527話 教官の指導
神王国王都郊外。
演習用の森や訓練用の運動場を備えた学校に、一つの噂が流れた。
「なあなあ、聞いたか?」
「何がだ?」
「今日は珍しく、モルテールン教官が学生を指導するらしい」
「本当かそれ」
学友の齎す話に、皆が一斉に聞き耳を立てる。
「本当だって。希望者は自分の担当教官に許可を取って、所定の場所に集合ってさ」
「うわぁ、じゃあ俺は駄目じゃん。うちの教官、モルテールン教官と相性悪いし」
「ご愁傷様。俺は行くけどな」
「裏切り者ぉ!!」
王立の寄宿士官学校の名物教官。ペイストリー=ミル=モルテールン。
現代を生きる英雄の一人であり、学内においては革新的な教育を行うことで有名な人物である。劣等生を最優秀の卒業生として見せた手腕や、講義の内容を書き写した写本をみた別の教官が、平身低頭で教えを請うたというという逸話も残る有名人。
学生たちも勿論ペイスのことはよく知っていて、勇名を馳せた当代の英傑に学びたい、師事したいという人間は多い。
しかし、あまりの人気の多さから学内のバランスが崩れることを校長が危惧した。また政治的に色々と動いた人物がいたことで、直接学生が教わることを廃し、教官の教官と言うべき教導役の地位に祭り上げられてしまった。学生たちは大いに嘆いたものである。
噂でしかペイスを知らない学生たちは、出来ることならモルテールン教官から直接学びたいと常々願っていた。特に、直接教わったことのあるOBやOGから話を聞ける人間は尚更だ。
そこにきて、いざ実際にペイスが教えるという話が来たのだからさあ大変。
学生たちは、自分の教官に頼み込み、ペイスの授業を受けようと動いた。
何なら、教官自身がペイスに教わろうと動いた。
講義当日。
訓練場の一角に、数百人からの大人数が集まっていた。
全員、ペイスの講義を受けたくて集まった人間ばかりである。
「総員、傾注」
やがてペイスが、数人の貴族を従えてやってきた。
堂々たる姿勢に、集まった人間は感心すること頻りである。
中には襲い掛かろうと身構えたところでチラリと目線を向けられ、隙の無さに流石は英雄であると尊敬の目を向けた人間も居たりした。軽く十五人ほど。
常在戦場と教えているのは伊達ではないのだ。
「さて、集まって貰ったのは他でもない。これからしばらくの間、特別な講義を行うにあたって、人員の選抜を行う為です。今上陛下よりの勅を受け、当職が教導役として選抜と教育の任を賜りましたことお含みおき願います」
特別な講義。その言葉を聞いた人々はざわついた。
しかも、国王から直々の命令あってのこととなれば、尚更。
極僅かな例外を除いて貴族に連なるものしか居ない寄宿士官学校においては、国王陛下から命令を受けるというのは名誉であるという風潮がある。それも、かなり根強い風潮だ。
立身出世を狙う、野心強き若人のギラギラとした欲望が、ペイスを射抜くように見つめる。視線だけで人が貫けそうなほどに強い視線だ。
平然と注目を浴びながら、ペイスは説明を続ける。
「皆は先般、王都上空を“未確認の物体”が通過するのを見たと思います」
流石に空に何がしか見慣れないものが飛んでいれば気づく者も居る。数百人から集まっていれば、全員が一斉に気づいたわけでは無いだろうが、気づいた人間がゼロということも無い。自分は見た、自分は見てないという声がボソボソと行き交う。
「空を飛んでいたのは、大龍です。国王陛下の密命を受け、当職が試験的に大龍の騎乗を試していました」
ペイスが断言した言葉に、おおと驚きの声が上がる。
結局、モルテールン家と王家の密談により、王都上空を大龍が飛んでいたのは王の命令だったことになったのだ。
勝手に飛んでいたとすると問題が大きいと判断されたことと、王家主導で大龍を御しているという体面を取り繕うメリットは馬鹿に出来ないという判断があった為である。
空を飛ぶ大龍。そして、それにペイスが乗っていたという話を聞き、エリート揃いの学生は、大よそ自分たちが集められた理由を察した。
「試験の結果を受け、陛下は一つの決断をされました。それが“竜騎士”の選抜です。竜騎士とは、大龍に乗って戦い、多種多様な任務を熟す戦士。我が国でも最精鋭の騎士にしか務まらぬものとなるでしょう」
いよいよもってざわめきが大きくなる。
「我が国は、四方を仮想敵国に囲まれています。つい先日も北からナヌーテックの侵攻があったばかり。更には南でも王子殿下が兵を率いて海戦を行ったのは皆も承知でしょう。東でもフバーレク家がサイリ王国とやり合ったばかりです。ここ十年に限ってみても、何度となく戦争があった。我々は、それに備えるためにここにいる」
招来は軍人になる人間ばかりの集団である。軍事的脅威は何よりも身近な話。
戦争となれば、自分たちは参加する可能性が高い。そして、誰かは永遠に別れることになる可能性もある。
