494話 敗報
神王国の王都。
常に人で賑わい、喧騒と共にある大都会であるが、その日は朝から大騒ぎになっていた。
景気の良さと共にある賑わいとは一線を画す、危急の有事に対応せんがための煩さだ。
あれが足りない、これも足りない、それが間に合わない、なにが遅れている、誰それが見当たらないと、何もかもが慌ただしく不足していた。
「急げ、敵は待ってはくれない」
部下を叱咤するのは、中央軍の第一大隊隊長。その声には焦りと不安が隠れ入ている。
スクヮーレ=カドレチェク第一大隊長を筆頭にして、援軍の準備が進む。
ことのおこりは隣国の侵攻。当初は政治的なパフォーマンスも含めた限定的な侵攻かと思われたのだが、徐々に膨れていく敵軍に対処が難しくなる一方。ついには最前線からの援軍要請が届くに至り、国王は中央軍の派遣を決定。カドレチェク軍務尚書の軍令をもって、国軍の総動員令が発布された。
既に先遣隊として二つの部隊が先行していて、カドレチェク部隊は最後の部隊だ。
援軍部隊の総指揮ということもあり、絶対に負けられない部隊として入念な準備が進められていた。
「閣下、矢じりの補給品に一部不良品が混じっていました。手違いで廃棄品が混入したとのことです」
「何だって!? よりにもよって今……」
「どうしますか」
「……構わない。不良品ごと送ってしまおう。道々廃棄との仕分けをすればいいし、最悪現地で分ける。今はとにかく前線にものを送ることを優先だ」
「承知しました」
元々神王国の国軍は、国内の貴族に対する反乱抑止という意味を持つものだった。これは、過去形だ。
大戦ののち、かつては王家に対して反乱を起こして許された者であったり、或いは反乱同調者や縁故者といったものが地方には存在していた。全部を一斉に潰すことなど出来ないし、地方の末端まで全て王家直轄領とすることも出来なかったからだ。
いつまた王家に対して反旗を翻すか怪しい、忠誠心の疑わしい者たち。これに備えるのが国軍の大きな仕事だったのだ。
これも今や世代が変わり、王家に対してそれなりに忠誠心を期待できる若手の領地貴族も増えてきた。
そこで先の中央軍大将は国軍改革を断行。
機動的な行動がとれるよう組織を再編し、作り変えた。大変革と言って良い。
今、以前より懸念されていた北国の襲来という事態が発生したことで、図らずも軍制改革の真価が試される時が来た。来てしまった。
スクヮーレ=カドレチェク第一大隊長は、陣頭指揮を執りながら背中に嫌な汗をかいている。
自分の祖父が最後の仕事として残したものが、本当に正しかったのか。自分の失敗は、即ち先代公爵の失敗に繋がり、ひいては公爵家そのものの失敗に繋がりかねない。
絶対に失敗できない重圧。
北からの敵よりも一足早く、押しつぶされそうなプレッシャーと戦っていた。
「食料の補給はいけるか」
「西部からの補給が少し遅れています。他は問題ないとのことです」
「そうか。ならば配送の順番を入れ替えて、もう送り始めるように」
「はい」
しばらく後方支援と補給の手配に忙殺されていたスクヮーレであったが、彼の仕事は補給の手配だけではない。
むしろ、補給の仕事はそれ専門の部隊の仕事だ。
ある程度目星がついたところで部下に仕事を割り振って任せ、第一大隊長は自分の大隊長室に戻った。
「ふう」
「お疲れ様です」
「とりあえず、出来ることはしたよ。あとは、三日後の出立を待つばかりだ」
「そうですね」
部下の労いに、しばし心を癒して落ち着かせるスクヮーレ。
ずっと張り詰めていてはいつかぷつんと切れてしまう。それを幼少期からの英才教育で教えられているスクヮーレとしても、こうして一息いれるタイミングがあるのは大切なことである。
「失礼します」
五分ほどして、第一大隊長室に人が集まり始める。
さほどの間も明けずにぞろぞろと六人ほどが集まり、部屋に備え付けの会議スペースに腰を落ち着ける。
スクヮーレも、人が集まったのを確認して会議スペースの空いている席に座る。勿論一番の上座だ。
「よく集まってくれた。これより作戦会議を始める」
陣頭指揮から戻ってきたのは、何も休憩する為ではない。
これからの動きを含めて、どう軍を動かすかを改めて議論するためだ。
現状、真っ先に駆けつける先遣部隊と、まとまった戦力として後詰になる第一陣の援軍を送ったところ。
これはどういう状況であっても行われる、ある意味で災害派遣のような対応だ。
何をするにも現地の情報は欲しいし、本隊が行く間に最低限の時間稼ぎが出来る戦力が要る。
故に送られた部隊。
これから本隊を送るに際し、先遣隊から送られてきた第一報を踏まえて現状を改めて分析し、これからの動きについて当初の行動計画を修正するかどうかを議論する。
その為に幹部を集めたのだ。
各大隊の指揮官五人と、第一大隊の筆頭補佐官。現場指揮官と軍師が揃って会議をするようなものだ。
「まず、現状の報告。クーベルト、頼む」
「はっ、では小官より報告致します」
スクヮーレに指名されて、補佐官の男性が起立する。三十手前ほどの年で背は高い。立ち上がって姿勢をただせば、いかにも軍人然とした雰囲気である。
補佐官としての仕事は、隊長の補佐。会議の時の進行役などは、仕事の一つだ。
