515話 動く
神王国はブールバック男爵領の一角。
隠密部隊の隠れ家があった。
俗称で鴉と呼ばれる部隊のそれは、一見すると普通の民家である。
しかし、入口に見えるドアは絶対に開かない。ドアに見えるだけで、実際は壁にドアを張り付けているだけの見せかけの入口だからだ。
実際の入り口は、地下にある。
家から少しばかり離れたところに積んである木箱の山の影に、地下へと降りる入口があるのだ。そこを通って、ようやくこの建物の中に入れる。
魔法対策こそあまりされていないが、厳重な防諜対策もされていて、外からは中で大声をだしても聞こえないように作られている建物だ。その分外からの見た目以上に中が狭苦しいのだが、秘密にことを為すには必要な場所だろう。
「例の件、裏が取れました」
「うむ」
部下からの報告を受けるのは、鴉の頭領。
報告させていたのは、怪しげな人間からの情報提供の裏どりだ。
現在、ナヌーテックは危機に瀕している。
戦争に負け、講和によって巨額の賠償金を支払ったことで、国庫がひっ迫しているのだ。
そのひっ迫度合いは過去に例が無いほど。
王は賠償金を支払う為に、貨幣改鋳を行うことを決定したのだが、金貨一枚から金貨三枚を作ろうという改鋳だ。
はっきり、金貨が粗悪になる。
金の含有量が、単純計算で三分の一になるのだから、諸外国との為替においても最低で三分の一、或いは信用失墜から更にナヌーテックの金貨の価値が下がるかもしれない。
そうなってくると、輸入品は軒並み高額になる。
また、金貨や銀貨の価値が下がるなら、それは即ち物価が上がるということ。
軍人などは金額で給料をもらう為、今までと同じ枚数だけ金貨を給料として貰っても、手取りの実質価値は三分の一になる。
はっきり、生活が困窮するものが増えるだろう。
情報に敏い商人などは既にナヌーテックから逃げ出すものも出ていて、金貨の改鋳前にと慌てて含有量の高い金貨を集め、外国の貨幣に両替をしている。
お陰で改鋳前だというのにナヌーテックの通貨価値は暴落。また、新しい取引をするのにナヌーテックの金貨ではなく他国通貨建てで契約する商人も出始めた。物凄い勢いで、ナヌーテックから外貨が流出しているのが現状だ。
国民が総じて貧困化するであろう状況に、為政者たちは歯噛みしている。
これも、全て神王国のせいだと叫ぶ者も多い。
だが、それ以上に多いのが戦争を指導したゴビュウ元一等爵への非難だ。王が自分の責任を回避するために積極的に叩いているからというのもあるが、国民感情としてもどこかに責任を問い、怒りをぶつけねば腹の虫がおさまらない。
ゴビュウ元一等爵の作戦が拙かったせいだ。上手くやっていれば勝っていた。
或いは勝ち目が低いのに博打に出て、不要な損失を国に与えた。
或いは敵に策を読まれて利用されたのは、情報が筒抜けだったからに違いない。
などなどと、こぞってあいつが悪かったと石を投げる有様だ。
こういった非難の中には、鴉への批判もあった。鴉の存在を知る、高位のものから。
裏切り者をだした鴉がクズな組織だったせいで負けた、という意見。
これは、貴族たちの中でかなり大きな声で言われるようになった意見だ。
当代の頭領として、先代の行ったことは間違っていなかったと思う。しかし、頭領一人がどれだけ声を上げようと、そもそも鴉ははぐれものの集まり。批判されて反論できるほどの影響力は無い。
故にこそ、自分たちの存在意義を掛け、鴉は健在であると示さねばならぬ。
モルテールンから、奪われたものを取り返すことが出来れば、我らここにありと存在感を示せる。
戦争には負けたかもしれないが、まだまだ侮れない力があるのだぞと、諸外国にも示せるだろう。
絶対に、成功させねばならない。
だからこそ、情報を鵜吞みにせず、自分たちの総力を挙げて情報を洗い直したのだ。
その結果がどうなったのか。頭領としては、一抹の不安を感じざるを得ない。
「裏を取った結果、情報は正しいと確定しました」
「そうか!!」
喜ばしい知らせだった。感じていた漠然とした不安が吹き飛ぶほどに。
「更に、候補三カ所のうち一カ所に絞れる日時を入手いたしました」
「ふむ、具体的にはどこだ?」
「新設された図書館です。ここの禁書庫に、例の本が収蔵されることを確認しました。返却日が決められているので、それまでに返却されることはほぼ確実かと」
「でかした!!」
日時を絞り、場所を特定できるなら、鴉であれば動ける。
組織の構成員には、魔法使いも居るのだ。
流石に裏切った人間ほどに便利な魔法は無いにせよ、力業ならばむしろより適している魔法使いが一人居る。
成算の目は高くなったと言えるだろう。
「よし、急ぎモルテールンに向かう。夜通し駆けることになろう。心せよ」
「はっ」
隠密部隊の総動員。
組織の存亡を賭した、文字通りの全力で向かう。ここで出し惜しみする理由は無いし、出し惜しみをして失敗すればどのみち終わりだ。余力を残す意味がない。
相手はモルテールン。敵として不足なし。