騒めいていた者たちが、ペイスの言葉に浮ついた気持ちを引きしめた。
「四方を敵対勢力に囲まれている以上、我が国は常に数的劣勢に置かれる。数に数で対抗しようと思えば、必ずどこかで抵抗力を失うことになる」
上級指揮官足らんとする面々には今更の前置きであるが、神王国は南大陸の大国ながら東西南北全てに仮想敵国を抱えている。
仮に四方の国がそれぞれに兵士を一人づつ増やしたとする。神王国がそれに十全に備えようとするならば、四人の兵士を増やさねばならない。
物量に対して同じように物量で対抗しようとすれば、神王国は常に敵国に倍する向上を目指さねばならず、どうしたって限界は訪れる。
その限界が二十数年前に起きた大戦であり、これから起きるであろう戦争だ。
「故に!! 我々は一人一人の質を高めねばならない。数的劣勢を質的優勢で補完し、数に勝るものを鍛え抜かれた精鋭で粉砕してこそ、我が国の未来が守られる。ここにいる全員がそれを自覚し、精鋭たらんと鋭意邁進せねばならない」
ペイスの演説に、皆が聞きほれる。
引き込まれるような語りに、皆が心を熱くしていた。
「そして!! 精鋭の中から、更に精鋭を選び、大龍に乗って戦う戦士とするのです。これは我が国の未来を救い、もって救国の英雄と為す、国家の大戦略です。諸君、覚悟は良いか!!」
「「おおおお!!」」
ペイスが突き上げた拳に、集まった数百人は心の底からの大声で応えた。
「これより、第一回の“飛行訓練”を行う。選抜を希望する者は整列せよ!!」
「はい!!」
寄宿士官学校は、将来の高級軍人を育てるための学校であり、貴族子弟を立派な騎士に育てるための学校である。
神王国は騎士の国。貴族は全員騎士であることが求められるため、こうした学校が作られたのだ。
つまり、学生は全員“馬に乗る”ことが出来る。むしろ馬に乗らない騎士など存在しないので、どの教官に教わったとしても必ず乗馬は教わる。必修科目となっているのだ。
その点、他の国とは違って“竜騎士“を選抜する土壌は出来ているかもしれない。
しかし、寄宿士官学校の歴史において、大龍に乗る訓練を行った教官は存在しない。存在する訳が無い。
そもそも大龍に乗ったことのある人間という時点で、後にも先にもペイスただ一人である。
今後、龍に乗れる人間を増やすべきというのは国王が決めたこと。ペイスが演説で語った通り、国防戦略の大方針として質の高い兵士、質の高い指揮官、質の高い騎士が求められている。
そもそも神王国が現在の大国となったのも、それまでの多くの国が歩兵を基本として切った張ったと戦い、数に対して数で対抗する国ばかりだったからだ。神王国勃興以前、多少国が大きくなれば、周りの国から叩かれる。これを延々繰り返してきたため、南大陸の中央部には大国と呼べる国が育たなかった。小国乱立状態であったのだ。
そこに、騎士を集団化し数に対して質をもって戦う国が生まれたことで、神王国という大国が生まれたのだと、ペイスは考察している。
この度、龍に乗った騎士を育てるというのも、この大方針に従うものであり、戦略として実に真っ当だと国王とも話したばかり。
大龍に乗る騎士を育てることは、国防の為。そして、大龍に乗れるのはペイスだけ。
ならば、ドラゴンライダーを選抜し、育てられるのもペイスだけであり、国防のために献身するべきである。
集まった数百人。いや、いつの間にか千に届きそうなほど集まっていた希望者を、ペイスの独断と偏見で振り分けていく。
ペイスの側にいた貴族は、サポート要員である。
寄宿士官学校の学生について全員分の名簿を用意し、それぞれの得意なこと、不得意なこと、今までの成績、師事する教官、入学時の推薦者などが整理されていた。
必要な情報を適時ペイスに渡すのがサポートの仕事。
誰もが意欲満点で選抜を受ける中、丸一日かけて千人弱を振り分けた。
判断基準は、ピー助と相性が良さそうかどうかである。ピー助の好みを知るのがペイスだけなので、本当に独断と偏見で選ばれていく。成績などは最早参考程度にしかならない。
「それでは訓練を行うものの名前を呼びあげる」
「「はい!」」
ペイスが、幾つかの名前を名簿から読み上げていく。
呼ばれるたびに喜びの声が上がるとともに、次は自分が呼ばれるのではないかと呼ばれていない者が緊張する光景が見られる。
呼ばれたのは、誰も彼もが優秀な上にも優秀な人間。或いは、大貴族から是非にともうプッシュされた極太人脈を持つ御曹司。
或いは、教官と“特別な事情”を共有している人間。ピー助のことを大切に可愛がってくれそうな人間である。
「ルミニート=アイドリハッパ。マルカルロ=ドロバ」
「「はいっ!」」
名前を呼ばれた人間の中に、ペイスの幼馴染たちの姿があった。





