530話 トラブル
大龍への騎乗訓練。
それは憧れの的となりつつあった。特に寄宿士官学校の現役生の間では、噂にならない日が無いほどである。
何せ、数百人からの希望者が篩にかけられ、たった五人しか選抜されなかった。その上、国王陛下の勅命であり、かつあの英雄モルテールン教官直々の訓練だったからだ。
さらに、訓練を行うにあたった本物の大龍に乗れるし、訓練後も大龍に乗れる騎士としての厚遇が約束されている。
今後の栄達はまず間違いないし、替えの効かない人員はどんなところで働こうと待遇は手厚くなるだろう。
羨ましさというなら、これ以上は無い。
そう、羨ましいのだ。誰にとっても。
「よう、マルク。いま良いか? ちょっと話があるんだけど」
「ん? どうした? 今食事中なんだけど」
「食いながらでも構わねえよ。隣構わないよな」
「ああ、別に構わない」
学友が、マルクことマルカルロ=ドロバに声を掛ける。
ガラの悪い、と言って良いのか。明らかに態度の悪い様子で、マルクに声を掛けてきた。
それも、一人ではない。三人が、マルクを囲むように座ってきた。
「お前さ、最近ちょっと調子に乗ってねえ?」
「はぁ?」
開口一番、調子に乗っているときた。
いきなりのことに、マルクの声が低くなる。
どう考えても、因縁をつけてきているとしか思えなかったからだ。三人で威圧して、何をしようと言うのか。どうせ碌なことではあるまい。
「そもそもお前さぁ、なんでこの学校にいんだよ」
「そうだそうだ。貴族でもねえくせによ」
寄宿士官学校は、次世代を背負って立つ貴族子弟の為に、最高の教育を与えんがために設立されたもの。
本来は次世代の育成ということで優秀ならばどんな人間でも受け入れることになっていたのだが、時として軍事機密を扱うこともある軍人の育成機関として、身元の確かな人間しか入学を許されないようになった。
外国の息の掛った人間が入り込んで、軍の情報を横流ししていた事件が表沙汰になった過去の経験から、この学校に入学する際には貴族の推薦が必要となったのだ。
貴族の推薦を貰える人間というのが身元の確かさの証明であったのだ。本来であれば、平民でも身元が確かなら推薦は貰える。しかしそれがいつの時代からか、推薦は貴族であることを前提とするようになっていった。これは貴族自身がそれ以外の身分の人間を容易く推薦しないという習慣から生まれた文化風土なのだろう。
今現在、寄宿士官学校は貴族しか入学をしてはいけないものという認識を持つものも出てきており、本来の制度として真っ当に推薦を貰って入学しているマルクに対して、非貴族階級出身だからときつく当たる人間は一定数存在する。
もっとも、マルクの推薦者がモルテールン家であることから、表立って口にする人間は居ない。
いや、いなかった。
それがこうして面と向かって言いに来たというのは、どういうことなのかとマルクは訝しがる。
「この学校は貴族でなくとも入れるだろ。俺はちゃんと推薦されて、試験も受けて入学してるぞ」
「それが生意気だって言ってんだよ。何でお前みたいなのが学校に居るんだよ」
「お前がいるせいで、真面目な学生が迷惑してんだよ」
「はぁ?」
マルクは、男たちの言っていることが分からなかった。
確かに、真面目とは言い難いかもしれないが、それでも真っ当に勉学と訓練に励んでいる。その点、誰に憚ることも無く胸を張って言える。
学校を卒業すればモルテールン領に戻り、ペイスの元で働くことになるのだからと、かなりしっかり勉強しているつもりだ。
それを迷惑と言われても意味が分からない。
「お前さぁ、ちょっとは遠慮ってもんを知らねえのか?」
「お情けで入学させてもらってんだから、派手に目立つような真似してんじゃねえよ」
「そうそう。どうせコネのごり押しの癖にさ」
「何の話だよ」
いよいよもって訳が分からない。
