540話 ドラゴンたちには焼き立てを
ある晴れた日。
モルテールン領では一風変わった光景があった。
「いっちに、いっちに、いっちにいさんし、いっちにいさんしー、ごーろくしちはち」
気の抜けそうなペイスの軽い掛け声のもと。
一列に並んで行進する者たちがいた。
「見てみて、おっきいワンちゃん!!」
町の子供が、行進するものを見て叫ぶ。
大人たちは慌てて子供たちを家の中に入れようとするが、子供たちは無邪気に行進を楽しんでいる。
全長五メートルを越える巨体の獣を、可愛い犬だと言える子供は将来有望である。きっと将来はパティシエが向いている。
「ぜんた~い、右向けぇ右!!」
「ばう」
「わう」
「きゅい!」
ペイスの号令で、行進は乱れることなく動く。
右と掛けられた号令で、先頭から順に右に進んでいくのだ。ここだけみれば、実によく訓練された犬である。
先頭が更にひと際大きい大龍であることを見なければ、微笑ましく見えるのかもしれない。
サイズ感だけが間違っているだけである。
「ぜんた~い、止まれ!!」
「ばう」
「わう」
「きゅい!」
ザースデンの一角。
モルテールン家の屋敷の裏手まで行進したところで、開けた裏庭で一同が並ぶ。
ピー助が中心になって、ペイスの前に一列縦隊である。
ビシっと背筋の伸びた姿勢で、みんなお行儀よく並んでいた。
「よし、いい子たちですね。ご褒美をあげるので、そのまま。“待て”です。待て!!」
「ばう」
「わう」
「きゅい!」
きちんと言うことを聞いた賢い子たちには、ご褒美がある。
一塊の大きな大きな肉を、ペイスが一口分を自分用に取り分けた後、適当な大きさに切り分けて配っていく。躾の一環でもあるので、順番と大きさには気を使わねばならない。特に順番は大事だ。
最初の大龍には、人の頭ほどの大きさの肉。後の子たちにはそれぞれ一回り小さめに切り分けて配る。
目の前に、お皿に載せた状態で配っていくが、まだ待てのまま。みなのよだれが垂れているが、訓練である以上まだ待ては継続だ。
「食べてよし」
食べてよ、ぐらいのところで一斉にみな目の前の肉にかぶりつき始める。
食べている肉は、魔の森で狩った獲物。とてもとても魔力が豊富に含まれているので、御馳走なのだ。
骨も付いたままの肉塊を、ごりごりボキボキと凄い音をさせながら駄弁ている。
「美味しそうに食べてますねえ。よく食べて、よく運動し、立派になるんですよ」
のほほんとしたペイスの言葉に、嬉しそうな一同。
絵面だけみると遠近感の狂いそうなホラーである。
尻尾フリフリと餌を食べる大型犬。いや、超大型犬とオオトカゲの群れに、何事かと従士長が屋敷の中から出てくる。
そこにペイスが居ることを見るや、開口一番詰問調で問いかけた。
「坊!! 一体何事です!!」
「ああシイツ、お疲れ様。今、ピー助たちの訓練がてら、ご飯をあげていました」
ペイスののんびりとした口調に、ずっこけそうになる従士長。
一通り色々複雑な思いをグッと呑み込み、深呼吸をして落ち着く。
じっと目の前の光景を睨み、改めてペイスに詰問。もとい質問を投げる。
「色々言いてえことはあるんですが、まずそれは置いとくとして。で、こいつらは何なんです?」
「よく聞いてくれました。我がモルテールン領の新しい住人。フェンリル達です」
「はぁ?」
そう、ここにいるのは禁則地に“居たと噂された”フェンリル達である。
禁則地には彼らがいたという痕跡がそこかしこに残っているらしいのだが、“何故か”その姿を一切見ることが出来ないという。
更に不思議なことに、モルテールン領には大きな狼がペットになったという。何とも奇妙な偶然もあるものである。
「頭いてえ……」
「飲みすぎですか? 二日酔いならお水を飲むと良いですよ」
こめかみを押さえる従士長に、寝ぼけた返事をするペイス。
