493話 劣勢
エンツェンスベルガー辺境伯領での戦いは、一進一退の攻防。いや、一進二退と言える攻防になっていた。
敵方の攻勢は非常に巧妙かつ強烈であり、守るだけでも精一杯。何より兵力差が大きかった。
ナヌーテックは万を超える軍を動員しており、エンツェンスベルガー辺境伯がざっと多めに見積もるところで十万弱。流石に十万を超えることはなさそうだが、明らかに数万という規模で動員されている。
防備を手厚くして備えていたとはいえ、物には限度というものもある。
時折、一気呵成に攻めてくることがあり、その都度不本意な後退を迫られる戦いを続けていた。
「閣下、十三番が城壁を破られました。内門で防いでいますが、突破されるのは時間の問題です」
「ふむ、ならば十三の守備部隊は七に下がるように東と西から撤退を補佐。牽制しつつ下がるように」
「はっ、伝令を送ります」
辺境伯領の防衛線は、何重もの防衛線を引いてある。
砦同士が連携を取り合って、そう簡単に落とされないような手堅い防備。
一つを攻めても、近隣の砦からチクチクと攻撃出来るような態勢になっている。いわゆる掎角の備えと呼ばれるものだ。
一か所に攻め入れば、後ろや横から他の砦の兵力が襲い掛かる。襲って来たところに対処しようとすれば、攻め入られていた砦から兵力を出して後ろを襲う。或いは引き付けて別の砦の兵力で更に脇腹をつく。
大兵力に対して、決して正面から戦わない。常に横や後ろ、或いは夜襲で襲い、手薄なところを狙い続ける。敵からの反撃は砦に籠って迎撃である。
大きな獲物をじわじわと弱らせるが如く、自らの出血を要害で抑えつつも、敵の出血を強いる戦術。
派手さは欠片も無いが、手堅さは一級品だ。
此方の被害を砦や城郭で代弁する作戦とでも言おうか。
要塞線が有る限りは、守りは崩せない。だが、要塞とて完全無欠ではない。少しづつではあっても消耗するし、削られる。弱ったところを思い出したかのように強襲され、やむなく後方に下がる。そしてまた繰り返す。
激闘と言ってよいだろう。
決して少なくない被害も出ている。このまま続くならば、いつかは息切れしてしまう。
その限界がどこに有るのか。まだまだ数か月先かもしれないし、一時間後に突然やってくるかもしれない。
神経を削る遅滞戦闘を繰り返す神王国軍。
勝敗の行方は、時間との戦いとなりつつあった。
「負けるわけにはいかない。負けられないのだ、私は」
エンツェンスベルガー辺境伯は、自分に言い聞かせる。
まだ負けてない。必ず援軍は来る、と。
◇◇◇◇◇
ナヌーテック軍の一角。
天幕を張ったテントのようなところには、机が置かれていた。
簡素な木の机。組み立て式で、移動する中でも持ち運びができるように作られたものだ。
頑丈さだけは折り紙付きで、飾り気は欠片も無い。
いざという時は盾やバリケードにすることも想定してあるため、人が殴った程度では手の方を痛めるぐらい丈夫なテーブル。
無骨な木のオブジェの上。
ざらざらでこぼこと手触りの悪い天板には、一枚の羊皮紙が置かれていた。
ナヌーテックの誇る諜報部隊が二年の歳月をかけてこしらえた、エンツェンスベルガー辺境伯領の正確な地図である。
地形や湧水の分布、目ぼしい通り道、敵方の砦の位置から、獣道に至るまで。かなり詳細に書かれたもの。
軍事機密中の軍事機密であり、今次侵攻作戦の基盤となっている情報の塊だ。
そのうちの一枚。目下攻略中の砦とその周辺の地理が描かれた地図を使い、将とその参謀は討議を行っていた。
「西三の砦が落ちたと、先ほど連絡が有りました。内門を壊して突入し、完全に占拠したとのことです」
「ほほう、それは朗報だな」
将軍は、スッと地図の上の砦の部分に丸い石のようなものを置く。
地図上で状況が分かるように置かれた、部隊をそれぞれに意味する石だ。
白と黒の石。碁石とすればかなり大きい石ではあるが、敵味方を区別するには色を別ける方が分かりやすい。
白っぽい石と黒っぽい石を使えば代用や追加も簡単なため、駒も現地調達が出来るようになっている。というより、現地調達した石だ。
石ころをわざわざ運ぶようなことはしない。敵味方が区別出来れば事足りるので、何なら焚火の跡から炭を拾ってきて適当な石を汚すだけでも良いのだ。
幾つも置かれた石。その幾つかは、地図上で砦を意味する場所に置かれている。
砦に置かれた石の数は、侵攻開始からこれまでに落とした砦の数と一致している。今現在の最新情報は、目の前の地図ということだ。
「しかし、エンツェンスベルガーもしぶといですな」
「全くだ。一気に攻め取れれば楽なものを。グダグダといつまでも粘りおる」
「まるでナメクジですな」
「ははは、それは良い。これからはエンツェンスベルガーのことはナメクジと呼ぶか」
ご機嫌な将軍は、部下の軽口にも笑い声をあげる。
機嫌が良いのは、戦況がすこぶる順調だからだ。
そう、順調と言って良い。
人命の重さが極めて軽い世界。とりわけナヌーテックの場合は文化風土のことも有り、兵士が死ぬこと自体をあまり深く考えない。何なら戦って死ぬのは名誉なことだとさえ考える。そして人の死んだ事実を数字で考えるのがナヌーテックの将というものだ。
