516話 深夜の襲撃
深夜。
ペイストリーは、嫌な予感を覚えていた。
戦場の経験が囁く、血風の予感とでも言うのだろうか。
平穏の中にあっては感じることが無い、どこか鳥肌が立つような悪寒。体調不良で感じる気持ちの悪さとは違う、えも言われぬ不快感。
腐乱臭を嗅いだ時のような、思わず顔を顰めてしまう感覚が、そよと身体を通り過ぎて行った。
来る。
何かは分からないが、五感を越えた部分で本能が警戒をしている。
「んん……」
「リコ、寝ていて下さい。ちょっとトイレです」
横で微かに動く愛妻に、起きる必要はないと言い残して寝室をでるペイス。
向かう先は着替えである。
何となくの予感で、軍服を身に纏う。何が有っても即座に行動に移せるような服装だ。
すらりとした体形に合わせた、引き締まって見える服を身に纏えば、気持ちまで引き締まる。
そのまま執務室に向かいながら、嫌な予感が段々とはっきり、強くなっていく感覚を覚えた。
「ペイストリー様!!」
「報告を。手短に」
ここ数日。モルテールン家は平時を装いながらも有事に備えてきた。
魔の森駐在の第三大隊の一部を、休暇を装って要所に配置していたり、従士たちに酒を控えるように指示をしていたり。
ボンビーノ家からもたらされた警告を、真剣に捉えての動きである。
部下たちからは多少の不満も出ていたが、それよりも皆の命が大事。
特に領主館では、夜中も不寝番がこっそりと女性陣を警護していた。今も寝室を警備中だ。
警戒を強めていたのは正解だったのか、深夜にも関わらず部下がペイスの元にやってくる。
血相を変えている様子から見て、普通のことではなさそうだとペイスは判断した。一瞬で有事の指揮官へと切り替わっているのは流石と言うべきだろう。
「街のあちこちで、火の手があがりました。ほぼ同時です」
「偶然の失火が街の複数個所で同時に起きているという訳では無いでしょう。襲撃ですね」
「……どうしましょう」
戦争と戦乱が身近にある世界。本拠地をいきなり襲ってくる奴らが居るなど、今更なこと。
来るであろうと思っていた者がきた。それだけのことだ。
ペイスは落ち着いた声で指示を飛ばす。
「敵の狙いは不明ですが、何が目的であるにせよ領主館の襲撃の可能性は高い。先ずは、最重要の地点に戦力を集めます。集合の合図を」
「分かりました」
夜番で詰めていた若い従士が、駆けだした。
やがて大きな鐘の音が鳴りだし、屋敷の中が騒然としだす。
集まり出した従士や使用人に対して、ペイスはそれぞれに指示を出していく。
「スラヴォミール。貴方はヤントとアーラッチを連れて、町中の消火に当たりなさい」
「分かったっち」
「ニコロ、寝ぼけてないで屋敷の男手を奥に集めなさい。老いも若きも関係ありません。まずは数です。全員武装して、規定通りの防衛線を張ります。女性を奥に匿うよう。急いでください」
「分かりました」
「余のものは僕に続いて。玄関ロビーと裏口に、バリケードを作ります。椅子だろうが机だろうが、持ち運べるものは何でも持って移動。急ぎますよ」
「「はい」」
緊急時の対応。ペイスがAプランと呼ぶ、極標準的な対応で動き出す。
モルテールン家は恨みをしこたま買っているので、襲われたときの準備もそれなりにしてあるのだ。
裏口と表玄関を塞げば、それなりに硬い守りになるよう屋敷の設計がされている。
「……夜間で見えづらいですが、どうやら複数の小部隊で動き回ってますね」
何故か、ペイスは屋敷の中に居ながら外の様子が分かっている。
まるで空から見下ろすような視界をもって、偵察を行っていた。
結果、町中各所に火つけの現行犯を発見した。それも複数の部隊。
これで確定だ。
「敵想定、大隊を最大に。恐らく中隊未満です。ここにも来ますよ」
「はい」
ペイスの予言した通り。
しばらくすると領主館にも何者かの襲撃がきた。
外からあちこちを叩く音がし始め、中に入ろうというのを隠しもしない敵がハッキリと確認される。
「落ち着いて対応を!! 敵にこの屋敷は落とせません」
ペイスは、指揮官としての経験も豊富な、軍人のエリート教育を受けた貴族子弟だ。
数多くの知識を学び、幾多の実戦で培った経験が、現状を冷静に判断していた。
敵の人数は明らかに少ない、と。
モルテールン家の屋敷を落とすつもりなら、今襲撃している連中が最低でも十倍はいる。
だからこそ、断言する。このまま守りを固めれば、大丈夫だと。
ペイスの言葉に安心したのか。
夜中に叩き起こされた連中も、パジャマに剣を持ちながら安堵する。
やがて、ドンドンと騒がしく襲撃していた連中が、引く気配を見せ始めた。
その頃にはモルテールン家の軍も態勢が整い始め、完全武装した者がペイスの周りを囲み始める。
頃合いとみたペイスは、一斉反撃を命じた。
