496話 暗殺者
深夜。
草木も眠る丑三つ時。
寝室に忍び込む影があった。
ボンビーノ子爵家の領主夫妻の眠る寝室とは別。
赤ん坊の眠る子供用の部屋だ。
そも、貴族の常識として、夫婦の寝室と赤ん坊の寝室は別けられる。
領主やその夫人ともなると、公人としての立場も有るからだ。
領地を背負って立つ領主は勿論のこと、その細君も社交の場などで夫と共に貴族家の顔となる。
故に、子供の夜泣きなどで睡眠不足となったりしないよう、子育ては乳母を基本にして行われるのだ。
夜は寝ずの番の兵士と乳母がいて、夜の授乳やおしめの交換も都度行われる。はずなのだ。
しかし、護衛のはずの人間は忍び込んできた人間に気づかない。
眠っている訳でも無く、ちゃんと警戒はしているのだろう。
次期領主となるべき子を起こさぬよう、ほんの僅か控えめに灯された灯りを頼りに、部屋の中に怪しい動きが無いか、赤ん坊に異常は無いかを見張っているはずなのだ。
実際、赤ん坊が少しでも動くたびに目が動く。
決して目を離すものかという気迫さえ感じそうなほど。だが、影には気づけない。
黒い影が、赤ん坊のベッドに近づく。音もなく、そして気づけもしない。
影が徐に懐らしき場所から、黒く塗られた刃物を取り出した。その瞬間。
「敵襲!!」
大きな声が上がり、灯りが次々に灯っていく。そしてその明かりは、人のシルエットをくっきりと映し出した。黒い服を着た、何者かの姿。
護衛の兵士がはっと気づいて侵入者に体当たりをぶちかます。
「そこまでです」
急にドタドタと慌ただしくなり、部屋の中に人が入ってくる。
灯りを灯されたことで、また大きな音がしたことで、赤ん坊はおぎゃあおぎゃあと泣き始めた。
「スプレ!! 無事でよかった」
赤ん坊の母親。ジョゼが、やってくるなり息子を抱きかかえてあやし始める。
「もう怖くないからね。よしよし。いいこね」
おぎゃあおぎゃあと激しく泣く赤ん坊も、母親の胸に抱かれれば安心するものらしい。
赤ん坊の泣き声がおさまったあたりで、ふと進み出たものが居る。
ウランタと、その義弟。
「犯人を捕まえました」
兵士の身体の下に、小柄な黒づくめの人間が取り押さえられていた。
身動きの取れないように抑えられていて、兵士たちによって既に縄もうたれている。逃げ出せないように過剰なほどにぐるぐる巻きだ。
「ペイス殿の予想通りというべきでしょうか」
「当たっても嬉しくないですね」
黒づくめの人物が、もがく。
不思議なことが有るとすれば、黒づくめの人間が驚いていることだろうか。
こんなあからさまに侵入してきておいて、何故か捕まったことに驚いている。
「ぐっ、何故」
「おや、女性でしたか。侵入者に女性というなら、身体検査は女性がやるぐらいの配慮はしておきましょうか」
ボンビーノ家の侍女が、進入してきた“黒づくめの女”の衣服を剥いで身体を検める。
武器の類がごろごろ出てきたのは驚くことだが、口の中にも毒の仕込みがあったりとかなり入念に準備してきたらしい。
安全の確認が取れたところで、ようやくペイスがホッとため息をついた。
「魔法使いを使っての後方への奇襲……対策をしていなければ危なかった」
「ええ、全くです。ペイストリー殿が気づいてくれたおかげです」
「そういう可能性があると思ったまでのこと。備えあれば憂いなしですね」
ボンビーノ家を混乱させるとなった時。今のタイミングだけは明確な弱点がある。
嫡子スプレだ。
彼が見罷った場合、間違いなく混乱する。ボンビーノ子爵家だけでなく、南部全体が。
まず、ボンビーノ家は当代に代替わりするまでにも色々と暗闘があった。非嫡出子の兄と、嫡出のウランタがお互いに跡継ぎだとして子爵家の家督を奪い合ったのだ。
先代の死にも、不穏な噂はあった。
当代も、暗闘の末に家督を継いだ。
ならば、次代にも同じように家督争いの火種が有ったのではないか。
世の人は、必ず疑ってかかるだろう。火の無い所に煙は立たないが、火種が有るなら煙どころか火事にすらなりえる。
それが暗殺となれば、ウランタも犯人捜しをせざるを得ない。まさか遠く北の外国からの介入とは思いもしまい。疑いの目は、身内に向けられる。
モルテールン家の血が入ることを好まない人間が家中に居るかもしれない。このままだと仮に次の子を授かったとて同じ事が起きるかもしれない。疑心暗鬼の種が芽吹けば、さぞ、モルテールンとの関係は悪化するだろう。
更に、南部には後継者に不安のある家が他にも有る。レーテシュ伯爵家だ。
子供が三人。三つ子であり、女児しかいない。
ここでボンビーノ家に暗闘が起きたなら。レーテシュ家も当然警戒を強めるだろう。
火種が出来れば、風を送ることが出来る。きっと大きな火事になってくれるはずだ。
加えて、ボンビーノ家の次代についてはレーテシュ家とフバーレク家で取り合ったことがある。
さてもさても、怪しい。“暗殺“された子供が関わる政争に、これ以上ないほど関わっていたのだ。
もしかすると、と疑うには十分な理由だろう。