「現状、敵兵力の規模が判明しました。詳細な部隊編成はまだ調査中ですが、配置はこのようになります」
「ふむ、やはり多い」
補佐官が動き、テーブル上の地図に駒が置かれる。
軍議では当たり前に使われているもので、会議の場に居る人間は皆が駒の意味をよく知っている。今更戸惑う人間など居ようはずもなく、置かれていく駒から戦況を推測し、今後の展開を予測していく。
「この砦が落ちたのは三日前。この砦は既に放棄を検討しており、守備部隊の撤退を視野に入れているとのこと」
「その情報は辺境伯からか?」
「はい。先遣した部隊がエンツェンスベルガー辺境伯と合流し、報告を受けたとのことです」
「ふむ」
まずは現状の確認から。
敵の兵力だけでなく、味方の兵力も含めて駒を組んでいく。
駒組みの最中も逐一細かい確認を行い、全体像の把握に努める。
議論の主導を行うのはスクヮーレ第一大隊長だが、この場での発言は各自自由だ。下手に余計な気を使って黙っていると、重要なことを見落とすかもしれない。ここにいる人間が何かを見落とせば、現場では兵士が死ぬ。
慎重な上にも慎重を重ねて、議論を深めていく。
「敵の狙いが分かりませんな」
色々と議論が進んだのだが、一人の発言は議論の大きなテーマになる。
敵の狙いは何処にあるのかだ。
「確かに。一見すると正攻法に見えなくも無いが」
「別動隊の規模が不自然すぎる。本隊を辺境伯の抑えとするにしても、この規模だと中途半端に思えるが」
「自分も同感だ」
兵力を分散する場合、気をつけねばならないのは個別に潰されることだ。
各個撃破というのは往々にして戦場で狙われやすく、避ける為に行うのは集合であり塊を作ること。局所的にでも衆を作り、寡兵にあたるのが常道。
ならば、別動隊を大規模に組織するのも正道に思える。
しかし、隊長の一人はそれが中途半端だという。他の人間も、指摘自体は正しいと感じた。
「では、別動隊を反転させるのが狙いでは?」
「反転させる? 油断を誘う為かね?」
「いえ。こちらの部隊を挟撃する狙いです」
「ははあ、なるほど。横撃の防衛部隊を挟む狙いか」
「はい」
ならばと一人が新たな可能性を提示した。
エンツェンスベルガー辺境伯領軍の動きの肝は、あえて兵力を分散して配置し、砦に篭って分散の不利を無くし、常に二正面以上の戦線構築を強要して局所的有利を作り、いかにして自分たちの出血を減らして攻めるかにある。
細かい兵力漸減を狙って行う砦からの攻撃。これをナヌーテック側が潰せればかなり大きいはず。別動隊が遠くに居ると安心して砦から兵を出すと、反転して一気に詰め寄って撃退する。
なるほど、敵の狙いとしては悪くないと、半数以上が頷く。
「可能性としては有ると思う」
「いや、それだと本隊を手厚くするべきだ。本隊が崩れれば元も子もないのだから、あえて減らす意味は無いだろう」
「囮のつもりなのでは?」
可能性としては十分あり得るというだけでは、検討として弱い。
見落としが無いようお互いにがお互いの意見の穴を探し合うのがカドレチェク流の軍議
「囮ならば、誰を釣ろうと言うのか。辺境伯の動きは、敵の動きに釣られるようなものでは無いだろう」
「うぅむ」
本隊を囮のようにして、隙が出来たところで別動隊でパクリと頂く戦法では無いか。という意見は可能性を認められたものの、確信にまでは至らない。
本隊を十分に手厚くし、別動隊を少数にしても、戦法としては成り立つからだ。或いは別動隊をもっと小分けにして手広くバラまくべきだ。その方が砦からの小部隊を狩りやすい。
改めて皆が地図を見るが、やはり確信までには至らない。
有力な説どまりと言ったところか。
「別動隊を大きく迂回させるというのはあり得ると思いますが」
「補給はどうする。要塞線を放置して迂回するなど、補給線が断たれるのではないか? 砦の兵力は活きているのだ。打って出れば補給が切れることになる」
「或いは、それが狙いなのかもしれませんね。砦に張り付いて力押ししている部隊が囮であると思わせておいて、実は別動隊の方が囮」
囮という存在を仮定したなら、分かれた方と本隊と、どちらがそれであるかは分からないのではないか。
なるほどと頷く者が数人。
本隊と思わせてある方が囮であり、別動隊に何かしら神王国側を食い付かせる撒き餌が有るのではないか。
もしも有ったればと仮定の話になるが、それは有効な戦法に思える。
「それは可能性として有り得るな」
「確かに有効な一手に思える」
「だが、ならば何故そんな回りくどい作戦をとるのかという話にならないか?」
「国軍の介入が来る前に形勢を固めたかったのでは?」
喧々囂々の意見が飛び交う。
会議の目的は今後の方針を決めること。今後の方針を決める為には、敵の狙いや動きがはっきり見えていることが望ましい。
国軍のトップたちはあらゆる可能性を検討するべく、議論を交わす。
議論紛糾の最中。
皆の会議は中断を余儀なくされる。
伝令をもって一人駆け込んできた人間が居たからだ。
「先遣していた第二大隊が領都まで撤退!! お味方包囲の危機にあり!!」
スクヮーレの元に届けられたのは、第二大隊モルテールン子爵の撤退という信じられない知らせだった。