511話 緊急連絡
モルテールン領ザースデンに、一羽の鳥がやってきた。
赤い布を足につけ、布と一緒に小さい容器もくっ付いている。
容器の中には薄く小さい羊皮紙の切れ端のようなものが入っていて、羊皮紙にはこれまた読めるかどうか怪しいぐらいの小さい字で僅かな数の文字が書かれていた。
ボンビーノ子爵家とモルテールン子爵家の間で取り決めてある、ボンビーノ子爵家からの緊急連絡である。
慌ててペイスの元に羊皮紙ごと伝えられ、目ぼしい人が集められる用件となった。
「ペイストリー様!! 大至急とのことでしたが」
「プローホル、落ち着きなさい。危急の時こそ冷静さが必要です。シイツなら、冗談の一つも言っているところですよ?」
「え? あ、はい。分かりました」
「これで全員揃いましたか」
執務室に集められたのは、グラサージュ、ニコロ、プローホルやダグラッドなど。取りあえず集まれる人間で、一定程度の裁量が認められている人物だ。
要するに、部下のいる人間が集められた。
モルテールン家の意思決定において、重要な管理職たちということだ。
別に全員集まる用事で無かったとしても、緊急事態には可能な限り集まるのがモルテールン家の非常時の対応だ。
下手に重要な責任者が居ない状況で物事を判断して間違えるぐらいなら、無駄足になる可能性が有ろうと重役格やリーダー格の人間は集めるのがベターである。
最善を求めるよりは最悪を避けるべき。カセロールが軍人として培ってきた処世術であり、モルテールン家のトップが決定したことなので、それに従って行動するのは当然のことだ。
「それで、ボンビーノ家からの危急の報せとはなんですか?」
代表して、年長者でもあるグラサージュがペイスに聞く。しかも、かなり緊張気味に。
ボンビーノ家はモルテールン家にとって重要な家。優先交渉権や一部の農地の租借権などの利権を持っているので、モルテールン家の利益という意味でも大切な家だ。在外権益を保有するのは相互の安全保障という意味合いもあるので、経済的に繋がりを深めることでお互いにお互いが“切り捨てれば損失になる相手”になっている意味合いは大きい。
政治的にも重要だし、何なら大抵のトラブルにおいて味方と計算できることが多い、ありがたい家である。モルテールン家には敵が多いのだが、ハースキヴィ家やボンビーノ家は、多くの場合で信頼できる。婚姻外交というものの強みだ。
政治的にも経済的にも、何となれば軍事的にも重要なパートナーからの緊急の報せ。
これは、何か大きなトラブルでもあったのではないかと身構えるのも当然だ。
何せ、前科が有る。
具体的に言えば、大龍の襲来だ。
最初は魔の森から魔物や動物の一斉襲来が有ったという話だったが、最後にやってきたのは領地一つを壊滅させた怪物だった。
あの時の緊急の報せを思えば、今回の知らせについても緊張が走るのも仕方ない。
「暗殺の可能性。要注意とのことです」
ペイスの言葉に、露骨に安堵する従士たち。
実際、言っていることは結構物騒な話だし、緊急の報せになるのも分かるのだが、悲しいことにモルテールン家の従士たちはトラブルに慣れ過ぎている。
実際に誰か殺されたならまだしも、その危険性が有るぞというぐらいなら驚かない。その程度のことは日常だからだ。
日本人が震度四や五の地震ぐらいでは驚かないようなものだ。驚くにしても、何ならまだ小さい地震だと安堵しかねない。
暗殺というならおおごとだが、モルテールン家を狙ってくる奴がいるなど今更今更と、笑う余裕すらあった。
「なんです、それ。あまり意味の無い情報のようですが」
若手の一人が、代表意見のようなことを口走った。
暗殺者に狙われていますよというのは、それだけでは意味があまりない。全く無意味とは言わないが、明日は晴れそうですよと言われてるのに近い。暗殺者が狙っているのは確認するまでも無く今更だから、それを言われたところでという気持ちが有る。
言い分はもっともであると、ペイスも頷いた。
「はい。確かにこの文だけだと大した情報量ではない。しかし、こうして知らせてきたということは何かあるのでしょう。軽視することで大事になるよりは、大げさに動いて杞憂だったと笑うぐらいが良い。なので、これから急いでウランタ義兄上のとのころに行ってきます。先ぶれを大急ぎで、プローホルに頼みましょうか。今からすぐに身支度して出向くので、非公式で構わないから時間を取ってくれと。先方が何か用事が有るようなら、向こうで待ちます」
「分かりました」
結果、ペイスが事情を直接聞きに行くことになった。
魔法で飛べるというのは大変便利である。
ただし、一応は来訪の理由を表向きで用意する必要があった。
ボンビーノ家が緊急事態と知らせてきたなら、モルテールン家ないしはボンビーノ家に監視が付いている可能性は高い。常よりも一段上、二段上の監視体制が敷かれていてもおかしくない。目を皿のようにして逐一調べてきているはず。
だから、情報を隠蔽せねばなるまい。
ボンビーノ家の情報伝達速度の上限を知られるのは先方にとっても不利益だし、モルテールン家にも損しかないからだ。
或いは、ペイスが不在という情報も漏れては不味い。トップが不在というのはそれだけ意思決定で遅れが生まれやすい。
居る風を装うべし。
方針が決まると、モルテールン家の面々は動きも素早い。
「では、しばらくの間は“重要会議”を続けるように」
「分かりました」
