537話 ペイスの秘策
「国務尚書閣下、ご無沙汰をしております」
「確かに久しぶりですな、ペイストリー=モルテールン卿」
王都の王城の一室。
貴族同士が会合を行う部屋で、ペイスは一人の男と相対していた。
「ジーベルト閣下に置かれてはご健勝の様子。国家の柱石たる侯爵閣下がご壮健であられることは喜ばしいことと存じ上げます」
「ははは、私も年ですからな。壮健とも言い難いのが残念です」
ジーベルト侯爵。国務尚書の任にあり、内務全般を司ることから内務尚書とも呼ばれる国家の重鎮。当代国王には右腕どころか両腕とも称されるほど信頼されており、性格は温和と評判だ。しかし、性格が温厚であるからといって人が良い訳でも無い。時には人を貶めるような策謀も辞さない、狡猾さも持ち合わせている人物。
宮廷内部のことは彼に聞けば全て分かるとも言われていて、人に頼られることも多い。
老年に差し掛かる年頃で、近年は体の衰えを強く感じるようになってきたという。
朝晩になると手足の関節が痛むようになり、若干の健康不安を覚えだしたため、ペイスのいう壮健という言葉には、簡単には頷けない。
多分に社交辞令を含んだ若者の挨拶に、苦笑いをしながら応える。
「それで、この度はどのような御用件でしょう」
モルテールン家の嫡子がわざわざ面会を求めてきた。
仕事が忙しいジーベルト侯爵としては会わないという選択肢もあったのだが、多忙の合間を縫ってペイスを面会するのは、彼の若者の非凡さを知るが故である。
かの麒麟児、モルテールンの秘蔵っ子、天下の奇才が何を言いに来たのか。
侯爵は、期待と不安を込めて本題を尋ねる。
「本日は確認と、お願いに参りました。実は先ごろ、レーテシュ家が禁則地についてお尋ねあったと側聞しておりましたが、事実で有りましょうや」
「それはお答えいたしかねる。問い合わせが有ったとも、無かったともお答えできない」
個人情報保護法など存在しない神王国であるが、流石に国務尚書ともなると機密や個人情報を扱うことが増える。
とりわけ貴族家の内情というのはそのままストレートにお金になる情報なので、取り扱いは何時だって要注意だ。
「勿論、レーテシュ家の内情を暴くようなことは致すつもりは有りません。しかし、当家もレーテシュ家にはいささかなりともお世話になっております。少なからず連帯しているところでして、レーテシュ家が揺れれば当家も影響がないとも言い切れぬのです。それ故に気を回したと思って頂きたい」
「ふむ」
建前ではあろうが、理解はできると侯爵は頷く。
そもそも領地貴族は近場で群れる傾向が強い。隣で盗賊やら難民やらが出れば自分の所に影響が皆無というのもあり得ないからだ。否応なく利害が絡む以上、近場の領主というのはそれぞれ強く反発し合うか、より強く連帯するかの二極化しがちだ。
レーテシュ家とモルテールン家は、相互に協力し合う方向性で外交方針が一致しているのだろう。
侯爵は理解を示した。
「取りあえず、当家としてはレーテシュ家が黙っているとしても、禁則地を欲しているという前提でお話ししたいのですが、構いませんか?」
「それはご自由にしていただいて構いません。しかし、改めて申し上げますが、確かなことは私からは何も言えませんぞ?」
「勿論です」
ペイスは、しっかりと相手にも分かるように頷く。
モルテールン家もジーベルト侯爵も、レーテシュ家を敵にするつもりはないのだ。
いざという時言い訳が出来るだけの建前は大事である。
今回で言うなら、モルテールン家は推測、思い込みで話しているだけだ。それが事実かどうかは、侯爵も断言しない。
「さすれば、禁則地について。当家にお任せいただくことは出来ましょうか」
「ふむ、モルテールン家も欲すると?」
「はい」
ペイスは、目に見えてはっきりと、大きく頷いた。
あの土地には、聖本に書かれた特別な“資源”が居る。みすみす他に渡してはならじと、ペイスは確信をもって動いているのだ。
「正直、あの土地は国有財産としては負債になります。手放せるのであれば喜んで……と言いたいところですが」
侯爵は、ゆっくりと答える。そして、一旦途中で何事か言いかけて止まる。
「何か、問題でも?」
「先だって、モルテールン家は国有地を下賜されたばかり。ここでまた改めて土地を増やす。それも飛び地をとなりますと、いささかなりとも問題が出ましょう」
国務尚書としては、レーテシュ家とモルテールン家がお互い争うようにして奪い合う土地に興味が湧いているところ。
しかし、ここで何のために欲しているかも分からずに、自分で手に入れようと動くことは無い。その辺は、国内最大派閥を率いる人間として慎重さを要すると判断しているところ。
「モルテールンばかりが領地を増やすのは問題であると?」
「そういう意見の多くなること、想像に難くありませんな。小職でなくとも思うことでしょう」
「ふむ」
モルテールン家の隆盛は今に始まったことでは無いが、年々妬みを持つ貴族家も増えてきている。
モルテールン家からの利益のおこぼれが少ない内務系の貴族は特に嫉妬している。それはもう、歯ぎしりのあまり歯が無くなるんじゃないかと心配になるほど。
元々内務系の貴族は、内政を司る。神王国国内の内政全般や、直轄地の運営が主たる任務だ。
近年、モルテールン家に直轄地の一部が下賜された。経緯はともかく、結果だけを見ればモルテールン家に仕事を奪われた内務系貴族がいるということ。
