490話 防戦
アルフレード=ミル=エンツェンスベルガーは、戦場に立っていた。
血生臭さと猛々しさの併存する、暴力と殺戮が支配する世界だ。
「いけいけいけ、攻めろ攻めろ攻めろ!! 大神は勇猛さを愛するぞ!!」
「臆病者は不要だ。前へ進めや!!」
眼前には、無数の敵が怒号をあげていた。
血風を起こし怒涛のように押し寄せる人の群れ。いや、野獣の群れ。
罵声とも脅迫ともとれる敵方の鼓舞を聞きながら、城壁の上で睥睨する。
「落ち着いて対処しろ!! 彼奴等にこの要塞は抜けられない」
辺境伯は、よく通る声で指示を出す。
そこには落ち着きが感じられた。いや、実際落ち着いているのだろう。想定していたことが想定していた通りに起きている。ならば、慌てる道理が無い。
そも、エンツェンスベルガー辺境伯家は、元々神王国の北の国境を守るのがお役目。
北には決して油断できない二大国が存在するため、常日頃から防衛の準備は整えてきた。
とりわけ今代の辺境伯が力を入れて来たのは、国境沿いに作らせた要塞群の整備拡張である。
領地の特徴を活かし、長所を伸ばすならば要塞線の構築が最善。そう、とある少年にアドバイスされたことが有るからだ。
神王国において、南は麦、東は馬が特産とされている。共に戦略物資に数えられ、不足すればそのまま神王国の国力弱体化に繋がりかねないものである。
土地が平坦で気候も温暖かつ水利も豊かな南部は農作物の生産力が高い。ある意味特化してると言っても良い、神王国の食糧庫とも言うべき土地が南部。
南部ほどでないにしても気候が安定していて、動物を育てるのに適しているのが東部。元々体格の大きい馬の生産地としても知られており、また良質の軍馬を育てるノウハウも充実している東部では、軍馬の生産が盛んだ。
ならば、北部は何かと言えば、鉄である。
そもそも何故エンツェンスベルガー辺境伯領が国境に面しているかと言えば、ここが神王国にとっての北限だから。これ以上北に拡張することが困難だったからだ。
神王国が都市国家から勃興して勢力を拡大するのに、最も重要であったのは騎士。軍馬に乗った専門軍人の集団化と組織化にいち早く成功した国が神王国である。
南大陸の広大な土地を縦横無尽に駆け巡る騎馬軍団は精強無比と謳われ、遍くその武名を轟かせた。
機動力に優れ、戦いにおいては突破力は言うまでも無く、更に年中いつでも戦えるという強みは、神王国を小さな都市国家から大陸屈指の大国に押し上げた。
しかし、騎士にも当然弱点が有る。
それは、馬が行けない場所には攻め込めないということだ。
騎士が最も強みを発揮するのは、広くて平坦な土地。逆に最も苦手とするのが、狭くて急峻な土地である。
騎士を載せた馬は険しい山道や狭い場所では機敏に動くことは出来ないし、動けなくなった騎士などただのデカい弓の的だ。狭い所に押し詰められて槍でも突かれれば、幾ら鍛えた騎士でも倒されるだろう。
険しい地形は騎士の鬼門。必然、神王国の快進撃は山脈で阻まれて止まる。
結果として北の国境は山脈をもって引かれ今に至るのだが、山がちな土地というのは地下資源もそれなりに豊富であった。
南が麦で語られ、北は鉄で評される。これは即ち、険しい土地が北に多いことを意味する。
大国二つを北に敵として抱えるエンツェンスベルガー家にとって、守りを固めるのは生存の為の最優先事項。
険しい地形を活かした防衛線を構築し、要塞を複数作り、更にはそれぞれに連携できるようにする。
マジノ線ではなくとも、要塞による防衛線戦略は有効。理論として優秀であると、当代のエンツェンスベルガー辺境伯は兵士を減らしてでも防衛線の構築に軍備費を傾斜させてきた。
それが今、真価を試されている。
「押せ押せ!!」
神王国貴族の中で「北壁」とも「鉄壁将軍」ともいわれるエンツェンスベルガー辺境伯。先代は先の大戦において援軍も無い中で孤軍奮闘して職責を果たしたことで知られるが、代が変わって以降、本格的な敵国の侵攻は初めてのことだった。
それ故、エンツェンスベルガー辺境伯も自ら最前線に立って兵士たちを鼓舞し続けている。
敵の怒号は、戦いが始まった時から同じように轟いていた。
そう、同じようにである。
「ふむ、良く守っているな」
「はい。各砦との連携もまずますですな」
辺境伯は、部下の意見に安堵していた。
自分が率先してやってきたことである以上、ここで効果が無いとなれば自分の失態。自分の責任である。
効果的に機能してくれていることは、ほっとする報せだ。
「やはり地の利が有るというのは素晴らしい効果を発揮する。兵士たちも心強さを感じているようだな」
「はい。兵の数を減らすと言われたときには驚きましたが、今こうして思えば素晴らしい英断でございました」
「ありがとう」
戦いは、事前の準備こそ重要だ。
近年、寄宿士官学校などではそのような意見が主流だと聞く。
事前により多くを備えていた方が勝つ。なるほど、一理ある。いや、十理も二十理もあるだろう。
どのような戦いでも、備えあれば患いなし。