東部、南部に不和の種が起きれば、煽る人間次第でとんでもない大火事になる。
その最初の火種が、今回の暗殺だったはず。
ペイスは、北に皆が目を向けてることに違和感を覚え、この狙いに気づいたのだ。
とんでもない勘の良さである。
甥っ子に迫る危険に気づいたペイスは、勿論すぐに動いた。
ボンビーノ家に自分の推測を伝え、可能性として十分スプレの暗殺が有り得ることを伝え、それに備えた。
勿論、ペイスの取り越し苦労だったならそれが一番良かった。
だが、現実は悲しいものである。
こうして、暗殺者を捕まえる羽目になった。
暗殺の危機を考えた時。
通常手段であれば、ボンビーノ家で十分対処できる。
伊達に金満貴族では無いのだ。護衛に兵士を常駐させることぐらいは当たり前。事実、こうして兵士を手配していた。
怖いのは、通常手段で防げない暗殺。
即ち、魔法だ。
魔法の無い世界を知るペイスだからこそ、何よりも得体のしれない魔法というものを警戒した。
そして備えた。
スプレのベビーベッドには、龍金製のワイヤーが埋め込んである。金貨で千枚は掛かる超超高級品だが、甥っ子を守るのに惜しくは無いとペイスが用意しもの。身内に甘いのはモルテールンの血筋だろう。
「さて、詳しく話を聞きましょうか」
「……ここにきて抵抗は致しません」
ボンビーノ家の従士によって、暗殺者の尋問が始まる。
思いのほか素直に質問に答える為、女の事情聴取はことのほかスムーズに進む。
下手に黙秘などされていたら、拷問も行わねばならないところだった。
聞きだした内容は、実に耳を塞ぎたくなるようなものだった。
まず、暗殺を命じたのはナヌーテックの一等爵。
ペイスの危惧した通り、神王国内部を荒そうとしていた。恐らく、ボンビーノ家以外にも色々と荒らすつもりだったのだろう。この暗殺について「とりあえず最初に」ということだった。
これについては然るべき場所に報告せねばなるまい。
ナヌーテックの手駒が彼女だけとは限らない。
跡継ぎが幼い家、後継者候補が多い家、家中に不和を抱えている家などは警告もしておいた方が良いだろう。
暗殺者の彼女のことについても聞いてみた。
彼女の名はカマル。年は見たところ二十そこそこと言ったところだが、生まれは孤児だったという。
「準男爵家の妾の子と聞いていましたが」
「……潜入の為の偽装でした」
ウランタの質問に、淡々と答えるカマル。
本当はどこで生まれたのか、誰から生まれたのかも知らず、孤児院で育ったと質問に答えていく。
酷い孤児院だったらしい。食べるものにも事欠く有様だったとか。
そしてこの孤児院は、とある目的にとって運営されていた。
とある目的。即ち、暗殺者の育成である。
幼い時から徹底的に人の殺し方を学び、身体を鍛え、そして魔法を得た。そう、魔法だ。暗殺者としては有用な【隠蔽】の魔法を得た。自分の存在感をとことん隠せる魔法なのだという。
彼女は、有用な魔法と技術によって一等爵に飼われることになった。最初の仕事は、ずっと共に暮らしていた孤児院の仲間の一人を殺すことだったという。
反吐が出る話だと聞いていた人間は顔を顰めるが、女の顔色は変わらない。
ゴビュウ一等爵に飼われるようになってから、幾つか仕事をしたという。魔法も使った暗殺はとても有用であり、一等爵は彼女を徹底的に使い倒すつもりでいたらしい。
今回、北で暴れているのも、一等爵が絵面を描いた作戦だということまで彼女は語った。
「何とも、やるせないことで」
聞きたいことは全部聞けた。
もうこれ以上聞きたくも無いと、尋問していた者は質問をとめる。
「このものはどうしましょう」
尋問担当が、女を見降ろしながらボンビーノ子爵に尋ねる。
「モルテールン卿はどう考えますか?」
「然るべき処罰を与えるべきだとは思いますが、処罰の内容については御家の裁量の範疇と心得ています」
「そうですか」
ボンビーノ子爵はそれで黙り込む。
女子供のを守るのが騎士であるという価値観と、我が子を殺そうとした犯罪者に対して厳しく処罰すべきとの判断の間で悩む。
「殺せ」
暗殺者の女が、何の感慨も抱かない声色で冷たく言い放つ。
仕事に失敗した以上、元の居場所に戻れることは無い。所詮は捨て駒。どうせ元々孤児だったのだ。消えたところで悲しむ人間は居ない。
暗殺者は、まさか自分の魔法が無効化されるとは思っても居なかったし、捕まってしまえば死ぬしかないと覚悟はしていた。
そして女はただ、死んでも構わないと思っていた。どうせ生きていても人殺しの人生。いずれどこかで今日のように捕まり、そして死んでいただろう。
自分には死ぬ未来しか無いと、淡々と語る。
「そうですね。それも仕方ないで」
「ちょっと待ちなさい」
仕方ないとペイスが言いかけた時。
それに言葉を被せてきたものが居た。ジョゼだ。
スプレを侍女に預け、足は肩幅に開き、胸を張り、両手は腰に当ててふんぞり返り、鼻息荒く弟と夫を睨みつけている。
「この子はうちの子にするわ」
ジョゼの提案に、ペイスは驚いた。