049話 男爵の狼狽
社交の世界において、最も華やかな場とはどういう場か。
人と人とが交流を深めることを社交と呼ぶのであれば、その種類は多岐にわたる。
お茶を飲みながら会話をするのも社交であるし、共に馬を並べて狩猟に興じるのもまた社交である。
観劇、会食、遠乗りに冠婚葬祭。人が集まれば、とかく社交の場となるのが貴族の世界。
その中でも花形ともいえるのが、舞踏会だ。社交の中でも結婚祝賀に次いで華やかな場。
それが何故かといえば、一つは主となる参加者の年齢と顔ぶれにある。
舞踏会の主役は、若い男女。特に独身者をメインとするのが暗黙の了解になっているために、参加者の熱量たるや凄まじいものがある。
盗賊やら魔物やらが出る世界。危険も多い為、町と町を行き来する人は限られていて、特に若い女性などは自分の家のある町や村から出ることは極めて稀な世界だ。
それだけに、普段会うことのない若い男女が、新たな出会いに求める期待は一般人には想像も出来ないほどに大きい。
出会いの無い男子校や女子校の学生が、文化祭で異性との出会いを求めるようなものだ。日頃から異性と触れ合う機会のある人間とは、真剣みがまるでちがう。
それをさておいても、若さが満ち満ちた場というのは、傍から見ていても華やかで賑やかなものだ。
或いは、舞踏そのものの華やかさというのもある。
じっと座って会話をしたり、或いは大人しく劇を見たりするような社交の場とは違い、踊りの場というのは動きがある。動きやすさを損なわない程度に着飾った男女が、同じ音楽にあわせて揃って踊るのだ。その様子は、やはり見栄えがする。
特に、場の締めに行われるテンポの速い曲は、踊る方は大変であるが見る方は非常に楽しいものになる。
「パッペーノ男爵家御令息並びに御令嬢、ファース=ミル=パッペーノ様、レギーナ=パッペーノ様」
王城の青狼の間に、大きな声が響く。
大声で名前を呼び上げているのは、ボラーニャ騎士爵。内務系に属する儀典官の役職にある男性であり、呼び上げているのは舞踏会の参加者だ。
今読み上げられたのは、パッペーノ男爵家の二人。
高らかに読み上げられた名前と共に、控室から入場用の儀典口を通って、青狼の間に入れば、その場には既に大勢の人が待ち構えている。
それもさもありなん。なにせ、参加している場が場だ。
公爵家主催の、ルニキス第一王子の生誕祝賀舞踏会。
神王国にとって重鎮であるカドレチェク公爵家が、王家との蜜月を喧伝する為に開かれる舞踏会であり、王家としても国内が盤石に纏まっていることを見せつける政治宣伝の場でもある。王家と公爵家の両者が力を入れる、一大イベント。
故に参加者の顔触れは、派閥や地縁、血縁やしがらみを越えて、多岐にわたる。そんじょそこらの舞踏会とは格が違うし、当然参加者の数も段違いだ。
「バズ男爵家御令嬢、アンダンテ=コウラ=ミル=バズ様」
また一人名前が呼ばれ、それに従って十代と思しき女性が入場してくる。
彼女の眼には優越の意識が見え、既に場に入場しているものの一部には嫉妬の感情がある。特に同じ位階のはずの者からはそれがより強い。
こういった舞踏会。とりわけ王家の絡む国事行事では、入場の順番と言う序列も明確に決められている。
位階の順に入場することは素人目にも明らかではあるが、同じ位階でも序列がある。
特に、数の多い子爵家以下の中位・下位貴族の者達は、同位階内の上下関係を殊更気にするのだ。例えば同じ男爵家でも、豊かな領地と確かな人脈を持つ家と、没落して汲々としている家とでは、前者の方がより上の立場に見られる。
この序列は、王家の裁量で決められている。大雑把に考えるなら、王様に物申す時の意見の通りやすさや影響力の強さと考えればよい。上であるほど良いことであるのは間違いない。
それ故に、後から呼ばれた者達は、既に入場を済ませている者達に対し優越感を持ち、後に呼ばれるものが入ってくるときには嫉妬する。
「ルンスバッジ男爵家当主、モラッド=ハイント=ミル=ルンスバッジ様。ルンスバッジ男爵家御令嬢、クラウシアンテ=ミル=ルンスバッジ様」
ざわ、と場がどよめいた。
