524話 治療
世の中には、生きているだけで迷惑を振りまく生物というものが存在する。
例えば、蚊だ。
蚊というのも生態系の中では十分に立派な役割を果たしているだろうが、人間にとってみればこいつらが生きているだけで迷惑極まりない。
まず、蚊の食べ物というのが厄介だ。花の蜜だのなんだのだけで済めばいいものを、産卵のために栄養をつけねばならぬと動物の血を吸う。
生物として子孫繁栄を図るのは結構なことだとしても、その為に他の生き物の大事な血を奪おうというのが迷惑であるし、何よりも血を吸う時に血液凝固を妨げる唾液を置き土産にする。この唾液が、人からすればとにかく痒い。蚊に血を吸われることで、搔きむしりたくなるような痒みが起きるのだ。何という迷惑な食事だろうか。ただ食うだけに飽き足らず、不快感を残していく。迷惑系ユーチューバーでもここまで後を濁したりもしないだろう。
更に、普通ならば感染しないような重篤な病気の媒介者になる。
血液から血液に感染するような、伝染病だ。マラリアなどは特に有名だが、蚊が媒介する病気は枚挙にいとまがなく、そのどれもが危険な病気ばかり。衛生的に暮らそうが睡眠をしっかりとろうが関係ない。蚊に刺されると病気になる。
デング熱、チクングニア熱、ジカウイルス感染症、日本脳炎、ウエストナイル熱、黄熱などなど。蚊としては普通に生きて、当たり前の行動をとっているだけなのに、人間にとっては痒みと共に病気をまき散らす迷惑な生き物ということになる訳だ。
生きているだけで迷惑。何なら絶滅して欲しいとさえ願われる生き物だ。
他にも、モグラなども迷惑な生き物である。
彼らは地面の穴の中で生活する訳だが、人間様が丁寧に丁寧に作った畑の中にも穴を掘って巣穴を作る。
これだけでも、土壌の陥没が起きたり、水を溜めるための土手が崩れたり、或いは折角育った植物が根から枯れたりする。住んでるだけで公害なのだ。何とも迷惑である。
おまけに、モグラの主食はミミズ。畑や田んぼにとって、ミミズは益虫である。土中の有機物を食して分解し、土地を豊かに肥やしてくれる。そのミミズを食い散らかすのだから、モグラが害獣と言われるのも仕方ない。
モグラにしてみれば当たり前に生きているだけなのに、人間にとっては害悪。これはもう仕方のないことだ。
そして、神王国には他にも生きていくだけで周囲に迷惑を振りまく存在が居る。
名を、ペイストリー=ミル=モルテールンという。
彼に周りが被った迷惑は数え上げるだけで際限が無い。世の中には、生きているだけで迷惑極まりない生き物というのが確かに存在するのだ。
「うん、これでよし」
青年は、自分の書いたものに納得して頷く。
「ジョアン、何を書いてるんです?」
「報告書の為にメモを。世の中には不思議な生き物もいるものだと思って」
生物学者でもあるまいに、謎の生物とその生態について独自の考察を行って報告書に書くのは如何なものか。
もっと他に書くことがあるだろうと思うペイスではあるが、まだ出来てもいない報告書にケチをつけるのも部下のやる気をそぐことになるかと考え、取りあえずは放置することにした。
「はあ、よく分かりませんが、仕事はしてください」
「分かりました」
「それじゃあ、ここにメモしたものを集めて下さい。各所への折衝が必要なら、領主代行の命令だと断言してもらって構いませんので」
「……徴収命令ってことですね。承知です」
先天性の迷惑頒布生物ことペイストリーに指示され、ジョアンは町中を駆けまわってものを集める。
何のためかというなら、これまた生まれながらの災害発生生物である、大龍のピー助の治療の為だ。
此方の方は本気で災害そのものと言える。南部を襲った大龍禍の際は、一つの領地が丸ごと無くなり、複数の領地で人口が半減以下になる状況だった。歴史に残る大災害だったと言っても過言ではない。
そんな災害の根源。幾ら卵から孵して育てたとはいえ、大龍を飼っていることについて、ジョアンは未だに不安を覚える。
年々、危険度は増していっているのではないか。
現に暴れに暴れて屋敷の屋根をホットケーキからドーナツに無断変更しやがった訳で、屋根には綺麗に穴が出来た。
あれが建物でなくザースデンになる日が来るのではないか。ぶるりと背筋に悪寒が走る。
第一、ジョアンなどは仕事が増えて迷惑しか無いのだ。面倒を見ているのは、偏にモルテールン家の上層部から命じられているから。やれやれである。
次期領主は純粋に可愛がっているようではあるが、モルテールン家にとってはピー助も金貨を生み出す貴重な金づる。高価な貴金属を生み出す鉱山。美味しい美味しい収入源である。
これが給料になるのだと自分に言い聞かせ、ジョアンは仕事に邁進していた。
暴れていたピー助であるが、この世界で唯一の大龍専門医たる飼い主が診断したところ、脱皮不全と判明。
ピー助の脱皮した抜け殻は金貨何百枚何千枚と価値が有るので、余人に任せる訳にも行かず、モルテールン家の家人たるジョアンが一人で動き回るしか無い。下手にどこの誰かも分からない人間に任せると、絶対にちょろまかして懐にネコババする奴が出る。モルテールン家の従士であれば、絶対とは言わずともある程度は信用できる、という判断。次期領主の判断は、間違ってはいない。
