529話 降下訓練
勅命による大龍への騎乗資格の認定。
俗にいう竜騎士への任命について。資格者の認定はペイストリー=ミル=モルテールン卿に任された。完全な一任である。
普通ならば、騎士の叙任にも繋がるようなものは誰だって自分の手柄にしたがるもの。目ぼしい宮廷貴族も、我こそがと関わってきそうなものである。
しかし、完全にペイスにゆだねられた。
理由は三つ。
一つは、大龍を御している人間がモルテールン家だけであるから。
かつて他の貴族家。それも大家と呼べる権勢家がこぞって飼育を試みたのだが、揃って失敗して飼育を諦めたのが大龍だ。雁首揃えて何をやってるのだと国王も呆れた訳だが、誰も彼もが大金を投じ、貴重な魔法使いを大勢動員しておきながら失敗した。
唯一モルテールン家だけは大龍を飼いならすことに成功しており、中でも唯一まともに御せているのがペイスだけである。
故に、大龍のことを扱わせるならモルテールン家の人間に任せる方が良いという、軍務閥の意見が有った。
軍務閥が龍の素材について利権を手放したくないが故である。他の人間が関与すればするほど、龍についての利権が汚染されるリスクは高まる。
もう一つが、ペイス個人の持つ功績と称号。
モルテールン家は過去に幾つもの偉業を成し、どれもこれもが一級、いや特級とも評すべき素晴らしい功績である。
創設を遡れば国家存亡の危機に単騎で敵将を複数討ち取って国を救い、サイリ王国ルトルート家率いる大軍がフバーレク家を呑み込んでしまおうとしたときには南部の軍を援軍として率いてこれを撃退し、反撃を加えた。
南方はアナンマナフ聖国。こことの海戦の折、王子殿下率いる神王国海軍において長対陣から発生した航海病について、根本的な治療法を明かして軍を救い、もって聖国との海戦の勝利にも大きく貢献した。
西を見ればヴォルトゥザラ王国との関係改善に大きく関与し、ソラミ共和国という新興国との外交関係構築にも寄与している。
これらのモルテールン家の功績のうち、ここ十年程度の功績はほぼ全てでペイスが関わっている、と噂されていた。
そこに来て、近年ペイスに与えられたのが「龍の守り人」という称号である。
国王陛下直々に音頭を取って、新設された名誉称号だ。国内で唯一無二の称号であり、龍を守る為という名分があれば堂々と関与できる重みももつ。
ならば、ペイス個人が龍の騎乗者を選ぶべきだというのが外務閥の意見である。
外交的に大きな影響力を発揮するであろう大龍関連で、既存の影響力たるモルテールン家以外が関与すれば、外交的なポストが他に強奪されかねないと危惧した訳だ。
最後に、モルテールン家の魔法である。
いうまでも無く、モルテールン家の持つ最大の既得権益は【瞬間移動】の魔法だ。
これ抜きにしてモルテールン家を語ることは出来ず、当代のカセロールが国家の重鎮として軍務閥に一定の影響力を持つのも、全てはこの魔法あってこその話。
離れた場所に一瞬にして人や物を送るというのは、仮に神王国が現代並みの科学技術を持っていたとしても再現不可能な事象であり、まさに魔法でしか出来ないこと。
モルテールン家の魔法で恩恵を受けるのは、物を運ぶことを必要とする人々。つまり、流通に関わる内政家だ。
物資を生産し、貯蔵し、流通させて運搬する。これらは内務閥が最も得意とする仕事であり、極めて大きな利権でもある。
モルテールン家の【瞬間移動】は、内務閥にとってはいざという時の切り札でもあると同時に、商売敵でもあるということ。利害相半ばする、実に微妙なバランスの元に成り立っている関係だ。
ここに、空を飛ぶ騎士が生まれたらどうなるか。
間違いなく、既存の流通に一石を投じることになるだろう。空を飛んで人を運べる。物を運べる。道路など不要で。
内務閥としては、文字通り自分たちの頭越しで物事を動かされることになる。
それならば、【瞬間移動】という、上位互換の能力を持つ人間が竜騎士という札も握っておいてくれる方がありがたいのだ。
利害が半々であるという点は変わらない。現状維持の対応も可能になるから。商売敵が増えることを思えば、既存のライバルが強くなる方が、利用価値の部分も増えるだけマシ、という判断だ。
受験する時に、苦手科目を一科目から二科目に増やし勉強するぐらいなら、苦手科目が難しくなるほうがマシ。という感覚に近しい。
結論として、宮廷の主要三派閥がそれぞれの思惑からモルテールン家への一任を決め、王も手続きが簡略化されるのは良いことだと承認し、晴れてペイスが竜騎士の叙任権を持つに至った。
今後は「龍の守り人」という称号に、竜騎士叙任権という実利まで増えることになる訳だ。
益々、ピー助の役割は増すばかり。
「さて、学生諸君」
ペイスが、集まった五人の学生に声を掛ける。
彼ら五人は、一ヶ月ほどを掛けて厳しい基礎訓練に明け暮れた。
ピー助と一緒に寝泊まりして餌やりをし、巨体を一生懸命ブラッシングして信頼関係を築き、龍に乗る前の訓練として実際に高い塔に上ってから飛び降りることまでして、今日を迎えたのだ。
厳しい訓練を経て、ピー助が心許したのを確認したのち。
いよいよ実際に空を飛ぶ。
「それでは、一人づつ順番に、ピー助に騎乗してみましょう」
最初にペイス指定された学生はシン=ミル=クルム。
