071話 デココの決断
白下月の終わり。冬の寒さも日に日に厳しさを増す頃。
モルテールン領の執務室では、トップ達が会議を行っていた。
居並ぶ面々は、いつものお馴染みのメンバー。カセロール、シイツ、ペイストリーに、今日は議題のこともあってグラスことグラサージュが参加していた。
日頃現場に居ることの多いグラスだが、こうやって執務室で会議に参加することもある。
「こっちの方から引くのはどうだ? こうやって、こう。そうすれば、村までの直線距離が長くなるから、工事もし易くなるだろう」
「それだと、ここの傾斜がきつい。小山になっている部分を、相当削らないといけなくなるから、それならこっちのからこうやる方が良い」
「ちょっと距離が長すぎやしないか? 工事の難度が下がったところで、工期自体が伸びれば余計に金が掛かるぞ」
「構わねえでしょう。どうせ金は有るわけだし。リハジック子爵様々で、来年の家畜の仕入れ分を余裕見て残すにしても、相当の剰余金があるわけでしょう。ここで少々余計に費用を掛けても、財政に響くほどじゃねえでしょう」
「だからといって、無駄遣いするわけにもいかんだろう。今後何に幾ら掛かるか分からんのだし、レーテシュ伯の結婚の時のように、出費が突然降りかかるということもあり得るんだ」
彼らが何を議論しているかと言えば、この冬の工事計画の相談だ。
去年、十年以上も店晒しにされていた水道整備案件が、ペイストリーの功績によって一挙に進んだ。
今年はその整備計画の完了を目指して工事が進んでいるのだが、これについてもそろそろ終わりが見え始めていた。一番大変な部分を、重機代わりのペイスがやったのだから進んで当たり前である。
山から村までの間は地下水路を通り、村の中や周囲の農地には溝を通して水を運ぶ。大雑把な概算で、地下水路一本につき中規模農村一つの水需要を賄える計算であり、まだまだ小規模農村と言えるモルテールンの村々は、水事情にゆとりが出来た。
出来たらいいな、が実現した以上、領主としてはこれをもう一歩進める計画を立てねばならない。
「こうなってくると、水量をもうちいとばかし増やしたいもんですぜ。春の雨が来る前に」
「だが、その場合はペイスのアレは使えんぞ。あちこちから探りが来ている現状だと、表だって前のようにやるわけにもいかん」
カセロールの言うアレとは、ペイスの魔法。それも、【転写】を使って【掘削】を使えるようになっている事である。
長年モルテールン家に勤め、ペイスの非常識さには免疫の出来ているグラサージュでさえも、最初にこの秘密を聞かされた時にはことの大きさに驚いたのだ。
モルテールン領の発展の秘密を探ろうと、他領の間諜や商人が頻繁にうろつく現在、この秘密をバラしてしまうような真似は極力避けたいのが本音だ。
かといって、使わないでいるのも非常に勿体ない。人力で数十人が何カ月もかけてやるような作業を、たった一人が短時間でやってしまうのだから、便利すぎるというジレンマもある。
上手く隠し通せる目算が立つなら、使いたくなるのが人情だ。
「ならば父様、やはりグラスの指揮で、人力でやるしかないのでは?」
「水量を増やすために、貯水池を大きくするなら、か」
「大きくする必要はありません」
「何?」
「もう一つ作れば良いのです。複数の貯水池が出来れば、メンテナンスもし易くなります。今のままでは、いずれ貯水池に泥や土砂が堆積して、使えなくなります。保守の事も考えて、もう一つぐらいは貯水池を作るべきだと思います。今の貯水池を空にして補修する間も、新しく作る方で間に合わすというような使い方が出来ます」
「なるほど。それならば、春先の雨に合わせ、掃除を冬の定例工事に出来そうだな」
冬の間は、農作業がほとんどなくなる。余所の領地では、この間は殆ど家に籠って手仕事をするような生活になるのだ。
だが、かつてのモルテールン領では土地が非常に貧しく、冬の間の蓄えなども碌に出来なかった。
かような理由から、毎年冬の時期は、報酬付の労務奉仕をさせることで領民が飢えないようにして来たのだ。
今は農政が上手くいき、多少の冬の蓄えが出来るようになってきたとはいえ、まだまだ心細さや、不慣れなことからくる不安定さは残っている。
だから、冬の間の決まった仕事として水底の浚渫・掃除という仕事を用意できるのならば、一定の経済効果や救済措置になり得る。
無論、毎年費用を計上せねばならなくなる、という領主側の事情も加味せねばならないが。モルテールン家の経営が黒字になった分、こういった将来を見据えた費用計上も出来るようになったことは喜ばしい。
