526話 王
神王国王都。
王城の青狼の間で、モルテールン子爵カセロールとその息子ペイストリーが畏まっていた。
「面を上げろ」
重々しい声に、ゆっくりと顔をあげるモルテールン親子。
彼らの眼前には、神王国国王カリソンが座っていた。
「さて、今日はどういった話だ」
「さすれば、我が家におります“我が国の至宝”についてです」
「俺にとってみれば、お前や息子も至宝であるが……言いたいのはペットのことだな」
「はい」
カセロールは、慇懃に説明する。
「先だって、王都の騒ぎとなりました件につきまして、ご説明申し上げます」
「先だってというと、王都の上を“何か分からない不審なもの”が横切って行った件だな」
「はい」
王都の上空を、大龍が通った。
いや、恐らく大龍と思われるものが通って行った。
これについては、王家ははっきりと大龍であったと断言しなかったのだ。
政治的な意図が多分に含まれているからだが、そもそも大龍と断言してしまうのには“小さすぎた”からだ。
かつて、神王国を襲った大龍。ピー助の親は、ペイスに討伐されている。
南部に恐ろしいほどの被害を与えた大龍は、山のように大きい生物だった。これは、現物を誰もが確認したことから明らかだ。
小山のようにと誰もが評したように、はっきり城よりも大きかった。討伐後の死体は何十日も掛けて解体され、骨の一本、鱗の一枚に至るまで隅々まで素材になったのだ。
王家には、龍の鱗から出来た鎧や兜、龍の骨から作られた剣、龍の頭蓋骨の剥製などが収められているのだが、頭がい骨からだけでも巨大さが見て取れる。歯の一本が人の背丈ほどもあるのだ。どれほど大きかったかを推測するのに苦労はない。
今回、王都の上空を通過した未確認飛行物体について。過去の大龍と比すると明らかに小さい。勿論、生物として見るならば馬の数倍はありそうな大きさであったから驚きはした。そんな大きな生き物が空を飛んでいることに、誰もが驚いたのだ。
しかし、大龍にしては小さい。
故に、大龍だと断言するには至らなかった。
これが理由の一点。
政治的な判断としては、王都の住人に「大龍って大したこと無いな」と思われるのを避けたかったいうものもある。
今回空を飛んでいたものを、多くの住人が目撃している。それを基準に大龍を判断してしまうと、過去に襲った巨大な怪物のことを軽んじられる恐れがあった。
王家としては、大龍討伐をどこまでも凄い偉業としておきたかったのだ。
また、大龍と断じてしまうとモルテールン家の仕業と明らかになってしまうから、王が配慮したというのもある。
大龍が国益に適うのは言うまでもないが、モルテールン家以外に御せる人間は今のところいない。当初、他の人間が龍を飼いならすことで生まれる利益に目が眩み、自分たちで育てようと試みた。結果として、まだ赤ん坊と呼べるような状態の大龍に悪戦苦闘し、中には家の中を壊されまくって泣きを見たものも居る。
今回の件がモルテールン家の仕業であることは明らかながら、それを王の口から断言してしまうことでモルテールン家が叩かれることを避けた。
政治的な判断として、これが理由のもう一点。
そして、外国の陰謀という線も捨てきれなかった。
神王国は、大龍を討伐せしめた。
伝説に謳われる怪物を倒したというのは、英雄譚としては一級品。最上級の勇者物語になる。必然、神王国以外からすれば面白いはずもない。
大龍というものが恐ろしければ恐ろしいほど、翻って神王国の、或いはモルテールン家の武力は凄いということになる。
外国からすれば、威圧されているようなものだ。
何とかこの威圧を跳ねのけたいと思えば、大龍を大したことが無いものだと言い張れるようにすればいい。
この世界には、魔法使いというものが存在する。常人には出来ないことでも、魔法ならばなんとかできる。可能性は常にゼロにはならない。
王都の上空を横切ったものが、魔法使いの手によるものだという可能性だって、ゼロでは無かった。
空を飛べる魔法使いが、巨大な張りぼてを飛ばしたかもしれない。幻影を生み出せる魔法使いが、王都上空に幻を見せたのかもしれない。或いは大龍のようなものに変身できる魔法使いが居たのかもしれない。
どんな魔法にせよ、大龍を貶め、ひいてはモルテールン家を貶め、神王国を貶め、外交的に優位に立とうとした。
可能性としてゼロではない以上、王としては疑う必要があったのだ。
「さすれば、あれは我が愚息の行ったものでございます。王都を騒がしたること、誠に申し訳ございませんでした」
「謝罪はいらん。王都の上を飛んではならんという法は無いし、何かを飛ばしてはならんという決まりも無い。不敬と騒ぐものも居たが、過去には鳥だの虫だの、或いは手紙だのを飛ばした魔法使いは居た。それらを罰することは無かったのに、お前の所だけペットを飛ばしたから不敬と処罰するのも違うな」
「寛大なるお言葉、感謝に絶えません」
カセロールの謝罪に、国王カリソンは鷹揚に許しを与えた。
そもそも、王都の上を大龍が飛ぶという事態が想定外のこと。一切想定していなかった事態に、あとからあれは不敬だなんだと罰するのは話が違うと王は考えていた。
法というものは、遡及して適用してはならない。現代ならば常識であるが、賢明なる王は言われずとも法の不遡及を理解しているのだ。
