512話 スラム
ナヌーテックの王都。
南大陸でも一と言って二と下らない大都市ではあるが、この街には一つ特徴がある。街の中の城がとてつもなく巨大であること。
国王の権力と権威の象徴である城が大きいのは何処の国でも同じだが、この国では他の国の輪をかけて大きな城が国王の住まいとなっている。
大きいことは良いことであるから、兎に角他の国のどの城よりも広く、大きく、高い建物が建てられた。
町の中の何処に居ても見られるこの城があることで、もう一つの特徴も生まれる。
それが、広大な裏町だ。
巨大な建造物が建っていることで、街の中にどうしても日中常に日陰になってしまう場所が生まれる。或いは日当たりの悪い場所というのが出来てしまう。
夜に留まらず昼間もうす暗いとなれば、居住性は最悪である。
洗濯物を干したところで乾かないし、いつだって湿っぽくてカビが蔓延っているし、人の顔も遠目からは分かりにくい。
どうしたって、まともな人間は住まない場所になり、逆にまともでない人間が集まるようになる。
社会的弱者の吹き溜まりであり、犯罪者が隠れ済み、脛に傷を持つ人間が屯する場所。
それが裏町。俗にいうスラム街である。
このスラム街も、一応人口自体はそれなりに多い。
家賃がとても安いことで貧困層が集まるからだ。
その貧困層相手のお店も無くはないので、酒場というのも一応は存在する。
ガラの悪い連中が集まり、身なりの汚い奴らがたむろし、金の無い奴らがなけなしの日銭を持って酔っぱらいに来る場所だ。
逆さの盃亭は、そんな低所得者向けの酒場。
酔えればよかろうとばかりに不味くて安い酒を売っていて、料理も大したものがない。
店そのものは四階建てで、四階は店主の住居。三階と二階は貸し部屋になっていて、酔っぱらいが女を買って連れ込むこともある。
徹頭徹尾危険な場所であり、まともな人間はまず近寄らないお店の、貸し部屋の一室。
まともでない人間が二人、待ち合わせていた。
ぎしりぎりしと煩く鳴る廊下を歩き、三階の端の部屋に男が一人やってくる。
部屋の扉をコンコンと二回叩き、しばらく間をあけて三回叩く。
そのままじっと待っていると、ギイと部屋の扉が開けられた。
音もなく男は部屋に入り、中をさっと見回す。
部屋の中には、黒づくめの衣装で顔から体つきから全てを隠した人間が居た。
どうみても怪しいのだが、男はそれを気にすることなく部屋の様子を伺う。
やがて、中の人間が一人であることを確信したところで、黒づくめに声を掛ける。
「我らに用事とは?」
「そのまえに確認しておく。貴公は“鴉“の副頭領。いや、今は頭領であっているか?」
「……そうだ」
ナヌーテックの暗部。本当の組織名は公式文書にも残されることは無く、存在を知るものは極一部に限られる隠密部隊。
通称で鴉。
元々はゴビュウ一等爵がトップであった組織だが、頭が潰されたことで解体的出直しを求められている真っ最中である。
先の戦いにおいて、決定的な裏切り者を出してしまったことも有り、国王からの信頼は大きく損なっているのが現状。
男もまた、その一員であった。
かつては頭領を支える立場であったのだが、先だっての裏切り者を出した責任と、敗戦による責任を取るということで先代が首だけになり、頭領のお鉢が回ってきた形。
その事情を、どうやら黒尽くめは承知しているらしい。
本来は存在すら知られていないはずの組織の、それもトップに近しいところの内部事情まで知られているというのは、男としては屈辱だ。
どこまでいっても陰に徹すべきものは、有名になることは不利益しか生まないのだから。
「いま、貴公らは危機にある。王からの信頼が揺らぎ、組織の名目上のトップであったゴビュウ一等爵が失職。実質上のトップは責任を取って死を賜り、残された者たちも動揺が激しい。違うか?」
「いや、違わないな」
今更否定したところでどうということも無い。
黒づくめの言う通り。現状の鴉は危機的状況に瀕していると言っても過言ではない。
組織解体の危機。
現実問題として、危機が目の前にあるのは間違いない。
現状をとどめている理由は、他に代替が無いからだ。
ナヌーテックの、特に王の耳に情報を入れるのは、それ相応の責任が伴う。失敗すれば先代のように刑死させられるというのに、好んでやろうと思う人間は相当に珍しい。
それこそ孤児で他に行く場所がないであるとか、余程に篤い忠誠心があるとか。
鴉の面々の殆どは身寄りのない孤児出身だが、頭領のような立場の人間は忠誠心の篤さも大事だ。裏の仕事をするからこそ、高い倫理観と誠実な忠誠心が求められる。
忠誠心が求められるのは末端も同じだが、こちらは本気で国に命を捧げる覚悟を持っているものも多い。
そういう教育を受けてきたというのも有るが、汚い仕事をしているからこそ、自分たちが国の役に立っていると思えることが心の平穏を保つ方法なのだ。
どれほどえげつないことをしようと、どれほど汚らしいことをしようと、どれほど後ろ暗いことをしようと。
自分たちは選ばれた人間であり、自分たちが国家にとって重要な仕事を任されていて、自分たちこそが国を支えている。そう思えるからこそ、耐えられるというもの。