「よし、新しく貯水池を作ろう。アレは極力使わないにしても、実際に工事しだせばドサクサで誤魔化せる場面も作れるし、その分で費用も浮く。アレで工事が予定よりも多少早くなったところで、誤差で済むだろう」
「なら、何処に作るかでしょうぜ」
「ハパパ山に作る……ってのは?」
「効果は大きいだろうが……リプタウアー騎士爵との折衝が要るな」
「その件は、僕がやりましょう。今なら勝算もありますし、ダグラッドが使えるなら手も足ります」
「よし、ならその件はペイスに任せよう。上手く交渉がまとまり次第、ここに貯水池を作る。縄張りや下準備は、グラスに任せようか」
「了解ですお館様」
メラント・ハパパ。語源は誰も知らないが、地獄の境界だの人外魔境の入口だのと、散々に言われてきた山。小さい山が連なって山脈を形成し、それなりに険しい山肌を持つ。通称がハパパ山。
モルテールン領の南東に位置し、傾斜こそ緩やかであるものの、街道を通らずに越えるのは非常に難しい山である。モルテールン領で公式に交易路の通っている山でもある。
隣領であるリプタウアー騎士爵領との領境となっている為、この山に手を出すならばお隣さんへの挨拶が必ず必要になるのだ。
下手に通告もせずに領境で蠢いていれば、良からぬ企てをしていると疑われるし、軍事行動と見られても言い訳が出来ない。最悪は相手側からの軍事攻撃さえあり得る。
これが城を建てるとでも言うならば、すわ戦争準備かと身構えられるだろうが、今回は貯水池。ダム建設だ。軍事的脅威は無いと言い張れるし、実際にそんなものは存在しない。
それに、昨今の盗賊禍があって以来、リプタウアー騎士爵家は借金が嵩んでいると聞く。低利の融資による借金の借り換えや、或いは貯水池建設時の物流刺激での経済効果を謳い、肯定的な返答を引き出す勝算がペイスにはあった。
その点、勝算ありと見るカセロールやシイツも、意見を一にしている。
「父さま、ついでに街道拡張も計画に入れませんか。それがあれば、リプタウアー騎士爵の説得がとても簡単になります」
「ふむ、今後物流を増やしていくことを思えば、街道の拡張や整備は必要なことだな。よし、その件はお前がリプタウアー家から戻る前に調整しておく。拡張するものと思って交渉する様に」
「分かりました」
「では、お互いに動こう。解散」
領主の一声で、一斉に動き出す。
ペイスは早速、可哀想な生贄。もとい、モルテールン家筆頭外務官を捕まえに行く。傍にはグラサージュが居る。
目的の人物は、領主館の一室で礼状という名の外交文書を作成中だった。
「ダグラッド、仕事です」
「アイタタタ、俺、急に腹が……」
「馬鹿なことやってないで、行きますよ」
「今回は何処に連れてこうって言うんです。ペイストリー様が率先して動いて、今まで穏便に済んだことなんて無いでしょう」
「失礼な。今回はお隣ですよ。リプタウアー騎士爵に、ハパパ山の工事の了承を取り付けに行きます」
「……あれ? ほんとにまともな仕事だ」
「だから、そう言っているじゃないですか」
ダグラッドは、ぱちぱちと目を瞬かせた。
ペイスの持ってくる仕事にしては、拍子抜けするぐらい普通の仕事だったからだ。
初仕事で国のトップへの連絡をしろと言われたり、国中の重鎮やその縁者が集まる中で慶事にかこつけて情報収集しろと言われたりするより、よほどまともな仕事だ。
「さあ、行きますよ」
「ちょ、心の準備が。あぁぁ~」
半ば人さらいのように強引に部下を連れ去っていくペイスを見送ったグラサージュは、自分の仕事に向かう。
彼の仕事は、基本的には工事現場監督兼統括責任者になる。
ここ最近のモルテールン領建築ラッシュや工事フィーバーに、業務過多を心配されるうちの一人だ。トラブルも付き物で、先日などは大きな岩が邪魔をしたとかで、除去するまで予定が大幅に遅延して大変だった。
怠け者のケツを蹴り飛ばすのも仕事のうちだし、報酬を多めに集ろうとしてくる連中を怒鳴りつけるのも仕事という、かなりストレスの溜まる仕事。
グラサージュは、普段から馬に乗ることを許可されている。従士であれば、有事の際の騎乗は認められているのだが、平時であっても騎乗を許可されているのは、シイツとグラス、あとはコアントローだけだ。かつてはバラモンド老も許可されていたが、引退後は乗ることも無くなった。
馬に乗って駆ければ、工事現場までは比較的短時間で着く。
今日の作業場所は、西の村の用水路。西の方の隣国との領境の山にどでかい貯水池があり、半乾燥地であるモルテールン領の気候風土の制約から、地下水路を通して水を運び、この用水路に流し込む仕組み。製作設計の全てがペイストリー製である。
