507話 図書館視察
明るい朝の始まり。
いつもの日常が始まる中にあって、ザースデンではちょっとしたイベントが開催されていた。
それが、新施設の開放。
「図書館がようやく開館ですか」
ペイスが呟いた声を、プローホルが拾う。
「嬉しいです。これで休日にも有意義な時間が過ごせますから」
「休みの日ぐらいゆっくりすれば良いでしょう」
モルテールン家の従士の業務は、激務と言って良い。
領地一つを動かす中核として働くのだから責任も重たいし、物事の判断に高い教養と知性が求められる。
或いは体力的に並みの人間では務まらない業務もある。肉体労働で鍛えられている荒くれ者に対して、力づくで取り押さえる様なことだってあるからだ。
或いは、魔の森の探索がそうであったように、命の危機が間近にある状態で剣を振るうこともある。
どの業務にしたところで、楽な仕事など有りはしない。
精神的、肉体的にかなりハードな仕事ばかり。
しかし、トップがペイスであることは幸いだ。
現代的な感覚を持つ彼の業務管理は、きちんと休みを取らせるものである。年間休日や週休という概念を理解しているトップがいるので、その点はモルテールン家の従士も恵まれていると言って良い。
一年が十三ヶ月ある太陰暦のような暦を使う神王国であるが、それぞれ毎週決まった曜日に休みがあるし、有給休暇も認められているのだ。
時には同期で休みをあわせて飲みに行くということもあるし、完全に私事の都合で休みを取って遊びに使うことも許されていた。
恋人や家族のいる人間は、休みをとって仲良く過ごすというケースもある。
ペイスが休みの日ぐらいゆっくりしろというのは、真面目なプローホルが休みの日まで勉学に励むつもりらしいと思ったからだ。
仕事で嫌というほど頭を酷使するのに、何も休みの日まで疲れることはなかろうという老婆心である。
しかし、プローホルはペイスの言葉に対して首を横に振った。
別に休みの日に勉強をするわけではないと。
「本を読むのが趣味なんです。読書ほどゆっくりできる趣味は無いですよ?」
「なるほど」
ペイスはプローホルの意見に同意する。
本を読む行為が精神的にも良いことはよく知られているからだ。
落ち着いた読書程心と頭に利く趣味も無いだろう。
そう考えると、図書館にはもっと娯楽の本を増やした方が良いかもしれない。ペイスは軽く思考にふける。
今のラインナップは、どうしたって実用方面に偏っている。図鑑や辞書、歴史書、宗教的な聖書の類などなど。金を掛けてでも本としておくべき知識を纏めてあることが多いのだ。
小説だの物語だのは、わざわざ大金を掛けてまで本にしようとする人間は少ない。
貴族家の初代が為した功績を称える冒険譚だの、困難が数多降り注ぐ中で華麗に解決していく国王の業績だの。どこまで本当か分かったものじゃない、美辞麗句塗れの活劇台本もどきならばそれなりに有るのだが。
貴族や王族にはわざわざ功績をアピールしないといけない場合も有るので、金を掛けても製本して喧伝している。
実用書が多数に、プロパガンダ的な嘘歴史書に、教会にあった聖書といったラインナップ。本を読み物として楽しむという観点を、割と忘れていたことにペイスは気づいた。
「プローホルは、どんな本が好きですか?」
「学校では勉強に役立ちそうな本ばかり読んでいましたが、今あえて選ぶとするなら劇の脚本や台本なんかが良いですね」
伊達に寄宿士官学校を首席で出ていない。プローホルも、かなりの読書家である。寄宿士官学校は内容こそ軍事に偏っていても、割と中立的な立ち位置で蔵書が置いてあった。
過去の戦訓を学ぶにも、客観的で中立的な視点の解説書などは、割と読んでいて面白いらしい。モルテールン図書館にも、勿論収蔵されている。
しかし、もしも今回新設された図書館の中から好きな本を選べというのなら、舞台脚本だとプローホルは考える。
「そんなもの、ありましたっけ?」
「ええ。幾つかあったのを覚えてます。王都の劇場では人気の出た劇の台本は、再演を考えて残しておくらしいです。名作と呼ばれるものであれば、他の劇場も真似したがりますし、優れた脚本は劇団の財産です。大事に保管されているようですね。役者ごとに即興要素も多いようですが、きちんと保存用に纏められたものはストーリーもあって面白いですよ」
「ほうほう」
プローホルの意見は、ペイスにとって新鮮だった。
かつて、モルテールン家はレーテシュ家とやり合うのに役者を支援したことが有る。今でも有望そうな役者には支援もしているのだが、劇の脚本というなら確かに起承転結があって面白そうだ。小説とはまた違った楽しみ方が有るのだろうが、読書の読み物としても面白いのかもしれないと、ペイスも興味を惹かれた。
「おすすめの劇の名前はありますか?」
「良いんですか?」
「え?」
興味がてら、おススメを聞いたペイスだったが、軽い気持ちで聞いたことがどうやらプローホルにとってツボを付いたらしい。
いきなりいい笑顔になって、話にとても食いついて来た。