「違えっての。こんなのがうろついて、他所にバレたらどうするんです」
「どうもしませんよ。この子たちはただの大型犬です」
「はぁ?」
フェンリルがモルテールン領に居ると知られたら。
ただでさえ、大龍の素材目当てに狙われているというのに、おまけにフェンリルも居るとなると、お宝が二倍。狙われる確率は二乗で、リスクは桁違いに跳ね上がる。
だからこそ土地を囲い込むことにしていたのではなかったのかと、シイツは頭痛を堪える。
「そもそも……フェンリルというものの存在を知る人間は、僕ら以外には居ません」
「はあ」
「ならば、いっそその存在を“無かったこと”にしてしまえば、それで解決すると考えました」
「んな無茶な」
「無茶ではありません。それが合理的解決法というものです」
「はあ」
ペイスは、フェンリルのことを隠すのはそもそも無理だという。
「レーテシュ伯が、何かあると感づいた時点で、あのまま禁則地にフェンリルを置きっぱなしにしていては、遅かれ早かれ露見したでしょう」
「そりゃあまあそうでしょうぜ」
ペイスは、レーテシュ伯爵の頭の良さを見くびったりはしない。
僅かな手がかりから禁則地に儲けの臭いを嗅ぎ取った嗅覚の良さ。ペイスの行動を逐一観察していたかのような情報の精度と速さ。そして、レーテシュ伯爵自身の決断力の良さを考えれば、禁則地のフェンリルが見つかるのは避けられない事態だった。
そして、一旦見つかってしまえば毛皮の持つ効果もまた、知られるのは遅いか早いかの違いだけである。お金持ちであり、研究開発や知識収拾に大金を投じることを惜しまないレーテシュ家であれば、聖本に書かれていたフェンリルの毛についても知ることとなるのは疑いようも無い。
更に言えば、そこからペイスが聖本を持つことに気づくかもしれない。
フェンリルの毛の効果を、ペイスが何故知っていたのか。推測する手掛かりに繋がることは、あり得る話だ。
「しかし、よく考えれば“モルテールン領”にちょっと変わった生き物がいるのは、おかしな話ではないじゃないですか」
「変な生き物筆頭が言うと、説得力が有らあな」
「だから、フェンリル“だけ”を全部、総ざらいで引き取ってきました」
「……それがよく分かんねえんだよな」
ペイスのどや顔に、シイツが冷静にツッコミを入れる。
「禁則地にはフェンリルはそもそも存在していなかった。フェンリルが見つからない限り、それを否定する証拠は出てくることは有りません」
「そりゃそうでしょうよ。ここに連れて来たんだから」
無かったことを証明するのは、不可能である。
ペイスの、もとい悪魔の証明と言われるものであり、物事において存在を証明することは出来ても、存在していないことを証明することは不可能。
より正確には、該当する全てを明らかにしない限り、存在しないことは証明したことにならない。
フランス語を喋るカラスが存在することを証明しようと思えば、本当に喋るカラスを一匹連れてくればそれでいい。しかし、そんなカラスが存在しないことを証明しようと思うなら、原理的には世界に居る全てのカラスを遍く調べつくして、その全てが現在においても過去においてもフランス語を喋っていなかったことを明らかにしなければ証明したことにはならない。
物理的に不可能故に、悪魔の証明と言われるのだ。
禁則地にフェンリルが存在して“いなかった”ことを証明するのは、不可能だ。故に、ペイスがそんなもの居なかったのだと言い張ることは不自然ではない。
逆に、存在していたという人間は、その証拠を出さねばなるまい。
しかし、フェンリルというものが空想上の産物そされている以上、糞だのねぐらのあとだの見つけたところで、それがフェンリルのものであったのか。誰にも分からない。もっと他の、単なる大型の狼の生息跡かもしれないし、そうでないのかもしれない。真実は分からない。