コネというのなら、そもそもこの学校に入学した人間は全員例外なく誰かのコネで入学している。推薦状を貰わないと入学できないのだから、当たり前だ。多少なりとも連帯の責任を負わされるのが推薦者というもの。どんな貴族でも、どこの馬の骨かも分からない奴を、ほいほい推薦したりはしない。
自分と面識のある人間。或いは面識のある人間から頼まれた人間。そういう人間を推薦する。
コネというなら、例外なく百パーセントの学生がコネだ。
それを今更コネだのごり押しだの言われても、難癖としか思えない。
マルクは、一層不機嫌になる。既に食事の手を止め、握りこぶしを作るほどには。
自分たちに反抗的なマルクの態度に、男たちは苛立っているのだろう。
更に語気を荒げる。
「察しの悪いやつだな」
「モルテールン教官の選抜。お前、辞退しろよ」
「そうだよ。お前が辞退すれば、俺らが受けられるだろうが」
いよいよ、これが本音かとマルクは思った。
大龍に乗れるというだけでも、羨ましがられること。そこに国王直下の騎士叙任があるかもしれない訓練。
こいつらは、自分が選抜に漏れたことを妬んでいるのだとマルクは理解する。
ならば、これはもう明らかに不合理なイチャモンを付けてきているのだ。我慢する必要も無かろう。
「あんたら、馬鹿だな」
「何だと!!」
マルクは、男たちを鼻で笑う。
「馬に認められない奴は馬に乗っても振り落とされる。お前らも習ったろ? それと同じだよ。大龍に乗れるのは、大龍に認められた人間だけだ。それ以上でも、それ以下でもねえ。大龍が、人間のコネとか気にしてくれるとでも思ってんのか? 仮に俺が辞退したとしても、お前らが選抜される訳ないだろ」
「そんなもん、分からねえだろう。受かるかもしれねえだろが!!」
「受かんねえよ。大龍が爵位に気遣ってくれるとでも思ってるのか? 貴族かどうかなんて、大龍には関係ねえだろ? 子どもでも分かる理屈が分からない奴は、世間では馬鹿って言うんだよ。一つお利口になったな」
「この野郎!!」
一人が、憤って立ち上がる。
明らかにマルクに殴りかかろうとする様子だったが、今いる場所は食堂。衆目を集める場所だ。他の二人が頭に血の登った男を諫める。
「おい、止めとけ」
「……ちっ」
頭に血ののぼった奴も、ここがどこで、自分が何をしようとしていたかに気づいたのだろう。
苛立たし気に顔をゆがめ、覚えてろと言い捨てて去っていった。
ぽつんと一人。
残されたマルクの元に、幼馴染の彼女が駆け寄ってくる。
「マルク、どうしたよ」
「ああ、ちょっとな。勘違いしてる奴がいただけだ」
駆け寄ってきたのは、勿論ルミニートだ。
マルクが明らかに絡まれている様子を見て、心配して声を掛けに来たのだ。
「大丈夫、何もない」
「そうか?」
パッと見るだけでも、マルクの拳には握りしめた爪のあとが見える。
どう見ても、マルクの中には強いストレスが溜まっていそうだ。
本来ならば、ルミにも絡んでくる奴がいてもおかしくない。しかし、騎士見習いとしてのプライドか、女であるルミに絡む男は居ない。その分、マルクへの当たりは強くなっているだろう。
マルクの不本意な扱いは、自分のせいでもある。ルミは、何とかマルクを元気づけてやりたいと思った。
「じゃあ、次の騎乗訓練。一緒にやろうぜ」
「ん?」
「にしし、次は自由課題だとさ。王都の外に出ていいらしい」
「そりゃいいな」
ルミとマルクは、次の訓練が待ち遠しくなった。
◇◇◇◇◇
大龍の騎乗訓練。
いよいよ大掛かりな訓練として、王都の外を回ってくる訓練を行う日。
「二人が行方不明?」
「はい」
ペイスの元にもたらされたのは、マルクとルミの二人が帰ってこないというものだった。
「またですか。あの二人は騒動ばかり起こして……」
過去、マルクとルミには行方不明の前科がある。
綿あめを勝手につまみ食いした食い意地の張った誰かさんがいて、その綿あめが魔法の飴の試作品であったことから瞬間移動してしまったのだ。