幾つかの指示を出したペイスが、モルテールン領から魔法でボンビーノ領に移動する。
残された従士たちは、引き続き『部外者立ち入り禁止の重要会議』を行う。勿論、ペイスも参加していることになっている重要会議だ。
魔法防護も万全な執務室で、急な召集を受けた領内の重役たちが、みんな集まっているのだ。今もって重要会議中だと言って、疑う人間は左程いまい。
「よし、若様が出かけられたところで、折角だから座って話そう」
パン、と柏手を打ったグラサージュのお陰で、執務室内の雰囲気が変わった。
具体的に言えば、非常にリラックスした雰囲気になった。
「お酒とか出たりしません?」
気が抜けたのか、若手の一人が半分笑いながら酒を出せとのたまった。
「一応は会議だぞ? 終わったところで酔っぱらってたら、バレるだろう」
「それもそうですね。折角ゆっくりできそうなのに、お酒無しだとちょっと勿体ない時間の使い方です。ダラダラしてるのも落ち着かないっていうか」
「なら、有意義に情報交換といこうじゃないか」
「はい、グラスさん」
ペイスの居ない執務室。
そこで一番上席なのは、現状ではグラサージュだ。
彼が音頭を取って、銘々にソファーに座ってリラックスする。
“重要会議”の議題は、巷に流れる噂話だ。
「酒って言えば、シイツ従士長もこのあいだ酒が飲みてえってぼやいてましたよ。赤ん坊抱っこしながら」
「え? シイツさんの禁酒、まだ続いてるのか?」
育児休暇中のシイツは、家に引きこもっている訳はない。
時折天気のいい時に、生まれた子を抱えて散歩している。
従士たちにとってみれば、実に楽しい楽しい揶揄いがいのある状況だ。
見かけたら誰彼と絡みに行くので、シイツに関する状況は知っている人間も多い。
禁酒していることなど、この場の全員が知っていた。驚くべきなのは、毎晩晩酌していたような飲兵衛が、禁酒を続けられていることだ。
「らしいです。子供が誤って飲んでしまわないよう、家の中から酒が全部片付けられたって話で。育休あけたらしこたま飲んでやるって言ってましたね」
「あの人、何だかんだ言って恐妻……愛妻家だしな」
わははと皆が笑う。
戦場ではカセロールに次いで頼りになり、武勇伝は数知れず、腕っぷしの強さは誰もが認め、悪い大人のお手本のようなシイツ従士長が、奥さんの尻に敷かれている。
こんなものは茶化すなという方が無理だ。
上司の悪口が楽しいというのはどの組織でも共通である。
「子煩悩なのは意外でした」
「意外か? あの人は若様が産まれた時も結構世話焼いてたし、昔から子供の相手をするのは好きだったぞ?」
昔を知るグラサージュが、シイツ従士長を庇う。
何だかんだ言っても尊敬できる部分も多い従士長と、一番長い付き合いがあるからだ。
何ならペイスが生まれた時に、自分の子のように可愛がっていたことも知っているし、それ以前の傭兵時代、孤児の子供たちの世話を焼いていた時も知っている。
意外も何も、昔からああいうところが有ったと、グラサージュはシイツを評す。
「そうは言っても、他所の子と自分の子は違うじゃないですか」
「まあなあ」
「子どもで思い出しましたけど、グラスさんとこは、孫はまだなんですか?」
「おい!!」
「そうそう。ラミトさんも子供が出来てもおかしか無い年でしょうし、何なら娘さんが先に子持ちに……」
「まてまて。ルミが子持ちになるのはまだ早い。というか、まだ俺はお爺ちゃんと呼ばれたくないぞ!!」
「あはははは」
「時間の問題ですって。そういうこと言ってると、孫に会わせて貰えなくなりますよ?」
皆が笑う。
上司を遠慮なく揶揄えるのも、モルテールン家の上下関係が緩いからであろう。
形勢不利を悟ったグラサージュは渋い顔をする。
シイツの育休の話から子供の話になり、子供の話からグラサージュの孫がいつできるのかの話になり、孫の話から最近老人が増えてきた真面目な話になり、老人の話から何故か美人の居る酒場の話になり、美人の話から最近のファッションの話になりと、話題が幾つもコロコロと変わる会議。
雑談もとい重要会議をしていると、二時間ほどでペイスが戻ってきた。
「ただいま戻りました」
「お帰りなさい若様。で、どうでした?」
「暗殺の計画を、聖国の人間が知らせてきたそうです。動いているのはナヌーテックの隠密です」
「なるほど。暗部が動きましたか」
グラサージュが、大きく頷く。
ナヌーテックの秘密部隊。俗に暗部とも呼ぶが、ここの人員がモルテールン家の人間を狙っているという。
命を狙われているというのは今に始まったことでは無く昔からであるが、具体的に敵の組織までわかっている例はあまりない。
「元暗部の人間も裏を取ったって話でしょう? 信頼性は高いですね」
ボンビーノ家には、ナヌーテックの暗部出身者が居る。
昔取った杵柄とでも言おうか、或いは蛇の道は蛇とでも言おうか。
裏どりもしっかりと取れているらしく、ボンビーノ家の独自調査でも怪しい動きが有るらしいということだった。
狙われているのはボンビーノ家の誰であるのか。そこはまだはっきりしない。
「さて……今更うちの人間の首を狙いに来るとも思いませんが……何が狙いなのか」
「どうします?」
本当に狙われていて、更には危機が具体的かつ喫緊に迫っているとしたら。
流石にペイスも無策でいようとは思わなかった。
「色々と、対策を取っておかねばならないでしょうね」
ペイスは、早速とばかりに各所に対策を指示し始めるのだった。