後から法律を作って、法律だ出来る前のことを罰して良いのなら、王というのは信頼を失う。
例えば美味しい牛肉のステーキを食べている人に、今日から労働力として利用可能な牛を食することを禁止する法律を適用する。お前は昨日ステーキを食べていたから罰金だ、などと言いだす人間を、誰が信頼するだろうか。
大龍が王都を横切った。王の頭の上を通るのだ。不敬という人間も確かにいた。宮廷貴族で儀典を司る人間は特にうるさく騒いだ。しかし、何処をどう探しても、王都の上を大龍で通ってはいけないという法率は無かった。
罰する法律が無いのだから、罰することは無い。
カセロールは、王の言葉に心から安堵した。
「うむ。ペイストリー、お前も、中々面倒ごとを起こしたようだな」
国王カリソンは、カセロールの息子に対して声を掛ける。
龍の守り人の称号を与え、次世代の英雄として申し分のない実力が有ると思っているカリソン。ペイスには、下らないことで政争に巻き込まれ、没落するような真似をして欲しくないと思っているのだ。
そんな心配は無用だと、ペイスをよく知る人間は口々に言うだろう。しかし、王としては心配の一つもしておきたかった。
「はい。陛下の御安寧を乱しましたることは臣としまして不徳の致すところであり、父からも叱責を受け猛省している次第です」
「結構。親から叱られたというなら、俺からは叱ることも無かろう。ただし、二度目はいかん。次に王都の上空に何かを飛ばす時は、一報入れてくれ」
「御意」
お互い、反省するべきところを反省し、心配するべきところを心配し、謝罪も終わった。
さても、本題というものがあるならばここからである。
「さあて、ことの事情はこれで良しとして、だ。先の一件は“大龍”で間違いないのか」
国王としては、王都を横切ったものが大龍であったと確定したことは、取りあえず喜ばしい。
他国の陰謀では無かったし、何がしかの未知の生物ということも無かったし、野生の大龍が現れた訳でも無かったからだ。
モルテールン家に確認が取れたなら、あとは空を飛んだ大龍が舐められることを防げばいい。さしあたって、空を飛んでいたのが「赤ん坊」とするのが良いだろうか。
どういう風にことの決着を付けるべきか。
悩んでいた王の思考は、続くカセロールの言葉に霧散した。
「はい。息子が“大龍に乗り”、王都まで空を飛んだとのことです」
ガタリ、と椅子から身を乗り出す国王。
「ん? ちょっとまて」
「はい?」
「龍に乗った? 乗って飛んだのか?」
「はい」
「カセロール、お前、それを先に言え!!」
「は、申し訳……」
「俺も乗りたい!!」
「は?」
謝罪しようとしたカセロールの言葉を、キラキラした笑顔の王が遮った。
既に椅子から立ち上がっていて、どう見ても威厳ある国王の姿ではない。単なる少年のように、とてもいい笑顔をしている。
仕えるべき主君の突飛な行動。カセロールは、面食らって言葉を失う。
部下の態度に、はっと王は椅子に座り直す。
「あ、ごほん。いや、うん、あれだな。大龍に乗って空を駆ける。男のロマンだ。羨ましい話ではあるな。そうだろう? な?」
「え? はい、さ、左様ですな」
流石に拙いと思ったのだろう。
慌てて取り繕った王の姿勢に、今度はカセロールが政治的配慮を見せる。いいかね、何も無かったのだ。醜態をさらした王というのもいなかったし、取り乱した男というのも居なかった。ごく普通の報告だけがあった。他に何も無かったのだ。
そういうことである。
「あーごほん。さて、空を飛ぶ大龍に人が載って王都とモルテールン領の距離をあっという間に移動する。結構なことだなが、放置も拙い。これは、色々と利用法を考える必要があるか?」
「そうですな」
人を載せて空を飛べる大龍を飼いならす。ここに価値を見出さない奴は貴族としては失格だろう。
ましてや王族ともなれば、尚更。国力増進の機会を逃すようでは、国王失格である。
どれほどのものを運べるかはまだはっきりとしないにしても、情報伝達手段として使うもよし、緊急の送迎手段として使うもよし。使い道はまさに多種多様。
決して、自分も乗ってみたいから理屈を考えようとしている訳では無い。
「一つ相談ではあるのだが」
「はい」
「大龍に乗れるものがペイストリーだけ、いや、ペイストリー=モルテールン卿のみであっては、いずれにせよ用途が限られるのではないだろうか」
「然り」
大龍が人に懐きにくいのは既に死屍累々の犠牲の上に証明されている。育てるにしても魔力が馬鹿みたいに無いとそもそも育てられないし、餌をやらない人間に動物が懐くのは難しい。至極当然の論理であろう。
つまり、現状大龍に乗って移動できるのはペイスのみということになる。
ずるい、と王は言いかけたが、ぐっと言葉を呑み込む。
「そこでどうだろう。大龍に乗れるものを増やすことが出来ないか。或いは訓練できないか。試してみることは出来るだろうか?」
「それはどのように?」
大龍に乗れる人間を増やす。
そして、乗れる人間の共通点を洗い出す。
さすれば、いずれはどんな人間も大龍に乗れるようになるのではないか。例えば、国王のような人間でも。
カリソンは、王として公平かつ公正な決断をする。
龍に乗れる人間を増やし、活用方法を探るべきと。
「寄宿士官学校で、試してみればいい」
国王の勅令が下った。





