518話 多勢に無勢
「な、なんでこんなところにモルテールンが!?」
「うそっ!!」
イサルが動揺を口にする。序列五位としてそれなりに修羅場も経験している人間ではあるが、まさかの事態に冷静にはなれない。
明らかな動揺を見せたのは、リジィも同じだ。
彼女とて戦場を潜り抜けてきた実戦派の魔法使いであるが、想定外の上にも想定外な事態に、戸惑うしかない。
「落ち着け、イサル、リジィ」
「ビター……」
「ここにモルテールンが居るんだ。答えなんて一つしか無い。策が見破られたんだ」
ビターは冷静だった。
聖国の母船にモルテールンの変人が居る理由など、自分たちの策を見破ったから以外の理由が無い。
動揺を欠片も見せず、ペイスに話しかける序列一位。
「何故、分かった?」
「何がです」
「俺たちのことが、何故分かったんだ? 足跡は完全に消えていたはずだ」
ビターは、情報収集に徹することにした。
正直、今回の件はここにモルテールン家の怨敵が居る時点で失敗は確定である。ここから先の策など用意していない。
ならば、最低でも次に繋げるものを得るべきだ。
次の、そしてその次の勝利の為に、必要なのは情報であり、自分たちの策が破られた原因を知る事。それなしでは、今後どんな策も立てようがない。
何か特別な魔法が有ったのか。知恵比べで負けたのか。或いは自分たちが気づかないポカをやらかしていたのか。
「……そうですね。正直、お見事という他ない」
ペイスが、聖国人たちを褒める。
実際、ナヌーテックの連中が攻めてきて、それを阻止した時。
図書館も襲われていて、稀覯本が盗まれたことに気づくまでは若干の間が有った。
ナヌーテックの狙いが、自分たちモルテールン家の誰かの命であろうと思っていたからだ。現に領主館を襲われたとき、即時の対応を取れていなければ、屋敷の中への敵の進入を許し、最悪の場合は誰かが死んでいた可能性もある。防げたのは、ペイスの直感と事前の準備のおかげ。もう少し人数を多めにして攻めてきていれば、今頃はペイスもリコリスを連れて王都あたりに逃げていたかもしれない。
防げはした。しかし、完全に満足のいく防衛だったかと言えば、反省点もあった。モルテールン家に被害が無かったのは、敵が無理押しをせず引いたからだ。
やけに潔く撤退したのも、自分たちの守りの堅さに作戦失敗と諦めたからだと思っていた。準備をしていたお陰で、守りは堅かったはず。
ナヌーテックの暗部が総攫いで人員を投入しているとも思っていなかったし、狙いが稀覯本だとも思っていなかったので、敵を追い詰めてみて初めてその数の多さと不自然さに気づいたのだ。
ぶっちゃけ、策を見破った訳では無い。
「情報攪乱からナヌーテックを実行犯とし、自分たちは漁夫の利で成果を得る。モルテールンの報復はナヌーテックに向けられ、自分たちはぬくぬくと安全なところで美味しい所をほうばる。実に素晴らしい。僕も、そこまでやっているとは気づきもしませんでしたよ」
滔々と語るペイス。
勿論、油断など欠片も無く聖国人を警戒している。いつでも剣を抜ける状況だ。
ペイスはペイスで、自分が語ることで相手の反応を見ている。してやられたと思っている相手にカマをかけつつ、全容の解明をするつもりなのだ。
「ならば何故、ここにいる」
「貴方方は、一つだけ間違いを犯した」
「間違い?」
「敵をモルテールンとしたことです」
「なに?」
どや顔で指摘するペイス。
そう、今ここにペイスが居るのは、ペイスが智謀を光らせた訳でも無く、運が良かったからでも無い。
たった一つだけ、聖国人たちがミスをしたからだ。それも、当人たちも未だに気づいていないミスを。
「事前の準備も完璧。手駒の用意も、実際の動きも文句の付けようもない。後始末まできっちりしていて、正直、モルテールン家だけであれば真実を知ることも無く、ただ襲われて盗まれた事実だけが残り、稀覯本の行方は知れず、実行犯も全員くちなしになっていたでしょう」
ペイスが言うのは、真実だ。
もしも相手のミスが無ければどうなっていたか。
ナヌーテックの実行犯は、命を捨てて足止めをしてきた。生き残っている人間は居まい。
更に、逃がしてしまった連中を、聖国人が始末している。モルテールン家が足取りを追うとしても、転がって物言わぬ態になったナヌーテック人のところで手がかりは途切れる。
明確な口封じ。それ以上の手がかりなど、明確な証拠がなく推測に推測を重ねる憶測しか出来まい。
ナヌーテックが自分たちの責任を逃れようと口封じしたのか。恰好から見て聖国が介入したのか。或いはサイリ王国も怪しい。アテオス国やヴォルトゥザラ王国の可能性だって十分に考えられる。
何なら神王国の貴族という線だってあった。
証拠が何もなく、足取りも途切れ、証人は全員死んでいる状況。
完璧な仕事だった。
「だが、一人、貴方方が見過ごした人物がいる」
「それは誰だというんだ?」
ビターの問いに、ペイスがにやりと笑う。
「我が義兄。ウランタ=ミル=ボンビーノ子爵ですよ」
「!?」
ペイスの言葉に、ビターは悟った。
確かに、対モルテールンとしての作戦ならば完璧だった。それはペイストリーすら認めている。
だが、神王国で神童と呼ばれていた人物は、ペイストリー以外にもう一人居たのだ。
「ウランタ殿は、自分たちの元に聖国から使者がきたことをずっと訝しんでおられました」
「……それで?」
