523話 ピー助の異変
「ピー助の様子がおかしい?」
「はい」
新人従士のニューメリック=ミル=ジョーメッセンが、ペイスに異常を伝えに来た。
こげ茶色の髪を短めにした、少しひょろ長の体型をした若者。鍛えているのだが、如何せん身長が190センチを超えているので細長く見えてしまう。
彼は、目下ピー助の監視、もとい世話係を交代で行う一人。
ちなみに、今年雇われたばかりで本当に文字通りの新人だ。
ジョーメッセン準男爵家の次男であったが、ジョーメッセン家が貴族社交界と宮廷から追い出される事件が有り、没落したところにモルテールン家が手を差し伸べて雇われた。
元は宮廷貴族の家柄だけあって中々に教養があり、一通りの計算や、ある程度の社交マナーも修めている。しかも、寄宿士官学校で卒業席次二桁という俊英でもある。席次一桁のトップオブトップとまではいかずとも、同年代からすれば上澄みも上澄み。とても優秀な人間で、努力家でもある。ペイスが直々にスカウトした期待の若者である。
ジョーメッセン家自体はモルテールン家と敵対的な関係であるのだが、寄宿士官学校で何とか縁故を繋いで自立しようとしていた次男坊が、寄宿士官学校教導役のペイスに一本釣りされたのだ。
貴族家出身ということで本聖別も受けており、魔法は使えずとも魔力は高いとのお墨付き。その才能もあって、まずはピー助のお世話係を拝命した。
何が有るか分からないピー助の監視に、臨機応変な対応の出来る優秀な新人を宛がった人事であるが、今回はその人事がまさに的中した。
普段と違った様子の大龍を見て、真っ先にペイスに報告に走ったのだから。対応の迅速さは、褒められるべきものである。
かくかくしかじか。
新人の口から、ピー助の様子が語られる。
「それでかなり暴れていて、少しですが被害も出ています」
「すぐに行きましょう」
ペイスは、ピー助の飼育小屋にまで急ぐ。
最初は子犬のような大きさだったピー助も、年々大きくなっている。今ではピー助を飼育するためにそれなりに大きな“お屋敷”が必要なほどである。
少なくとも、犬小屋程度では入りきらない大きさ。ペットの為に家を作るというのだから、その部分だけを余人が聞けばモルテールン家の人間は頭がおかしいと思うだろう。
ペイスに関しては真実であるが、カセロールあたりは不本意なことである。
ピー助専用の寝室に、ピー助専用のリクライニングルーム。ピー助専用の厨房では好物のストロベリースイーツが作られ、ピー助専用の食堂でタルトと魔力に舌鼓を打つ。ピー助専用のお風呂まで用意されているし、普段はピー助専用の庭で飛び回って遊んでいる。おまけに、専用の警備員まで手配されているのだから、初めてモルテールン領に来た人間がうっかり領主館と間違えてしまうこともあるほど。
尚、ナータ商会の建物もモルテールン家のお屋敷と間違われやすいという点で似ているのは余談である。
下手な従士よりぜいたくな生活をしていると言われるピー助であるから、お屋敷の大きさも領内では領主館とナータ商会本店に次ぐ大きさ。かなり大きいし、一等地にある。メインの道路からも分かりやすい場所にある。
つまり、領内では目立つ建物ということ。
ひと際目立つドラゴンハウスの屋根に、遠目からでも良く見える穴が開いていた。なまじ建物が新しいだけに、壊れた箇所がやけに目立つ。
ぽっかりと開いているのだから、確かめるまでも無くピー助の仕業であろう。
「これは直すのにも時間が掛かりそうですね」
ピー助の家にやってきたペイスは、屋根を見上げて呟く。
大きさにして三メートル。いや、五メートルぐらいの直径で開いていそうな穴。雨漏りどころか素通りさせてしまう、綺麗な切り抜きである。
「ペイストリー様、お早いおつきで」
「ジョアン、この件は貴方預かりですか?」
「ここら辺の治安維持は俺の担当ですから。全く……仕事を増やすペットなんて、困ります」
大都市になりつつあるザースデンの治安維持は、班ごとに分かれて何十人もの人間がしっかりと行っている。
責任者はモルテールン家の従士であるが、その下に町の自警団や警邏部隊がいるのだ。雇っている傭兵の一部は、遊ばせておくのも勿体ないと警邏部隊に入っている。給金が良いからと割と人気の仕事だ。
ピー助屋敷の周りは、今日はジョアンが担当。繁華街担当だったとき、仕事中にナンパしているという苦情が有った為、こっちに回されたという裏事情が有ったりなかったり。
「ご苦労様。貴方の仕事は大切な仕事ですから、これからも頼みます」
「仕事が忙しくなると、彼女とデートも出来ない。ペットは躾けて貰わないと、いい迷惑ですよ」
「おや、恋人が出来たんですか?」
「いえ。これからすぐに出来るんです」
モルテールン家の従士はかなり好条件でモテるはずなのに、何故か恋人が出来ないジョアノーブ=トロン。
