536話 確信
レーテシュ伯爵領領都レーテシュバル。
海に面した港町であり、古来より海運で栄える当世一大の都市である。
かつては一国の首都であったし、今でも神王国南部の政治的中枢であり、また経済的中心になっている。
古くは漁港であったと伝わるが、外海が荒れている時でも穏やかなままの湾というのは船を留めるのにとても都合がいい。また、湾の広さもかなりの広さがあり、かつ深さもそれなりに有るとなれば大型船舶の寄港地となるのも当たり前であった。
必然の歴史を経て南大陸でも一、二を争う国際港となったレーテシュバル。この港を支配したものが、富と権力を手にすることもまた歴史の必然であり、地政学上の道理である。
レーテシュ王家。
かつてはそう名乗り、海を支配していたのが現在のレーテシュ伯爵家。
昔々、南大陸で急速に勢力を拡大する軍事大国の神王国に、海洋戦力を主とするレーテシュ王家は劣勢にあった。海の上なら百戦百勝であろうと、陸の上の戦いでは騎馬戦術を得意とする神王国に対しての不利は否めない。海と陸、どちらも十全な戦力を整えるというのは、単純に考えて軍事負担が倍。どうあっても無理がたたる。
また、レーテシュ王国の領土はその大部分が広大な平地。峻険な山脈でもあれば天嶮の要害をもって地の利とし、敵を防ぐことも出来ただろうが、騎馬に乗った騎士の集団と戦うにはあまりにも分が悪い。
また、平地が多いということは農地が多いという利点であるが、対し鉱物資源に乏しいという欠点でもあった。海運で為した財をもって鉱物資源を輸入するという手段もあったのだろうが、当時からレーテシュ王家の南方には聖国が君臨している。海上輸入だけに資源を頼るのは危険だった。大国に南北から挟まれれば、滅亡もちらつく。
故に時のレーテシュ家当主は、王位を捨てる決断をした。神王国の傘下に降り、一臣下として新たに生まれ変わると決意したのだ。名を捨て実を取る。海運で財を為した商売人としての実益主義がそうさせた。
かくて生まれたのが神王国でも四伯と称されることになった南方の権勢家。レーテシュ伯爵家である。
国内においても富豪として知られ、安全保障の負担を減らしたことで経済も好調。特に最近は交易も順調であり、その名声は日増しに高まっている。と言われていた。
「本日はお時間を頂戴いたしまして恐縮です」
ペイスは、目の前の女性に慇懃に挨拶をする。
相対する女性こそ、神王国では王妃に並んで有名な女性。彼女を知らない貴族は居ないであろう、レーテシュ伯爵家当主。
ブリオシュ=サルグレット=ミル=レーテシュ女伯爵その人だ。
三人の子持ちであり、同時に大派閥を率いる派閥領袖でもある。
モルテールン家にとっても決して蔑ろに出来ない相手であり、ペイスをして油断ならないと言わしめる相手。
ニコニコ笑顔のペイスが挨拶したあと、同じく微笑みを浮かべたレーテシュ伯が挨拶を返す。
「こちらこそ、久しぶりに貴方の顔が見られて嬉しいわ。もっと頻繁に顔を見せてくれても一向にかまわないのだけれど」
「そういって頂けるうちが華であると心得ております」
レーテシュ家にとってもまた、モルテールン家は決して侮ってはいけない家である。
同じく神王国南部に領地を持つ領地貴族であり、幾つかの権益では限られたパイを取り合うライバル。そして多くの事案では利害が一致する味方。
時に敵、時に仲間として接する複雑怪奇な関係性が、両家には存在する。
ただでさえ油断すれば敵になる相手だというのに、お互いがお互いに、隙あらば足元を掬って自分だけ利益をがっぽり稼ごうとする狡猾さを持っている。
より正確には、レーテシュ伯爵とペイストリーが共に狡猾なのだ。同じ穴の狢というのだろうか。或いは同族相哀れむというのか。はたまた類は友を呼ぶのか。
似たもの同士の両者は、笑顔で仲良く会話しながら、腹の中ではお互いに何を企んでいるのかと探り合う。
片手で握手し、片手で殴り合うような対応が、繰り広げられていた。
「この間、うちと親しくお付き合いのある人を集めて、お茶会をしたの。ご存じかしら」
「勿論です閣下。レーテシュ領のお茶と言えば国内でも随一の銘茶と名高い。それを振舞うということで、大勢集まって歓談に花を咲かせたと聞き及んでおります」
「あら、それは嬉しいわね。モルテールン家にも招待状を送ったのだけれど、届いていたかしら」
「はい。私が拝見したものの中に、確かに招待状がございました。しかしながら折悪く、勅命が下りまして。陛下直々の命を無下にするわけにもいかず、臣下の務めとして王都に馳せ参じることになった次第です」
「それなら仕方ないのかしら。モルテールン家と言えばお菓子で有名でしょう? 折角甘いものに合うようにと良いものを厳選していたのだけれど、無駄になってしまったのは残念だったわ」
「次の機会には是非とも参加したいと思っております。陛下にもお願いしておきましょう」
表面的に聞けば、ペイスがお茶会に来てくれなくて残念だったという話だが、勿論二人の会話の裏にはそれ以上のものがある。
