535話 伯爵黙考
レーテシュ伯爵領レーテシュバル。
海賊城と名高い城の中、領主のレーテシュ伯が報告を聞いていた。
「大龍が空を飛んだ。人を載せて?」
「はい」
「あの坊や、いっそ清々しいぐらい騒動を起こすわね」
「はあ」
報告の内容は、モルテールン領でペイスが空を飛んだというものである。
大龍に跨り空を飛んだ様子は多くの人間に目撃されているので、レーテシュ伯の元にも第一報として即刻情報が届けられた。
「どうした? 何かあったか」
「あなた。ちょっとこっちに来て」
急使が飛び込んできたという状況で、何か大変なことが起きたのだろうと考えたのが、セルジャン=ミル=レーテシュ。レーテシュ家の婿として伯爵家の軍権を預かる立場にある。
軍事に関してはほぼ全部を任される立場として意見を聞かれることも多いので、よび出される前に気を利かせてやってきていた。
「ちょっとばかり、大変なことが起きたの」
「ほう?」
根性の据わった、肝の太い愛妻が大変なことというなら、それは本当に大変なことなのだろう。
夫として妻を支えると誓った身としては、放置するわけにもいかない。
妻に促され、すぐ傍に座る。
さっとセルジャンの分までお茶が用意されるところは伯爵家の執事の質の高さだ。
「モルテールン家で、あの坊やが空を飛んだらしいのよ」
開口一番、妻の端的な説明。
ことがモルテールン家の話だと分かった時点で、セルジャンは自分がいる意味も有ると考えた。
レーテシュ家において、最もモルテールン家と親しく付き合いがあるのは自分だからだ。
それ故、話は真剣に聞こうと姿勢を正す。
「また何か魔法使いでも増えたか?」
空を飛ぶというのは、人間には不可能なことだとセルジャンは考える。
それはそうだろう。人は鳥では無いのだから。
鳥というのは、骨からして人間とは違う。スカスカで、すぐに折れる。野鳥を狩って食べることも有る武人としては、人間が空を飛ぶとなると根本的な体の造りから変えねばならないと思っている。
尋常ならば人は空を飛べない。しかし、モルテールンからは空を人が飛んだという報告があった。ならば、尋常ならざる手段。即ち魔法で空を飛んだに違いないと考えるのは、常識的な反応だろう。
しかし、常識人のセルジャンの意見に、レーテシュ女伯爵は首を横に振った。
そんな常識通りの話なら、大変な事態だと夫と協議したりはしないと。
尋常ならざる手段であったことには違いは無いが、その方法は常識の斜め上でラインダンスをしている。
「魔法使いが増えた程度なら、どれだけ助かるか。あの子、大龍に乗っていたらしいわ」
「ほほう」
セルジャンは、驚きながらもどこか楽し気に相槌を打つ。
それそうだろう。大龍に乗って空を飛ぶなどと言うのは、男心、いや少年心をくすぐるロマンのあることなのだから。
大龍というのは、この世界においても物語などで出てくる。大抵は悪の親玉として出てくるが、時には人間の味方として描かれることも有る。
どちらにしても強大な怪物として描かれるのは変わらないが、人間の味方となる場合はその背に人を乗せて飛ぶお話も多い。そして背に乗せるのは物語の主人公と相場は決まっている。
正義の味方が強大な大龍を従えてその背にのって疾駆する物語を聞いたことのある男であれば、自分も同じように背中に乗って飛んでみたいと思うものだ。
少なくともセルジャンは、乗ってみたいと思ったし、空を飛んでみたいとも思った。
「それで、大龍が人を乗せて飛んだとして、何かあるのか?」
今更、モルテールンが何かしら突飛なことをしでかしたとして、驚きはしない。それぐらいはモルテールンに慣れているセルジャン。
彼が知りたいのは、大龍にペイスが乗って飛んだことではない。それによって、自分たちにどういう不利益が有るか。或いはどういう利益が生まれるかだ。
「まず、王家は動くでしょうね」
「王家が?」
「陛下の御気性を考えれば、大龍に乗りたがるのは目に見えているもの」
「それは……意外だ。陛下は冷静なお方だと思っていたが」
「必要なら冷静にも冷酷にもなれるお方よ。ただ、生まれ持った御気性は奔放。まず、ご自身で乗りたがるわね。賭けてもいいわよ」
「負ける賭けはしないよ」
レーテシュ家も、王家に対しては徹底的に諜報活動を行っている。勿論王家もレーテシュ家を諜報しているのは間違いないのでお互い様だが、レーテシュ伯の見るところ、当代の国王カリソンは、性格的には革新的な性格だ。レーテシュ伯とは合わない所も多いが、兎に角新しいものに対する好奇心は人よりも強い。そして、新しいことや未知のものに対する忌避感は薄い。
そこから想定するに、恐らく大龍に人が乗って飛んだというのなら、自分も乗りたがるだろうと思われる。
「王家がどの程度動くかにもよるけど……他の人間が乗れるとしたら、乗れる人間を増やそうとするでしょうね」
「ふむ、それは何故?」
「当然、王家の利益。いえ、国益に適うからよ。今まで、鳥を使役するような魔法使いは居たわ。似たような魔法もある。ただ、魔法はどうしても属人的な要素が強い」
「そうだな」
魔法はとても強力なものである。しかし、欠点として使える人間が限られる。
今まで、魔法で空を利用したものはそれなりにいる。特に鳥を使役したり、蝙蝠を使役したり、或いは昆虫を使役したり、短距離ながら魔法使い本人が飛んだ事例はある。空を飛ばずに瞬間移動する規格外もいるが、それは例外だ。
