498話 報せ
ナヌーテック軍に、一報が届けられる。
「ほう、あの策が上手くいったか」
知らせに、将軍がことのほか満足そうに頷く。
「どのような報せが?」
「うむ、かねてよりゴビュウ閣下が謀っていた策が、上手くいったとの知らせだ」
「ほう、それは一体どのような」
参謀の言葉に、将軍は嬉しそうに説明を始めた。
偉い人というのは何かを語るというのが好きなものであり、語りたがりだ。
特に、自分が先んじて知っている秘密の話など、聞かせられるなら喜んで聞かせる。
説明したがり、教えたがり、自慢したがり、昔話したがり。これらは年長者が陥りがちな状態異常だ。
「結論から言うと、ボンビーノ家の嫡子の暗殺に成功したそうだ。実行者からの報告らしいな」
「……ボンビーノ家ですか」
「何だ」
「いえ。いささか遠いところの話だと思ったもので」
「うむ。お前の言わんとすることは分かる。私も最初に聞かされた時はそう思ったからな。あまりに無関係過ぎやしないかと」
「はあ」
将軍が最初に思った通りのことを、部下の参謀が言う。
これはこれで痛快な気分になる。お前の感想は、自分も通った道だという先駆者としての優越感だ。
「そもそも、この戦いにおいて一番懸念されていたことは何だ?」
「……神王国国軍の増援でしょうか」
参謀は答える。
ナヌーテックと神王国は、どちらも大国と呼ばれる。
抱えている人口や国家の生産力、或いは経済力が周辺諸外国と比べて頭抜けているからだ。
聖国のように宗教的権威を握って衛星国家のような取り巻きを作っている訳では無い。国家単独での実力が秀でている。
国力の高いもの同士のぶつかり合いでは、どちらか一方が圧倒的になることは想定されにくい。ほぼほぼ互角。お互いに長所と短所に違いが有って、どこまで自分たちの強みを発揮し、かつ相手の強みを消せるかで勝負は決まる。
今次の侵攻作戦において、参謀が懸念事項として考えていたのは二つ。
一つは、他国の介入だ。ナヌーテックと神王国は旧来から不仲であるが、争い合う双方から距離を保とうとする国家も多い。誰だって、喧嘩に巻き込まれるのは御免こうむる。ナヌーテックからも神王国からも離れる。あるいは近づいて、両方等距離を心掛ける外交。
そんなバランス外交を国家方針とする国であれば、ナヌーテックと神王国が戦い始めた時。仲裁することで自分たちの利益を得ようとする国家も現れる。公国あたりはきっとやる。
また仲裁以外でも、お互い争い合って傷ついたところでぱくりと頂いてしまおうなどと考える国も想定されていた。
漁夫の利を得ると言う奴だ。アテオス国あたりは確実にそれを狙っているだろう。
他国に横取りされないよう、或いは不意打ちされないよう、最低限の警戒は常に必要だ。
そしてもう一つは強力な援軍。
エンツェンスベルガー辺境伯軍単独であれば、ナヌーテックの敵ではない。幾ら要塞をこしらえて身を固くして守ろうと、此方も戦いにおいてはプロだ。じわじわと時間を掛けて削る。或いは包囲して兵糧攻めでも良い。時間と兵力と兵站に憂いが無ければ、確実に勝てるだろう。
しかし、それは神王国側も分かっている。
必ず援軍が有る。無ければ神王国の領土はナヌーテックが奪ってしまえるのだから、どんなに間抜けな人間でもエンツェンスベルガー領に助けを寄越すはずだ。
ナヌーテック側も神王国軍が援軍としてやってくることは端から想定しているので、それについての備えも策も用意してある。
ただし、それは援軍規模が予想の範囲内に収まってくれることを大前提としている。
もし、こちらの想定以上の援軍がやってきたなら。最悪は戦果として得た砦やらも放棄してすたこらさっさと逃げるよりほかにない。
どちらが将軍の聞きたかったことか。参謀はとりあえず後者の方を自分の答えとした。
「まあ、そうだな。敵の国軍が大挙して押し寄せてくれば、如何に我らが精強と言えど苦戦は免れん」
「ええ、そうですね」
「特に、警戒すべきは言うまでもないな?」
「モルテールンでしょうか」
