531話 巨狼
当初、大龍の騎乗訓練はペイスと学生のペアで行われていた。
大龍に乗ったことのある人間がペイスしか居ないのだから、乗り方を教えるのにはペイスと二人乗りで教わるしかない。
ペイスに曰く、自動車教習のようなものである。
まず最初に、ペイスがピー助に騎乗して、指示を出したり足並みを揃えるお手本を見せる。そして、学生が同じように指示をだし、ペイスはそれを見守る。これを繰り返すのだ。最終的には自分の意思を十全に大龍へ伝え、思う通りに空を飛び回れるようになれれば最善だ。
ただし、最初から全部はやらない。やらねばならないことを小分けにして、段階的に出来ることを増やしていくという方法が取られた。学校に元からあった騎乗訓練のノウハウが活きた場面である。
まず最初に乗って浮上する訓練。次いで地面に降りる訓練、浮いたまま高さを変える訓練、高さを任意に指定する訓練、前進させる訓練、止まる訓練、左右に曲がる訓練、速度を変える訓練、障害物を避ける訓練、いざという時に飛び降りる訓練、危険な体勢から復帰する訓練、ピー助を褒め倒す訓練などである。ここまで出来れば、まずは基礎として十分と判断される。
カリキュラムとしては一ヶ月程度のもの。ピー助が一匹しか居ないので、交代で訓練だ。手すきの時は、それぞれの教官の下で通常の訓練や勉学を行う。大龍の騎乗訓練は、あくまで通常の士官カリキュラムとは別途追加で行うものなのだ。
学生たちはやることが増えた分大変である。
この訓練内容、パッと素人が見ればなんだか簡単そうに見えるが、さにあらず。
ピー助に乗り、空に浮くよう指示するだけでもトラブルがあった。
人それぞれに指示する言葉が違うので、ピー助が言うことを聞かない人間が居たのだ。
最初は個人の問題かと思われていたのだが、実は性別に問題があるということが判明する。
女子の言うことを聞かないのだ。
これはピー助が男女を差別しているとか、女を舐めているとか言う話ではない。単純に、話し言葉に男女差があったからだ。
女言葉と男言葉の違い。ピー助はペイスの言葉を最優先で聞くし、それに慣れている。だから、女性が女言葉で命令を出しても普段と違うからということを聞いてくれなかった。
尚、ルミは最初から大丈夫だった。口が悪いのも善し悪しである。そのせいで、性別の問題だと気づくのが遅れたというのも特筆しておくべきだろう。ペイスが報告書に悩んだのも珍しい話である。
乗って、浮いて、留まる。
全員がたったこれだけのことが出来るようになるまで、三日かかった。外から見ていれば簡単そうでも、やっている方は大まじめにやった上で苦しんでいた。
無事に全員が空に浮いた時には、一斉に歓声があがったほどである。
上がったあと、降りるのもまたひと騒動あった。
ペイスは性格が図太く、根性も据わっているし度胸もある。空を飛ぶのに科学的な原理原則も存在していて、空飛ぶ機械が存在している社会も知っている。魔法的なもので空を飛ぶ大龍についても決して理不尽でないことを知っているし、そもそも空は飛べるものだと思っていた。
だから、降りるときも平然と姿勢を正したままで居られた。ピー助は、それが普通だと学んでしまっていたのだ。
しかし、学生たちは違う。ペイスほどには心臓に毛が生えていないし、非常識でも無い。
空なんて飛べるとは思っても居なかったし、飛ぶものだとも思っていなかった。だから、目も眩むような高さからピー助が下降を始めた際、どうしても身体に力が入ってしまった。例えるなら、ジェットコースターに初めて乗った人が、天辺から降り始めるときの緊張のようなものだろう。
緊張するな、といっても不可能。どうしても身体がカチカチになる。
すると、ピー助は背中の緊張を受けて指示に無い動きをしてしまう。下降する時は乗り手も背筋を伸ばして落ち着いているのが、ピー助にとっての普通。身体が堅いなら、まだ降りてはいけないのか、或いはもっと急いで降りなければいけないのかと、ピー助に悩みを生じさせてしまうのだ。
ペイスが無理矢理指示を奪うまで、普通以上に早く下降して見せたり、左右に身体を揺らしながら降りたり。ピー助も真面目に指示に従おうとしているのだが、そもそも指示を出す側が安定しない。
学生たちがこの上なく恐怖感を覚えたのも、当然と言えば当然である。絶対に安全と言い切れない中でもフリーフォール。心臓が縮む思いをした。
真っ当にリラックスして下降と着地が出来るようになるまで、これまたそれなりの日数を要した。
上がって降りるだけで、大騒ぎ。
飛んで移動できるようになったあと。障害物を避ける訓練の時も酷かった。
まばらに生えた木と木の間を抜ける練習の時。学生の一人は、枝に顔をぶつけてそのまま落ちそうになって慌ててペイスが掴む羽目になった。
学生たち一人一人、当たり前だが座高が違う。ピー助からすれば、同じ指示で同じように飛んでいるだけである。しかし、学生の座高が違えば、人によって通れる場所が違ってくるのは当たり前。ひと際座高の高い学生が、他の学生たちが当たり前に通れた場所で枝に引っかかってしまったのも仕方のないことである。
