492話 パーティー
ボンビーノ子爵領ナイリエ。
近年発展著しい神王国南部にあって、三本の指には入る好景気の街だ。
古くから天然の良港として知られていて、海底は港からすぐに深くなるので大型船舶の寄港も容易い。
また地形的に湾となっていて、港に面した海は沖合に比べて波が穏やかという立地条件がナイリエを良港たらしめている。
漁港としての歴史も長く、特に回遊魚に関してはこの港の水揚げの右に出る港は無い。
沖合は北からの寒流と南からの暖流がぶつかる場所でもあり、こと漁獲高に関しては巨大港として名高いレーテシュバルを上回るともいわれる。
その上近年は貿易港としても発展を遂げている。
大型船も停泊しやすい地形ということもあって、神王国沿岸部のみならず諸外国の大型船舶もナイリエに寄る船が多い。
仮にナイリエ以外に用事が有るとしても、停泊しやすい港で水や新鮮な食料を補給することは船乗りとしては常識だ。
特に近年、航海病ともいわれる病気。いわゆる壊血病の予防法が見つかったことも大きい。新鮮なフルーツや野菜を食べることで、病気を予防できるというのが多くの犠牲の上に確かめられている。
新鮮なや野菜や果物の補給は、長期航海を前提とする大型船では最早生命線に近い。
必然、ナイリエに寄港して補給する船の数も増えた。
船が寄港し、多くの物資を買い付けて補給するようになったことで、経済が活発になる。
物が有れば売れるし、水などは南部においては豊富にある。何なら、そこらへんの川からタダで汲めるのだ。これがそこそこの値段で売れる訳だから、ナイリエにお金がどんどん落ちるのも道理。
お金がじゃぶじゃぶと落ちてくる町とあれば、その金は町全体を潤す。
力仕事に人夫を雇えば高給で雇用。大金の入った労働者は気前が良くなって飯や酒をたらふく胃袋に流し込む。宿屋や料理屋が繁盛すれば、高級な家具で内装を改築したりもする。
好景気とは、好景気を更に産む好循環を作り出す。
そして、税収は右肩上がりに増える。
ナイリエを治めるボンビーノ子爵家は、港町の好景気もあってかなり裕福になった。
かつては銅貨一枚でも倹約しようかという極貧であり、借財が嵩んで没落しかけていたというのに、時代というのは常に移り変わるものである。
ボンビーノ家の繁栄の時代。
それを象徴するのが、パーティーだ。
社交において招待客の顔ぶれを見れば主催者の影響力がすぐにわかる。
お金持ちには皆が笑顔を向け、権力者には皆が下手に出て、勢いのある家には大勢の人が集まるもの。
本日行われているパーティーもまた、ボンビーノ家の権勢を表す豪勢なものになっていた。
「ご招待いただき、ありがとうございます」
「ようこそお越しくださいました」
ボンビーノ子爵夫妻と、モルテールンの若夫婦が挨拶を交わす。
ボンビーノ子爵夫人とモルテールン家当主代理は姉弟であるため、容姿はかなり似ている。ナイリエでも知らない人は居ないと思われる、有名人だ。
貴族的な儀礼に則って、モルテールン家当主代理のペイスと、ボンビーノ家当主のウランタはにこやかに言葉を交わす。
どちらも友好的であることを隠そうともしていない。いや、積極的にアピールしている。
今を時めくモルテールン家と、パーティーの主催者である貴族家当主の邂逅。他の人間の目がこの二組の夫婦に集まっていた。
「リコちゃんも久しぶりね」
「ジョゼフィーネお義姉様もお元気そうで嬉しく思います」
リコリスは、ペイスの妻としてモルテールン家を守る立場。
最近では自分で社交を主催する機会も増え、少しづつモルテールンの嫁としての立場を固めているところである。
こうして他所の社交に呼ばれるのは久しぶりとあって、生来臆病なリコリスとしては少し緊張気味。
義妹の強張った様子が分かっているのかいないのか。ジョゼとしては、とてもフランクで礼儀を軽んじた対応をしている。
夫のウランタや弟のペイスから、ジョゼならば仕方ないと思われるだけ、得な性格である。
義姉が割と気やすい態度をとってくれたおかげなのだろうか。ジョゼとリコリスの間にある空気感はとても軽い。緊張気味だったリコリスも、少しリラックスした様子に思えた。
嫁いだとて変わらぬ実姉の対応に感謝しつつ、ペイスが姉に話しかける。
「ジョゼ姉様。もう動いて大丈夫なんですか?」
「ええ。“ペイスのお陰”だわ。何も心配いらいないわよ」
ジョゼは、つい先日出産したばかり。
産後の肥立ちが悪くて亡くなる女性も多い世界にあって、本来であればまだベッドの上に居てもおかしくない。
どの世界でも出産というのは母体に大きく負荷をかけるもの。それも初産とあらば、体力も気力も大きく消耗するものだ。
しかし、ここはボンビーノ家。
ペイスの“作っている”魔法の飴のことを、こっそりと調べ上げている家である。裏から手を回し、実の姉という立場も駆使し、魔法の飴をゲットしていた。
特に【治癒】の魔法の飴は、絶対に内緒にしておかねばならない秘密事項。
バレれば戦争一直線の戦略級の消耗品である。
嫁のことをことのほか溺愛しているウランタは、出産後の万一に備えてこの飴を使った。
夫として絶対に億が一、兆が一の事故すら起こさせないという覚悟でいた為、少々過剰気味に産後の快復を果たしてしまった訳だ。
ウランタからすれば快復しないことに比べれば遥かにマシだと開き直るだけのこと。
肝の据わり具合が誰かさんに似てきたのは妻の影響も大きいのだろう。