損失と、それによって得た成果の比較。何人の兵士を“損失”したかと、どの程度の戦果を得たのかを比較すれば、得たものの方が多い。ナヌーテックの価値観では。
現代ならば何百何千と兵士が死傷していれば相当に大きな被害と感じるだろうが、ナヌーテック人の将軍にとっては“軽微”であり“予定通り”の損失である。
たかだか数百数千の消耗で幾つもの砦を落としたというのなら、将才があると褒められるぐらいだ。
エンツェンスベルガー辺境伯は、劣勢。自分たちは間違いなく優勢にある。
堅実に守っている辺境伯ではあるが、それは同時にナヌーテック軍がじわじわと戦果を広げているという意味でもあるのだ。
このまま“援軍が無い”状況が続くならば、間違いなく要塞線を抜けてエンツェンスベルガー辺境伯領を落とすのも時間の問題。
つまり、順調なのだ。
「ナメクジには塩をかけるといいらしいですぞ」
「ふむ、ならば彼奴にもかけてやるとするか」
色白で細身。ナヌーテック人の感覚ではナヨっと頼りない風貌であり、軍を指揮すれば守るだけ守ってじっと動かずに緩慢な動きしかなく、それでいて粘っこくてしつこい。
エンツェンスベルガー辺境伯をなめくじと評したのは、実に的確であると笑声をあげる男たち。
しばらくご機嫌に笑ったところで、将軍は改めて地図の上に目を落とす。
しぶといと評価するのは心からの本音であり、事実だ。
今日までのエンツェンスベルガー辺境伯軍の兎に角被害を押さえようとする粘り強さは、驚愕の一言だろう。
一つの砦を落としたところで、大した被害も無く次の砦に後退するだけ。無理に攻めれば他の砦から奇襲を受けて消耗が増える。
じっくりと、そしてどっしりと腰を据え、他からの奇襲を警戒しつつ、ジリジリと攻めているのだ。ナメクジと蔑みたくもなるのだろう。
「彼奴等が粘っておるのは、やはり援軍を待っておるのでしょうな」
部下の予想に対して、将軍は無言で頷く。
重々しく頷く威厳に対して、部下も軽はずみなことは言わない。
目の前の戦況を鑑みれば、敵が時間稼ぎをしているのは明らかなのだ。何のために時間を稼いでいるのか。それはもう助けが来るのを待っているとしか思えない。
「それ以外に考えられん。時間を稼ぐことで、助けが来るのを待っておろう」
「来られないとも知らずに」
くくくくと、男たちが忍び笑いをする。
思わず漏れてしまったといった笑いだ。
そもそもナヌーテックの将として、勝ち目のない戦いなど最初からやらない。
じわじわと消耗戦をしているのは、そこに賞賛が有るからだ。
「援軍がどの程度の規模になるかは分かりませんが、大規模な援軍であれば我々にとっては面白くない事態でありましょう」
「そうだな。敵に兵力が増える事態は好ましくない。折角奪った砦を取り返されれば、何の為の被害だったのかということになる。我々の苦労も徒労となるだろう。逆撃にでも遭えば、逃げ帰るしか無いだろうな。実に困った事態だ」
「援軍が来れば、ですな」
「確かに、援軍が来るならばの話だな」
機嫌よく地図の上で駒を動かす指揮官たち。
自分たちが不利になるかもしれない予想を持っていながら、その予想はあり得ないと考える。
普通ならば自分たちの都合の良いことしか考えていないと苦言も出そうなものだが、何故か出ない。
エンツェンスベルガー軍に援軍が来ることは、無いと考えているのだ。
それは何故なのか。事実を知るのは、ここにいる限られたものと、本国に残っている幾人かの偉い人だけである。
「失礼します。第三部隊よりご報告です」
「うむ、なんだ」
第三部隊は、つい先ほど砦を落とした部隊だ。
今次の砦への攻撃は中々に手強かったのだが、既に砦の内部は隅々まで制圧済みであると報告されている。
その続報であろうと、将軍たちは報告の続きを促す。
「『先遣の偵察を行った結果、未だ敵に増援の影無し』です。繰り返します。先遣の偵察を行った結果、未だに敵に増援の影無しであります」
「うむご苦労」
報告は、やはり砦の攻防の続きだった。
神王国の防衛は、非常に堅固だ。砦となっている要塞同士が緊密に連携し合い、精強なるナヌーテックの戦士たちを拒もうとする。
援軍の有無は先ほど話していたことでもあるし、気にはなっていた。警戒して偵察を密にするようにとの命令を出していたが、斥候の結果は未だに援軍無しというもの。
「ははは。どうやらこのまま、押し切ってしまえそうだな」
「そうなれば、閣下は一躍英雄になりましょう」
「それは良い。国へ帰るときには英雄の凱旋だな」
「はははは」
将軍たちの笑い声は、天幕の外にまで大きく響いていた。
◇◇◇◇◇
砦の防壁の上。
未だ続く戦いを見つめるエンツェンスベルガー辺境伯。
国でも指折りの男前と称されるその顔には、苦々しい苦悶が浮かんでいた。
「援軍が来るまで、持ちこたえられるだろうか……いや、持ちこたえてみせる」
彼の決意は、戦場の風に溶けていった。