紆余曲折を経て、ようやく全ての学生が、一通りの基礎をマスターした頃。
ペイスは、一つの指示を出していた。
『これから十日間は、それぞれペアを入れ替えながら騎乗してください。片方が行動不能になった時にもう片方が救助する訓練です。ピー助が急上昇した際、人によっては気圧……環境の変化についていけず、気を失うことが有ります。個人差もありますし、慣れや体調によっても違うでしょう。全員、自分は大丈夫だなどと思わず、万が一を考えて下さい。救助手順は以前の訓練の通りです』
今までずっと、ペイスと学生の二人組で飛んでいたものが、いよいよ学生同士だけで飛ぶようになる。
訓練課程が一歩進んだ。
いい加減大龍に乗る事にも慣れてきていた学生たちは、これはこれで楽しそうだとほっと胸をなでおろす。厳しい訓練にも進歩が有ると。
学生だけで大龍に乗る。
そうなると、誰と乗るかでひと悶着起きるのが学生というもの。
特に、ルミとマルクは二人で乗ってみたいと言い出した。
「それじゃあ、最初はマルカルロとルミニートの二人でいいか」
「賛成」
「異議なし」
学生たちの真摯な話し合いの結果。最初にペアを組んで飛ぶのは、ペイスの幼馴染二人となった。
喜んだのはルミとマルクである。
寄宿士官学校は、常に周りに人の目があるのだ。恋人がいちゃつくのは、割と難しい。そもそもイチャついてたら懲罰もあるし、リア充に対する当たりはとんでもなく厳しい。
二人きりになる時間が出来るとなれば、ルミとマルクにとっては貴重な逢瀬の時間たり得る。
勿論、訓練だから真面目にやる。
そこは、モルテールン出身の二人としても手を抜いてはいけないと理解しているところだ。
しかし、そうは言ってもお互いおもい合う男女二人が、余人の目の無いところで密着して凄そうというのだ。多少、お互いの存在を意識してしまうのは仕方がない。
仕方が無いのだが、意識しすぎると不自然に間をあけたりもしてしまう。
ピー助はとても賢い。
そして、人に育てられたことで人の心情にもたしょうの機微がある。
だから、気を利かせた。
余計な気を利かせた。
「うぉ!」
「きゃっ!! マルク、何処掴んでんだよ!!」
「仕方ねえんだってこれ揺れが」
いきなり、アクロバット飛行を始めたピー助。
訓練にもなかったことであり、マルクもルミも初めての経験である。
マルクが咄嗟に、ルミを全力で抱きしめるように掴み、両手が胸を鷲掴みするようになってしまったのも不慮の事故。ピー助は大満足。
そして、いきなり胸を掴まれたルミが、マルクを引っぱたくのも当たり前だ。
結果、二人の行動がピー助を意図しない方向へと進ませる。
気づいたときには、ピー助の背中から二人の姿が消えていた。
◇◇◇◇◇
ペイスが捜索に出てからしばらく。
ピー助が二人を“落とした”場所まで飛んできた。
幸いであったのは、万が一落下して、或いは遭難してしまった時にもある程度は備えられるような訓練をしていたことだろうか。生き残ることに関して、不安が無かったので落ち着いて探すことが出来た。
また、空を飛ぶピー助は何処からでも良く目立つというのも良かった。落ちた二人からも、ピー助が飛んできたときはその姿がよく見えたのだ。捜索してくれているであろう親友から見つけてもらいやすいよう、おーいおーいと上着を旗代わりにしてアピール出来た。
結果として、ペイスはマルクとルミを見つけた。
「二人とも、探しましたよ」
ピー助に乗ったまま、お手本のようにスーッと地面に降りていくペイス。幼馴染のすぐ傍に、ピー助は着地した。
「モルテールン教官、探しに来てくれたんですね」
「当然です。二人は大事な友達ですからね」
「ペイス~」
訓練を積んで少しはマシになっていたのに、ペイスの前だとボロが出る。
それもまた気の置けない関係であるからこそだろう。
これで、無事に帰れる。三人は、途端に安堵した。
ふと、ペイスはピー助の方を見る。
ピー助に三人乗り。ギリギリ行けるだろうかと、ちょっと考え込む。一人乗りであれば、かなりの速度で移動できるのはモルテールン領から王都までかっ飛ばしたことで知っている。二人乗りでもそこそこいけるのは、訓練で分かった。だが、三人乗りだと少し不安だ。子供の頃ならいざ知らず、ペイスにしろマルクにしろルミにしろ、それなりに成長もしている。
結果、機動力を無視すればいけないことも無いだろうと結論付ける。取りあえずこの場から離れれば、何とかなるだろうかと。
「では帰りましょう……ん? ピー助?」
「うぅぅぅ」
三人で帰ろうとしたところだった。
急にピー助が唸り始めた。
今までになく、明らかに異常な行動。
ペイスも、そして学生二人も、即座に臨戦態勢をとる。そこは流石と言って良い素早さだった。
ピー助が、一点を見つめるようにして唸り声をあげ続ける。
ペイスは、気づく。というより、香った。人よりも鋭敏な嗅覚が、ピー助の視線の先にある“獣臭”を嗅ぎ分けた。
より一層、警戒を強めていたところだった。
「狼だ!!」
三人の前に、巨大な狼たちが現れた。





