501話 幹部教育
春の息遣いがそこかしこに聞こえてきた赤下月の頭。
山々から雪解けの水が流れてくるようになり、モルテールン領を流れる用水路も一層の冷たさを感じるようになる晴れの朝。
今日も今日とて、モルテールン領ザースデンでは領主代行のペイスが仕事をしていた。
「若様、新しい手紙はこっちに置きます」
「ありがとう、ご苦労様」
ペイスの仕事机の上に、こんもりとした山が増えた。
「春になると、社交のお誘いが増えますね。若様に来て欲しいという招待が毎日のように届きます」
「そうですね。冬には王都に居た領地貴族も、自分の領地に戻っている頃ですからね。自領に他の貴族を呼ぶなら、モルテールンは呼びやすいですから」
「それはどういう意味です?」
ペイスとやり取りをするのは、プローホル=アガーポフ。整った顔立ちに色白の肌。モルテールン領内でも女性人気の高い美青年だ。出自もさほど身分の高いところではないので領民にも気さくに接し、それでいて教育もしっかりしているので高位貴族の前に出しても恥ずかしくないだけの立ち居振る舞いも出来る。性格もそれなりに社交的であり、理知的であることから、来客の対応であれば取りあえず彼に任せておけば間違いないと思える程度に信頼もされていた。
寄宿士官学校首席卒業のエリートであり、かつペイストリーが直々に教えた愛弟子である。
そして不運なことに、モルテールン家の幹部候補として先輩たちには大きな期待を寄せられている若者だ。
尚、何故プローホルが目下ペイスの傍で仕事をしているかというと、従士長が長い休暇を取っているから。
奥さんが産気づいて二人目の子が産まれそうということで、これを機会に一ヶ月ほどの長期休暇を取っている。
上が休まねば下が休みづらいという理由もあり、シイツがリフレッシュ休暇も兼ねて産休を取ったのだ。
乳母を雇って家の中が落ち着くまで、一か月間はシイツが子供のお守りをするとのことで、昔のシイツを知る元傭兵仲間は笑い転げている。酒の肴にぴったりで、あの覗き屋が子守りで家に引きこもって、おしめの交換までして赤ん坊をあやしてるとなって大爆笑されているのは甚だ余談である。
一人目の女の子も既に歩き回るので目が離せないということで、ベビーシッターを三交代制で雇うということらしい。何なら掃除やら料理やらの人員も増やして、屋敷に十人ばかり人が増えるとか増えないとか。
金持ちの従士長だからこそ、雇用も生み出してしっかり金を回せとのペイスの指示である。同時に、モルテールン家の最高機密に触れる従士長の家の中に入れる人員ということで、身元の調査が行われているのだ。人を雇うだけで一ヶ月掛かるのも仕方がない。
奥さんの実家からも、気心知れた女性を二年間だけ雇うというような話もあるとかないとか。
シイツの家も、着々と世襲従士家の筆頭格として格式を備えつつあるわけだ。
普段、モルテールン家の大番頭として別格の存在であるシイツが休み。
そこで、若手の幾人かがシイツの代わりを務めてペイス直下となり、部下を動かすということや、領地を運営するということがどういうことかを学んでいるという訳だ。
今週はプローホルが担当。
重役だけの会議にも参加するので、プローホル含めて若手も意識が変わったと評判である。
今もまた、プローホルにペイスがつきっきりで教えていた。
春先になるとモルテールン家に社交のお誘いが増える理由についてである。
手を動かしながら、お勉強を教える器用さはペイスならではだろうか。
「領地に人を呼ぶというのは、そもそも手間がかかりますし、人の集まりはどうしたって悪くなる。それは分かりますか?」
「はい、何となく」
プローホルが頷くが、ペイスは少し渋い顔をした。
「何となくではなく、しっかりと理解するように。上に立つものの理解が曖昧だと、下への指示も不明瞭になるもの。理解が曖昧だと思うなら、ちゃんと理解できるまで人に聞くなり調べるなりしないといけません。ちなみに、領地貴族が自領に他家の貴族を呼ぶ場合、王都で人を集めるより集まりが悪くなる。その理由は三点」
「はい」
「一つは、距離。王都に皆が集まっている時ならば王都内での移動で済みますが、例えば北の端の人間が南の端の人間を誘うと、移動だけでもひと月以上掛かってしまう。悪くすれば半年コースですね」
「……はい」
神王国は大国であり、辺境を王家が管轄出来ないほどに広大な領土を持つ。