それを思い出したペイスとしては、またかという気分になる。
「それで、大龍だけ戻ってきています。どうしましょう」
飛行訓練の時。
ピー助が背中に乗っているはずの人間なしの、ソロで帰ってきた。
その報告を受けたペイスは、慌ててピー助の元に走る。
「きゅううい」
ペイスを見つけたピー助は、ペイスの元に駆け寄る。
すうっと空を滑空するように動き、ドシンとペイスにぶつかった。
かなり重たいというより痛いはずなのだが、力を受け流したペイスは無事である。ふわりと自分から後ろに少し跳んだが。
「よしよし。良く帰ってきましたね。偉いですよ」
「きゅう」
ペイスが、魔力を与えながらピー助を撫でる。
先ずは、きちんと訓練通り戻ってきたことを褒めなければならない。そうしないと、ピー助が所定の場所に戻ってこなくなるかもしれないからだ。
訓練通り戻ってきたのに怒られたなら、訓練に従わなくなる。それは、動物も人間も同じだ。理不尽な叱責というのはどんな生き物にとってもストレスになるもの。
ひとしきり魔力を与えつつ褒めたあと。ペイスはピー助に、幾つか質問する。
「ピー助。乗せていたはずの二人はどうしました?」
「きゅい? きゅう、きゅう」
ピー助が、何がしか褒めて欲しそうにしている。
嬉しそうに尻尾を揺らし、鼻先をペイスに擦るような動きだ。
これでペイスは、どうやらピー助が乗せていた二人に何かしたらしいと察する。
ピー助が何もしておらず、乗っていた二人が自分のミスでどこかで落ちたというのなら、ピー助は行方を聞かれてもきょとんとするはず。
二人の乗員について褒めて欲しそうにしているのだから、何かしらピー助はやらかしている。何かをしたから、褒めろと言っているのだ。
ピー助が何を言っているのかまでは分からないが、どうやら本当に行方不明になっているらしい。
これはおおごとだと、ペイスはキリっと真剣な表情になる。
「ピー助、僕を載せて、もう一度飛んでください」
「きゅい?」
ペイスは、自分が動くことを決めた。
遭難というのは、初期捜索が早ければ早いほど助かる確率は上がる。
行方不明者も、多少のサバイバル訓練を受けた軍人だ。
今すぐ捜索すれば、助けられる確率はそれなりに高いはず。
ひらりとピー助の上に飛び乗るペイス。
「さっきと同じ場所は分かりますか?」
「きゅい?」
ピー助に対して空へ上がるように命じたペイス。
大龍は、ペイスの言うことにはとても素直に従う。
ふわっと空へ浮かんだ大龍とペイス。
「二人の居る場所が分かるなら、そこへ向かってください」
「きゅう」
乗っていた二人の場所に行け。という命令に対して、ピー助は迷うことなく動き出した。
躊躇の無い行動から、ペイスはどうにも嫌な予感を覚える。
不慮の事故であれば、ピー助も二人の場所は分からないはず。それを迷うことなく移動するということは、二人の居る場所をピー助が知っていることに他ならない。
明らかに、意図して乗っている人間と別れた。
訓練では想定していなかった、異常な行動をピー助がとったのだろう。いきなり頭の痛くなりそうな事態である。
しばらく、ピー助が気持ちよさそうに飛ぶ。空をかなりの速度で、ビュンビュンと移動している。
やがて、ペイスは眼前に山脈を越えた。
王都の北西。ユノウェル山脈に連なる連峰だろう。何山か分からないが山を幾つか越え、明らかに原生林と思われる人跡未踏の様子が広がり始めたところ。
「ここら辺は、禁則地になるはずですが」
ペイスの知る限り、ユノウェル山脈は王家直轄。人が踏み入ることのない、険しい山々が続いていたはずである。
そこの一角となると、かなり危険なことになっていそうだとペイスにも不安がよぎる。
「いました!!」
よかった。ペイスはそう思った。
ピー助は、ルミとマルクがいるところにスッと降りて行った。





