522話 若夫婦の休日
毎日仕事ばかりを熟していると、ストレスが増す。
これは誰だってそういうものだろう。
常日頃忙しくしている人間であっても、たまにはストレス解消をする必要がある。いや、するべきだ。
「ということで、今日はお休みです」
「じゃあ、ゆっくりお話出来ますね」
普段は執務室か厨房に籠って常に手を動かしている仕事人間のペイスが、今日は何もせずにのんびりソファーに座っていた。
三人掛けの大き目のソファーで、ふっかふかの座り心地の高級品である。
かつては極貧にあえぎ領主家の人間すら畑仕事をしていたモルテールン家ではあるが、何の因果かペイスが生まれてからの十数年で一気に大金持ちになってしまった。
特にペイスが討伐した大龍の素材を売却した時などは、金貨を数えるのに枚数ではなく樽の数で数える程に金を稼いでいる。
はっきり、使い道に困るほど稼いだわけであり、結果として領主館の内装は最高級品で統一されるようになった。
何なら、ペイスが余計な入れ知恵をした領内の職人たちによって、国王が使うものより上等なものがあったりする。
ソファーもその一つ。
ペイスの曖昧な知識からスプリング、俗称巻バネが作られ、座り心地が他と比べて異次元のものになってしまっている。
ちなみに、スプリング内臓のソファーがあるのは、モルテールン家以外だとハースキヴィ家とボンビーノ家だ。ペイスの姉たちに泣き落としで強請られた結果、モルテールン家当主カセロールが折れてそこそこの値段で売ることになったのだ。
寝転がるのにも最適なソファーだけに、寛ぎたい時はペイスもよく利用する。
今日も今日とて、ソファーに深々と腰掛け、身体をひじ掛けに預ける様な形で行儀の悪い座り方をして、リラックスしていた。
そしてそんなペイスの側には、愛妻であるリコリスが居る。
ここ最近はモルテールン子爵夫人アニエスに代わってモルテールン家の奥を管理し、社交の差配なども行っているためこちらも多忙。
たまにはゆっくりするのも良かろうと、ペイスと共に夫婦水入らずの時間を過ごしていた。
まったりのんびり。心地よい時間が過ぎ行く。
「そういえば、王都に来ないかという誘いがありましたよ?」
「ほう、何処からです?」
座るというより半分寝ころびながら読書しているペイスは、刺繍をしながら何気なくリコリスが呟いた言葉に相槌を打つ。
「王妃様方から」
「……割と大物から来ましたね」
「お義母さまが時折呼ばれて、参じることもあるとかで……私と、ペイスさんも是非来て欲しいと言われてます」
「面倒ですね」
「はい」
国王の妃については、第一夫人と第二夫人の両者に面識のあるペイス。何なら他にもやんごとなき女性とは面識がある。
というより、一定期間肌が若返るスイーツを生み出してしまった関係で、定期的にモルテールン印のお菓子を買い付けるお得意様になっている。いつの時代も、高貴な女性が美にかける情熱というのは凄まじい。
何なら上得意先。いや、上の上の得意先であり、モルテールン家にとっては大金をバカスカジャンジャカ大フィーバーで落としてくれるまことにありがたいお客だ。何せ希少な商品を巡ってライバル同士で勝手に値段を釣り上げて競ってくれるのだから。
モルテールン家の商業部門とも言って良いナータ商会などは、王妃様方の取引額だけで王都に家が毎年三軒買えると笑っていた。
行商人であった頃の二十年で稼いだ額より、オランジェットの取引一回の方が利益が多いと自嘲もしていたが。
死の商人も真っ青な、寡占販売の独占商売だ。
肌が文字通りピチピチに若返るスイーツが、ペイスに関連していることは言わずもがな。
王家の女性陣としては、ペイスを社交に呼びたくて仕方がないらしい。
一応現状では現役のモルテールン家当主とその夫人が王都に居る関係で、ペイスを呼び出す口実が無い訳だが、リコリスであれば呼べるのではないかと何やら蠢くものがあるそうな。
若夫婦二人の共通認識としては一言。面倒くさい、である。
「もし、次に同じような誘いが有ったら、きっぱり断ってください」
「え? 良いんですか?」
「はい」
「それはかなり拙いことになるのでは? ペイスさんが叱られたり」
叱られるという表現はリコリスらしいお嬢様然とした表現だが、言いたいことは夫に伝わった。
要するに、高貴な女性の誘いをやんわりとでなくはっきりと断ることで、トラブルになるのではないかと危惧しているのだ。
温和なリコリスらしい心配と言えるが、ペイスは大丈夫であると請け負う。
「大丈夫。そして断る際にこう言ってください。モルテールン領まで行幸頂ければお出迎え致します、と」
「ここへお越しいただくんですか?」
「ええ」
ペイスは、向こうからペイスやリコリスと社交をしたいというのなら、モルテールン領まで足を運べば構わないと考えているのだ。
さっき王都の社交が面倒だといい、誘いを断れと言ったばかりなのにと、リコリスは不思議そうな顔をする。
「モルテールン領って、結構発展したじゃないですか」
「そうですね。お嫁に来たときとはだいぶん変わりました」