今、この前提が揺らいでいる。
自分たちのしてきた仕事が無駄であったならまだしも、逆に国に対して損失を与える行動であったという評価を下されたからだ。
ことは責任者の処罰では済まず、早い話が組織構成員のプライドを壊してしまったということ。
今までのことは間違っていたんじゃないか、と疑い出すきっかけには十分すぎる。
結果として、組織はかなりの部分で機能不全を起こし、組織のアイデンティティが崩壊しかかっているのだ。
「目下、鴉は組織の立て直しが求められている。だな?」
「……そうだ」
頭領の口からはかなり言い辛いことではある。
しかし、今更言葉を濁すことに意味はない。
黒尽くめはどこまで内情を調べているのか。不明ながら、言っていることにかなり強い確信を持っていることを察することが出来る。
少なくとも、カマを掛けている様子ではない。それぐらいは暗部の人間として嫌というほど分かってしまう。
黒尽くめが話すのは、確信を持っていること。恐らく、どこぞの国の隠密なのだろうと察している。
男とて一国の裏を一手に担ってきた組織の人間。相手の立ち位置を予想することはあるが、確信は無い。
正直、自分たちの組織の立て直しを図る今でなければ、こうして自分が出向くことも無かった。
つまりは、自分を呼び出した時点で相手には確信があるのだ。ハッタリやカマかけでないと判断する所以である。
「組織を立て直すにあたって。求められているのは……報復。それと奪還であろう」
「報復に関しては、求められていない」
「明確に求められていないだけだろう。王の気性から言って、やられたままで居るとは思えない。必ず、報復を考える」
「そうかもしれん。だが、今は無理だ」
「まあ、そうだろうな。王からの信頼、組織の求心力、新体制への安心感。全て必要なことだが、その為には組織の力をもって報復を為さねば始まらない。違うかな?」
「いや、違わない」
黒尽くめが、明らかな嘲笑を見せた。
男はそのまま目の前の黒づくめの首を掻き切ってやりたい衝動に駆られたが、そのままぐっとこらえる。
黒尽くめの言うことが逐一正論だったからだ。
ナヌーテック人の気性は、戦士の気性だ。
戦いを忌避すること、敗北をそのまま受け入れることを悪とさえ考える。屈辱を受けたなら、いつかはそれを報復せねば恥と思う。
ナヌーテックの王は、国民の気性をよく知っている。先だって起きた神王国との戦争も、そもそもの行動の端緒は神王国への報復感情に配慮した結果だ。
やられたらやり返す。やられっぱなしは戦士の恥だ。
しかし、現状の戦力ではやりたくても出来ない。
戦争で負けたばかり。講和では一方的にナヌーテックは損をし、更には城から財物がごっそり盗まれた。
そう、財物が盗まれたのだ。
ナヌーテック人も、戦いにおいて敵からものを奪うということ自体を否定しない。自分たちも散々やっていることだからだ。敵の村々を襲って食料やら財物やらを奪っていくような真似は、今更言うまでも無く常識の範疇として肯定される。
それが戦争だ。
自分がやられたからと言って非難するのは筋違いなのは神王国側の言い分が正しいのだが、だからと言って王宮から国宝が幾つも盗まれたのは許しがたい。
国王は、国宝の奪還を命じた。
特に、本の奪還は最優先とされている。
盗まれた本の中には『手にしたものが世界を握る』とも伝わる、貴重な本が含まれているからだ。
組織の立て直しが済んだなら、真っ先にやらねばならない仕事になるだろう。
組織を立て直さねば国宝奪還は出来ない。国宝が奪還できねば国王は鴉を信頼しない。王からの信頼が無ければ組織は立て直せない。堂々巡りであり、悔しいが地道にやるしかないと男は思っている。
「報復をしたい。しかし、内が弱っていてその力がない。組織の立て直しは急務だが、その為には明確な功績が要る。功績を挙げる為には組織の立て直しが要る」
「ああ」
「認識の間違いが無いようで重畳」
黒尽くめは、くくくと笑う。
癇に障る笑い方ではあるが、男はいい加減焦れてきた。
「それで? 用件は?」
「モルテールンの秘密を、教えよう」
「ほほう?」
いよいよ本題を話す黒尽くめ。
これこそ、男がここにいる理由。今の膠着状態を打破する、有効な手立てがあると聞いていなければわざわざこんなところになど来なかった。
「泥の中に落ちたものを探すには、泥をかき混ぜるのが一番だ。手を入れて掻きまわせば、自ずから探し物も見つかりやすい」
「何がいいたい?」
黒づくめの持って回った言い回しに、はっきり言えと男はくぎを刺す。
「散々に掻きまわしたところ、怪しい所があった。三か所ほどな」
「ふん、使えんな」
意趣返しなのだろう。ささやかな仕返しではあるが、男の留飲は下がる。
散々勿体ぶっておいて、モルテールンが国宝を隠す場所が絞り切れなかったとは。
「三か所でも絞れたなら上等と思って貰いたい。そこからどうするかは、お前たち次第だ」
「……詳細を聞こうか」
闇の中、人知れず行われた会合は、誰に知られることも無く消えていった。





