506話 政変のナヌーテック
その日、ナヌーテックでは政変が起きていた。
ゴビュウ一等爵が敗戦の責任を取らされた為だ。
強い者が偉い。勝利することは善であるとするナヌーテックの価値観において、敗者は兎に角蔑まれる。弱者は悪なのだ。
特に、これまで権勢を誇っていた者はその分だけ下を虐げてきた訳で、恨みも多分に買っている。
「ソヴィシール“一等爵”」
「はっ」
「その方を新たに一等爵とし、余の補佐を命ずる」
「御意」
「よくよく心得ておくよう。前任者の“失態”のような真似は、余が許さん」
「御命謹んで承ります」
カラヴァリ・コム・ソヴィシール。
ゴビュウ一等爵。いや、元一等爵の政敵に当たる人物であり、今まで目の上のたんこぶであったゴビュウ家には恨みも怒りも大いにある経歴の持ち主。
先だって、ゴビュウ一等爵が“先導”したとされる神王国への一大攻勢について。面と向かって反対の意見を述べていた人物でもある。
ゴビュウ一等爵が“自身の失敗”によって国威を貶めた事実に鑑みて、二等爵から陞爵の上で側近に抜擢された。
「さて、それでは引継ぎをするとするか」
「御意」
側近としての立場は、ナヌーテックでは特別なものだ。
国王に対して耳打ち出来る権利を持っているので、適当な讒言を耳に入れて政敵を貶めることも出来るし、逆に贔屓のものの功績を殊更大げさに伝えて引き立てることも出来る。
更には、国家の機密にも触れることが出来る。
国家を運営する上で、情報を集める組織は必須。どんなに優れた賢人であっても、誤った情報からは誤った判断しか出来ないものだし、情報が無いものを見通すことも出来ないからだ。
ナヌーテックの国是は弱肉強食。強い者がより強くあることを是とする訳で、ともすれば情報機関などというものは蔑まれがちである。
絡め手や陰謀で目的を果たそうとする政治家を、弱腰で卑怯な腑抜けと言ってのける貴族も多い。
しかし、そんなことではナヌーテックの為にならない。
だからこそ、側近と呼ばれるものは情報機関の長を秘密裏に担うことになる。
引継ぎとは、この組織の掌握を指す。
「まずその方の力量を知りたい。我が国の現状を説明せよ」
「はい」
国王の命令に対して、新しき一等爵のカラヴァリは、緊張しながら説明する。
「では最初に、我が国の経済について」
「うむ」
ソヴィシール一等爵は、自国の経済状況を説明していく。
国王の顔は無表情であるが、報告内容は良いとは言えない為緊張感が有る。
初めての仕事で悪い報告をせねばならない身の不運たるや。前任者を恨みたくなる。
ナヌーテックの経済は、農業が主産業。とりわけ小麦の生産と家畜の放牧については長い歴史と広大な土地からくる優位性を持つ。
山がちな国では行えない広大な放牧地利用であったり、地平線まで続くようなだだっ広い小麦畑など。農業に関してはナヌーテックは強国と言っても過言ではない。
この高い農業生産力を国家の基盤とし、食料生産に支えられた多くの人口を国力の源として、数に物を言わせた陸軍を抱えて、大国として君臨するのがナヌーテックという国だ。
農業は何をおいても守るべき、国の礎。
経済状況から説明していく中で、ソヴィシール一等爵は前任者が隠していたことも報告する。
各地の不作についてだ。
去年までは特に不作ということは無かった。しかし、今年はどうやら不作になりそうなのである。
人手が足りなくなる事態が有ったからというのも理由の一つだが、そもそも天候不順もあった。
前任者はどうやら軍事的成功でこれらの経済的な不安要素を解決したかったようなのだが、それは結局失敗している。
「次に、軍備について」
「……うむ」
一拍か二拍、王の返事に間が有ったことで、ソヴィシール一等爵はぎくりとする。
王が無表情を保てなくなりそうなほど、不機嫌だというのが分かるからだ。
「はっきり、軍備は劣化しているようです」
「劣化とはどういうことだ!!」
「は、はい、現状で分析しますに、国防に関して不安があると考えます」
「ちっ、どういうことか説明しろ」
「御意」
いよいよもって不機嫌さが露になってきた王の態度。
説明する人間としては、勘弁してもらいたいものだ。
前任者は王から諸々の責任を取らされて、比喩ではなく首を飛ばされた。自分がそれに続くのは御免こうむりたいので、必死に説明する。
「先の神王国との戦争で、軍内部に大規模な私的粛清が起きたようです」
「なに?」
「軍の上層部がかなり私腹を肥やし、また恣意的な部隊運用をしていたということで、部下の統制が取れなくなった模様」
「大丈夫なのか?」
「統制自体はすぐに対処したようです。ただ、上級指揮官の何人かは暴徒の手によって命を失いました」
神王国との戦争では、ゴビュウ一等爵は必勝を期した策があった。
あえて神王国の国軍を呼び込み、大兵力同士のにらみ合いを作り出し、長期戦に備えつつ、後方を攪乱して補給線を攻撃し、神王国軍の動員兵力を丸ごと食ってやろうという壮大な策謀。