「自分のおススメというなら、間違いなく『英雄モルテールン』の劇になります。『夜明けの太陽』でも良いですが、カセロール様が立身出世なさったところを演じているので、何というか現実感が他の劇とは段違いでして」
「おお!! そんなものも有るんですか」
英雄モルテールンと題された劇は、読んで字のごとく当代モルテールン家当主カセロールが活躍した様を描いた冒険活劇。平民と大して変わらない身分から、魔法を授かって己の使命に目覚め、戦場で功をなし名を馳せる様をドラマチックに描いた名作だそうだ。
三部作になっていて、三部には駆け落ちをしても想いを遂げるというロマンス要素があるらしい。劇場で演じられるのは大戦の大活躍を描いた二部か、ロマンス要素マシマシの三部であることが多いそうだ。
実に面白そうだと、ペイスも頷く。
夜明けの太陽と題された劇は、カリソン王子の英雄譚になる。
王子として生まれて育ち、父や母を政変と戦乱で失いながら、盟友カセロールと出会って大戦で劇的な勝利をおさめ、近隣にカリソン王ここにありと知らしめた武勇伝の数々を情緒的かつ情熱的に描きあげた快作、という評価だそうだ。今上陛下の昔話ということで、割と頻繁に演じられているものらしいのだが、カセロールと出会い、篤い忠義を受け取る場面などは見せ場の一つになっているとか。
カリソン王子は威厳あるベテランが演じ、カセロールは二枚目のイケメン俳優が演じるのが定番になっているとかで、若手俳優は皆がカセロール役を演じたがるという話だそうな。
どちらにしても、モルテールン家の跡取りとしては是非とも見ておくべきだとペイスは興味を持つ。
これは見なければならない。見ておくのは義務。むしろ領民全てが見るべきだ。
ペイスは、とてもいい笑顔である。
「同期の中では有名でして。図書館が開館したことですし、きっと取り合いになるんじゃないかと……」
「これは、父様を揶揄うネタ……父様を称える為にも広く領民に知らしめねば」
「ペイストリー様、すっごいニヤ付いた顔してますよ?」
何を考えているのかが透けて見えそうな笑顔で、ペイスが笑っている。
早速借りてみようと図書館に突撃したペイスだったのだが、プローホルが言っていた通り取り合いなっており、既に予約が二件入っていた。
流石に領主代行として割り込むのも悪いと思ったので、しぶしぶペイスは諦める。
尚、予約が三件になった。
「みんな、楽しそうですね」
仕方が無いので視察を続けるペイス。
足を運んだのは、幼児向けの本が置いてあるコーナーだ。
「あ、ペイストリーさま。こんにちは」
「はいこんにちは。挨拶出来て偉いですね」
「えへへ」
幼女が、ペイスに頭を撫でられて嬉しそうにする。
その手には、一冊の絵本が抱えられていた。
絵本のタイトルは『おいしいおとぎ話』である。
神王国でも一般的な寓話を集めた寓話集。各貴族家でも子供の情操教育などに用いていたそれらを集め、各家ごとに色んな違いが有ったものを整理し、一冊の本としてまとめ直したものだ。著者はライス・ヤキオニギーリとなっている。
欲張りな狼が目につくものを片っ端から食べたせいで一番美味しそうな大きな山羊を食べられなかったという、欲深さを戒めるお話などが最初に乗っている。
ちなみに、双子の兄弟が親に森に行くなと言いつけられていたのに、兄の方が言いつけを破って迷子になり、美味しいごちそうの晩御飯を弟だけが食べられたという話もある。親の言うことはちゃんと聞きましょうという教訓を学べるお話だ。
或いは、酸っぱい葡萄の話もある。これなどはこの寓話集が初出のお話で、手の届かなかった葡萄を酸っぱい葡萄だと決めつける狐の話になる。
色々なお話が載っているが、数多くの寓話の中から食べ物に関するものだけを集めて絵本にした一冊。
子供たちに楽しく道徳を教える為の一冊なのだが、食に拘ったのはトップの影響である。
楽しそうに本を見る子供たち。
読むほどに識字率が高くは無いので、絵本の絵は子供たちに大人気なようだった。
描いたものはさぞや満足する光景だろう。
満足そうに頷いていたペイスが次に足を運んだのは、特設コーナー。
幾つもの料理本が置いてあって、今日の一冊と書かれたところにおススメの一冊が置いてある。
尚、スイーツの本だ。
「やはり、お菓子コーナーの充実は急務ですね。レシピ本をもっと増やして、とっておきスイーツの写真集なんかも置いて」
ペイスの野望は果てが無い。
まだまだ図書館には手を入れる要素が多いと、視察がとても捗っている様子。
このままだと他の仕事をほったらかしにして図書館に籠りそうだったので、プローホルが退館を促した。
「はいはい。視察はそれぐらいで良いでしょう。お菓子の専門図書館にでもする気ですか?」
「素晴らしいアイデアです!!」
「冗談に決まってるでしょ。はいはい、それじゃあ仕事に戻りましょうか。シイツさんが休んでる間にも、仕事は溜まるんですから」
図書館の視察を終えたペイス達。
その動きを、さりげなく追っている者がいることに、ペイスは目ざとく気づいていた。





