509話 来訪
ボンビーノ領ナイリエ。
天然の良港として知られる国際港で、漁港としては国内でも随一の水揚げ量を誇る。
ボンビーノ子爵家が国家創建以来富貴を享受してきた根源がこの港町にあり、ここに駐留する艦隊は神王国でもレーテシュ海軍に次ぐ規模。
海軍の練度に関しても近年は実力を向上させており、とりわけ第六小隊と呼ばれる新設部隊は海の上にあっては最強という呼び声も高い。
先だって起きた聖国と神王国との海戦においてはこのボンビーノ海軍は獅子奮迅の活躍をし、神王国貴族の間にボンビーノ家は精強無比であるとの評判も勝ち取っている。
子爵家の誇る、勇猛なる海軍。
ボンビーノ海軍は船一隻ごとに隊が分けられている。複数の指揮系統が一つの船の中に混在するより、一つの体系だった指揮系統が一つの船の中で完結する方が運用上好ましいからだ。
船長を隊長が兼ね、隊の序列に従って船員の序列が定まっている。
ボンビーノ家主力艦バロン。
かつて海賊討伐の戦いがあった際にはモルテールン家の乗艦となり、特大の軍功をあげた殊勲艦として知られる帆船だ。その後も多くの戦いに使われ、その度に功績をあげた縁起のすこぶる良い船である。
船乗りというのは自然を相手にするもの。人知の及ばないものに関して、運否天賦に縋ることも多い。必然、信心深くなるものも多く、とりわけ迷信と呼ばれそうな縁起担ぎが多く存在するのが船乗りだ。
バロンは、幸運な船。そういう風潮が一度できてしまうと、船乗りはみんながみんなバロンに乗りたがる。かつての大殊勲にあやかろうと考える人間は多く、荒くれ者同士が喧嘩沙汰まで起こした。
幸運の船の船長となると尚更、生半可な人物では誰も納得しない。
このバロンの艦長は、海蛇ニルダとの異名を持つ第六小隊小隊長ニルディアである。他の古株の隊長格や従士を押しのけて殊勲艦に座ったのは、偏に彼女以外では家中が納まらなかったから。他に誰が乗るのかという意見の元、満場一致でニルダが船長に就任した。
彼女の率いる最強部隊は、普段であれば海の上に居ることが多い。
波音を子守歌に育ったような連中ばかりの小隊なので、陸の上に居る方が具合が悪くなるという奴まで居る、筋金入りの船乗りたち。
海の上こそ我らが故郷。波の上こそ我らが城。船の上こそ我らが家である。
今日も今日とて波に揺られて海の上に居たのだが、バロンの乗組員がニルダの元に慌てて飛び込んできた。
「姉御!!」
上裸に直接ジャケットだけを羽織ったような、肌色が多い恰好をした強面。
海賊と間違われることもしばしばな厳つい男が、ニルダの元に飛び込む。
「何だい、騒々しいね」
「船が見えた。公船の旗あげて、こっちに来る!!」
慌てて駆け込むことだけはある報告だった。
公船旗とは、基本的に一つの国に一つである。勿論予備は有るし、複数の船が持っていることも有るのだが、掲げるときは代表の船が一艘だけ掲げるのが通例。
この旗は、慣習の上では特別な意味が有る。
掲げられた船の中は、例え他の国の官憲だろうと旗の示す国の法の元で治められるのだ。他国の領土がそのまま船になっているようなもの。
ニルダ達とて、下手に手を出すと火傷しかねない、取扱注意の情報である。
「ほう、どこの公船か分かるかい?」
「聖国だ。どうするよ、姉御」
聖国といえば、ニルダ達は実際に矢を射かけたり乗り込んで斬りまくったりした相手。顔を覚えられているだろうし、恨みもかなり買っているだろう。
であれば、乗り込んで臨検などという真似はやり辛い。
普通ならば、そう考える。
しかし、ニルディア船長の肝の据わり方は並みじゃない。伊達に破落戸共の手綱を握ってきた訳では無いので、公船だろうが何だろうが、知ったこっちゃないという態度。
「どうするも何も、いつも通りさ。取りあえずどっかに泊めさせて、人をやって目的を聞いて、怪しいもんが無いか船を調べる」
「公船だぜ? いいのか?」
「良いんだよ。文句言うなら海に放り込んじまいな」
「うっす」
明確に聖国の公的な立場を示しているのに、それを疑い、調べても良いという指示。
部下も部下で、ニルダが言うなら構わないだろうと開き直った。
海賊もどきの第六小隊。きっとあちらさんも驚くだろうと、ニルダは相手に同情した。
◇◇◇◇◇
「聖国から、外交使節ですって?」
ニルダ達バロン乗組員が聖国の公船と接触してからしばらく。
当の第六小隊から、至急ということで連絡が届く。
報告を受け取った補佐役のケラウスは、主君たるウランタの元に報告に出向いた。
報告の内容は、聖国から外交使節がやってくるというもの。
急いで先ぶれするべき情報であり、ウランタとしても驚きを隠せない。何せ、聖国は戦争したばかりの完全なる敵国。海戦の殊勲者たとボンビーノ家は、明確に聖国の敵である。
それが外交使節とは、一体どういうことなのか。少なくとも、考えなしに送ってきていることはあるまい。
「はい。先ぶれが届きました。こちらの受け入れ準備が整い次第やってくると」