空を飛ぶものを利用する魔法は、どれも欠点がある。
空を飛ぶ生き物は、根本的に弱い。そして、航続距離に限界が有る。
情報伝達を素早く行う利点は有れ、途中で大型の動物に捕食される危険や、遠くに飛べない欠点は見られた。
ところが、大龍に人が乗れるとなると、それらの欠点は無くなる。
まず、魔法使いでなくとも情報を運べるというのが大きい利点だ。
魔法使いが情報を伝達する場合、どうしても魔法使いの信用度によって情報が歪む。当人がどこまで信用できるかというのもあるだろうし、伝言ゲームは情報が歪みやすい。
しかし、情報伝達の専門訓練を受けたような人間が大龍に乗れれば、今までの情報伝達よりも遥かに正確かつ大量の情報を得られるに違いない。
また、魔法を持っていない貴人でも運べるとなれば、それはもう革命的と言って良い。
「これから周りがどう動くか……読めないわね」
「我々は待ちか?」
「そうね。いつも通りでいきましょう。慎重に見極め、情報を集め、動くときは一気に動く」
「頼もしい限りだ」
「しばらく、注意しておくべきね。絶対に何かやらかすはずよ」
「違いない」
レーテシュ伯とその夫は確信する。
あのモルテールン家の麒麟児が動くなら、必ず何かあると。
◇◇◇◇◇
「セルジャン、あの坊やの大龍。動きが有ったらしいわ」
「何? 今は王都で学生の訓練に使われているのでは無かったのか?」
「それはその通りなのだけれど、学生が少し事故を起こしたらしいの」
「ほほう。それはまた荒れそうだ」
大龍の騎乗中に、事故が起きた。
大龍など始末してしまった方が後腐れが無いと騒ぐ、頭の固い連中がまたぞろ騒ぎそうな情報である。
セルジャンは、ひと騒動起きそうだなと感じた。
「事故を起こした場所は、王都の北西。公国の更に西方だったということよ」
「何だ、山しかない場所じゃないか」
「そうね。ユノウェル山脈の続く、山岳地帯よ」
「なるほど、そこなら事故の一つも有るか」
プラウリッヒ神王国とヴォルトゥザラ王国とを隔てるユノウェル山脈は、人跡未踏の峰が連なる人類の不可侵領域である。
この世界に正確な高さを測る技術が無いためはっきりとは分からないものの、八千メートルを越える山すらあると思われる、大陸屈指の山脈だ。
低い所でも千メートルはあるだろうし、これが有るからプラウリッヒ神王国とヴォルトゥザラ王国は国境線を引けているという面もある。
山脈南部ではモルテールン領が接していて、四千メートル級の山々は気候すら影響している。モルテールン領に雨が降らなかったのも、この山脈の影響が大きい。
通行可能な個所は極々限られていて、その狭い所を通って神王国とヴォルトゥザラ王国は交流しているのだ。
なるほど、あの場所ならば空を飛んでいて事故の一つや二つは起きるだろう。
セルジャンには納得の感情が生まれる。
「でもね、どうにも変なのよ」
「変? 何がだ?」
「事故のこと。隠そうとしてるの。モルテールンが」
「ふむ」
単純に考えれば、不祥事の隠蔽。
隠した事実について証拠の一つも握れば、モルテールン家に対して一つ外交カードが手に入る。
使えば相手を不愉快にさせるデメリットも有るカードではあるが、交渉の時に切り札として持っておける点ではメリットも大きい。
だが、ことはそう単純な話なのだろうか。
セルジャンは、どうにも腑に落ちない気がした。
「やはり貴方も、納得しないみたいね」
「……ということは、君もか。リオ、聡明な君には、何が見えている?」
こと外交において、リオことブリオシュ=サルグレット=ミル=レーテシュ伯爵の実力は傑出している。
外交とは即ちカードゲームのようなもの。自分と相手。お互いに欲しいものがあり、最終的に高い得点を目指して手持ちの札を切っていく。相手の札を読んでは対策をし、自分の札を隠してはここぞという時に使う。
カードゲームのプレイヤーの素人が熟練者には勝てないように、生半可な人間では外交でレーテシュ伯には勝てない。
この強さの源は何処かと言えば、読みの鋭さにある。
相手の札を洞察する洞察力が、生来持って鋭いのだ。
だからこそ南部の雄として一派をまとめ上げるだけの影響力を持っているのだが、その彼女が納得していないというのなら、何かあるのだろう。
信頼する妻の言葉に、セルジャンは耳を傾ける。
「一番気になるのは、王家に動きが鈍いことね」
「ほほう?」
「龍が事故を起こした。この事実は不都合だから隠したい。それは分かるの」
「そうだな」
「ただ、その場合は王家がもっと積極的に動くべきよ」
「何故だ?」
「これが、陛下が肩入れして、前に出てきている事業だからよ」
「ふむ。事故が起きた時の失態とすれば、王家の被る被害が大きいということか」
「ええ。でも、何故かモルテールンが積極的に動いている節がある。おかしいじゃない」
「そうなのか?」
「だってそうでしょう。モルテールンからしてみれば、王家に泥を被って欲しいはずでしょう。大龍の危険性というなら、王家のせいで事故を起こしたとでもする方が、モルテールンにとっては望ましいはずだもの」
「ふむ」
「つまり、モルテールンは事故を隠したい理由がある。不祥事の隠蔽ってこと以外でね」
「何が理由なのだろうな」
レーテシュ伯は、じっと考え込む。
「もしかしたら、事故を起こした場所に、何かあるのかも」
「なるほど」
「その土地、うちで買い取ってみましょうか」
レーテシュ伯は、慎重に一手を打つことにした。