他ならぬジーベルト侯爵もその一人だ。モルテールン家に下賜された直轄地は、非常に豊かな農地であった。土地は平坦でなだらか。水利にも恵まれているし、年間を通しての日照量や降雨量にも問題が無い。安定して食料を生産する、非常に豊かな土地だからこそ直轄地とされていたもの。
その内情がどれほどのものかは、所管である農務尚書や、更にその上のジーベルト国務尚書などはよく知っている。
モルテールン家にくれてやるぐらいなら、何故自分たちにくれないのか。そういう思いが有る事は事実だ。
想像してみて欲しい。新入社員が偶然大きな仕事を熟したからと、万年大黒字の超優良子会社の株を貰って、子会社の社長に抜擢されるような状況を。何百億円も価値があるものを、ポンと貰えた状況を。
何であいつばっかりが優遇されるんだ。それなら今までずっと頑張ってきた自分にも少しぐらいくれてもいいじゃないか。ずるい。マグレの癖して何様のつもりだ。自分だけ儲けず、多少は皆にも利益を別けるべきだろ。と、不満や非難は幾らでも湧くはずだ。
新興貴族が、偶然現れた怪物を倒したことで優良直轄地を貰う。これは、伝統貴族と言わずとも、それなりに長く神王国に仕えている貴族なら誰でも羨むもの。
ジーベルト侯爵のように交渉の内実を知っていても尚、羨ましいと思うのだ。経緯を知らない人間なら、猶更のこと何故モルテールン家にあんな儲かる土地をくれてやったのかと羨むことだろう。妬むことだろう。不満も持つに違いない。
その上更に、もっと寄越せとモルテールン家が言ったなら。
感情的に爆発する貴族が出てきてもおかしくない。
「しかし、それはレーテシュ家に渡したとしても同じではありませんか?」
「む……」
土地をモルテールン家に売れば、嫉妬される。
しかし、ならばレーテシュ家では嫉妬されないのかと言えば、そんなことは無い。
そもそもレーテシュ家は神王国創設に関わった貴族ではなく、後から入ってきた貴族だ。それも、入って早々重役待遇の厚遇で迎えられた立場。
神王国の貴族としては、面白くない相手である。他所から天下ってきて、いきなり取締役になったような立場。モルテールン家とはまた違った意味でやっかみを受ける家である。
ここに王家の土地を譲るというのも、どうにも風聞が悪い。
「ならば、当家が引き取ってもようございますが?」
ジーベルト侯爵が、さも親切めかして提案する。
何があって禁則地を取り合っているのかは知らないが、どうやら取り合うだけの価値がありそうだ。ならば、ジーベルト侯爵家が一旦預かり、より高値を付ける方に転売するのも美味しいか、という判断だ。
「それは、公私混同を疑われましょう。国務尚書の任にある方が、王家の財産を自家に流す。対価が払われていたとしても、横領を疑われること間違いありません」
「……まあ、そうですな」
侯爵の提案は、ペイスがバッサリと否定する。
王家の財産を、侯爵が侯爵に売る。国務尚書としての地位を乱用していると言われるのは目に見えている。
「ならば、王家所有のまま、直轄地として置いておくほかないのでは?」
「……他の方々が欲しがらないのならば、それも良いでしょう。しかし、状況は変化していくでしょう。勿論、王家にとって不利益な方向に」
「むむむ……」
王家の直轄地であるのは、その場所が大変危険と思われる土地だからであり、持っているだけで赤字の土地だからだ。誰も欲しがらない土地だから、王家が治めている。
いずれ、モルテールン家がモルテールン領を拝領した時のように、大きな手柄を立てた成り上がりが出てきたときにでも、褒美代わりに渡すぐらいは使い道があるだろう。
ただし、これが美味しい土地ならば話は変わる。現状、何故かレーテシュ家が欲しがっている以上、転売するだけでも美味しいのはジーベルト侯爵がそうしようとしたことからも明らか。
今はまだ参加者の少ない争奪戦だから目立っていないが、今後争奪戦の参加者が増えれば、王家としては争いの種を持ち続けることになる。利益も産まないのに。
負担は増えるのに、利益は増えず、臣下同士の争いの種になり、それは治めるのが難しい。さっさと手放せという意見が、いずれ出てくるに違いない。
今ならまだ、混乱は少ない状態で手放せる。ペイスの意見に、国務尚書も一定の利が有ると認めた。
「レーテシュ家に任せるのも、モルテールン家に任せるのも、ジーベルト家に任せるのも、王家にこのまま残すのも、それぞれにデメリットがある」
「そうですな」
「理想は、それぞれに分散して配分することでは?」
「それが出来れば最良だろうと思います。しかし、土地を細かく分けても意味が無いと思うのだが」
禁則地を誰が手にしても、或いは王家がこのまま持ち続けても、面倒ごとは増えるだけ。
出来るなら、リスクも利益も細かく分散して、欲しがるものにはくれてやるぐらいの方が収まりは良い。
一人がボーナスを独占するから揉めるのだ。皆に分けてしまえば、不満も分散するし嫉妬もされにくくなる。
だが、禁則地を細かく分けたところで、それこそ管理の手間が増える。大きく増える。金貨の山を分けようというのは訳が違うのだ。土地というものは、簡単に切り分けられるものではない。
「それならば、僕に一つアイデアがあります」
ペイスは、本命の提案を持ち掛ける。
「不動産を、証券化してみませんか?」
「……はい?」
国務尚書は、目を点にして驚くのだった。