魔法技術の秘匿について、ペイスが“動いても大丈夫か”とさりげなく匂わせた上で、ジョゼが心配ないと請け負った会話。
裏にあるものはかなり危なっかしくて物騒なものなのだが、表向きは姉の体調を心配する弟と、気遣いを受け取る姉の会話である。
「赤ちゃんの様子は、まだ見られませんか?」
そんな姉と弟の会話の裏を知ってか知らずか。
リコリスが、パーティーの主目的について尋ねる。
ほんわかした雰囲気に、ジョゼの顔にも笑みが浮かぶ。
「小さいうちは病気にかかり易いから、出来るだけ大勢の人が集まる場所には連れてこない方が良いだろうって言われたの」
誰に言われたか。
もちろん、現代の感染予防について知識のある、お菓子馬鹿である。
「そうなんですね」
「リコちゃんも、今のうちにしっかり覚えておくと良いわよ。将来に役立つから」
「は、はいぃ」
リコリスとペイスは、とても仲のいい夫婦である。子供が出来る日もそう遠くは無いだろうと目されている。
いざその時の為、リコリスはジョゼに多くの経験談を聞きたいと思っていて、恥ずかしがりながらも真剣にアドバイスを受け取っていた。
「ああ、そうだ。ペイストリー=モルテールン卿。少し内密の話をしても?」
「構いませんよ。それではあちらに移動しましょう。リコ、ジョゼ姉様、僕たちは男同士の話があるので、少し離れますね」
「分かったわ」
「はい」
ウランタから、ペイスに対して秘密の会話のお誘い。
衆目を集める中で、実に露骨だ。
自分たちは内緒話をするぐらい仲が良いのですというアピール。
別段ボンビーノ家と仲が良いとしても困らないペイスとしても、ウランタからの誘いには乗る。
あえて注目を浴びながら、会場の隅っこに移動したウランタとペイス。
明らかに内緒話してますと言わんばかりの行動だが、会話を聞こうと思えば聞けなくもない。耳の良い人間が聞き耳たてれば、ギリギリ聞こえるかもしれない状況。
秘密話をしている風ではあっても、実際は秘密ではない話である証左だろう。
「それで、ウランタ義兄上。ご用向きは何でしょう」
「二人きりです。堅苦しいのは無しにしましょう。多分、既に聞き及んでおられると思いますが、北でナヌーテックの侵攻が有ったそうです。既に戦端が開かれ、割と押され気味だとか」
「……どこからの情報ですか?」
「商人たちの噂話です。耳聡い連中がこぞって噂していますし、当家の抱える者たちも同じことを話しています」
「ふむ」
ボンビーノ子爵家には、ボンビーノ子爵家独自の情報網がある。
船乗りたちや船持ち商人の情報ネットワークは時に国を跨ぎ、或いは大陸を跨いで海を越えることも有るので、神王国内の情報収集に傾斜しがちなモルテールン家とはまた違った質の情報だ。
ウランタが善意から教えてくれたというのなら、それにお返しをするのも貴族の社交の常識である。
「モルテールン家としても、同じく情報を掴んでいます。情報の出所は内緒ですが、此方としては噂ではありません。確かな事実として、ナヌーテックの侵攻を確認しています」
「ほほう」
ウランタは、ペイスの言葉を咀嚼する。
ボンビーノ家は商人の間で噂になっていることをモルテールン家に伝えた。これはこれで意味のある情報だ。侵攻の噂が既に下々まで広まっているということは、他の貴族たちの耳にも噂が届いていると確信出来る程度には推測可能。モルテールン家としても、外交に活かせるだろう。
モルテールン家は、噂が事実であるとボンビーノ家に伝えた。どこまでいっても噂だった者が、事実と確定したことは大きい。ボンビーノ家としても、確信をもって対応ができるようになるだろう。
お互いにお互いの情報ソースが別であることを理解していて、同じ事実について語っていてもベクトルが違うのだ。
情報交換出来たことは、両者にとって意味が有った。
「ボンビーノ家としては、どうされるおつもりですか?」
「戦の準備を行いつつ、介入のタイミングを測ります。エンツェンスベルガー辺境伯からの要請が有れば、援軍を送ることも有りえるでしょう。モルテールン家は?」
「同じです。領軍の準備を整えつつ、情勢を見守ることになります。ただうちは父様が王都に居ます。国軍が動くことになれば、補助戦力としてうちに動員の要請が来ることも有りえると思っています。領内に駐屯する国軍第三大隊の引き上げも想定しておくべきかと」
「そうですね」
ああだこうだと、ペイスとウランタはパーティーに似つかわしくない内緒話をしばらく行った。
ただ、場所が場所だ。込み入った話は出来ない。
方針の確認程度で話は終わり、英才二人はそれぞれ妻の元に戻る。
「リコ、姉様」
「あらペイス、話はもう済んだの?」
「ええ。有意義な話が出来ましたよ」
内緒話のあとは、モルテールン夫妻もボンビーノ夫妻も、普通に社交を楽しんだ。
色々な招待客との会話を楽しみ、久方ぶりに会う人とも久闊を叙す。
楽しい時間というのはすぐに過ぎるもの。
パイ―ティーからの帰り際。
ペイスは、姉と別れの挨拶を交わす。
「くれぐれも、“無理”はしないようにしてください」
「分かってるわよ」
ペイスの意味深な言葉。
ジョゼフィーネは、弟の頬っぺたをつねりたい衝動に駆られる。
そんな姉弟の様子を、じっと見つめる視線。
ペイスは、どこかから感じる不穏な気配に警戒しつつ、姉の手を自分の頬から放そうともがくのだった。