517話 吉報
吉報が届いた。
アナンマナフ聖国グリモワース枢機領にあるグリモワース教会。
アドビヨン枢機卿の治める教区の中心となる、由緒正しき歴史ある教会にだ。
教会に届く報せというのは、まず大きく分けて急報とそれ以外がある。
町の中心としての役割が有り、時には集会所も兼ねている教会の場合、急ぎでない知らせというのは大抵教会に集積される。
みんなが集まる場だから、報せを掲示しておくのにも丁度いいということだ。
いついつに誰それと誰それの結婚式をやりますであるとか、これこれを探しているので見つけたら連絡くださいであるとか、お祭りの準備はいついつにどこそこで集まってやりますだとか。
出来るだけ大勢に知らせたい、時間制約のゆるいお知らせは、まず教会ということだ。この辺は、公民館的な利用に近い。
定期的に街の住人の殆どが集まる、宗教国家故の使いかただろう。
そして、急報というのは多くが人の死について。
人間は死ぬ。必ず死ぬ。誰でも死ぬ。
そこに貴賤の別はなく、お偉い聖職者であろうと貧しい物乞いだろうと、必ずいつか死ぬのだ。そこに差別も無ければ優遇も無い。等しく同じように、同等の死が与えられる。
しかし、死ぬタイミングは人それぞれ。
赤ん坊で生まれてすぐに死んでしまうようなものも居れば、いったいいつ死ぬんだとぶつくさ言われながら生きて、子供どころか孫まで見送ってから亡くなる大往生を遂げるものも居る。
事故で死ぬものも居る。病気で死ぬものも居る。殺されて死ぬものも居る。
朝死ぬものも居る。昼に死ぬものも居る。夜に死ぬものも居る。
寝ながら死ぬものが居る。働きながら死ぬものが居る。恋人とむつみ合いながら死ぬものが居る。憎い相手を恨みながら死ぬものが居る。
いつ、どこで、どういう死に方をするかは、なかなか選ぶことが出来ない。世の中で、最も理不尽なものが人の死だ。
人が死ぬときは大抵が突然死ぬもので、その報せも二十四時間いつでも発生する。
故に、人が死ぬと取りあえず教会に知らせるのだ。
大勢人が集まる場所だからこそ、急報も誰かには伝わるし、誰かに伝わればそのまま拡散していく。
教会に急報が集まる理由である。
しかして、今日届いたのは急報。しかも人が死んだという報せであったが、朗報であった。
矛盾すると言うなかれ。
届いた報せは、ナヌーテックの暗部の頭領の死。良い知らせとは、その男がモルテールンから盗み返した貴重な聖本を、手にすることが出来たという知らせだ。
極秘の連絡によって届いた、つい今日起きたばかりの情報。神王国で起きたことを、聖国に居ながらにして知ることが出来るのは、アドビヨン枢機卿だけである。
「ふむ、なるほど。イサルもよくやった。ナヌーテックも存外いい仕事をするな」
知らせを受けたアドビヨン枢機卿は、口元が緩んだ。
元々聖国のものだとはいえ、他国に奪われていたものを取り返せたのは自分の成果に繋がるからだ。
聖国に伝わる「世界の秘密を記した」本であり「他に類のない大いなる力を手に入れる方法」の載った本。
聖本と呼称され、聖国の歴史に長らく禁書として保管してあったはずの宝物である。
戦乱のどさくさで行方知れずとなっていたものだが、それが見つかっただけでも朗報であり、大手柄。ましてや聖本を再び手にすることになったら、この功績は国を一つ切り取ったに等しい功績であろう。
枢機卿という地位は決して低くは無いが、最高位でも無い。
聖職者と言えども出世欲や権力欲というものは存在し、アドビヨン枢機卿もまたいずれは最高の地位をと狙っている。
教皇位。
聖国においては神の代理人とされ、絶対不可侵にして志尊の地位。
この地位に就いたものは、ありとあらゆる特権を与えられる。基本的には聖国内で出来ないことは無い。どんなことであっても、望めば適う。法の外側に居て、如何なる法でも教皇は捌くことが出来ない。逆に法皇が否と言えば、どれほど明確に合法であっても違法行為とされる。
行動の全てが善行であり、発言の全てが正解であり、行為の全てが正しい。
全てを肯定されるのが聖国における教皇だ。
聖国に生まれたならば、そして高貴なる身分に生まれたならば、更には若くして枢機卿の地位に居るのならば。
教皇になってみたいと思うのは、男としてごく当たり前の欲求である。
教皇は終身制。
一度教皇になったなら、死ぬまで教皇を務める。任期が無いのだから、一度なってしまえばもう怖いものなどない。自分に反対するものは全て悪となるのだから、聖国においては無敵の存在となる。
当代の教皇は先が長くなく、既に床から起き上がれなくなっているというのは枢機卿ならば知っていること。
いよいよ、次代を選ぶ日が近い。
ここで大きな手柄を立てることが出来れば、教皇にと推す声も大きくなろう。
何より、あのモルテールンを出し抜いたというのが大きい。
ナヌーテックの暗部を利用し、彼奴等を捨て駒として利用しつくし、美味しい所は自分たちが掻っ攫う。
策謀というならあまりに狡猾。そして目的を為した以上は芸術と言ってよいかもしれない。
聖国の敵同士を相争わせ、自分たちが全ての利益を総どりする。
何とも痛快で、心躍る成果だ。
聖国の人間であれば、神王国に対して恨みの一つも持っている。二十数年前の大戦以降、幾度か争ったし、時には戦争もあった。そして負けてきた。