北の端から南の端、或いは東の端から西の端に移動するのなら、馬車を飛ばしても最低ひと月。悪くすれば半年ぐらいは掛かる距離だ。
だからこそ辺境には辺境伯という地位があり、裁量権を認められている訳だが、距離の遠さは物理的なものだ。
人を集めると言ったところで、物理的制約はどうしようもない。
ただし、モルテールンは除く。
「もう一つは派閥の閉鎖性。領地貴族は必然的に近場の貴族同士で閥を作る。これは地域ごとに利害が一致しやすく、団結した方が政治的影響力が増えるからです。そんなところに地域閥以外から人が来たところで、疎外感が産まれる。わざわざボッチになりに足を運ぼうというのも無いでしょう」
「なるほど。地域閥もありましたか」
神王国の政治において、最終的な決断は国王が行う。国王親政の中央集権国家が神王国だ。
だが、国王の決断までの判断の過程には、有力貴族たちや派閥の意向が強く影響する。
例えば天候不良があり神王国全体で雨が少なかった時が有る。神王国の農業は大きな影響を受け、穀物生産量は全体で四分の三ほどにまで落ち込んだ。
しかし、天候不良の影響が均一にあった訳では無い。河川の豊富な南部では比較的影響は少なく、山がちな北部や西部では旱魃と言って良い被害となった。餓死者も出かねない事態となり、北部や西部の貴族は自分たちでは出来ることにも限界が有るとして国王へ対処を求めた。
国王としても、放置することは出来ない。
南部からの穀物輸入を増やし、困窮する地域へ優先的に販売することになったのは必然と言える。
領地を跨いだ政治決断を下すのが国王の務めでもある。
しかし、この販売時の値段で政治的対立が有った。
南部としては、食料が必要な事情は理解するとしても、安値で買い叩かれるようなことは断固として許しがたい。主要産業でもあり、それでなくとも価格が高騰している穀物を、安くで強制的に買い上げられるのは許せんとして団結して抗議した。
一人一人の意見なら無視されていたかもしれないが、何人もの貴族が南部閥として結束し抗議すれば、王としても無視は出来まい。
豊作すぎて穀物の値が落ち、南部が困っていた時に高値で買って助けてくれたわけでも無いのに、何故北部が困った時だけ南部に犠牲を強いるのかと言われれば、一理あると認めざるを得ない。
困っている時に助けてくれというのなら、一方的な搾取をするのは不合理だ。南部貴族の意見は実に尤もであり、強硬しようとするなら穀物を焼き捨ててでも抵抗すると言われてしまうと王としても歩み寄るしかない。
結果として、それなりに高い値段で買い取ることになった。金で解決できるならと、困窮地域の貴族も負担に応じたのだ。
派閥の団結力と一致した意見というのは、強力な政治的影響力があるということ。
斯様に実利の伴う集団は、結束力もそれなりに有るし、身内意識も有る。勿論派閥内でも敵対しているものや仲の悪いものもいるだろうが、総じてみれば仲間。学校のクラスのようなものである。
集まっている人間がみんな同じ派閥の仲間という中に、派閥と関係ない人間が混ざるというのはどうだろう。さぞ、居心地の悪いことになるはずだ。自分だけ別のクラスなのにぽつんと混じっている感じだ。
何で居るのかと怪訝そうに見られれば、心の弱い人間であれば逃げ出してしまうだろう。
ただし、モルテールンは除く。
「そしてもう一つ、上下関係です」
「ははあ、それは分かります。どっちが上か下かで揉めるんですよね」
「ええ」
神王国の爵位は、元々は軍制の名残である。
一人の騎士を最低限の軍事単位としたことが騎士爵となり、八方に斥候を行う時などの十騎規模の責任者、十人隊長が準男爵と呼ばれるようになり、準男爵を何人か統率する立場の百人隊長が男爵となった。
国が大きくなり、統率する軍の規模が大きくなるにつれて上の役職が作られていき、今ではそれが爵位となっている。
宮廷貴族は今でもこの名残が根強く残っていて、例え職責が違うとしても、爵位が上の人間の命令には従うのが常識。当り前に染みついた習性だ。
同じ爵位であっても先任者を上位者とする序列が存在し、上の命令に従わない場合には罰則だって有る。
特に中央軍などの軍人には上下関係を重視する意識が顕著で、大隊指揮官が最低でも子爵位を持っていなければいけない、などの縛りはこの爵位の上下関係に由来しているのだ。
宮廷貴族は、軍務系、内務系、外務系を問わず、上意下達の序列意識の塊である。
