514話 世界の秘密
稀覯本暗号の解読について手がかりを得てからしばらくして。
ペイスは、図書館の奥に来ていた。
呼び出したのはニューメイ=チャヤ館長。
暗号本の解読については彼の知見が大いに役立ったし、また今後の管理を任せるにあたって、知らずに済ませる訳にもいかない。
そして、流石にこれは放置できないと、育休中のシイツをこっそり呼び出した。たまたま乳母がダブルブッキングで被ってしまい、シイツの手が空いたから。ということになっている。
たまには子育ての息抜きも良かろうということでシイツの妻も微笑んで送り出してくれたのだが、息抜き先の方が地獄かもしれないのは、シイツのみが知ること。
実に悲しい話であるが、自分の知らないところで大騒動を起こされるよりはましだと、こっそりと図書館に来ていた。
事情を掻い摘んで説明し、シイツが事情を理解した後。
ペイスは、当該の稀覯本を取り出した。
「これの暗号が解けた?」
「ええ。といってもごく僅かなページですが」
シイツがパラパラと中を見る。
そしてしばらくはじっと考え込んでいたが、五分ほどで諦めた。
これは半端に解けるものじゃないということが分かっただけでもいい。
「坊はよくこんなもんが解けましたね」
「まあ、挿絵の手がかりも有りましたし」
「にしたって、です。俺にゃあさっぱりだ」
「私もです」
シイツと館長が口を揃える。
二人とも決して頭は悪くないが、それでも解けるとは思えなかった。
そもそも、簡単に解けるようならば、ナヌーテックあたりで保管してある時に解いていたはずだ。
「それで? 中には何が書いてあったんで?」
シイツの問いに、ペイスが僅かに顔を顰める。
「この世界の創世神話。そして、森人に伝わる古の伝説が、真実である証拠。そして、その生物がもつ“効能”について書かれてありました。更に言えば、これらのより効果的な使い方や、森人の神話に“出てきていない”生物についても」
「おうおう、そりゃ重大情報だ」
ペイスが読み解いたところによれば、この世界には魔法を操る生物が何種類か“ある”らしい。
居るではない。在るだ。
「これらの生物は、意図的に作られたものだそうです。大昔の大賢者によって」
「大賢者?」
「魔法使いが、大昔から居たということです」
そもそも魔法使いと呼ばれる超常の能力者が、いつの時代からいたのか。それは、はっきりと分かるものではない。
文書を残すことすらなかった太古の昔。人類が文明を築き始めた時には既に居たのではないかと言われているが、確たる証拠というものは存在しないのだ。
それでも、口伝で伝わるおとぎ話のようなものはある。
「ヒントになったのは、この本です」
「こりゃ、絵本でしょう」
「はい。ただし、相当に古いものです。この国の建国以前からあるとか。少なくとも、王家が貴重なものだと保管していたぐらいには古いものですね。王家の書庫からパクって……適当に言いくるめて短期レンタルして【転写】した写本です」
「この絵本がヒント? どういうこって?」
館長や従士長は、首を傾げる。何故、子供用の絵本がそんな暗号に関わるのかと。
「よく考えて下さい。これは『古い絵本』なんですよ」
「はあ」
「本が今よりも遥かに貴重な時代。何故“子供向け”に本なんて作ったんです?」
「え? ああ!!」
言われてみると、確かに不自然さがある。
絵本のような子供向けの本は、今でこそ探せば一家に一冊ぐらいは持っている家もあるだろう。
子供の教育というのは貴族にとって大事なことだし、情操教育の面でも絵本を使って読み聞かせをするのは珍しくない。
ただし、それは今の時代ならばの話だ。
本一冊を作るのにも膨大な手間と費用が掛かり、貴族という概念も有ったか怪しい時代。子供の教育などというのも殆ど行われていなかっただろう大昔に、絵本などというものを子供向けに作ることは大いなる疑問だ。
「つまり、そもそも子供向けという前提が間違っている。そう考えると、この本が出来た時には文字を読めない人間も多かったと推測できます。つまり、この本は『大人向け』だったはずなんです」
「ほうほう」
「そう考えて絵本を読めば。この本には魔法使いが出てきます」
「確かに。で、それもまた不思議だって話でしょう?」
「はい。そもそも聖別の儀式を教会が独占するようになったのは、そう昔のことでは無いはず。事実この絵本には、魔法使いが魔法を授かるのに、教会のきの字も出てこない」
「教会が見りゃ、焚書しかねねえな」
「確かに。つまり、教会が意図的に魔法使いを“作る”ようになる以前にも、今よりも遥かに低い確率で、魔法使いが現れることがあった、というのが分かります」
「そりゃまた大胆な仮説で。歴史学者は大喜びでしょうぜ」
「まあ、確かに仮説ですが……僕はこの仮説に自信がありますよ?」
「ほう、なりゃ信頼できまさぁ」
ペイスは、魔法の無い世界を知っている。それと今の世界を比較することが出来る。その上、自分が魔法を使えるし、他人の魔法を数多く所有している。
だからこそ分かる。
魔法というのは、原初、教会の介入がなくとも使える人間がいたであろうと。
そもそも、魔法を使える大龍を飼っているのだ。大龍が聖別を受けていないことは明らかなので、魔法を授かるのに特別な儀式は本来要らないと思われる。
薬を飲むなどの行為は、あくまで魔法使いを“養殖”するためのもの。天然物も、あり得るはずだとペイスは確信する。
「そして、大古の大賢者は、動物が魔法を使えるようになるかを試した」
「ええ!!」
シイツは驚かなかったが、館長はかなり大きな驚きをもってペイスの話を聞く。
「考えてみれば当たり前です。魔法を使えるものが居て、他の人にも魔法を使える方法を探すのは自然な行為」
