056話 新たな決闘
マルカルロ=ドロバ。当年とって十一歳。愛称はマルク。
モルテールン領では、古参と呼ばれる従士の家に生まれ、生まれも育ちもモルテールン領という、生粋のモルテールンっ子。
実は、生まれは本村ではなく、西の村の生まれだ。
下に妹が一人。弟も二人いたが、一人は赤ん坊の時に亡くなった。三人兄妹の長男坊。同じ家には叔父夫婦や従姉妹たちも住んでいる。
同じ長男ということで、モルテールン家のペイストリーとは仲のいい幼馴染として育ち、一緒になって大人たちを悩ませてきた。
また、ペイストリーの姉達とも幼馴染という関係である。
とりわけ、ジョゼフィーネことジョゼとは、年が近いこともあり昔はよく遊んでいた。互いにジョゼ姉、マルクと呼び合うほどには近しい関係にある。
勉強は嫌いだが、身体を動かすことは滅法得意な、よくいる悪餓鬼の類だ。ただ、正義感は強い方で、本村の子供たちがイジメをあまりしないのは、マルクが喧嘩っ早い上にその手のことを見過ごさないからである。
さて、この少年には、最近気になっていることがあった。
彼の親友であり、最も身近な女友達であるルミニートに対し、やけに親しげにする男が出てきたことだ。
男の名は、アーラッチ=アフーノフ。愛称はアル。
今年新たにモルテールン家の従士となったトバイアムの息子で、父親譲りの恵まれた体格と、母親似のクールな顔立ちで、ザースデンでは女の子の人気を集める十三歳。
父親が求職中だったという理由から、聖別の儀こそまだ受けていないが、ルミやマルクの二つ年上と言うこともあり、また風貌と相まって頼りがいのある雰囲気の少年。
ここ最近まで母親の実家にいたという事情もあり、モルテールン領のようなど田舎で育った連中とはどこか違った、少しばかり都会っ子らしい感じの子供だ。
父親が新村の治安維持の責任者であることから、余所から移住した子供たちと、モルテールン領に元から居た子供たちとの中継役もこなす。
そのアーラッチは今、豆狩り競争の結果でルミと仲良く喋っていた。
去年、一昨年と好成績をあげていたルミが、今年は二位に甘んじた。一位は誰であったかと言えば、初参加のアーラッチの班だ。
今年の豆狩り競争は相当に盛り上がった。最初はルミやマルクの班が、手慣れた感じでリードしていたものの、アーラッチの班が彼の活躍のおかげで終盤に巻き返し、デッドヒートの接戦を繰り広げた後、逆転で優勝。
大盛況のうちに終わった豆狩り競争の成功の功績が誰にあるのかといえば、傍目にもアーラッチに有ることが明らかだった。
「アルはスゲエな!!」
「大したことじゃ無いよ。運が良かったのさ」
「んなことねえって。豆を掴むときにさ、俺が二つ掴むのと同じ感じで三つも四つも掴めてたじゃん。やっぱり、ガタイがデカいから、手も大きいのか?」
「手の大きさなんて、他と大して変わらないと思うけど」
「ちょっと手を出せよ。合わせて比べてみようぜ」
ルミと、アーラッチが手の大きさを比べる。二人とも豆狩りを行った直後という事もあって、爪の辺りが緑っぽい。草を潰した時特有の香りが、どちらの手からも香る。
手のひら同士をくっ付けてみれば、やはり体格に恵まれたアルの方が大きい。長さで言うならば、指の関節一つ分ぐらいの差があった。
「やっぱりでけえって」
「ほんとだな。ルミの手は小さくて可愛い感じ」
「ちっさい言うな!!」
「ははは、ごめんごめん」
ルミにとっては、自分が野郎連中に比べて小柄であることは十分承知である。いずれ身長も伸び、大きくなるはずだとは思っている。だが、将来はペイスの下で従士になって、剣を活かしたいと思っている彼女からすれば、背の小ささはコンプレックスである。
ちいさいと言われて怒ってみせるものの、アルは軽く笑って受け流す。
それがまた大人っぽい余裕を感じさせるものだから、ルミは一層ムキになって、ついにはパンチを飛ばす。軽い牽制打からの鳩尾狙い。
この、手の早さこそ、お転婆娘のお転婆たる所以だ。
アルにしてみれば、自分より小柄な少女からのパンチだ。多少良い拳打をうってきたところで、簡単に受け止める。或いはのけぞる様にひょいと躱す。