「賊を討滅します。恐らく敵は分散して撤退するでしょう。全部を各個に対応して戦力分散しては万が一の反撃が怖い。二隊に分かれた挟み撃ちとしましょう。パイロン、いますか?」
「当たり前だろ」
ペイスの問いに、集まってきた兵士の中から返答が有った。
元傭兵にしてモルテールン家に常時雇用されているパイロンだ。
シイツ従士長の古巣である「暁の始まり」の現団長。傭兵として数多くの戦いを経験した歴戦の勇士であり、モルテールン家の常備軍を預かる立場。
「即応戦力は僕が預かります。貴方は、これから集まってくる兵をまとめて、逃走する賊を東に追い詰めて下さい。領境に集め、一網打尽を狙います」
「分かった」
てんでバラバラに逃げている連中を、自分たちの戦力を小分けにして追いかけるのは拙いというペイスの意見に、パイロンも同感だった。
今逃げているのが誘いという線も捨てきれない。十人や二十人の戦力に分けて追いかければ、思わぬ伏兵に各個撃破されるかもしれない。
少なくとも、自分が敵ならばやりかねない。何が狙いかは知らないが、味方の方が圧倒的に数的有利な現状、出来るだけ連携して防衛線を引き、それを押し上げてばらばらに逃げる奴らを追い詰めるのは正解だと頷く。
早速とばかりに動き始めたパイロンは、即応戦力三百名をペイスに預ける。自分は逐次集まってくる兵を
コツコツと体制を整備してきた真価が、いま問われている。
「では、頼みます」
「おうよ」
千人を超える人員を指揮し、包囲網を整えたパイロンは、一足先に領境に展開しているであろうペイスの部隊との合流を目指し、夜が明けても尚積極的に動いていた。
馬に乗るモルテールン家従士を伝令に使うという贅沢仕様で、うろちょろうろちょろうろちょろうろちょろと実に鬱陶しいネズミを適切に追い詰めていく。
徐々に徐々に、半包囲から敵を逃さないことを最大限に注意して、東へ東へと進む。
昼を越え、夕方になったころ。
いよいよペイス率いる本隊が見えた。早速とばかりに伝令を放ち、本隊との連携をもって賊を一斉に潰す算段だ。
「ペイストリー様」
「報告を」
「強盗犯の包囲、完了しました」
じっと領境で網を張っていたペイスは、パイロン部隊が上首尾で敵を追い立てていく様子をずっと観察していた。
流石は名うての傭兵団団長だけはあった。適切に動かした軍隊というのは、散り散りになっていた賊をうまく誘導してみせたのだ。
「絶対に逃がしませんよ」
ペイスの呟きに、モルテールン家配下の者たちが同意する。
よりにもよってザースデンで騒乱を起こした奴らだ。逃がすわけにはいかない。
「モルテールン家に泥棒に入ったものを、タダで返したとあっては舐められてしまう。生死は問いません。絶対に逃がさないように」
ペイスが片手を振り上げ、そしてスッと降ろす。
それを合図に、モルテールン軍の総攻撃が始まる。
盗賊の数はざっとみて百を少し超える程度。
千数百の部隊の包囲は、そう簡単には抜けられない。
「……やむを得ん。全員が囮になる」
鴉の頭領は、自分たちが絶体絶命であることを理解していた。
どうにかして包囲されまいと動いたのだが、敵の方が数も圧倒的に多いし、しかも何故か行動が逐一先読みされているようだった。裏をかこうとしても、ことごとく読まれるのだ。
モルテールンが神算鬼謀の名軍師を抱えているのか。でなければ、何がしか魔法的な監視がされているのか。
理由は分からないが、分かったところで対策が取れないなら同じことだ。
頭領は、最後の手段を覚悟する。
自分以外を全員捨て駒にしての、一点突破。
敵が来たら、誰か一人が命を捨てて足止めをかける。追いつかれれば、また一人が命をすてて捨て身で足止めをする。その繰り返し。
「すまん。お前たちの犠牲は無駄にはしない」
決死の、というより破れかぶれの強引な足止めと突破が功を奏し、頭領はいよいよ包囲から抜け出して逃げることに成功する。
その頃には、頭領の周りには十にも満たない数しか残っていなかった。他のものは、皆死んだ。文字通り、命を捨てて自分たちを逃がしてくれたのだ。
「よし、やったぞ!!」
モルテールン領の領境を越えた男の胸中は、達成感に満ち溢れていた。
確かに、犠牲は大きかった。再生したばかりの組織の人間のほぼ全てを犠牲に払ったのだから、組織壊滅と言って良い。
だが、それでも自分だけは目的を果たせた。
まだ終わっていない。いつか自分が組織をもう一度再生し、再びナヌーテックの偉大なる時代を作るのだ。
そう、心に決める。
彼の手の中には、禁書の一冊。
これを持ち帰れば、と本を持ち直そうとした時だった。
「ご苦労。その本は、元々我々のものだ。返してもらうよ」
暗部の男の胸に、深々と剣が突き刺さっていた。