「やってくる理由は?」
「先般より途絶えている聖国とボンビーノ家との関係修復の為とのことで」
「……断る訳にもいきませんね」
ごめんなさい、うちも謝るんでこれからは仲良くしてよ、と言いに来る相手に対して、会いもせずに追い返すのは堂々たる宣戦布告である。
てめえらの顔なんざ見たくもねえ、おとといきやがれと、唾を吐きかける行為だ。
貴公の首は船のマストに飾られるのがお似合いだと、進軍ラッパを鳴らして戦争を吹っかけるに等しい。
どれだけ仲が悪かろうと、最低限の交渉チャンネルは開いておくのは正しい外交戦術だ。
どこでどう状況が変わるかもしれない。敵の敵は利用できる訳だから、聖国の敵がボンビーノ家と争うことになった時、聖国と手を組める可能性ぐらいは残しておくのが良い。
例えば、レーテシュ家あたりは可能性がある。ボンビーノ家もレーテシュ家も共に港を持ち、海軍が軍事力の基本となっている家柄。海洋権益でどうしたってぶつかることは有るだろうし、レーテシュ家とボンビーノ家で一対一の争いをしたらまず勝ち目はない。
レーテシュ家と敵対するところと組んで連合で対抗するしかないのだから、その場合の候補は聖国も含まれるだろう。
勿論、今現在レーテシュ家とボンビーノ家は仲が悪いということは無い。街道権益を含めてレーテシュ家とボンビーノ家は六対四から七対三ぐらいの力関係である。友好的従属といったところか。派閥的にどうしたってレーテシュ家を上位に置くが、かといって盲目的に従わねばならないほど極端な力関係でも無い。公的な場では常に一歩譲るぐらいの関係性である。
勿論、出来るだけ五分五分、或いはボンビーノ家側が上になるようにしたいところではある。貴族家当主として、常に自家の伸張を図るのは義務だ。
いずれ、レーテシュ家を従える可能性はゼロではない。ゼロでは無いのだが、それはそれで難しいことでもあろうか。聖国と外交関係を完全に切ってしまえば、少ない可能性もゼロになりかねない。
或いは、他の貴族家が連合を組んでボンビーノ家と対抗しようとするかもしれない。
ボンビーノ家は伝統貴族だ。国家創建以来長い歴史を持つ、伝統と格式を今に伝える古い家柄である。
二十数年前の大戦以降、神王国内では新興貴族が勃興してきている。モルテールン家などは言うに及ばず、幾つもの貴族家が大戦後に勢いを増した。
旧来の格式を重視するボンビーノ家と、旧来の序列を打破しようとする新興貴族は、根底の所の価値観で反発が起きやすい。
ウランタ自身は誰かさんの影響も有って割と開明的な考えを持っているが、家の事情は潜在的な不安要素ではある。
今はそんな懸念をする必要は無いにせよ、将来的には新興貴族ががっちり肩を組んで、ボンビーノ家を追い落とそうとしてくるかもしれない。
そうなったなら、聖国から助力を得られる余地が有る方が良いに決まっている。
はたまた、王都の政変でボンビーノ家が目の敵にされる状況が生まれるかもしれない。
ボンビーノ子爵家は宮廷内ではあまり立場が良くない。別に無いことも無いのだが、あえて言うなら軍家になるのに、外務閥や内務閥とも割と親しい付き合いが有るからだ。
神王国では軍隊とは陸軍を基本とする。もっと言えば、騎兵を基本とする。騎士が最低限の軍事単位であり、騎士によって成り立った騎兵重視の国家が神王国だ。
何となれば、海軍が領内軍事力の大半を占めるボンビーノ家は、神王国全体の軍事力からすれば補助戦力でしかない。軍事的な国策にも関わることが無く、外交的にも海を通じた諸外国との窓口はレーテシュ家が担っている。内政としても農政には縁遠く、漁業主体のボンビーノ家はやはり主流からは外れる。
経済的に豊かになってきた昨今はそうでも無いが、以前であれば殆ど居ない者扱いで無視されていた。
またかつてのように、宮廷内でも居場所がなくなる可能性はゼロではない。
ならば、外交的にも経済的にも、聖国との繋がりが役立つ場面は多いはず。
如何なる状況を将来的に想定するにせよ、選択肢を狭めない為にも、いきなり喧嘩腰の対応は出来ない。
外交使節を歓迎するための準備が慌ただしく行われ、屋敷の中も徹底的に清掃する。
子爵夫人は産後の体調不良があって顔を出せない状況となれば、外交使節を接遇するのは全てウランタの肩に責任がのしかかる。
機嫌を損ねると大いに不具合を齎す相手と接する機会。これは誰だって緊張するもの。
特に、責任感が強ければ強いほど、失敗した時の悪い想像をして緊張してしまうものだ。
こういう時、ウランタがすることが有った。
それは、ペイストリーの真似を演じること。
ウランタにとっては、心臓が毛むくじゃらになってそうなペイスの態度や振る舞いは、緊張してしまう時に大いに参考になるのだ。
可哀そうに。
準備も粗方終わって後。
先ぶれ通りに、外交使節がやってきた。
「いやあ、どうもどうも」
やってきたのは、柔和な笑顔にふくよかな体躯の、どうみても普通のおじさんだった。