いつか目にものを見せてやりたいという思いは、聖国人の共通した思い。そこに地位の高低は関係ない。あるのは想いの強さの強弱ぐらいだろう。
神王国人は嫌い。中でも嫌いなのはモルテールン。そう思っている人間は多い。他ならぬアドビヨン枢機卿もその一人だ。
彼奴等によって敗北した戦い、彼奴等によって失われた利益、彼奴等によって与えられた損害がどれほどか。考えるだけでも腹が立ってくる。
聖国にとって憎き仇敵モルテールンに、大打撃を与える一撃。実に素晴らしい。胸がすくような気持ちだ。
これならば、他の枢機卿も褒めざるを得ない。認めないとしたら、だったらそれ以上の手柄を挙げてみろと言い返されるだけのこと。
モルテールンを相手にとって、聖本を取り返してくる以上の手柄など、それこそ大龍を単騎で倒す方が簡単である。
教皇位に、手が届くところまできた。あと一歩。
「あとは、無事に海を越えられるか、だな」
枢機卿の願いは、もう少しで叶うところまで来ていた。
◇◇◇◇◇
「遅くなった」
「いや、時間通りだイサル。首尾は上々だったようだな」
「ああ。手にしてからここまで。一目散に走ってきた」
「朝駆けのイサルの面目躍如だな」
「ははは、そう褒めるな。照れくさい」
神王国は東部。
それもサイリ王国と国境を接する辺境の海岸線に、魔法使いが集まっていた。
聖国の魔法使いにして、序列持ちの三人。
「流石はビターだね」
「策が嵌ったな。これで聖本は取り返した」
序列十位のリジィ=ロレンティと、序列一位のビターテイスト=エスト=ハイエンシャンの二人。
割と魔法の相性がいい二人は、よく組まされる。
そして、序列五位イサル=リィヴェート。
この三人が、今回の作戦に動員された聖国の主要メンバーだ。
中でも特殊な魔法を使うビターと、逃走にはうってつけの魔法を持つイサルは必須メンバー。
勿論、他にも移動手段を用意した者や、船を動かしたものなどもいるが、最終的に動いたのが三人であることは事実。
何故三人かと言えば、手漕ぎの小舟で神王国に侵入していたからだ。小舟の大きさ的にも大人数は不可能。
第一今回の策では、どうしても少人数で動く必要があった。
その策とは勿論、ナヌーテックの暗部を動かし、その成果を掻っ攫う策だ。
まず第一に、危機感を強めていたナヌーテックの暗部の情報を徹底的に調べ、危機感を煽る。内部がガタガタのところを調べるなど、聖国諜報部からすれば朝飯前だ。
次に、モルテールン家の内情を気づかれないよう慎重かつ極秘裏に調べ、出来るだけ確度の高い情報を渡してやる。モルテールンはかなり力を入れて諜報している相手であり、入手できる情報もあるのだ。
そしてナヌーテックの王家にも情報を流して煽りに煽り、暗部が確実に動くよう仕向けた。暗部の危機感だけでなく、王家の危機感も煽って、王命を出させる。暗部が歯抜けのナヌーテックでは、今ならば王の近傍に寄るのも不可能では無かったのだ。
そうしておいて、罠を張る。
ナヌーテックの暗部の動きは、此方からは筒抜けになっていた。何せ、聖国は魔法大国にして情報提供者。ナヌーテックの暗部とて、動きを知ることは可能。ましてやどこを狙うまで分かっているのだから、待ち伏せればいい。どれほど隠れるのが上手かろうと、餌を置いて餌の場所を見ていれば嫌でも見つけられるというもの。餌はモルテールン。上等すぎてゲップが出そうな餌だ。
何より大事なのは、聖国が動いているということをモルテールンに気づかれないことだ。
ビターは、ペイストリーを知っている。あの男は、下手にこちらの関与に気づけば、必ず対処してくる。舐めて掛かっていい相手ではない。
あくまで、ナヌーテックだけだと思わせておかねばならなかった。
もしもナヌーテックが聖本奪取に失敗していたら、彼奴等が逃げて暴れる隙を狙う手はずだった。
そして、聖本奪取に成功したなら、上手く逃げて気を抜いたところで隙をつくという段取り。
聖本を手にしたら、朝駆けと異名をとる移動のエキスパートが運ぶ。
運搬先は、夜のうちにこっそりと小舟を用意しておいた、村すらない海岸だ。人っ子一人居ない。
あまり大勢で居ると目立ってしまうし、モルテールンにバレては意味がない。
ここに居ることがバレないように、何処までも入念に準備をして、待ち構えていた。
聖国から神王国に侵入しようと思えば、船が居る。
どこぞの首狩りのように反則的な魔法でもない限りは、海を物理的に超える手段として船を使うしかない。
船を見張られては意味がないため、遠くに母船を停めて、夜間に小舟で進入したのだ。これならば幾ら【遠見】の魔法使いが居ても、気づくはずが無い。
「早速、本国に持ち帰ろうよ」
「いや、夜まで待て。ここでしくじる訳にはいかない」
ビターたちは、暗くなるまでを隠れて辛抱強く待った。
煮炊きの煙すら出さず、ただじっと待つ。
そして夜。
日が沈んだことを確認して、暗い中小舟を出す。
「怖いよ……」
「リジィが頼りだからな。母船まで案内頼むぞ」
魔法を使い、一メートル先さえ怪しい暗闇を行く。灯も灯さず、月明かりの実を頼りに。
何とか母船に到着したところで、声が掛けられる。
「おや、遅かったですね」
そこに居たのは、青銀髪の青年。
ペイストリー=ミル=モルテールンだった。