呼ばれたのが、南部の貴族としては、指折りの大家であったからだ。そしてなにより、普段はあまり表だって出てこないルンスバッジ男爵直々に娘を連れてきているという点こそ驚きである。
ルンスバッジ男爵家は伝統貴族と呼ばれる旧家。今上陛下とはあまり仲がよろしく無く、領地に籠りがちである事は常識であった。
それをおしての来場。何かあったのかと騒がれる程度は仕方がない。
年の頃は四十代。丸顔であるわりに、愛嬌の無い顔立ち。軽く白髪の混じった、黒みがかった赤髪を香油で撫でつけ、背筋はピンと通った姿勢。こういった堂に入った姿勢は、ある程度の地位にある貴族特有の姿勢だ。
横について歩く女性もまた背筋を伸ばして歩いている。やや緊張気味であるようだが、顔立ちは丸顔な所を含めて父親によく似ていた。
男爵が入場したとき。彼は娘をエスコートしつつもさりげなく場を見渡した。
自分より立場が下であると目される者達。それがどれほどの者かを見極める為に、そういった行動をとる者は多い。
だが、男爵の行動は、様子見とは少し違っていた。剣呑な色を笑顔で隠し、一人の人物を探すような様子。
やがて、目当ての人物を見かけた所で、その人のもとに近づいていく。
「モルテールン準男爵。少しお時間を頂いてもよろしいかな」
ルンスバッジ男爵が声を掛けたのは、先般準男爵となったカセロール=ミル=モルテールン。幾人かの人間と談笑しているところではあったのだが、そこに男爵が割り込んできた形となる。
割り込まれた方も心得たもので、場を自分より高位の男爵に譲って、カセロールからは離れていく。
「これはこれは、ルンスバッジ男爵。御無沙汰しております」
カセロールは、右手を左胸に当てて礼を示す。男爵もまた、胸を張ったまま同じ仕草で答礼を行う。
同じ南部貴族と一括りにされる中にあって、ルンスバッジ男爵を始めとする伝統貴族と、モルテールン準男爵を含む新興貴族は仲が悪い。
当然、今挨拶を交わした二人もまた、事あるごとに対立する政敵ではあるのだが、時には南部の連帯をもって味方となる事もある相手同士。心の内はどうあれ、お互いに笑顔を交わす程度には交流があった。
「モルテールン卿とこうしてお会いできる機会も最近はありませんでしたな。改めてお祝いの言葉を伝えようと思いましてお声掛けさせていただきました」
「それはご丁寧にありがとうございます」
「卿のご活躍は常から聞き及んでおりまして、同じ王国南部の者として喜んでおります」
「これも閣下を始め皆様のご助力を頂けたおかげと思っております」
社交辞令のやり取りに、カセロールは疑問を抱く。
こうしてわざわざ、入室後の最初に声を掛けて来ているのだから、何がしかの意味があって声を掛けて来ているはずである。
あまり当たって欲しくない予想も含め、カセロールは理由を推察しようと試みる。
じっと観察するような目線に、男爵も気づいたのだろう。そっと目線をあわせながら、さも取り繕った風に話題を変えた。
「そういえば、今日はお一人で来られたのですかな? 卿も準男爵となられたわけですし、いよいよ側室を迎える気になられましたか」
「いえいえ、私はこれでも妻一筋でして。もう若くもありませんし、そのようなつもりもありません。それに、私も一人で来たわけではないのです」
「ほう、と、言いますと?」
「今日は息子と来ておりまして。主役はどちらかと言えばそちらの方です。私の方がおまけですな」
男爵の頬が、僅かに動いた。気づいた人間は居なかったが、他ならぬ男爵自身は思わず作り笑いに力を込めた。
「それはそれは。噂に聞くところによると、とても優秀なご子息だそうですな」
「ええ。私などとは比べ物にならぬほど優秀な息子です。今でも領内の政の多くで頼っているのですよ」
「ははは、卿の子煩悩さは噂以上ですな」
多少大きめの声で笑いながらも、男爵は腹の中ではカセロールをとことん嘲笑していた。幾ら息子が可愛いからといって、ここまであからさまに親馬鹿を曝け出すとは、下品にもほどがある、と。