しかし、これが領地貴族となると話が変わってくる。
そもそもは軍制が爵位の元となっていることは変わりがないのだが、土地の豊かさや経済規模と、領主の爵位はあまり関係がない。
これは、土地の豊かさや人の多さよりも、地政学的な観点を重視して担当が割り振られたからだ。
いざ戦いになった時、主要な戦地から外れたところであれば、豊かだろうと貧しかろうと戦いそのものにはあまり影響がない、影響がないのだから、立場の低いものに任せておく方が合理的。
逆に、街道の交接点や平原を見渡せる丘陵地などは軍事的に押さえるべきポイント。山と山との間を抜ける狭隘地なども軍事的には重要だ。或いは、河川の渡河点になりうる場所の確保などは一軍の生死にも関わってくる。
経済的にどうあろうと、人口がどうあろうと、農地としてどうであろうと、それなりに地位の高い人間が確実に抑えておかねばならない。
結果として、領地の貧富や大小といったものと爵位が全く合わないことになる。
男爵の持つ領地が百の人口と経済規模として、伯爵の持つ領地が十や二十ということも普通だ。勿論、爵位通りに高位貴族がとてつもなく広くて豊かな土地を治めている場合もある。本当に、事情は様々だ。
故に領地貴族が人を集めようとしたなら、誰が誰を呼ぶかでマウントの取り合いが発生する。大富豪の領地と貧乏領地の両方からお誘いが有れば、誰だってお金持ちの方に行きたがる。領地貴族は経営者でもあるのだから当然のことだ。
領地貴族同士の序列は、神王国人でも他所のことが分からないほど入り乱れているし、当事者同士で張り合うことも多い。歴史の長さ、経済規模、王都との近さ、有力貴族との縁故などなど。マウントを取り合う要素は多岐にわたる。
社交の招待など、誰が誰を呼ぶかで揉める要素しかないのだ。
ただし、モルテールンは除く。
「つまり、距離に関係なく移動出来て、宮廷貴族かつ領地貴族という派閥的中立性があり、上下関係を気にしない家柄である我々モルテールンは、他の領地貴族からすれば大変に呼びやすい訳です」
「はい、よく分かりました」
元々傭兵稼業をしていたこともあり、モルテールン家は他の貴族家と比べて例外的にフットワークが軽い。
「社交の場を開くなら、参加者は多いほどいいし、大物が来るほど箔が付く。陛下から称号を拝領した僕などは、社交の場に呼びたい者は多いでしょう。駄目で元々ぐらいの気持ちで招待状を送ってくる人間も多いんですよね」
「なるほど。それでこの量……」
プローホルが見る先には、山になった招待状の数々。
全部に対して丁寧なお断りの返事を書かねばならないと思えば、外務担当の激務が偲ばれる量である。
筆頭外務官のダグラッドは腱鞘炎になりかねない。
「どうしても行かないといけない社交の場は、取り分けておいてくださいね」
「例えばどのような」
「冠婚葬祭の話は、行かないと不義理になります。血縁者の結婚式や葬式は、行かない訳にもいかないので別に取り分けるように」
「はい」
モルテールン家にも、貴族家として最低限の付き合いはある。
どうあっても断り辛いものは、別に扱うべきとペイスがテキパキ仕分けしていった。これもまた仕事である。
先ずは大雑把に振り分けてから、細かく中身を精査していく。
「結婚と言えば……」
「はい?」
「ニコロの婚約については、どの程度の人間が知っていますか?」
ペイスの言葉に、プローホルの手が一瞬止まる。
「そりゃもう、家中の人間は全員知ってますよ。給仕の婆ちゃんから、庭師の見習いまで」
「うむ、それは何より」
若手筆頭とされる金庫番のニコロは、つい先日婚約した。実にめでたい話である。
お相手は、これまた一風変わった相手なのだが、領地を跨ぐ婚約の為に結婚はまだ先と見られている。
取り急ぎの婚約。それが、既に領内で噂になっているらしい。
「プローホルも、良い相手が居ればそろそろ身を固めても良い年頃ですね」
「自分にはまだ早い気がしてますけど」
「同期でも、結婚したものは居るでしょう?」
「ええ、まあ」
プローホルは、既に結婚した幾人かを思い浮かべる。
「慌てる必要は無いでしょうが、将来どうしたいのかは考えておくことですね。結婚するのも、しないのも、後悔の無いように決めることです」
ペイスの指示に、プローホルは少しばかり考え込むのだった。
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