「まあ、そうですね」
自分が魔法を使えるのなら、他の人にも使えるようにならないかと考えるのは、別に不自然なことでは無い。魔法自体を独占すれば大きな権力を得られようが、それは何処までいっても個人の能力。一代限りだ。
出来れば自分の子供あたりが魔法を使えるようにならないかと考えるのは、いつの時代でも理解できる感情だろう。
「その過程で、動物実験をしたものが居た」
「……段々話が怪しくなってきやしたぜ?」
「人間でいきなり実験するのは余程のマッドサイエンティストです。普通は、思いついたことを実験するなら、動物からやるでしょ?」
「まあ、その通りっちゃその通りでしょう」
マッドサイエンティストが語るマッドサイエンティスト論だ。
狂科学者のことは、狂科学者が一番よく分かっている。
実験をするのなら、まずは動物実験。確かに、それは筋が通っているように思える。
従士長も館長も、それぞれに頷く。
「そして……恐らく古の賢者は、動物実験に成功した。成功してしまった」
「そんな馬鹿な」
「あり得ない」
大人たちが、常識論でペイスの言葉を否定しようとする。
しかし、お菓子狂いは平然と答える。
「そうでしょうか? 魔法を使える人間を作るというのなら、僕はその技術に心当たりがありますよ?」
「……坊」
「シイツは分かるでしょう?」
「ええ」
館長は何のことか分かっていないが、シイツとペイスは分かっている。
モルテールン家には、一般人が魔法を使えるようになる技術が有る。
魔法の飴の技術だ。
人間が魔法を使えるようになるのなら、似たような技術が過去にあり、魔法を使える動物が作られていたという可能性は、大いにあるとペイスは断言する。
「しかし、この技術は不完全なものだった。魔法を使えるようになった動物は、今で言う魔物のようなものになったのでしょう。魔法を使えることで危険になったものもあった。そもそも、使える魔法を選んで与えることも出来なかったし、失敗もあったのでしょう。これは推測ですが」
「ふむ」
「そうした“失敗作”の幾つかが、野生にかえってしまった。この暗号本には、その経緯と後悔。そして、技術の詳細が書かれていた訳です。暗号にしたのは、折角の知識を喪失させるのを惜しんだ故。人目に晒したくはないが、失いたくも無い。だから暗号にして残した」
「筋は通ります。しかし、それを坊が解読できたってのが、どうにも納得いかねえ」
「僕は、この本の結論が想像できたからです。答えを知っているところから逆算すれば、何とか書いてある内容に推測が付く。そこから暗号を解いたというところですね」
「……それ、坊以外に出来そうですかい?」
「無理でしょう。僕が解けたのも、偶然挿絵の亀に心当たりがあり、書いてある内容の細かい所まで推測出来たから。何も知らない状態から暗号を解こうとすれば、まず不可能だと思いますよ」
「それで安心しやした」
例えばクロスワードパズルを解くときに、縦横のキーワードを知った上で当てはめるのと、一切のヒントも無く、またキーワードのヒントも無く、文字数だけが分かっているような状態だ。
ペイスはキーワードぐらいは推測で来たから何とか解けた。他の人は、まず無理であろうことは想像に容易い。
「しかし、書いてある内容は、半端じゃねえですね」
「そうですね。暗号を解けるとも思いませんが、可能性はゼロではない。他の人の手に渡れば、かなり危険なことになりかねない」
魔法を使う生物の作り方について書いてある本だ。モルテールン家の順序は逆順だったが、この本の内容を読み解けるなら、魔法使いを量産する技術に目星を付けることも容易いだろう。
恐らく、内容は分からずとも他人に渡すなという口伝があったに違いない。本を隠していたのは、この本の内容はともかく貴重性や危険性が分かっていたからでは無いだろうか。
ペイスはそう推察する。
「当家にとってみれば、今まで仮説であったものが、ぐっと実用化に近づいた訳ですし、更なる応用発展にも使える。しかし、これは確かに禁書にすべきものです」
「そりゃまた、なんでですかい?」
「生命を冒涜するものだからですよ」
生きとし生けるものを、人間の都合で魔法を使う魔物のようにしてしまう。
技術としては有用かもしれないが、表ざたに出来るものでも無い。
「今まで持っていたところが禁書にした理由も、とてもよく分かる。世に出せば、不要な混乱が世界を席巻するでしょうし、何が何でも隠しておこうと思ったのも理解できる」
「それを、坊はうっかり見つけちまったと」
「元々ある程度の仮説を持っている。ヒントをそれなりに与えられて解いたからこそです。本来ならば、口伝でそれなりに知識を与えられた優秀な聖職者あたりが、時間を掛けて読み解いていくものでしょう」
ナヌーテックが何故この本を隠し持っていたかは不明だが、恐らくは元々封印に近い扱いをされていたものだろうという察しは付く。
聖国あたりが封印していたものを、ナヌーテックが盗んだ可能性は高い。そして、盗んだは良いものの中身を読めずに死蔵していたとなると、説明もつく。
「折角なので、禁書庫の警備も更に厳重にしないと。いずれ改築しないといけませんね」
「またぞろ人手が要ることを。もう少し、物事を落ち着いてやってくだせえ」
「これは僕のせいじゃないでしょう。まさかそんな本だとは思わなかったわけですし」
ペイスの言葉に、シイツや館長は大いに笑った。
ペイスが妙なことに巻き込まれるのはいつものことだと。
貴重な本を、どうやって隠すかを話し合い、急ぎ禁書庫を改築せねばと話はまとまる。
そしてその晩、禁書庫が襲われる事件が起きた。