じゃれ合いにも見える、パンチと防御の応酬が始まるのも、ここ最近よく見る光景だった。
仲よきことは美しきかな。
大人たち。とりわけ、今年に従士として取り立てられた者達にとっては、呼び寄せた家族が村で受け入れられるかどうかは不安で、かなり戦々恐々としていた部分もある。
それがこうして、仲良くじゃれ合っているのを見れば、杞憂であったことが分かるというものだ。
微笑ましそうな様子で、子供たちを見守っていた。
皆が好意的であるのに対し、複雑な感情が渦巻いているのが、傍で見ているマルクだ。
「なんか、面白くねえ」
子供らしい、正直な気持ちだった。
格好良くて、年上で頼りがいがあって、人望のある男。別に性格が悪いわけでも無く、話してみれば結構良い奴だと分かる。マルクにしてみても、アーラッチが嫌いなわけでは無い。むしろ好ましい人間だとは思う。
ただ、いい奴であればあるほど、何故か不思議と忌避感や敵愾心を強めてしまう。特にルミと絡んでいる時は。
マルクは、彼自身の感情を持て余していた。
「くそっ、当たんねえ」
「ははは、まだまだルミは修行不足だな。おっと今のは結構危なかった」
「俺の必殺技を余裕で避けてんじゃねえ!!」
ルミの回し蹴りを半歩下がりながら身体を捻じって避けたアル。
ここら辺で、既に少女の息があがってきた。
「ぜえ、はあ」
「ルミ、その辺にしとけよ。もう良いだろ」
「よかねえ!!」
「修行不足だってんなら、おっちゃんに稽古でも付けて貰えよ。ほれ、汗ふかないと風邪ひくぞ」
「くぅ~!! いつかその顔に一発叩き込むからな。アル、覚えとけよ!!」
マルクが止めたことで、一応は区切りになったらしい。
ふんすと鼻息を荒げ、短距離走の後のような風体で、家に戻るルミ。
マルクとアルは、その後ろ姿を見送った。
「はは、相変わらず、ルミは元気だな。だが、もうちょっと鍛えないと俺には通用しないよ。なあ、マルクもそう思うだろ」
「ああ」
親しげにマルクへと声を掛けるアル。年上の彼にとっては、マルクに隔意などないから当然ではあるが、声を掛けられた側は、何となく返事が素っ気なくなってしまった。
「どうしたんだよ。何か、不機嫌なことでもあったのか?」
「そんなんじゃねえ」
「じゃあ何なんだよ」
自分を心配してくれるアルの言葉。
気遣いが分かるだけに、しばらくの無言の後、言いにくそうにマルクが呟く。
「……なあ、アル」
「ん?」
「ちょっと聞きたいんだけどさ、えっと……まあその……」
「よく分からないけど、とりあえず座らないか?」
豆狩り競争の激しい運動の後だ。幾ら疲れを知らない年頃の彼らとはいえ、立ちっぱなしはだるくなる。
二人して地面に腰掛けた所で、マルクが疑問を口にした。
「その……お前さ。好きな奴とかって居るのか?」
単刀直入な質問だった。
回りくどい駆け引きや、遠回しな会話などは、十一歳の少年に出来ようはずもない。それが出来る何処かの銀髪の少年が異常なだけであり、普通は聞きたいことがあるならストレートに聞いてしまうものだ。子供なら尚更だろう。
突然の質問に、一瞬きょとんとしたアルではあったが、質問の意味が分かると破顔して腹を抱えて笑った。
「くっ、くはは、そんなこと。どうしていきなりそんなこと聞くんだよ」
「ちょっと気になって、さ。やっぱり、まだこっちに来たばかりでそんな子は居ねえよな?」
まだ越してきて日も浅い。
だからこその質問ではあったが、その答えはマルクの予想とは違っていた。
「いるよ」
「え?」
笑っていたところから、急に真顔になって答えるアル。
それに驚いたのが、聞いた質問者の方だ。
「誰だよ、そりゃ!!」
居ない、と答えて欲しかったところだ。
もやもやしていたものが、はっきりするのは嬉しいが、はっきりさせたくなかったものでもある。慌てて、それが誰なのかを聞くマルク。
その勢いに、ちょっと気圧され気味になりながらも、アルは答えた。
「誰ってそりゃ……お前の幼馴染の彼女に決まっているじゃないか」
「なっ!!」
マルクの頭に、幼馴染と言われて思い浮かんだのはさっき別れたばかりのルミニートと、今はここに居ないペイストリーであった。