ペイスとよく似た銀髪の美青年で、背格好もよく似ている。そのペイスと似通った風貌からだろうが、ピー助に真っ先に気に入られた。
「凄いな、ホントに飛んでいる!!」
「あまり下を覗き込むと、落ちますよ?」
「……落ちた時は訓練の成果をお見せします」
「落ちないようにして欲しいのですけどねえ。あまりピー助に、背中の人間を落とす挙動を教えたくないので」
学生の背中には、一つの装備が備えてある。
それが『パラシュート』である。
空を飛ぶ以上、そこから落ちるという万が一を考える必要があるのは当然のこと。
世の中に魔法使い以外で空を飛ぶなどあり得ない中で、一般人が空を飛ぶときの安全確保をどうするか。ここには王家からも気を付けるようにと注文が有った部分だ。
竜騎士という存在を創設するにあたって、危険なイメージを付けるのは良くない。何事も最初が肝心であり、最初のうちから人が死んでいては危ない印象が定着してしまうことになる。
それでなくとも、竜騎士の候補生は寄宿士官学校の選抜。神王国でも将来を嘱望されるエリートを更に選りすぐった存在だ。一人に掛かっている育成費用はとんでもない金額である。
人として当たり前の情の部分でも、国の指導層としての合理の部分でも、安全確保を行った上で空を飛べという王の意見は正しい。
仮にそれが、自分が飛ぶときも安全に飛べるように試行錯誤と実験をしておけ、という副音声が聞こえたとしても。
空を飛ぶ龍の上で、どのような安全対策をすればよいのか。
ペイスでなかろうとも、多少の現代知識があればパラシュートやハングライダーの
ようなものを思いつく。落下傘というのは、人が空の上から安全に“落ちる”為の叡智だ。ペイスも、常識として知識は持っていたし、思いつくのは容易だった。
しかし、思いついたところで簡単にはいかない。
まず、布は重たいのだ。
一般的な羊毛から作られる布であれば落下傘サイズにして五十キロほど。大きくすれば百キロは越えるかもしれない。
布というのは、それなりに重さの有るものなのだ。
流石に百キロの荷物を常に背負って行動しろというのは人間として物理的に限界もあろうし、訓練で何とかしようという範疇ではない。出来なくはなくとも、騎士ということは鎧も身に着けるし、武器だって持たねばならないのだ。パラシュートだけを背負って良しという訳にもいかない。
では、軽ければいいのか。
いや、そんなことは無い。例えば薄紙のように軽い布というのは、神王国にもある。木綿のように、植物繊維を解して作られる糸を編んで作る布地には、向こうが透けて見えるほど薄い布もあるのだ。下着に使われているような薄い布地というのは存在するし、それならばそれなりの大きさでも十キロぐらいに抑えることは出来なくはない。
しかしこの場合、空気抵抗に耐えられるだけの頑丈さが無い。通気性の問題だってある。
普通の布地は、通気性が良いものの方が好まれる。身につけるものに使うことが多いのだから、通気性が悪いと汗が籠って蒸れてしまう。
空気の通りがいい。即ち、パラシュートには向かないということ。
何より、人が落下するエネルギーを受け止めてしまえるだけの頑丈さが要る。
途中で破れてしまわないように丈夫で、通気性の“悪い”布で、撥水性が有れば最高だ。そして背負っているのを忘れるぐらい軽いということ無し。
出来るだけ軽く、出来るだけ丈夫な布。
化学繊維も無い世界で、そんな都合の良い布が有るのか。
そう、有ったのだ。
何を隠そう、モルテールン産の特殊な布が。
より正確に言えば、魔の森に新たに作られた村の、試作品が。
かつて魔の森を探索した際、モルテールン家は非常に危険な生物を発見している。
土の中に巣をつくる、巨大な蜘蛛だ。
時折、ピー助がご飯にしているのは別として、今でも魔の森の探索時に発見の報告が有ったりする。
この蜘蛛、巣の中で獲物を保管するのだが、保管の際には獲物を毒で弱らせ、生きたまま糸で巻いてしまう。
人間さえ餌にしてしまうので危険な生物なのだが、糸自体はそれなりの量が確保されてチョコレート村で布地に加工されている。
この布地が、実に都合がよかった。
撥水性もあり、極細の糸は軽く、布地にすれば目が非常に細かくて空気をよく掴む。
こんなものは、パラシュートに使ってくれと言わんばかりだ。
魔の森の魔物から採れた糸を使った布から、パラシュートが作られた。
何故そうも都合よくパラシュートに応用できそうな布が用意されていたのかはペイスの不思議さの一つではあるが、七不思議どころか百や二百はありそうな不思議に今更一つ増えたところで誤差であろう。
出所不詳の謎布地から、世界初の飛行時安全装置が作られた。
出来れば使わないことが一番なのだが、いざとなって使えないでは意味が無い。
「では、次は順番に。空の上から“落ちる”訓練といきましょうか」
五名ともが一通り空を飛んだあと、ペイスが恐ろしいことを宣った。
何もせずに落ちれば百パーセント死ぬ高さから、飛び降りる訓練をするという。
「だから、落ちる!! 落ちるって!!」
「飛び降りる訓練なのですから、当たり前でしょう。それじゃあ、前の訓練の通りにパラシュートを開くようにね。失敗すると死にますよ」
「ぎゃああ!!」
パラシュート訓練の効果。
それを最初に身をもって経験したのは、モルテールン三馬鹿トリオのうちの一人であった。





