521話 謀議
赤下月もそろそろ終わり、青上月に入る頃。
モルテールン家では一つの問題が持ち上がっていた。
それが、暗号で書かれた魔法技術本について。聖国で暗号聖本と呼ばれ、解読不可能とされていた秘匿技術の解説書である。
そもそも暗号自体が換字式とは違って特殊なものであり、かつ書かれている内容が多分に高度な専門的知識を必要とし、おまけに書かれている言葉がかなり古い言葉であるということから、はっきり解読は無理と聖国で結論付けられていたものである。
解読するためには、暗号を解読できるだけの知性を持ち、魔法技術としての専門的な用語を理解できる知識が有り、古語に堪能と呼べるほど教養のある人間が、潤沢な時間と手間を惜しまずにつきっきりで掛かるなら、可能性がゼロではない、といったところ。はっきり人財の無駄遣い、マンパワーの浪費になる。
教育水準に個人的格差が有り過ぎる社会では、論理と閃きによって暗号を解読出来る人材は総じて高等教育を受けたエリートだ。高難度のパズルを解ける人間が、数学的な素養を持っているのと同じ。
高度な教育を受けて論理的思考の出来る人間は、どのような組織、どのような家であっても間違いなくトップクラスに優秀な人材となる。
魔法的な専門用語、例えば「軽金」と「龍金」の意味の違いについて。明確に知識として知っている人間は魔法の専門家だ。一般的な知識で言えば、どちらも物凄く高級な魔法的な金属、といったところであろう。また、その程度の知識でも、一般的な生活には何の問題も無い。現代で、プラチナと純金の違いを明確かつ専門的に解説出来なくとも、生活に一切困ることが無いのと同じ。
そして、古語というのははっきり勉強していない人間には分からない。
言葉というのは時代と共に移ろい行くものであり、百年も違えば方言並みに意味が分からなくなってしまう。ましてや千年単位の大昔の言葉ともなれば、今を生きる人間の言葉とは外国語並みに違いが生まれる。きちんと体系だって勉強していない人間には、そもそも意味が分からないのだ。
どの要素を取ったとしても、国内はおろか世界中見回しても貴重な頭脳。
それを幾つも兼ね備えている人間が、一体世界にどれだけいるか。百年。いや、千年に一人居るかどうかと言っても言い過ぎではないだろう。
かくも貴重な人材を、暗号の解読だけに掛かり切りで何カ月、或いは何年も専門にやらせておく余裕が有るか。
否。この世界のどの国にも、そんな余裕はない。有能な人材などは、どの部門どんな組織でも引く手数多だ。
故に、暗号聖本の解読は、現実的に無理と結論付けられる。
この暗号聖本が、明らかに非合法であろう経緯を辿ってナヌーテックに渡り、内容は分からずとも古書としての価値と概要の伝聞から、秘匿されて保管されていたもの。
何の因果か、モルテールン家の異端児が戦争時の徴発という大義名分でもって奪取。手に入れることとなったのが先日のこと。
聖国も絡んで三つ巴の争奪戦のあと、原本は綺麗さっぱり燃えて無くなってしまった。
これでこの世から暗号聖本は無くなった、と思いきや。
ペイスの魔法が【転写】であることから、完璧なコピーを手に入れてしまったのがこと発端。
暗号聖本の内容は、普通であればペイスと言えども解くことは不可能。そのはずだった。
「それで坊はよく暗号が解けましたね」
「答えが先に分かっていたから、逆算で暗号が解けたんですよ」
モルテールン家従士長シイツの問いに、同じくモルテールン家次期当主のペイストリーが答える。
そう、ペイスは、暗号聖本の内容を解読した。いや、してしまったのだ。
「そこがよく分からんところだな。逆算とはどういうことか。詳しく説明しなさい」
ペイスの答えに、納得のいっていないのはモルテールン家当主カセロール=ミル=モルテールン子爵。
息子の言葉に、更なる詳細を求めた。
何故、世界中のトップオブトップの組織が、組織力を駆使して、かつ長い年月を掛けても解けなかったものを、たった一人で、それも僅かな時間で解読出来たのか。
不思議な謎である。
「つまり……そうですね。例えば暗号が簡単なものであったと仮定しまして」
「ふむ」
じっと、考えながら説明しようと試みる悪ガキ筆頭。
「暗号化されたムジという文字を見て、これは一体どういう意味だろうと考える。これが解けるのは、アをムと置き換え、リをジに置き換えるという暗号方法を知っている人間だけです」
「置き換えればアリか。そうなるな」
聖本の暗号方式とは違っているが、分かりやすく換字式の暗号で説明する。
ムジをアリと読み解けるのは、ムをアと置き換え、ジをリと置き換える法則を知っているから。そこはカセロールも理解する。
「しかし、答えがアリだと最初から知っていれば、ムジという単語を見て、ああ、アをムにして、リをジにしているんだなと判断できる訳です」
「ふむ」
法則を知らない、暗号解読方法を知らない人間は、ムジというものを見てもムジとしか読めない。しかし、暗号化されている答えが分かっているなら、そもそも暗号解読の法則の方を逆算出来るのだとペイスは言う。
「答えを知っているなら、暗号化の方法を逆に導き出せる。そうすれば、他の所でも同じように暗号化されているのを復号出来る訳です」
「……なるほど」
「僕は、暗号本の挿絵から、何が書いてあるのかをある程度推測出来ました。森人の伝承や、現物の大亀を知っていましたから。それで書いている内容を推測した上で暗号化された文章を復号してみて、暗号方法を逆算することが出来た、という訳です」