また、龍の鱗の使い方については吹聴して回るものでもない。あからさまに大事なものだと宣伝して回るメリットも無いので、通常業務のように仕事を熟せる人間が担当する方が望ましい。その理屈は若手でも分かる。
貧乏くじだ糞ったれと、ぼやきながら仕事を熟したジョアン。
走り回ってヘトヘトになったところで、ようやく言われたことを熟し終わる。
「で。言われたとおりにしましたけど、何すかコレ?」
今日は絶対にベッドの上でぐっすり寝るんだと心に決めるジョアン。
いつだって元気満点のお菓子馬鹿は、これまたいつも通りだ。
「見て分かりませんか? 薪ですよ」
「薪ってのは分かりますが、なんでこんなに積んでるんです? どこかの城を焼き討ちでもしようってんですかね?」
「まさか。平和主義の僕が、そんな野蛮なことを考えるわけないじゃないですか」
「平和主義ねえ」
本村から離れた休耕地の一角。
普段は人もまばらなだだっ広い場所に、うず高く木材が積まれていた。
それも、よく燃えるようにとキャンプファイヤーの如く綺麗に積まれていて、木々何十本分もの木材が用意されていた。
建築資材の為に用意されていた木材であるとか、一般家庭で日頃の煮炊きに使うためのものであるとか、何なら適当なボロ小屋を潰して集めた廃材であるとか。
領内各所から、燃える木材を集めて回った。
ジョアンが。
しかも、脇の方には追加の木材まで用意してある。大変であったことは想像に容易い。
モルテールン領は、目下建築ラッシュの真っ最中である。
好景気に次ぐ好景気であり、人口がどんどん増えているなか、木材の需要もまた右肩上がり。有れば有っただけ売れると言っても過言ではない状況に、木材卸をしている商会が支店を建てるほどになっている。
建材などは特に、相場の三倍払ってでも買うというところもあるぐらい。
需要の極めて高い建材を、どうしようというのか。
ペイスが真っ当に家を建てるという訳がない。
勿論、家が数軒建てられそうな量の木材を、一気に燃やすのだ。
「それじゃあ、早速火をつけてください」
「ああ、勿体ねえ……」
くみ上げられたキャンプファイヤーに、着火される。
よく乾いた木材だけを集めたジョアンは優秀だ。走り回った成果は、今盛大に燃えはじめ、すぐにも大きな炎となった。山に囲まれたモルテールン領は夜風も吹く。大きな火に風が吹けば、火は一層に燃え上がって炎となる。
燃えろよ燃えろよ、炎よ燃えろ。火の粉を巻き上げて天まで焦がせと、ペイスは煽り始める。とてもいい笑顔で。
何とも腹立たしい。
目の前でお金が燃えるような気持ちになるジョアン。
勿体ない。建材を集めるのに、同僚が苦労していたというのに。建築部門のグラサージュの下に、ジョアンの同期や後輩も付いている。彼ら彼女らが頭を抱えながらやりくりしていたものが、次期領主の指示で燃えるのだ。
ぐっと奥歯を噛み締める程度にはやりきれない思いがある。
「ピー助の為です。仕方のない出費です」
大いなる不満を持っているであろうジョアンに、ペイスが言葉をかける。
「あれ集めるのに、苦労したってのに」
「治療の為ですからね」
ごうごうと燃える炎。
「そもそも、治療のために薪を燃やすってのが分からないですね。これからどうしようって言うんです?」
「ピー助の鱗を、燃やします」
「はぁ?」
大龍を燃やすと抜かしたのかと、ジョアンはペイスの言葉に驚く。
「モルテールン領には領立の研究所が有り、大龍とその素材についての研究は、世界一です」
「はい」
「研究の結果、大龍の鱗はある程度の耐熱性があり、火の中に入れても形を保つことは分かっています」
「はい」
いきなり何の話かと、ジョアンは首をひねる。
「脱皮不全の原因は、どうやら皮膚から不要な部分が剥がれ落ちるときに、癒着している部分があるから。この癒着部分を剥がさねば、綺麗に脱皮が出来ず、或いはそこから血行不全で腐っていくかもしれません。早急に癒着を剥がさねばなりません」
「はい」
ジョアンも、何となくペイスの言いたいことが分かる。
龍が脱皮するというのは自明のこと。脱皮する際に上手く脱皮できないのが拙いのも分かる。だから上手く皮を剥いてやろうということまでは理解する。
「しかし、大龍の鱗はそう簡単に剝がせません。解体の時にも相当に苦労しましたが、何より刃も通らず、火も通らない」
「はい」
大龍がもう一度現れた時の為、大龍の弱点は徹底的に調べられた。
鱗が燃えにくいのもその過程で分かったこと。尚、最も弱点になるであろう場所はケツの穴である。こればかりは知ってしまった方が悲しい気持ちになるので、語るものは居ない。
「ならばいっそ、火に飛び込んだ方が手っ取り早い」
「……なんでそうなるんです?」
「元々大龍が火刑で倒せるなら、伝説などと言われていませんよ。火の中でも平然としているのが大龍という生き物。しかし、脱皮したばかりで柔らかい部分は、さぞよく燃えることでしょう。つまり、脱皮不良でへばりついている癒着部分だけ、綺麗に燃えるということです。本人……本龍には何の影響も無いので、遠慮はいらないです」
「もう、何でも良いです」
ジョアンは、ついに思考を放棄した。
ペイスが大龍は燃えないというのだから、燃えないのだろう。
「じゃあ、ピー助」
「きゅい?」
「あの中に、飛び込みましょう」
「きゅい!!」
高々と燃え盛る火柱の中。
大龍が、どかんと飛び込んでいった。