どちらの事を指すか、などとは考えるまでも無い。ルミのことに違いないと、マルクは判断する。
「あ、あいつの何処が良いんだよ」
「そりゃ、可愛いところ。ああ、顔も可愛いってのはあるけど、何と言うか、全体的な雰囲気が可愛いよ。性格も、ちょっと乱暴なところがあるけど、優しいところもあるのは知っているし。家柄だって良いってのは、幼馴染のお前の方がよく知っているだろ」
「そりゃ、そりゃあそうだけどさ」
「だろ?」
ルミの家は、古参の従士の家柄。
兄たちが家を継ぐことになるので、いずれ家をでなければならないとはいえ、血統に関していうならば、モルテールン領では相当に恵まれている。
彼女の顔立ちにしても、最近はとみに女の子っぽくなってきたと評判である。元気の良さが取り柄の、明るい雰囲気と相まって、おじいちゃん世代にはかなり可愛がってもらっている。何故かルミ坊と、男の子扱いで呼ばれるが。
そして、ちょっとばかり荒っぽいところはあるにしても、人並みの優しさも持ち合わせていた。
言われて気付く、ルミニートの魅力。それを思い返せば、間違っていることだと否定するわけにもいかない。
「将来、俺の嫁になってくれれば、とも思う」
「嫁ぇ?!」
「そりゃ、俺ももうすぐ成人だからな。嫁を貰ってもおかしくない年さ」
「確かに、そうだけどよぅ」
神王国では、大体十三歳から十五歳ぐらいが一般的な成人年齢。無論、各領地ごとに地方色や伝統、或いは文化的な背景が違う為、絶対ではないし、ルール化されているものでも無い。
モルテールン領は新興領地の為、そこら辺のルールもまだ曖昧だ。特に、ここ最近は大勢が余所から移ってきたために、何歳ぐらいで成人の儀式を執り行うかは、各家の判断に任されているのが現状。
十三歳というアルの年を考えれば、もうすでに聖別の儀を行っていてもおかしくない年なのだ。
そして、成人した人間であるならば、結婚も可能になる。
「でもさ、今の俺じゃあ、嫁を貰えない。大きな問題があるのさ」
「問題?」
顔も悪くない。性格も悪くない。運動神経も良いのはつい先ごろ豆畑で証明された。根性もある。女の子にもモテる。ルミだってアルのことは別に嫌っていない。
マルクは、何が問題なのかが分からなかった。
「俺は、まだ将来を不安視されている。俺自身も今はまだ、先々の事が不安でしょうがない」
「そうなのか?」
「ああ。これじゃあ嫁どころの話じゃない」
アルの言う不安。
これは、今のモルテールン領において、新人が皆等しく思っている不安だ。
マルクの親父であるコアントローや、ルミの父であるグラサージュのような、昔のモルテールン領を知っている人間からすれば、今のモルテールン領は相当に豊かになってきたように見える。
毎日ご飯はちゃんと食べられる。冬の寒さに凍える心配をしなくて良い。月に何度かは行商も来る。暮らしていく分には、大分良いようになってきたという実感が、彼らにはある。
父親から昔のことを聞かされている。そして、小さい時のひもじい時期を経験しているマルクは、これからのことを考えるなら、豊かで便利になっていく、明るい将来しか思い浮かばない。
自分も将来はそれに参画し、ペイスの下で、もっともっと豊かにしてやるのだという夢もある。
だが、余所から来た人間からすれば、違った見方がある。
モルテールン領は、最近マシになったとはいえ、つい最近まで家畜すら碌に飼えなかった領地。数年前までは、近隣諸領の者からすれば、貧乏領地のさもしい土地であるという評価が常識であり、かつ正当な評価だった。もしもペイストリー達の改革がなかりせば、今だって貧しいままだったかもしれない。
マスコミがあるわけでも無い世界では、ここ数年の変化など知らない人間の方が圧倒的に多い。余所から来たばかりで、モルテールン領が貧しい領地である、という常識しか知らなかった人間が、ようやくヤギが飼えるようになったことを喜ぶような村人を見てどう思うか。
普通は、これで大丈夫なのだろうかと不安にもなる。
外部の土地の、もっと豊かな様を見知っていれば尚更だ。
そんなモルテールン領で、幾ら待遇が良い従士であると胸を張った所で、そもそも領地経営は大丈夫なのか、と怪しがられるとしても不思議はない。