答えが大凡分かっているなら、それを基に暗号化された文章を解読出来るし、そこから暗号のやり方の逆算も可能。
ペイスの説明を聞けば、なるほどと頷けるものが在る。
カセロールは、ペイスが暗号を解読出来た理由が分かって、すっきりとした気持ちになった。そして、面倒ごとが襲ってくると確定して、憂鬱になった。
「分かった。それは理解した。では、そもそもその本には何が書いてあったのか。改めて整理しよう」
問題から目を逸らしたところで解決するわけではない。むしろ、より複雑で大きな問題になりかねない。カセロールの目の前には、トラブルの申し子がいるのだ。小火をあっという間に大火事にしてしまえる息子が。
故に、目をそらすことを諦め、問題を整理しようと試みる。
「はい。本の中身は古代の叡智。『魔法生物の作り方』でした。生物が魔法が使えるようになるための方法が書いてあったのです」
「頭が痛くなる」
「お察しします」
何度聞いても内容が変わることは無いのだが、聞くたびに頭の痛くなる話である。
魔法というのは、どんな魔法であっても超常の能力であり、使い方次第で余人が不可能なことすら成しえる。現代のか科学技術の粋を集めたとて不可能な現象を、起こすことが出来るのだ。この世界にとって、魔法というのは最優先で確保しなければならない国力そのものと言って良い。
魔法の扱いには要注意どころではない警戒が必要なものだが、それを動物が使えるようになる。人為的に作り出せるというのだ。生物兵器の製造法と言えば分かりやすい。
世が世ならば世界大戦の二つや三つは起こせそうな技術である。
なるほど、世界を手に入れることも可能な技術というのも過言ではないだろう。
「まあ、内容が読み解けたとして、内容はペイスの頭の中にしかないならば今のところ口を噤めば良い」
読み解ける人間が物理的に不可能であるなら、目下のところ内容を知るものはペイスのみ。概要を知っている人間はカセロールやシイツを含めて恐らく聖国にも何人か居るかもしれないが、内容まで知っているのは世界で一人しかいない。
ならば、その一人が黙っていれば、知識は存在しないのと同義だ。
「まあ、そうですね。うちにあるのは『写本』ですし」
「聖国は、原本含めて燃えてしまったと思っているはずですから。写本を隠し通せれば、世は事も無し」
件の暗号聖本。
原本は、聖国人によって完全に燃やされてしまった。衆人環視の中で灰になってしまったので、本来であればそれで話は終わりのはず。だった。
聖国にとっても、或いはナヌーテックにとっても、想定外だったのはペイスの魔法が【転写】であったこと。
魔法の詳細を伏せ、今まで徹底的に絵描きに徹したこともあり、ペイスの魔法の真実を知るものは父と腹心だけである。聖国含め、他国の人間がペイスの魔法を“絵を描く魔法”と思っているのは間違いない。レーテシュ伯や神王国国王あたりは違うと気づいていようが、それにしたって“ものを写し取る”という事実を知るものは少ない。推測は出来ていても確信まで似は至るまい。何せ、ペイスが相手だ。仮に“写し取る魔法”だと思ったところで、それが良く出来た欺瞞情報の可能性を捨てきれる訳も無いのだ。ペイスをよく知るもの程、ペイスの魔法については確信が持てていない。
全ては日頃の行いが悪いせいである。
この魔法によって、ペイスの手元には『暗号聖本の完璧な写本』が残った。残ってしまった。
それが、トップが集まって問題を整理している理由である。
「全く、坊はもう少し自重ってもんを覚えるべきでさぁ」
シイツの言葉には、父親も大きく頷く。
世の中には自重という言葉が有るのだ。次期領主たるもの、それを頭と体に刷り込むようにして叩き込むべきである。
「僕は平和主義者ですよ? 平穏が一番だと常々申し上げております。騒動の方から寄ってくるんです」
不本意そうに、露骨に顔を顰めるペイス。
「やっぱり、ここは教会で悪魔祓いでもしてもらった方がよくねえですかい?」
「聖国では、父様が悪魔になってるらしいですよ。悪魔が原因だというなら、それはもう、父様のせいになります」
「うちはシエ教なんて信じてねえんで」
けらけらとシイツが笑う。
世の中に悪魔というものが居て、それが悪さをするというのなら、聖国人からすればカセロールも立派な大悪魔である。地獄の侯爵位ぐらいは貰っていそうだ。
無論、皆シイツの言葉は冗談だと分かっている。
「取りあえず、厄ものは厳重に封印しておくってのが、通例でしょうよ」
現状、“内容を知っていること“すら知られては拙い。
これが幾つ目の最重要機密になるか数えるのも恐ろしいが、王家にも内緒にしてペイスの中に知識を押し込め、写本は厳重に隠しておくべきだろう。
「それならば、僕がやりますか」
「坊が?」
「父様とシイツ以外には場所を知らせず、地下にこっそり【掘削】で穴を掘っておきます。入口を物理的に封鎖して、【瞬間移動】でなければ入れないようにしておきましょう」
「そこまでやりゃ、大したもんで」
モルテールンの魔法が無ければそもそも出入りが出来ない場所となれば、これはもうどうあっても探せない。仮に魔法使いであっても、それこそカセロールを操るぐらいはしないと難しいだろう。
隠し方はそれでよいと、モルテールン子爵は同意する。
「それじゃあ、本のことはそれでいいとして、次の議題は……」
モルテールン領の執務室では、いつもと同じように忙しく時間が過ぎていった。
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