貴族がそれ相応の礼節をもって遇されるのは、貴族自身が他人に対して礼節をもって接するからだと男爵は考えている。いや、男爵だけでなく、礼儀作法や旧来の伝統というものを重んじる家であれば、自覚の有無は別にしても、同じような感覚を持っているものだ。
自分が礼儀正しいからこそ、相手も礼儀正しくなる。自分が横柄になれば、相手も礼を崩す。それは社交において多くのものが感じていることだ。
カセロールのあからさまな親馬鹿に、品が無く礼儀がなっていないと感じたわけで、これだから戦場上がりの成り上がりは下品だ、と心の中で毒づいた。
無論、顔は笑顔のままで。
「エンツェンスベルガー辺境伯家当主、アルフレード=ミル=エンツェンスベルガー様。エンツェンスベルガー辺境伯家御令嬢、オリガ=ミル=エンツェンスベルガー様」
儀典官の呼び上げる声に、何度目かのどよめきが走った。
エンツェンスベルガー辺境伯家といえば、国の最北を取りまとめる大家であり、神王国の中を見渡しても、十指に入る名家。先の大戦でも内乱を余所に本分を守り切った護国の盾とも称される重鎮。
辺境を守るという役目に忠実な分、領地に引きこもりがちであり、姿を見せたことに周りが驚いたのだ。
エンツェンスベルガー辺境伯は、幾人かと軽く挨拶を交わした後、カセロールとルンスバッジ男爵が会話している場に割り込んできた。
今度は、男爵が遠慮して場を離れる場面である。
「では、私はこれで。また機会があれば話をしましょう」
「ええ、お互い、舞踏会を楽しみましょう」
内心どうあれ、儀礼だけは忘れずに場を離れた男爵。その代わりにやってきたのは、金髪碧眼で色白な美青年と、それによく似て同じく色白で金髪の女性。
「ご無沙汰しております。モルテールン卿」
「これは、エンツェンスベルガー辺境伯。こちらこそご無沙汰をしております。久々にお会いできて嬉しく思います」
「はは、卿が来られると噂で聞きまして。これは是非とも顔を出さねばと、田舎から出てきました。どうも、カドレチェク卿に上手く釣られてしまったようですね」
「おお、それではまるで私が釣りの餌のようですな。オリガ嬢もお久しぶりです。相変わらずお美しい」
「お久しぶりです、モルテールン卿。陞爵されたとのこと、お祝い申し上げます」
アルフレード=ミル=エンツェンスベルガー。十年ほど前に北部の辺境伯家を継いだ、今年三十五歳の壮年の男。癖の無い金髪を肩の辺りで切りそろえていて、色白な肌と相まって近寄りがたい雰囲気すらするイケメンだ。一時期は、わざわざ中央から北部辺境まで社交に押しかける女性が居たほどなのだが、伯位を継いでからはさすがに女性関係は落ち着いたと噂されていた。
傍に居る女性はオルガ。アルフレードの娘であり、正妻の長女。御年十六歳。親に似た金髪の髪を腰の少し上まで伸ばしており、ハッとするほどの美人。日頃は領地から出ることも無い箱入り娘なのだが、今日の舞踏会の場ではかなり目立つ部類に入るだろう。色白で肉付きも薄く、如何にもお嬢様然としている。
銃刀法があるわけでも無く、武装した連中が当たり前のように闊歩する世界において、年頃の若い娘だけで町の外に行かせる人間は少数派。ましてや、政敵を含め敵の多い高位貴族にあっては、自分の庇護の及ばない所に娘一人で行かせるなどは考えられない。
イケメン辺境伯もそのくちで、長女の護衛も兼ねて自らが出向いたのだ。
無論、自分自身で王都まで出向くことに、政治家として多くの思惑を含んでいることも事実ではあるが、根底にあるのが親の愛情なのは間違いない。
その点、親馬鹿と名高いカセロールとも妙に気が合うこともあって、比較的親密に付き合っている家同士なのだ。挨拶を交わすのはそれが為である。
「前にお見かけしたときよりも、美しさには磨きがかかっておられる御様子。今宵の主役はオリガ嬢になるかも知れませんな」
「あら、お上手ですこと」
オリガ嬢は、カセロールの言葉に満更でも無い様子で応えた。にっこりと、貴族令嬢らしい上品な微笑みだ。
王子の生誕祝賀の舞踏会。ここにあっては、妻帯者などは添え物でしかない。主役は独身男女。
とりわけ、未だ独身の王子が来るとあっては、三度踊る相手が出るのではないかと期待もある。