「でしょ? 割と僕も頑張ってると思うんですが……王都にはこの頑張りが伝わっていないんじゃないかと危惧していまして」
「はあ」
モルテールン領が不毛の大地であったのは過去の事実。
麦をまともに収穫できるようにするまで三年かかっているし、それでなくとも黒字化して自給自足できるようになるまで二十年掛けている。
王都に住まう人間。とりわけ高貴な人間は、地方に出向くことは少ない。わざわざ足を運ばずとも、臣下の方がやってくるのが当然だからだ。
欲しいものも王都に取り寄せるし、何よりもまず最高級品は王都に集まるもの。
王都に住んでいると、何不自由なく暮らせるのだ。
だから知らない。モルテールン領が今現在どうなっているのかを。
彼ら、彼女らの頭の中の常識では、モルテールン領と言えば僻地の僻地。ド貧乏で何もない荒野なのだ。実際に数年前まではイメージ通りであった訳で、急速な発展に高位貴族や王族たちの情報更新が追い付いていないのが現状。
ペイスは、折角社交をやるのならばそれをとことん利用してやろうと思っているのだ。
具体的には、モルテールン領のイメージアップに使う。
王家の王妃といった高貴な女性がモルテールン領に来るというだけでもイメージアップにつながるだろうが、それにもまして彼女たちが噂としてモルテールンのことを話してくれるはずだ。
人間というものは、自分の話題に反応してもらえると嬉しく感じるもの。モルテールン領が凄く都会になっていた、などという話は、周りの人間がとてもいい反応で食いつくだろう。
昨今話題のモルテールンについてということも有るし、常識や前評判とは全然違うのだから、人に話してみたくもなる。
物凄く楽しかったイベントのことを、つい人に話してしまいたくなるようなものだろうか。
王妃というトップから、情報を広げる。情報宣伝に一日の長があるモルテールン家としては、是非とも狙いたいものである。
「じゃあ、折角ならお義母さまからお誘いいただきますか?」
「それも良いんですが……どうでしょう、リコリスが王都に出向いて、王妃様方をお誘いするというのは」
「私が?」
元から引っ込み思案な性格のリコリスは、自分が高貴な人たちをモルテールン領まで誘うことに対して、咄嗟に無理無理とかぶりを振った。
ニコニコ顔のペイスとしては、リコリスが否定的な反応をするのは想定内である。
「何も、いきなり王妃様方を全員一気に連れてこいとは言いませんよ。最初は、フバーレク家の義姉様から誘ってみてはどうかと」
「ペトラ姉様を?」
「義姉様であれば、過去にモルテールンに来たこともありますし、リコリスも誘いやすいでしょう。そこで公爵家を誘い、出来れば他に縁のありそうな高位貴族の女性を何人かついでに連れてきてもらえばそれで良し」
「ついでに……」
「ペトラ義姉様のことですから、それはもう嬉々として妹の住む場所がいかに素晴らしくなったのかを宣伝してくれるでしょう。王妃様方の耳に入るのも時間の問題。そうしておいて、興味を持ってくださった方を順番に招待すれば、リコリスとしてもゆっくり慣れていくことが出来るでしょう」
「なるほど」
ペイスは、リコリスが社交に積極的でないことは百も承知。大切な妻が矢面に立って苦労することを良しとしている訳では無い。
しかし、やるとするなら出来るだけリコリスが楽なようにと考えている。
「リコ」
スッと真面目な顔になるペイス。
「ここ最近のモルテールン家は、外交方針を大きく変えて近くの貴族とより緊密に連携を取ろうとしています」
「はい」
かつてのモルテールン家は、稼ぎの主体がカセロールの傭兵稼業だったこともあって然貴族と出来るだけ等距離で付き合う外交方針であった。
しかし昨今、モルテールン家の収入が領地収益に頼るようになってきたことで、領地運営を優先した外交を行うようになっている。具体的には、地続きの隣領や南部領袖レーテシュ伯、或いは王都への通行で必ず通ることになるボンビーノ子爵などと、積極的に親しくなろうとしているのだ。
その分、今まで親しかった、或いは付き合いのあった相手とは疎遠になりつつある。
「外交的に、或いは領主代行の僕としては父様の決めた方針を守ることが優先されます。しかし、だからと言って他の貴族との縁故が無いと、困ることもある。特に王都の伝手は父様が役職を解かれると無くなってしまうものも多い」
「そうですね」
「だから、リコリスにも独自のコネクションを増やして欲しいのです。リコリスだから出来る、リコリスだけのコネクションを」
「私だけの……」
「モルテールン家次期当主として、その伴侶に求めるものになります。父様からも内々に、リコリスに仕事をさせるように言われていますので、お願いできますか?」
「私に出来るかな……」
「大丈夫。僕が付いてます。リコリスなら、出来ますよ」
「分かりました。頑張ってみます」
「頼りにしています。が、明日からですね。今日はゆっくり休む日ですから」
「はい」
ペイスとリコリスは、またゆったりとした休暇に戻った。ところが、ペイスの休暇は長く続かない。
「ペイストリー様!! 大変です」
休みの日というのは、いつだって突然終わりを迎えるものであった。