ならば、事前にしっかり備えていた自分たちに、何を憂うことが有るのか。
エンツェンスベルガー領軍の士気は、とても高い。
一日戦い続け、日も落ちかけたころ。
空が赤色から藍色に変わりつつある頃合い。
戦いをずっと指揮していた辺境伯の元に、部下が慌ててやってきた。
「閣下」
「何だ」
「別動隊が、西と東にそれぞれ動いたとの報告が有りました」
部下からの報告は、端的だった。
敵が軍を別け、要塞を避けようとしているというのだ。
「……まずいな」
攻勢と守勢において。とりわけ防衛設備の整っている状況において、防衛は圧倒的に有利だと言われる。これは何時の時代もどこの国でも変わらない。
攻め手三倍の法則ともいわれるが、しっかりと守りを固めたところを攻めるのならば、攻めて側には三倍の兵力と火力が必要であるとも言われているのだ。
南大陸でも似たような法則は経験則でどの国も常識としており、こと防衛に関してはエンツェンスベルガー辺境伯も守り切ることに自信があった。
事前に念入りに構築した要塞線をもって、敵の進軍を阻む。絶対とは言い切れないだろうが、出来ると思えるだけの自信だ。
しかし、兵力差では左程の不利を受けない守り手側にも、弱点は存在する。
それは、防衛設備を動かせないということ。
守る場所が最初から固定であり、しっかりと準備をしていたからこそ三倍以上の兵力でも伍するのだ。
身動きの取れない状況というのは、守り手のどうしようも出来ない欠点である。
敵の機動的な行動には、必ず受け身になってしまう。
「敵の狙いは明らかだな」
「はい。別動隊による迂回戦略と思われます」
「……だよねぇ。他に考えようがない。まったく、嫌なことをするよ」
敵も、無能だけが揃っている訳でもあるまい。
神王国の国力も右肩上がりである時期に攻めてきた以上、何かしらの勝算あってのことのはず。
敵の行動が、別動隊を別けての行動となると、これはもう狙いが明らか。
エンツェンスベルガー辺境伯軍の主力を防衛に張り付けておいた上で、別の部隊が手すきなところを奪おうというのだろう。
むしろ、別動隊の方が本隊である可能性の方が高い。
この場合、エンツェンスベルガー辺境伯軍としては困ったことになる。
元々辺境伯家の軍隊は、守りに特化した構成になっていて、つまりは機動的に動くのが苦手なのだ。
大型の弩であったり、重装備でガチガチに固めた歩兵であったり、長距離攻撃用の大型弓兵であったり。兎に角守りを第一に考えた兵士が多い。
他の領地に比べれば、騎兵のように機動力のある兵科は割合が極めて少ない。
第一、防衛線構築の為に軍備費を建設費や修繕費にあてていた事情も有り、そもそも以前に比べて兵の数自体が減っている。
駒の数が少なければ、それだけ打てる手が少なくなるのが世の道理。
辺境伯が守りを固めているところ以外を攻められれば、どうしても守り切れなくなる。
「要塞から出て、後ろから襲えないか?」
「どうでしょう。敵にその備えが無いとも思えませんが」
敵が自分たちを無視しようというのなら、その脇腹に突っ込んでやれば慌てるのではないか。
エンツェンスベルガー辺境伯の意見は、間違ってはいない。
どんな軍隊でも完璧な防備を維持したまま行軍するのは至難の業である。人が集団で動く以上、どこかで足並みが乱れることが有るはず。
そこを襲えば、上手くすれば敵軍に致命的な一撃を加えられるかもしれない。
だが、部下たちの意見は消極的なものだった。
理由は幾つかある。
一つは、敵の動きが誘いである可能性を排除できないこと。
要塞を固めている限り、敵は攻めあぐねる。相手からすれば、どうにかして自軍を誘い出そうとするはずなのだ。これ見よがしに軍を別けたのも、要塞から本隊或いはそれなりの兵力を釣りだすための囮かもしれない。
辺境伯としても、敵軍の動きが欺瞞行動である可能性を否定は出来なかった。
もう一つは、そもそも自軍の構成が攻めに向いていないこと。
エンツェンスベルガー軍の構成は、極端に防衛志向である。
弓兵や弩兵、歩兵の数が圧倒的に多く、そもそも要塞に籠って戦うことを前提にした兵力構成になっているのだ。
奇襲というのは、相手の不意を衝くもの。必要なのは規律と機動力だ。
エンツェンスベルガー軍に騎兵が居ない訳では無いのだが、敵を襲って戦果をあげられるほどの戦力かと言えば、少し怪しい所が有る。
とことん、攻めるのには向かない軍隊なのだ。
更に、別動隊以外の存在。
今でも要塞の外に陣取っている連中が、邪魔だ。
仮に別動隊を襲う隊を用意できたとして、結局防衛戦力からの引き抜きであることは変わらない。
要塞に張り付いている連中が要塞を越える可能性を考えれば、要塞から兵力は引き抜きたくない。
総じて、守りを固めるのが最善という結論になる。
しかし、守っているだけではじり貧の消耗戦になるのも事実。
エンツェンスベルガー辺境伯は、ここにきてお役目を果たすべく決断をする。
「すぐに援軍を要請せよ」
数少ない騎兵は、援軍を求める早馬となった。