますが、なにとぞご了承願いたい」
「しかしそうは言っても物が貯水池だ。作りようによっては、当領に流れるはずであった水を奪いかねない。その点を踏まえてみても、やはり遠慮していただくに越したことはない」
これが今回の問題のややこしい所だ。
確かに、山の開発の権利はモルテールン側にある。だが、現状リプタウアー領に流れ込んでいる水は、リプタウアー騎士爵のものだ。
山を削ることで水の流れを変えてしまう。或いは地下水がモルテールン領に流れるようになるとなれば、資源を奪われたということになる。
変な話で、水を溜めない貯水池ならば問題ないのだが、そんなものがあろうはずもない。
「では閣下、こういうのはどうでしょう。当家の開発をご了承頂く見返りに、御家にそれなりの利益を供与する」
「ほう、利益と……」
何処かペイスを値踏みするかのような騎士爵の目が、より一層強くなる。
相手の思惑を見透かそうとする強い意志を持った目であり、武人の目だ。ペイスは、この手合いの相手をずっと経験してきた。何しろ父親がそれだ。
じっと相手の目を見返しながら、おもむろに外交条件を切り出した。
「少し小耳に挟んだところによれば、閣下はあちこちから借財を重ねておられるとか。確かこのあいだも……」
そう言って、ペイスは後ろを見る。ダグラッドはすかさず意図を察してサポートした。
「イフリーデ騎士爵」
「そう、イフリーデ騎士爵から、千二百レットの借入を行ったとか。期限は二年。返済時には五割増しでの返済と聞きました。これはあまりに阿漕でしょう。つきましては、当家は期限十年、年利一割三分でご融資を用意致します。金額は三千レットを上限にお好きなだけ。如何です?」
「ほほう、年一割三分となれば、二年で五割の利息から見れば半分程度ですな」
「そうなります。我々は同じく盗賊の被害に遭った身。余所の人間が苦境に立つ我々を食い物にしようとするのは許しがたい事態です。ここはお互い手を取り合い、共存共栄を図ろうではありませんか」
「なるほど、結構なお話ですな。では……」
その後も交渉は小一時間続いた。
結局、工事状況をリプタウアー騎士爵に報告する義務をモルテールン側が負うであるとか、細かい付帯条件のみで、大枠はペイスの持ち出した条件で纏まった。
そのまま騎士爵の館を後にした時。
ダグラッドはどうしても気になった点をペイスに尋ねる。
「若様、何であんな破格の条件を出したんです?」
「破格? 金利の事ですか」
「ええ。リプタウアー騎士爵が金に困っていたことは明らかでしたし、イフリーデ騎士爵の利率を俺が苦労して調べたのに、大して考慮にも入れず大幅に値引いたように思います。二年で五割なら、年利で二割五分ほど。てっきり俺は、二割二分ぐらいで落としどころを持ってくると思っていましたし、それぐらいでもあちらには魅力的だったはず。一割三分とした理由は何故です。どうにも納得がいかない」
「……ダグラッドは、ニコロに帳簿を習うべきですね」
「え?」
「世の中には、複利というものがあるのです。金利にも金利を計算するやり方ですね。それで十年の複利ならば、どうなると思います?」
「えっと……」
「十年後には、約三倍強。元金差っ引いた利息だけで、二倍強。十年で割れば、年利二割四分換算になるんですよ。最終的には……ね。二割五分から二割四分になったのですから、まあ後で気づかれてもお得には違いない。騙したことにはならないでしょう」
「うげっ。それホントですか」
「うちに帰って、ニコロかシイツに聞いてみることです」
複利の恐ろしさは、指数関数になるところにある。有名な所では倍々算だろうか。
帳簿を付けるのならば、この手の数字には強くなくてはならないのだが、この世界で複利計算などをやったことがあるのは、高度な財務を担当する極々一部の超エリートな人間か、或いはそれなりに経験を積んだ大商人ぐらいだ。八歳児がやること自体が間違っている。
ダグラッドは結局二度驚いた。
落ち着いてゆっくりと計算してみて、ペイスの言う通りであったことにまず驚く。そして、そんな計算を悟らせずに、如何にも格安金利であるかのように振舞って交渉をまとめたペイスに対して、更に驚いたのだ。
「何はともあれ、無事に交渉もまとまったわけですし、これで心置きなく開発に取り組めるというものです」
「俺……自信無くしそうです」
「これも、ダグラッドが事前に調べてくれた情報あっての事。今後も期待しています」
ペイスの笑顔に、ダグラッドはボヤキで応える。
非常識にもほどがある、と。
モルテールン領に意気揚々と戻ったペイスと、意気消沈して戻ったダグラッド。
彼らがザースデンに足を踏み入れたところで、人だかりが出来ていることに気付く。
下手をすれば、村中の人間が集まっていそうな雰囲気だ。
ダグラッドなどは、すわトラブルかと身構えた。何せ、傍に居るのが歩くトラブルメーカーだ。何に巻き込まれるか分かったものでは無い。
「どうしました?」
「ああ、ペイストリー様。丁度良かった」
商売用の実に良い笑顔で人だかりの中から出てきたのは、商人デココ。
どうにも彼が困っているらしいのだが、何があったのかとペイスが尋ねる。
「実は、出店に先立って、従業員の募集を行っていたのですが……」
デココは語る。
自らの長年の夢であった店舗の出店。これに先立って、従業員を募集したのだという。
店の建物が出来るのは突貫工事でも春先になるのだが、それまでに教育をせねばならないと、人を雇う旨の報せを各村々に送った。
これが上手く行きすぎた。伊達にモルテールン領で長い間行商をしてきたわけでは無く、デココの知名度は相当に高かった為、募集に応募が殺到。
とりあえず一名という募集に対し、三十人以上が申し込みに来た。その為に収拾がつかずに、人だかりになってしまったのだという。
「何とか今日は一旦帰って貰う様に話をしたところだったのです。もういっそ、ペイストリー様に人材をご推薦頂ければありがたいのですが」
デココは、二人か三人程の少人数から選ぶつもりだった。少人数ならば、選ばれなかった人間にも説得の上でフォローも可能だからだ。新しい船出に、無用な恨みや嫉みを買いたくは無い。
ましてやそれが数十人ともなれば、選ぶにしても手に余るし、フォローなど出来ようはずもない。
ならばいっそ、選ばれなかった人間が納得するだけの理由が欲しい。
そうとなれば、ペイスなりカセロールなりに選んでもらうのが、一番角が立たない。
憎まれ役を押し付けるような提案ではあったが、デココの願いに対してペイスはしばし考え込む。
「ならば、サーニャはどうでしょう」
そして、一人の少女の名前を挙げる。
ペイスの笑顔は、胡散臭いほどに輝くのだった。