これについては結果として失敗したが、失敗するまでの過程において、相手の国軍を釣りだすためにあえて手を抜いて戦った場面も数多くあった。
また、大きな戦力は分断して各個に叩くべしという戦術の基本を逸脱して大軍を一カ所に集めようとしていたし、かと思えば自軍は囮にするために不可解な分割をしていたのだ。
暗殺者を仕向けていたことを知らない人間からすれば、ゴビュウ一等爵とその手下どもは軍事の常識も戦術も戦略も全然分かっておらず、無茶な命令で多くのものを失うように仕向けたと見える。
それで成果を出せていたり、或いはゴビュウ家が爵位を保っていたならばまだ統制は保たれていただろう。
しかし、間抜けな命令と無能な指揮官共が無茶な命令で自分たちを無駄死にさせたとなったなら。下級指揮官や兵士に不満が噴出するのは明らかだった。
実際、王が処罰まで下している。これで内部統制が乱れなければ奇跡だろう。
「しばらくは内を固めることに専念するほかない。そう考えます」
「そうか。正論だな。忌々しくは有るが、それしかあるまい」
「御意」
王は、歯噛みした。
ゴビュウ一等爵に責任を全て被せて処分したとはいえ、神王国への軍事作戦は、自分も大いに期待していた作戦だったのだ。
それが失敗し、屈辱的な講和をし、当分は内政と統制強化に務めねばならない。
再度の攻勢など、十年は不可能だろう。ナヌーテック人として、それは屈辱に塗れた生き方である。
「あとご報告すべきは……」
ソヴィシール一等爵少しばかり言い淀む。
「なんだ? さっさと言え」
「戦乱時、宝物庫が荒らされた件について」
「うむ」
「何と申し上げてよいか……」
余程に言いにくいことなのか。
うだうだと言いにくそうにするソヴィシール一等爵に対して、王は語気を強めてさっさと言えと促す。
「それで?」
「調べ直したところ、宝物庫はほぼ空の状態でした。誤解を恐れずに申し上げれば、大して価値の無いもの以外は全て持ち去られたようです」
「……モルテールン。強欲な悪魔め。我が国の宝を根こそぎとは、恥を知れ。極悪人の、薄汚い盗人。ネズミの如き浅ましい、人間の屑」
「御意」
王は、鬱憤を晴らさんとばかりに悪口雑言を言い立てる。
いやはや出るわ出るわ。罵り言葉の語彙力のあらん限りを尽くしての罵倒。
尚、恐らく犯人はモルテールンだと思われる。というより、他に該当する犯人が存在しない。
物理的にも魔法的にも徹底して防護してあるところから、一つ二つならまだしもごっそり根こそぎ奪える人間など、モルテールン以外あり得ないのだから。
王城の魔法対策を突破した人間なら、モルテールン以外にも過去に幾人かいただろう。魔法の防護と言っても人がやること。完璧なことなど無いので、例えば定期点検を見計らって防護を破るといったことも有ったはずだ。
或いは、宝物庫からものを失敬しようとした人間も、過去には居たはず。愛人にこっそり貢ぐために宝物庫から宝石を持ち出した王なども居たはずだし、盗人というのは何時の時代もいるもの。宝物庫への出入りを許されていた人間が、権利を悪用した事例などは幾つか有ったはず。
しかし、両方を兼ね備えると途端に難しいことになる。
魔法の備えをしてあるところを破り、かつ宝物庫に入り、お宝を持ち去る。これは相当な難事のはず。不可能なことだ。ましてや、中には金の延べ棒のように運ぶのが難しいものもある。金の比重は鉄などよりも重いので、延べ棒はかなりの重量だ。まとめて持ち運ぼうにも、キロどころかトンで勘定しかねない量の金塊を、一気に運ぶのは物理的に難しいはずなのだ。
戦争を吹っかけたのはナヌーテックからだとは分かっていても、まさか王城に魔法でやってくるとは思わなかったし、王城の中の秘密に詳しい人間が裏切ってくるとも思っていなかったし、戦時中という大義名分をもって宝物庫の中身を奪い去るとも思っていなかった。想定外が幾つも重なるなど、どれほどの不運だろうか。隕石がたまたま頭にあたる方がまだ確率は高かろう。
奪われたものの被害を聞くだけでも恐ろしい。
はっきり、王家としては致命的と言えるほどの損失である。
盗んだという、確たる証拠はない。だが、ことを為したであろうモルテールンに対して、目の玉をくり抜いて歯を全て抜くような強烈な仕返しをしてやらねば、憤懣が納まらない。
「何より……『世界の秘密を記した書』が奪われております」
「くそったれめ!! 手癖の悪い泥棒が。あの本は、我が国が持つべきものでは無いか」
「『世界を手にすることが出来る』という噂のある本ですな」
「そうだ。その噂は事実であろうというのが、我が王家に伝わっている話だ。あの本を“読み解く”ことが出来れば、何よりも大きな力を手にすると言い伝えられている」
「それほどのものが盗まれたのは、痛い。我が国の大きな損失でしょう」
「分かっている!!」
王の怒声に、ソヴィシール一等爵はぐっと言葉に詰まった。
今更言うまでも無く、取られたことは国益に反す。
「盗まれたものを取り返せ。あれは、我が国の宝だ」
「御意」
ソヴィシール一等爵は、慇懃に承諾の意を示すのだった。