「ああ。アレある限り、我らは常に奇襲を警戒せねばならん。後ろを気にしながら戦うなど、我ら本来の実力の半分も出せまい」
「はい」
神王国の国軍で、ナヌーテックが警戒している部隊は幾つかある。特に魔法使いが居る部隊は要注意だ。
【発火】の魔法使いが居るようならば、下手に近づくと火で焼き払らわれかねない。或いは常人に不可能な精度で正確無比に弓を射ってくる魔法使いも居る。
そして何より、首狩り悪魔とも恐れられるモルテールンの部隊は警戒するべきだ。
彼の魔法使いは、いつだってその気になれば魔法で彼我の距離をゼロに出来る。昼だろうが夜だろうが関係なく、警備を幾ら厳重にしていても飛んでくる。そして指揮官を狙ってくる。警戒に警戒を重ねても、警戒しすぎということは無い。
「そこで閣下は一計を案じられた」
「それが、先ほどの報せということですね」
「そうだ。神王国の南方に大きな騒乱を起こすことで攪乱する。モルテールンは南部の領地貴族だ。本拠地が危ういとなれば、気もそぞろになろう」
「はい」
「我々は、今まで通り攻めているように見せて時間を掛ければいいのだ。時間を稼ぐほどに神王国は不安定になる。次から次に不審死が相次げば、それでなくとも動揺する人間は多かろう。我々と戦っている暇など無いと、多少不利な条件でも講和に応じるはずだ。さすれば我々は、南の豊かな土地を手に入れられる」
「素晴らしい、素晴らしい策です!!」
参謀は、手放しで賞賛した。
今、自分たちはエンツェンスベルガー辺境伯軍と戦っている。彼らは守りに長け、要塞線の厳重さと併せて兎に角粘り強い。
普通なら、これらを何とか短時間で攻め落とす方策を練る。そうしなければ、国軍の援軍がやってきてしまうからだ。
しかし、将軍が言ったのは、真逆の発想。どうせ短期間で要塞線を全て突破するのは難しい。ならば、ここで時間を掛ければかける程有利になる手立てを用意しようというものだ。
実に素晴らしい戦略。これを考えた人間は天才であると、参謀は何度も頷く。
「聞いたからには、お前にも手伝ってもらうぞ」
「勿論です閣下。身命を賭して作戦を遂行して見せます」
エンツェンスベルガー軍は、その後も手強く抗って来た。
何せしつこい。ちょっとでもよそ見をすればチクチクと砦から攻撃してくるし、それを嫌がって潰そうとすればさっさと砦に逃げ込む。何ともやり辛い相手である。
だが、ナヌーテックも攻めを途切れさせることは無い。じっくり、そして確実に相手を削っていく。
やがて、ナヌーテック軍に更なる朗報が舞い込む。
国軍の先遣隊が、ナヌーテック軍によって撃退されたという一報だ。
これは大きなチャンスである。
「敵軍、引いていきます」
「よし、いいぞ」
敵の国軍が引くというのは、大きな意味が有る。
増援が増援の役目を果たさないという事実のみならず、当てにしていた者たちの心まで折る効果があるのだ。
戦場において最も効果的な攻撃とは、心の折れた敵に襲い掛かる攻撃である。
「このまま攻めあがれ」
ナヌーテック軍は気勢を上げた。
ここが攻め時とばかりに雄たけびを上げ、エンツェンスベルガー軍を攻める。
「これで、我々の悲願は果たされる」
ナヌーテックの悲願。
それは、神王国の豊かな穀倉地帯をわがものとすること。
緯度が高く、総じて食料産出に難のある土地にあるナヌーテックでは、食糧豊富な土地というのは是が非でも欲しい土地なのだ。
将軍としても、ここで一気呵成にエンツェンスベルガー領を併呑出来れば手柄としては極上のものと誇れる。何度となくナヌーテックの手を跳ねのけ続けてきた聳え立つ壁を攻略するのだから。
だが、喜びは長くは続かなかった。
勢い込んで攻め上がり、後方の予備選力や国内の残置戦力まで大きく動かした頃合い。まるで兵力を前線に集めるのを待っていたかのようにして動いたものが居たのだ。
本国から、伝令が飛ぶ。
将軍の元に、慌てて駆け込む伝令。
知らせを受け取った男は、また朗報が有ったのかと喜んで内容に目を通す。
そして、激怒する。
「何!? 何故撤退などと!! どういうことだ!!」
報せの内容は、即時軍を引き上げよとの命令であった。