家柄もよく、本人の器量もよく、後ろ盾もしっかりとあり、更には年頃も丁度良いオリガ嬢などは、将来のプリンセス候補としては五本の指に入る。わざわざ王都まで出向いているのも、それだけ周囲の期待が高いことの現れである。
無難で和やかな会話ではあったが、オリガ嬢との会話も、途中で中断することになった。
何故なら、舞踏会の主役の名が読み上げられたからだ。
「プラウリッヒ神王国国王、カリソン=ペクタレフ=ハズブノワ=ミル=ラウド=プラウリッヒ陛下。プラウリッヒ神王国王子、ルニキス=オーラングッフェ=ハズブノワ=ミル=プラウリッヒ殿下。プラウリッヒ神王国王女、ニーナ=マチルディ=ハズブノワ=ミル=プラウリッヒ殿下」
国王と王子と王女。主役の登場だ。
儀典官の張り上げた声と共に、外国の要人以外は皆、両ひざを付いたまま右手を左胸に当てた最敬礼の姿勢で入場者を迎える。女性の場合は、軽く膝を曲げたうえで、目を伏せる姿勢。
独特の雰囲気の中、特別の儀典入口から入ってきたのは壮年の男性と、年若い男女。三人ともが実に見事な衣装を身に纏い、杉の木の如く真っ直ぐに背筋を伸ばし、威厳をみせながらの入場。
鳴らされる王族入場用の音楽と共に、周囲に護衛を侍らせたまま所定の場所まで歩んだ王族は、足を止めた後に周囲を睥睨する。
「皆よくきてくれた。我が息子、ルニキスの生誕の日を祝うためにこうして集まってくれたことに感謝しよう。皆、楽にしてくれ」
国王の威厳ある声。
楽にしろとの言葉に合わせ、それぞれにざっと立ち上がって姿勢を伸ばす。動きにくい格好ではこうはいかないが、今日は皆立ち座りのしやすい服装ばかりだ。
「さて、長々と挨拶するのも興が冷めよう。早速だが、舞踏会を始める」
国王の手短な声にあわせ、息子であるルニキス第一王子が部屋の中央に歩み出る。
最初のペアはルニキス王子と、その姉ニーナ王女。同腹の姉弟である以上、どうみても婚約者や恋人ではない。だからこそ“この舞踏会で踊るダンスパートナー”の誰かが、今後もメインパートナーになるであろうというメッセージでもある。
ゆっくりとした、踊りやすい曲にあわせて王子と王女が踊る。さすがは王族といわせるだけの、小慣れた踊り。音楽に合わせて、笑顔のままで堂々と踊るのは、日頃からこういった場に慣れていることの証左だろう。
終わった時には、皆で拍手喝采である。次に王子や王女と踊るのは誰かと、欲望をぎらつかせながら。
招待客のペアが次々と呼ばれ、何組か毎に踊っていく中、誰が誰のパートナーになるかの駆け引きもちらほら見え始める。とりわけ、王族の相手になろうとアピールする者などは、必死である。
あらかたの者が踊り終わる頃。
人数が人数だけに、既に半鐘分は時間が経っているだろうか。
主催者であるカドレチェク公爵の部下が、目立つ場所に進み出る。今日の余興の発表だ。
「さて、お集まりの諸卿諸官。紳士淑女の皆様。今宵目出度く生誕の日を迎えられた殿下であらせられますが、この晴れやかな日に祝いの気持ちを示さんと、若き英雄が皆様に剣舞を披露いたします。踊りますはモルテールン準男爵の御嫡男。ペイストリー=モルテールン卿。併せて歌いますは、フバーレク辺境伯の御令嬢、リコリス=フバーレク嬢。どうぞ暖かくお迎えください」
その言葉と共に場の中央に出てきたペイストリーとリコリス。
どれほどの練習を積んだのだろうか。堂々たる歩みで衆目を集める。
ピン、と張りつめた動きから、ゆっくりと踊りだすペイス。
それに併せるようにして歌いだしたリコリス。
踊りと歌声。
どちらも素晴らしいと、誰もが感嘆の念を覚える中。一人の男が呟いた。
「ば、馬鹿な。あれで踊れるはずが……まして歌など……」
驚愕そのものといった色合いの呟き。
その声の主は、ルンスバッジ男爵からだった。
次回、何故男爵が狼狽えたのか明らかに。
書籍化記念短編を書いています。
リクエストいただいた方も、そうでない方も。
いつも応援いただいけていることに感謝です。
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