「何故、自分たちのところに親善大使もどきが来るのかと。普通の貴族なら、或いは凡百の人物であれば、自分たちを重要視してもらえたことを喜ぶのが関の山。むしろ、自分たちを無視することの方を嫌がる。自分たちこそ重要人物であると思いたがる」
貴族というのは、誇り高い生き物だ。
元より高貴な生まれであるとの自負もあるし、この世界では教育を受けられるのも特権階級故のこと。比較すれば庶民に比べて知識もつくし、総じて賢い人間だとの自信を持ちやすい。
外国から、仲良くして欲しいと下手に出て、ご機嫌を取ってくるとなれば、プライドは大いに刺激されるだろう。
普通の貴族なら。
「だが、ウランタ殿は怪しんだ。自分をそこまで重要視するはずが無い。ならば裏がある。聖国が何かを企んでいるようだ。そう気づいた。故に、警戒していたのですよ。“海の上”を」
「そういうことか」
モルテールン家は一切警戒していなかったところではあるが、ボンビーノ家は何かあると感づいた。そして、警戒を特に強めていたのだ。
何しろ、ボンビーノ家はつい最近暗殺者に襲われている。外国の勢力を警戒するのはごくごく自然なことだった。
海の上の警戒哨戒網を強化し、魔法も使い、船も広範囲を警戒していた。
「そして、怪しい船があることに気づいたボンビーノ家が、モルテールン家に連絡してきたのですよ。怪しげな船に心当たりが無いかと」
怪しい船が航行し、バレないよう付けてみれば明らかに変なところで留まる。これはもう、疑うなというのは無理な話だ。
ウランタは熟考の末、ペイスにも連絡を回した。そしてペイスが事実に気づいて【瞬間移動】と快速船で移動したのが今回の結末。
「なるほどな。それで、我らに気づいたと」
「そういうことです。貴方方の犯したミスはただ一つ。我が義兄を侮ったことですね」
「なるほど。またしてもモルテールン家にしてやられたか」
「どうでしょう。僕としてはしてやられたところをウランタ殿に助けてもらった感覚ですけどね」
ペイス自身は、割と深刻に反省している。
ウランタの連絡が無ければ、割と深刻な後手に回っていた可能性が高いからだ。
「こうなってはやむを得ない」
聞きたいことは聞き終えた。
ことここに至っては、如何ともしがたいと覚悟を決める聖国人たち。
武装していた武器に、手をかける。
「……それを抜いたら、お互いタダでは済まないと分かっていますか?」
「分かっているとも。そちらは一人。こちらは三人。三対一でなら、いかに龍殺しの英雄と言えどやり様はあるだろう」
「多数で一人を袋叩きとは。聖国人には騎士道というものが無いらしい」
「これも全て神の思し召しと言う奴だ」
スラっと抜かれる剣。
闇夜の中でも、船の灯りを反射するそれは異様な存在感が有った。
「なるほど、三対一というのは、流石に不利。おまけに“魔法使い殺し”が居るなら、尚更分が悪い……」
ペイスは、ビターと剣を交えたことが有る。相手の魔法のことも知っている。
故に、一人で無双できる様な状況では無いと分かっていた。
ビターとペイスの対峙。緊張感と、戦いの予感。
「覚悟してもらおう」
「ですが、三百対三なら、どうですかね?」
ペイスがスッと構えた後ろから、ぞろぞろと人が現れた。
「この辺の海は、ボンビーノ家の漁場。我が家の庭です。ペイストリー殿一人に任せるには、我が家のメンツというものが有りまして」
完全武装した、ウランタが先頭。
「おうおうおう、うちの縄張りで好き勝手しやがって。ただで済むと思ってんのか? ああ?」
すぐ傍には海蛇ニルダ。
「死にてえってんなら、俺がその首掻き切ってやるぜ」
「どうせ死ぬんだ。金ものものが有るんなら置いときな。ぎゃははは」
「海の上なら俺らの戦場。モルテールンの坊にいいとこはやらねえよ」
「女がいるじゃねえか。いいぜいいぜ、ヤる気が出てくるってもんよ」
そして大勢の海賊。もといボンビーノ家の船員たち。
怪しい船が有るとして警戒していたところを、ペイスが運んでいたのだ。
三百は言い過ぎにしても、明らかに多勢。
母船が既に乗っ取られていることに、ビターたちは気づいた。
そして、現状に絶望した。
今の時点で、勝ち目は有るか。いや、有る訳がない。ここまで手を回しているのに、モルテールンが悠長に勝ち目を残してくれている訳がない。
とすれば、逃走一択なのだが、問題は一つ。
手にしている聖本。
これが有る限り、モルテールンは追ってくるだろうし、ボンビーノ家も追ってくるだろう。ものが国宝級のお宝とあれば、ガラの悪い海賊どもには馬面の前の人参である。涎をたらして追いかけてくるに違いないのだ。
かといって、聖本を置いて逃げるわけにもいかない。下手に捨てても拾われればことだ。
この本の価値はモルテールンには分からないはずだが、それでも聖国が必死に持って帰ろうとしていた本というだけで調べつくすに違いない。そして、モルテールン家のお菓子馬鹿ならばもしかして、本の中を読み解いてしまうかもしれない。
ビターは咄嗟にそう判断する。
「こうなったら……」
ビターは、リジィに目をやり、命令を下す。
「終焉の裁きは聖なる御業なり!!」
「え? いいの? ああ、もう、知らないからね!!」
リジィに投げ渡された聖本が、リジィの手によって炎に包まれる。赤々と燃える本が、黒い煙を放つ。
「やめなさい!!」
ペイスの制止の声が響くなか。
世界に一冊しかない貴重な本が、世界から消滅した瞬間だった。