現代の世界でも残る、乾燥地帯での地下水路。中東地域や中央アジアに散見され、特にイランのカナート等が有名だ。砂漠にポコポコと、動物の巣穴のような小山が延々並んでいる光景は、ある種観光地のようなものにさえなっていた。
学生が社会科や世界史などで学ぶこともある。
ペイスは、このカナートやカーレーズといったものをおぼろげに覚えていた。これはその応用である。作業場所が地下だけに人目につかず、ペイスがこっそり動きやすかった、という理由もあったりするのだが、効果は絶大だ。地表での蒸発を最大限抑えるおかげで、何キロ何十キロと運んでも水が渇くことが無い。
そんな地下水路での今日の作業。
貯水池の水位が一番低い冬の時期を利用して水を止め、地下水路に溜まったゴミや汚れを取り除き、ついでに拡張を行う作業になる。
モルテールン領全ての村から人手を集め、その数は実に五十人強。これらを監督し、上手く動かして、作業を効率よく出来るよう整えるのがグラスの仕事だ。
日頃、仕事が多いとボヤくのも分かるというもの。
「グラスさん、お疲れ様です」
「ああ」
非常に狭い地下への通路から、細身の男が出てくる。いや、実際は細身というほどでもなくがっちりとした体型なのだが、年齢が年齢だけに、大人たちと比べるとどうしても細身に見えてしまうのだ。きっと顔立ちがまだ幼いせいだろう
頑張っている後輩に対し、グラスは労いの声を掛けた。
「お前も頑張るな」
「ラミトやヤントには負けてられないですから」
グラスにそういって胸を張ったのは、皆からアルと呼ばれて親しまれるトバイアムの息子、アルことアーラッチだ。
地下水路の通風孔は狭いので、子供が作業するのが一番適している。その為、彼も駆り出されていた。
「そういや、そのラミトは何処に居る? 仕事を命じていた筈だが」
「ああ、多分向こうの方に居る」
「そうか、ありがとう」
グラスは、息子の顔を見ようと思った。
彼の息子は二人。ラミトとヤント。上がラミトで、一つ離れて弟のヤント。どちらもやんちゃであるが、男親としてはどちらも可愛い愛息子だ。
もっとも、将来は家を継ぐと公言するラミトに対して、最近は厳しく教育しようと自分を律しているところであり、厳しい自分に対する息子の反発も感じていた。
そろそろそんな年頃かと、感慨深くもある。
「なんだ、全然進んでおらんじゃないか。たるんでいるぞラミト」
父親の声に、件の少年が顔を上げ、そしてそのまま険しい顔になって反発する。
「なんだよ親父。今朝からずっと頑張ってる息子に対して、労いの言葉ぐらいあっても良いじゃないか」
「まだまだ、それぐらいじゃあ褒めるほどでは無いな。アーラッチを見てみろ。お前よりも年下なのに、自分が言われた仕事はきっちりこなしているぞ。少しは見習え」
「何だよ……ちくしょう」
ぶつくさ文句を言いながら作業する息子に、グラスは複雑な心境だった。
自分がまだラミトと同い年の時分は、父親であるバラモンドに大いに反発した。親子喧嘩で、何度クソオヤジと叫んだことか。一度は本気で殴り掛かり、当時現役の従士だったバラモンドに伸されたことだってある。
それを思えば、不満こそもらすものの覇気の薄い様子のラミトに対して、少々物足りなさも感じていた。
「まあいい。今日中に終わらせろよ」
「分かってるよ」
現場監督に従事しようと思えば、現場の作業について身をもって体験しておくのはいい勉強になる。頑張れよ、と心の中で応援しつつ、グラスは息子の傍を離れた。
そのまま、西の村の拡張を見据えた用水路整備の指揮を執っていた時。
グラスの元に連絡が届く。
曰く、すぐに執務室に来てくれ、という通達だった。
何があったのかと思って駆けつけてみれば、そこには見慣れた面々と共に、財務担当のニコロが居た。そして、モルテールン領ではよく知られた行商人デココとその弟子も居る。
その面々を見た所で、グラスは感じた。いよいよか、と。
「グラス、要件について察しは付いているな」
「ええ。まあいつかくるとは思っていましたが。用地確保と整備は任せてください」
「そうだな。だが、まだデココの口からはっきり聞いたわけでは無いのだ。まずはハッキリとさせておこう。デココ、要件は何だ?」
カセロールやペイスの注目も浴びるなか。三十代の行商人は、柔和な笑みで口を開く。
何処か誇らしげであり、感慨深げなその言葉。モルテールン家の人間もまた、待ち望んでいた言葉。
「はい。実は、本村に私の店を出そうかと思いまして。その許可を願いたく伺った次第です」
モルテールン領に商店出店。
行商人の往来しかなかったモルテールン領にとって、待ちに待った商業店舗の誘致第一号であった。
昨日こっそり短編集も更新…