直訳の上で意訳するならば『うちのもんを集めて気を締め直そうとしとったところに顔を出さんちゅうのはどないな了見じゃこのガキ。うちの盃を返そうっちゅう腹かコラ、ワレ』とレーテシュ伯が脅したところで『文句があるなら国王陛下に言うてつかぁさい。わしゃ当たり前のことをしただけですんで』とペイスが開き直ったという形である。
どちらも白々しいが、表面上はとてもとても仲良しこよし。どこまでも明るく楽しい、素敵な会話の弾むひとときだ。
「それで閣下。先ごろ、閣下が王家直轄地の払い下げについて願い出たとお聞きしましたが」
「あら、耳が早いのね」
世間話の皮を被った差し合いも頃合いかと、ペイスが本題に踏み込む。
今日、ペイスがレーテシュ家を訪れたのは、モルテールン家が目を付けていた禁則地について。どうにか手に入れられないかと話し合っている最中に、レーテシュ家がこの土地を貰い受けるように動き出したという情報を掴んだから。
人の獲物を横から掻っ攫うような真似をされては、モルテールン家の沽券にかかわる。
故に、少しばかり威圧的に、睨むような顔でペイスがレーテシュ伯に言葉をぶつけた。
「お辞めいただくことは出来ましょうか」
「あら? 何故かしら」
禁則地は、王家直轄地。というより、王家しか管理したがらない土地。
そもそも原因不明ながら危険であるから立ち入るなとされた場所だ。誰も近づきたがらないし、手に入れたところで負債にしかならない土地であるから今までは欲しがる人間も居なかった。
例えば、火山の噴火口などがあれば、その周囲は禁則地になるだろう。有毒の火山性ガスがそこかしこで噴出し、下手に近づくだけで人が死ぬような土地だ。管理するのに、例えば男爵あたりが土地を持っていたとしたら。うっかりそれ以上の爵位の人間が知らずに入ってしまうかもしれない。男爵程度が、例えば公爵あたりに『そこは入るな』と強く言えるかと言えば、そんなはずも無い。危ないから近づかない方が良いですよとやんわり忠告する程度だろう。そして、公爵の関係者が死ねば、関係は悪化するしかない。
「危険です。過去の文献をお調べになりましたか?」
「いいえ。これから調べようとは思っていたけれど、何かご存じなの?」
「はい。あの土地は、過去に何度か調査隊が送られ、その全てが帰ってこなかったとあります。何が有るかすら不明で、大変に危険だとご忠告致します」
「忠告はありがたく頂戴しておくわ。でも、それを言うならモルテールン家も魔の森を拝領したのではなくて?」
危険な土地で、立ち入り禁止の禁則地であったというなら、モルテールン家が領地としている魔の森もそうである。
少なくとも魔の森については、今現在大龍が済んでいたことが確定しているのだ。他にどんな猛獣や魔物が住んでいるのか、知れたものでは無い。
危険だから手を出すなというなら、モルテールン家の方が先では無いか。
レーテシュ伯の意見は、正論である。
「魔の森の危険度は、分かっております。それ故、国軍にも協力を頂き、全容解明に向けて慎重に調査を進めております。しかし、御家の求める禁則地は、魔の森にも増して危険でありましょう。また、魔の森はモルテールン領からは地続きなれど、禁則地はレーテシュ領からすれば飛び地となります。管理する手間も、万が一何かしら危険なものが飛び出してきた場合の対処も、苦労は多くかかりましょう」
「なるほど、何かしらことが起きると、魔の森であればモルテールン家が被害を受けるだけだけど、禁則地ならその周囲に迷惑が掛かるとおっしゃりたいのね?」
「はい。被害の起きないことが最善ですが、起きた場合のことも考えるなら、レーテシュ家の負担は大きくなります。それは、南部を不安定にさせる要因となりましょうし、聖国あたりがつけ込む隙となりかねません。当家としても、レーテシュ家には安定した治世を求めるところです」
「ご配慮痛み入るわ。なるほど、確かに貴方の言うことは正論ね」
「では」
「ええ。禁則地に関しては、少し慎重に検討してみることにしましょう」
「それを聞いて、胸のつかえがとれました。レーテシュ家とモルテールン家が手を取り合い、安定して成長出来るよう、今後とも引き続き協力していきたく思います」
「そうね。これからもよろしくね」
ペイスの意見に、レーテシュ伯は検討すると請け負った。
確かに、何が有るか分からない土地に手を出して、藪をつついて蛇どころか大龍の一つも出てきてしまえば、レーテシュ家のみならず南部、或いは神王国全体に被害が出るだろう。
危険な賭けはやめて欲しいとペイスが言うのも一理あると、レーテシュ伯は認めた。
お互いに、にこやかに握手を交わし、会合はお開きになる。
ペイスが帰り、レーテシュ伯がペイスの意見を真剣に検討している頃。
伯爵の元に、愛する夫が仕事を片付け帰宅してきた。
開口一番、レーテシュ伯は夫に断言する。
「やっぱり、あの土地には秘密が有るのね」
「そうだな」
「手に入れてから、ゆっくりと調べるとしましょうか」
慎重に検討する。
その言葉に、嘘は無かった。
検討に検討を重ねた結果、やはり禁則地にはお宝の臭いがすると、レーテシュ伯は嗅ぎ取った。