当人も何で自分に恋人が出来ないのか嘆いているところではあるが、彼の恋人に求める条件が一言でいうところの「男にとってとても都合の良い女」であることが原因と、仲間内の噂である。
美人で、性格も良いのに、従順で、自分の言うことには素直に従う、それでいて浮気も許してくれるような女性が良いそうだ。その上おっぱいが大きければ最高、とジョアンは言っている。いつかはそういう恋人を作るのだそうだ。
同期や同僚の女性陣からボロクソに言われているのは、当人だけが知らない。
「まあ、ジョアンの妄想は良いとして……なかなか見事な光景ですね」
「何を悠長に。あの穴が開いた時に破片が飛び散って、被害が出てます」
一応、仕事はまともにこなすのがジョアンの良い所だ。
モルテールン家の上層部には、ジョアン並みに下半身の節操が不安な人間も居る訳で、その手の不道徳人間からは仕事をしっかり教わっている。
仕事以外もしっかり教わっている。
歩く思春期は、仕事として被害状況の確認も終わらせていたらしい。
「それは大変。具体的にはどのような被害が?」
「飛び散った破片が当たって軽傷が二名。大きい木材が落ちてきて壁を突き破ったのが一件。後は、モルテールン領は危険だと風評被害を流そうとした余所者を一名捕まえてます」
「結構。被害が軽いのは幸いですね。死者が出ていないのならば、まずは一安心」
「ですね。しかし、デカい材木が飛んだってことで、運が良かっただけだと思います」
「運でも何でも、人が死ななかったなら事故としてはマシな部類でしょう。軽傷の人間には、ピー助の主として、僕から見舞金を出します。壊れたところは、領地運営費から出すので至急直す手配をしないと」
「誰が手配するんです?」
「そりゃ、ジョアンです」
「うぇえええ」
「予算についてはニコロに話を通しておきます。あからさまに高すぎなければ、多少の便益供与にも目を瞑りましょう。具体的には相場の二割ぐらいなら許します。そろそろジョアンも、内政の方を学ばないとね」
「内勤になったら、女の子との出会いも無くなるじゃないですか。嫌だぁ」
「ニコロでも婚約者が出来るんですから、大丈夫ですって」
金庫番のニコロが婚約したことは、ザースデンの中でも有名である。
他家のメイドというのがもっぱらの噂だが、どういう女性なのか見た人は居ない。ペイスやカセロールなどの一部のみが真実を知るのみだ。
「下らないことはさておき、補修は急がないといけません。幾つかの商会に、同時に声を掛けてみましょう。建築資材の手持ちが有るところが一つぐらいは有るでしょう」
「くだらなくないですよ!!」
「優先すべきは……ピー助の方でしょうね」
ピー助は、全身丸ごとお宝の塊である。
鱗が貴重な貴金属資源の原料であることもそうだし、血肉には癒しの力が有るというまことしやかな噂だ。
当然警備は厳重にしておかねばならないし、ピー助の側に近寄れる人間も制限されていた。
元より近寄ると危険ということも有るが。
警備をしっかりとしたものにしようと思えば、穴の開いた屋敷を警備するより、穴の塞がった屋敷で警備した方が厳重に守れる。当り前の話だ。
住人の屋敷の壁と、ピー助の屋敷の屋根。先に直すべきはピー助の方だとペイスは決断した。
「早速、ジョアンは手配に動いてください」
「分かりました。あと、俺に恋人が出来るかどうかは重要案件ですから、忘れないでくださいね!!」
「はいはい。出来る限りで覚えておきますよ」
三秒で忘れるとしても、可能な限りの努力である。
ペイスはお菓子のこと以外で、無駄な知識を詰め込むつもりはないのだ。
「ぎゅぅ!! きゅうい! きゅう!!」
屋敷の側。裏の庭の方から、大きな声がした。
鳴き声と言うべきか、騒音と言うべきかは人によるだろうが、大多数は騒音というであろう大きな声だ。
「ピー助、どうしました?」
「きゅ? きゅい! きゅい!」
慌てて裏庭に駆けつけたペイス。
自分の主人の姿を見たピー助は、喜色を浮かべて駆け寄る。
親代わりに育てているし、何より唯一まともに“餌やり”が出来るのがペイスしか居ないのだから、懐いて当然だろう。
馬の如き大きな体躯で、ドシンとペイスに体当たりをかます勢いで突進してきた大龍を、ペイスは気合を入れて受け流す。
そろそろ遊び相手が大変を通り越してムリゲーになりつつあるのだが、まだなんとかギリギリ、直進してくるだけの相手ならば力を流せるらしい。
「今日はやけに甘えますね?」
暴れたという先入観もあってだろうか。
いつも以上にピー助が乱暴に動いている気がした。
そこで、ペイスはピー助を落ち着かせようと鼻のあたりを撫でながら、ふと気づく。
撫でた手の感触が、妙なものだったのだ。
二枚や三枚重ねた布を上から撫でる様な、或いは水ぶくれが出来た皮を上から動かすような。
動かした動きと、その下の動きが連動していない、少しずれた動き。
ペイスは、違和感をはっきりとさせたところで確信を持つ。
「これは、脱皮不全ですね」
ペイスが、症状を断言した。