フェンリルを“全て”モルテールン領に移動させていたなら、大丈夫だとペイスは言う。
この、全てというのがポイントだ。
もしも万が一、一匹でもフェンリルが見つかったなら。
全く同じ生き物がモルテールン領に居る以上、禁則地から“盗んだ”と言われることになりかねない。
従士長が危惧するのはそこだ。
「大丈夫。一匹も残っていませんよ」
「なんでそう言い切れるんですか」
「ずっと、同じ縄張りを管理し続けたフェンリルが、そう断言するからです。少なくとも禁則地においては、隅々まで網羅していたと確信してましたからね」
「誰が?」
「この子が」
「バウ!!」
一匹のフェンリルが、嬉しそうに吠える。
口元から血を滴らせながら。
「我々が禁則地から連れ出したと訴えたいなら、禁則地にフェンリルが居たことを証明しなければならない。その証明が出来ない以上、ここにいる子たちはフェンリルではありません。ある日突然現れた、突然変異の大きい犬です」
「んなアホな……」
シイツは、今度こそ頭痛がしてきた。
「シイツ、疲れているなら、休憩しますか?」
「そんな状況じゃねえです」
「それじゃあ美味しいスイーツでも。疲れた時には、美味しいスイーツが一番ですよ」
「はぁ……」
ペイスが取り出したのは、焼き立てのスコーン。ペイス謹製で、とてもふっくらと仕上がっている。
付け合わせも完璧だ。ジャムに、チーズに、ハムまである。何を塗って食べても美味しいし、何を挟んで食べても美味しい。
ペイスは、取りあえずリンゴジャム、いやボンカジャムをたっぷり塗って、口の中に入れる。
途端に広がる甘みと、焼き立てのスコーンの香ばしさが溜まらない。
「ん、美味しい」
匂いに釣られたのか、狼と大龍もすぐ傍までやってきた。そして、尻尾をぶんぶん振っている。
「みんなも食べますか?」
「ばう!!」
「きゅい!!」
デカいのと、更にデカいのがそれぞれに、ペイスの言葉に反応する。
その旨そうなものを寄越せと、涎を垂らし始めた。
「仕方ないですね。ちゃんと、順番ですよ」
順番に与えるのは、狼の習性に配慮したから。
餌は、序列の高い順から食べるという、犬とも似ている習性だ。
この場合、最初はペイスが一口齧る。
そして、ピー助の口めがけてひょいと投げた後、狼たちに焼き立てのスコーンをあげる。
こうして初めて、ゆっくりとペイスも落ち着いて食べられるのだ。
「ではみんな。いただきます」
ペイスの目の前では、お代わりを寄越せとばかりに大龍と狼が揃って口をあけていた。
これにて40章結
ここまでお読みくださりありがとうございます。
本章はいかがだったでしょうか。
中々すべてに返信をお返しすることは出来ていませんが、感想には全て目を通しております。是非ご感想をお寄せいただければと思います。
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去る九月一日
本章収録のおかしな転生29巻目「おかしな転生XXIX ドラゴンたちには焼きたてを」が発売されました。書下ろしも読みごたえ抜群で、分量もたっぷり。
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さて次章
いよいよ本格的に領地替えを行った隣領に、問題が持ち上がる。
何とかして欲しいと実姉に頼まれて、嫌と言えないのがペイスとしても辛いところ。
さてさてどうするかと大人たちが頭を悩ませるなか。
斜め上に解決策をすっ飛ばすのが菓子職人。
非常識な解決方法が、問題を解決するどころか更なるトラブルを呼び、その果てには……。
次章「お隣さんとは仲良くしよう(仮称)」
乞うご期待!!
9/26 追記
新作「引きこもり賢者のダンジョン攻略」もよろしくお願いします