今までが酷すぎる土地だったのだ。よほど楽観的な人間か、将来性を見通せる優れた識見があるか、或いはモルテールン領の内情を深く理解している事情通でもなければ訝しむ。
一般人にそこまで求めるのは酷な話で、新人従士たちもまた家族や知人からはよく「大丈夫なのか」と聞かれる。
況や、そんな従士の息子ともなれば、跡を継ぐ頃にはお家が没落しているかもしれない、と心配される。
アルの言う不安とは、こういった“余所から来た”人間が、他領と、過去のモルテールン領の残滓を比べてしまうことで起きるもの。
過去に悪さをしていた人間が、ここ最近ですっかり善良になりました、と言われても、本当かどうか疑われてしまうようなもの。
しかし、事実として段々と豊かになってきているのだ。解決するのは、時間の問題である。
が、解決にどうしても時間が掛かる問題、という意味でもある。
「せめて、カセロール様か、ペイストリー様の部下になれることが確約されていれば、俺の将来も少しは安心して見て貰える。そうすれば、嫁になってくれる人にも胸を張れるだろう」
「ふ~んそんなもんかね」
「そうだ!! マルクからも、ペイストリー様に言ってみてくれよ。俺を将来取り立てて貰えるようにさ。仲良いし、出来るだろ?」
「うえぇ、何でそうなるんだよ?!」
カセロールとペイストリーの親子が魔法使いであることは、モルテールン領では知らぬものが無い。
魔法使いが、個人的に稼ぎが良いのは常識。
ペイストリーが婿に出るとか、領地が荒れて没落するとしても、ペイストリー個人には魔法を使えるという安心感がある。
今、カセロール自身は王命もあってモルテールン領を捨てられないが、ペイスだけなら最悪でも身軽に他領に行くことができる。魔法使いならどこでも高待遇間違いなし。
将来という意味であれば、確かにペイストリー個人の部下となれれば、安心感も出てくるだろう。
マルクは、将来ペイストリーの従士となるアルを想像してみた。
自分と、ルミ。そしてアル。
今までルミと自分だけだった将来に、割って入るアルを考えた時。言い知れない不安感を彼は覚えた。
だから、咄嗟に否定の言葉を口にした。
「な、推薦ぐらいはいいだろ?」
「……それは嫌だ」
「何でだよ」
「嫌なんだよ。何となく」
「何となくって何だよそれ!!」
「うるせえ。推薦なんかしてやらねえ。絶対してやらねえからな」
このマルクの感情論。自分が真面目に将来のことを相談しているのにと、アルからすれば面白くあろうはずもない。
そして、マルク自身も、一旦口に出してしまえば、収まりがつかなくなってきた。
やいのやいのと押し問答が続き、ついには口喧嘩にもなろうというものだ。
「このわからずや!!」
「んだとこのむっつりスケベ野郎!!」
「スケ……言ったな、この剣術オタク!!」
「テメエ、喧嘩売ってんのか!!」
「喧嘩売ってきたのはそっちが先だろう!!」
どこで最初のボタンを掛け違えたのか。売り言葉に買い言葉。
二人は遂に、手を出す所まで行きつく。
「こうなったら決闘だ!!」
「おう、望むところだ!!」
◇◇◇◇◇
「あの二人は……馬鹿ですか? 全く」
そう溜息をつくのは、銀髪の少年。
リコリスから事情を聞いた所で、しみじみと感想を漏らした。
「さすが、若様の将来の部下」
「どういう意味ですか、それ」
「別に。厄介な騒動を次から次に起こすところは、若様の薫陶が行き届いていると思っただけです」
「なら喜びなさい。貴方もそうです」
「うげっ」
騒動事の方から寄ってくる体質、と一部では噂されるペイス。
本人は平穏に、心穏やかなお菓子作りの日々を過ごしたいと思っているだけに、甚だ不本意な噂ではあった。
「とりあえず、準備をしないといけなさそうですね」
「準備って何をするんです? 二人への説教ですか?」
喧嘩騒動は治安を乱す。お説教の一つもしてやれ、というのは大人として当然の責務。
そう思って発した年若い従士の言葉に、ペイスは首を振った。
「いいえ、説教ではありません。決闘の準備ですよ」
「何でそうなるんですか!!」
ニコロの叫びは、心からの叫びであった。