528話 大龍飛行訓練
大龍飛行訓練。
国家の一大事業と目され、士官学校の校長も自分の任期における最大成果、レガシーになると張り切っているもの。つまり本件は、学校が総力をあげて協力している。
勅命ということも有るし、校長の任期の終わりがそろそろ意識され始めたということもあった。この校長の任期というのもペイスにとっての追風だ。
歴代の校長は、自分の退官後に自分の影響力をどれだけ残せるかでその後の人生と家の浮沈が決まっている。
大抵の場合は、自分の息の掛かった教官を増やす方向で影響力を残そうとする。過去の校長達は、皆そうしてきた。
自分が目を掛けてきた教官は、校長がその職を退いた後も、学校に残って元校長に配慮する。世話になっておきながら無視するというのは恩知らずと誹りを受けるし、いざとなった時教官側が頼れるのも元校長だからだ。
学校運営として、教官全員を一斉に辞めさせるわけも無いのだから、元校長の影響力を行使できる教官というのも、一定期間学内に残り続ける。校長退官後も学校内の情報が手に入るし、コネとして有用という訳だ。
故に出来るだけ多くの自派閥の教官がいて欲しいし、大勢自派閥の教官が居ると派閥内での元校長の発言力も大きなものになる。
そして新しい校長が来れば、今度はその新校長が自分の影響力を増やそうと人事に手を付けていくのだ。
軍務、内務、外務の主要三派閥が持ち回りで校長職を回すことで、それぞれに先々代、先代、当代の三竦みが生まれる。学内におけるバランスは、斯様にして生まれるのだ。
しかし大龍の飛行訓練は、それら人脈とコネに関係が無い、功績である。勅命を受けて新しく創設するコースと言ってもいい。
当代校長の代で作った制度であれば、校長は辞めた後もこの制度について第一人者であり続ける。十年弱は影響力を確保できるに違いない。
竜騎士というものが確立され、活躍するようになれば、第一人者として意見を言う機会も聞かれる機会も増えることだろう。つまり、コネである。
校長は、自分が校長の席に座っている間に、なんとしてもこの勅命を成功させねばと張り切っていた。
校長が張りきってくれるということは、設備も人員もかなり融通が利くということ。
ペイスは、校長の思惑を見透かした上でグラウンドの半分ほどを借り切った。
他の教官達から訓練がし辛くなると文句も出たが、校長が黙らせてくれるのだからと気にもしない。
今、一次選抜で集まった百名が揃って整列していた。
グラウンドの北半分を堂々と独占し、さらにその北半分のグラウンドの真ん中で学生たちが緊張の面持ちである。
「あ、あれ!!」
一体誰が叫んだのか。
一人が声を出したことで、皆がめいめいにあそこだと声を上げ始める。
皆の見る先には、物凄い速度でグラウンドに向かってくるものの姿が有った。
はじめは豆粒よりも小さい大きさだったのが、あっという間に人より大きくなり、馬車よりも大きくなった辺りで学生たちは上を見上げたまま動かなくなる。
何かがグラウンドの上空で軽く停滞浮遊していたところで、それが大龍であり、モルテールン教官が乗っているのだと皆にも分かった。
「ピー助、着地といきましょう。何事も最初が肝心。ド派手に登場しましょうか」
「きゅいい」
ペイスの言葉に、ピー助が楽し気な声をあげ、そしてグラウンドに落下していく。いや、落下ではなく衝突する勢いで落ちていく。
ドン、という大きな音がしたと思うと、グラウンドに盛大な土ぼこりが舞う。
「うわぁあああああ!!」
「ぎゃあああああ」
「落ち着け、こういう時こそ落ち着くんだ。今まで何を学んできた!!」
もうもうと学生たちの視線が土ぼこりに遮られる中。
ややあって土煙がおさまったところで、学生たちははっと息をのむ。
グラウンドが大きく陥没し、クレーターが出来ていたからだ。
後の整備など知ったことでは無いという、乱暴な着地である。
デモンストレーションとしてはやり過ぎな気もするが、示威行為としての効果は抜群だ。
「諸君、集まっていますね。欠席者は居ないようで、結構結構」
「あの……モルテールン教官、その生き物は……」
「紹介しておきましょう。世界に唯一の存在。我が国の誇る伝説の守護神。大龍です」
「おお!!」
お伽噺にしか聞いたことが無いような、想像上の生き物と思われていた怪物が、目の前に現れた。それも、自分たちの教官を乗せて。
これは、自分たちも乗れるようになるということだ。いや、そうに違いない。何せ、龍に乗る為の講義が行われるのだから。
学生たちは、目の前の衝撃から我を取り戻し、高揚感を取り戻す。
「あ、名前はピー助です」
そしてすぐに落ち着く。
見上げるような巨体に、今にも食い殺されそうな迫力の怪物の名前が、あまりにへんてこりんだったからだ。
可愛らしい名前を付ける要素は、どこにもないように思えた。卵から孵った瞬間を知らない学生たちにとっては、当然の感想だったろう。
そもそもピー助がその名に相応しい程度の愛らしさを持ち続けてくれていれば、今頃こうして講義をする必要も無かったのだが、集まった面々は知る由も無い。