狙うは国宝の稀覯本。手にするものは世界を牛耳るとも伝えられる、ナヌーテックの至宝である。
いざ、全てを賭けた大勝負といこう。
頭領の身体がぶるりと、武者震いで震えた。
◇◇◇◇◇
「今夜、モルテールンから宝を奪還する」
頭領が、重々しく言葉を発する。
それを聞いているのは、百二十五名の部下たち。
外国に忍び込んで不正規任務をこなす、最精鋭の人材たちだ。
「影は大丈夫か?」
頭領の言葉に、全員が神妙に頷く。
影というのは、隠密としての存在に他ならない。つまりは、これから向かう任務は、絶対に身元がバレてはいけないということだ。
捕まったとしても、即座に自害する。或いは捕まりそうな時点でも自害する。出来れば敵を可能な限り巻き込んだ形で。
影も無し。それが、鴉の本気である。
全員、身元が分かるようなものは一切身に着けていない。どこにでもある、聖国製の服を着ている。聖国製の武器を持ち、言葉遣いも聖国訛りで喋るよう徹底する。食べ物すら、ここ数日は聖国の食べ物を口にしている。
そして、万が一の際の聖国製毒薬も携帯していた。いざという時は自分が飲むこともある。効果は何度となく使われているので、お墨付きの一品。
この任務が成功しても、或いは失敗するとしても、恐らくは全員で無事に帰国とはなるまい。
決死隊として、全員が死ぬ覚悟を決めている。頭領も同じだ。いや、頭領こそ決死の覚悟を誰よりも持っている。
自分が捕まるようなことがあれば、どうあっても拙い事態になるのだから、いつでも機密保持を優先するつもりだ。
勿論、目的を果たすことは前提だが。
「モルテールンにこの世界を手に入れさせることは、何を犠牲にしても防がねばならない」
暗号本は、世界を手に入れることが出来る知識が書いてあるという。
絶対に、絶対にモルテールンの手に渡したままでいられない。
何が何でも。全員の命を引き換えにしてでも、取り返さねばならない。それこそが鴉に課せられた使命であり、今後の存在価値を賭した意味。
一行は、深夜モルテールン領のザースデンに入ったところで数人づつの班に分かれる。
これからは手筈通りに動き、全員がバラバラの行動をとるのだ。
ある者は陽動、ある者は攪乱、ある者は退路確保、ある者は戦闘、そしてある者は奪還。
誰もが自分の役割をこなすことに集中していて、流石は大国の隠密部隊という練度を見せる。
頭領の班は、五人。他に支援班がふた班ついている。
頭領のやることは勿論、本の奪還。最精鋭で一気に奪取し、他を全て犠牲にしてでも一気にナヌーテックまで逃げ切る算段だ。
新設された図書館が見える位置に隠れる。
ここから、他の班が町中で幾つもの騒ぎを起こす手はずだ。
やがて、ザースデンの町中から赤い光が見え始める。
最初は一つ。やがて二つ、三つとその光は増え始め、大きな音もし始めた。流石は世に聞こえたモルテールン。初期の対応が早い。
まだ、まだだ。ここで動けば、あちらが陽動だとすぐに見抜かれてしまう。仲間が殺されていっているであろう状況でも、唇を噛み締めて堪える。
やがて、騒乱の音が領主館の方からし始めた。
これでモルテールンは、狙いが領主館での首狩りと思ったに違いない。
意趣返し。少なくとも相手はその可能性を考えるはずだ。ナヌーテックでやられたこと。自分たちもやり返される可能性は考えていたはずだ。
相手の策であったものを、利用する。
鴉の渾身の一策。
「よし、行くぞ!!」
手筈通り、図書館へは精鋭で隠密裏に動く。
稀覯本が禁書庫に厳重に仕舞われたのは確認済み。禁書庫の位置も把握しているし、中身の奪取も入念に計画した。
ここで、モルテールンを出し抜く。
「ありました!!」
部下からの喜びを含んだ声が、短く発せられる。
囁くような小声であったが、確かな確信を持った声。
頭領は素早く確認し、間違いないと判断する。稀覯本の外見も、そして中身も確認し、本物だと確認した。ナヌーテックだけに分かる、過去についた汚れも確認したのだから間違いない。
「引くぞ」
班員は、一斉に領外を目指して動き出す。
「火を放て!!」
全員が図書館から出たところで、図書館の外に撒いていた油に火をつける。
書籍を扱うのに防火対策をしてあるという情報は有った。案の定建物には火が付かないが、それでも図書館で何かが燃えているであろうことははっきりと示された。
これが、仲間への合図となる。
作戦は、あとは逃走一択。
示し合わせた通りに全部の班がバラバラの方向に逃げる。
そして、頭領たちは落ちついて様子を伺う。
それぞれの班から時折あがる光の報せを夜陰で見つつ、手薄なところをその場で判断するのだ。
これは、経験を積んだ者にしかできない。頭領は、幾つかの候補であった逃走ルートから、最も逃げられる確率の高い一本を選ぶ。
「よし、逃げるぞ!! 三号だ」
脱兎のごとく。
一目散に逃げ始めるナヌーテック人たち。
逃げた先には、モルテールン家の包囲網が敷かれていた。