「諸君らには、このピー助に乗れるようになってもらいます。いずれは乗って戦うことも視野に入れていますが、まずは乗れないと話にならない。僕は陛下より、交代人員と補欠を含め、数名程度を正式に竜騎士候補として任命する権限を預かっていますが、乗れもしない人間を任命することは不可能だと心得るように。取りあえずこれから最低限のふるい落としをしますが、此方が決めている定員となればその時点で選抜も終了とします。選抜に残らなかった人間は、速やかに原隊復帰……担当教官の元に帰るように」
「はい」
「それでは、最初は一人づつ。ピー助に“餌やり”をしてください。心配せずともピー助は大食いです。お腹いっぱいで講義できないという心配はいりませんので、遠慮せずにどうぞ」
最初に行うことは、大龍の餌やりである。
なんの冗談かと思うなかれ。カリキュラムは乗馬のものを下敷きにしていて、由緒正しき伝統的なカリキュラムなのだ。
騎乗できる動物というのは、意外と種類がある。
馬も勿論乗ることが出来るし、或いはロバなども騎乗することが出来る動物だ。
神王国では見られないが象に騎乗することも出来るし、隣国では駱駝に騎乗するものも多い。使い物になるかどうかは別にして、牛に乗ることだって出来なくはない。
騎乗動物というものは、ある程度種類があり、そして共通点がある。寄宿士官学校はとりわけ馬に乗る為のノウハウは豊富であり、他の騎乗動物についても軍用に利用する研究は行われていた。
その騎乗動物に対して、騎乗する最初のステップが、信頼関係の構築だ。
どんな動物であっても、敵から襲われているときに大人しくしたりはしない。上に乗られるというのは襲われているも同義であるから、最初にやらねばならないのが“自分は敵でないと教える”ということなのだ。
尚、騎乗動物の調教とは、寄宿士官学校では四ステップで教える。
最初のステップが信頼関係の構築であり、大よそ臆病な動物に対して敵ではないと教え、最終的には触っても安心してもらえるようになるのが最初の段階。
次に動物に対して背に荷を負うことを教える。紐のような軽いものから始めて、徐々に大きいもの、重いものを乗せていき、最後に人を乗せて平気な状態まで慣らす。
三つ目の段階が、人が乗った状況での命令を聞くようにする。動け、止まれ、右へ行け、左に行けなどの命令を既定の動作にあわせて刷り込み、例えば軽く腹を足で叩いた瞬間に口紐を引っ張って小走りにさせるような行為を繰り返して、腹を軽く叩くのが走る合図なのだと教え込むわけだ。
そして最終段階として、人の集団や怒号、尖ったものなどに怯えない訓練を行って、軍用の騎乗動物として利用できるようになる。
ちなみに、馬であれば最終段階までしっかり訓練された馬は、家が買えるほど高価だ。一頭育てるのに専門家が年単位でみっちり調教しなければならないので、どうしてもそうなる。
調教の一番初め。いの一番。
信頼関係の構築。その為の餌やり訓練。
学生たちも最初は簡単すぎるとなめてかかった。
「やめろ!! 俺の髪は餌じゃねえって!!」
赤い髪をしていた学生の頭を、ピー助がもしゃもしゃと咀嚼する。
髪の毛が美味しそうに見えたのか。或いは好物のイチゴに似ていたのかもしれない。暫くもっしゃもっしゃと髪の毛が食べられ、学生の一人は可哀そうにも毛が抜けて一部がハゲになってしまった。
何とも痛ましい光景に、一部の教官達は自分の頭を気にしながら恐れおののく。
世の中には、髪の毛が貴重な人間も居るのだ。
「救急班!! 魔力不足で倒れた!! 後方に運んでくれ!!」
ピー助が食べるのは、普通の食べ物だけではない。むしろ、普通の食物の方が嗜好品に近しい。餌として主食にしているのは、魔力である。
神王国のみならぞ、この世界では大なり小なり人には魔力がある。勿論、人によって多い少ないの個人差があるし、魔法を使える程多くの魔力を持っている人間は珍しい。
どんな人間でも魔力があるというのは、ある意味では幸運であり、ある意味では不幸だった。
ピー助にとってみれば、信頼関係のない生き物の魔力は、そこら辺を走り回っている野兎の魔力や野生のシカの魔力と同じ。すべからく餌である。
食べていいと、親であるピー助が許可を出した以上、目の前に群れる人間たちの魔力は美味しく頂いていい魔力なのだ。
遠慮なく魔力を貪り、魔法使いでも昏倒するほどの食欲を見せるピー助に、ささやかな魔力しか持ち合わせていない人間はバタバタ倒れていった。
阿鼻叫喚というのだろうか。
そもそも大龍の飼育などというものを経験したのはモルテールン家のみである。他の家でも我こそはと取り合った時期もあるのだが、成功した事例はない。
唯一モルテールン家だけが大龍を飼いならしたのだから、餌をやるにもペイスの同伴は必須。
結局、選抜されたものの中から、ピー助にまともな餌やりを出来たのは極一部だった。
「成功したのは、五名だけですか」
ピー助のお眼鏡にかなった五名。
その中には、ペイスの幼馴染も当然のように含まれていた。





