488話 産後
長い夜が明け、ボンビーノ家には明るい朝がやってきた。
既に産後の処置は万全に終え、妻を励ましてくれた妻の姉弟たちはそれぞれに帰宅し、今はボンビーノ夫婦二人きりの時間。
「よく頑張ったね、ジョゼ」
「疲れたわ。子供を産むって本当に大変なことだったのね。初めて知ったわ」
「兎に角、無事でよかった。本当に」
「ウランタも徹夜でお疲れ様」
ジョゼが、ウランタの目の下を親指で拭う。
若干湿っているのもそうなのだが、見るからに濃い隈が出来ていたのだ。
世が世なら中学生ほどの年頃。まだまだ幼さの残るウランタは、成人しているとはいえ徹夜が体に堪えるのも事実。
今にも倒れて寝てしまいそうなほど、ふらふらになっている。
しかし、ウランタは寝ようとしない。
というより、寝ようとしても頭がギンギンに冴えまくってしまって、寝れそうにない。
「スプレンドーレは?」
明らかに頭が回っていないのだろう。
ついさっきまで自分で抱っこしていた息子が、手元に居ないことに今更になって気づく。
「スプレンドーレ……スプレは、乳母に預けたわ」
何日も不眠不休で頑張ったであろう夫。今はまだ気が張り詰めていた余韻で起きているとしても、次の瞬間にはバタンと倒れてもおかしくないと、ジョゼは思った。
生まれたばかりの息子を、すぐに乳母に預けたのも英断であったのだろう。
ジョゼがやらねば、思考が出鱈目なウランタが何かやらかすかもしれない。
「とりあえず、ゆっくり寝たら?」
「う~ん、そうした方が良いかな」
「そうしなさい。ほら」
うにゃうにゃと、意味不明な言葉を発しながら、ウランタは寝室に戻った。
あの様子では、起きた時にどこまで覚えているか怪しいものである。多分、さっき妻と交わした言葉すら覚えていないだろう。
「ジョゼフィーネ様もお休みください」
「ええそうするわ」
ウランタが寝室に戻ったことで、乳母がそっと赤ん坊をジョゼの元に連れてくる。
小さなベッドに寝かされている息子を見ながら、ジョゼもまた疲れた体を休めるように促される。
大仕事を乗り越えたジョゼは、ぐっすりと睡眠をとることにした。
◇◇◇◇◇
翌朝。
というより、既に朝になっていたあとなので、当日の昼前。
ひと眠りしたことで幾分かマシになったウランタの頭は、次のことに向けて動き出していた。
「パーティー?」
「そ、パーティー」
「パーティーってあのパーティーよね」
「人を集めてみんなで楽しく飲んだり食べたりする、パーティーだね」
「あたしの知ってるパーティーと同じだったわ」
「そりゃよかったよ。違っていたら大変だもの」
ウランタが、りんごをしゃくりと食べながら妻と話す。
ジョゼは未だに産後ゆえの絶対安静の寝たきりだが、頭ははっきりとしているためウランタと会話する分には何の問題も無い。
美味しそうなリンゴだからと、侍女の用意していたものを夫から強奪して食べるぐらいには元気である。
ウランタは、奪われてしまったフルーツの行方が妻の口の中であることにほっとしつつ、食欲の戻ってきた妻に相談する。
「こんなことはもっとジョゼが元気になってからでも良いかとは思ったけど、招待する人たちのことも有るから早い方が良いかと思ってね」
「招待ね。まさかお友達を呼んで楽しきやりましょうってことじゃないんでしょ?」
「当家の跡継ぎが生まれたことを内外に周知し、我が家が今後も安定していくことをアピールするのが狙いだね」
貴族とは、どこまでいっても政治の付きまとう因果な商売である。
生まれた時から国会議員をやっているような状態に近しい。
公の場で発言したことは全て家を背負った発言とみなされるし、だからこそ子どもであっても厳しく躾けられることが多い。
そして、貴族家というのも政治とは切り離せないもの。
存在している限り、損害利得の真っただ中にあり続ける。
現代社会では企業がそうであるように、貴族社会では貴族家が国の政治を左右する。
大企業が政治家に献金をして自分たちに望ましい政策や税制を作ろうとするのと同じように、貴族家では自分たちの影響力を使って有利な政治状況を作ろうとするのだ。
金を配って味方を増やすことも有る。血縁の情に訴えて利益を得ようとすることもある。時には武力をもって問題を解決しようとすることも有る。
利益を得るにも、損失を回避するにも、問題を解決するにも、或いは問題を起こすにも。自家の影響力や実力が高いに越したことは無い。
自家の影響力を増やそうとすれば、家の運営が安定的であることをアピールするのは有益なことだ。
赤字続きで先行き不安な企業に投資するのは難しいし、そんな企業に就職したがる優秀な人材というのもいない。いつ潰れるか分からない企業の商品はサポートが不安になるから買わない人も出るだろうし、怪しい企業のサービスにお金を払おうというのはよっぽどのことである。
同じように、安定的な貴族家であれば色んな面で有利な状況を作れるだろう。
不安定な貴族家と安定的な貴族家であれば、娘を嫁がせるのにどちらを選ぶだろうか。当然、安定的な方が選ばれやすい。
潰れそうな貴族家から三年後に金を払うから今年に食料を欲しいと言われて、誰が好意的に受け取るだろう。これがレーテシュ家並みにお金持ちの所であれば、ツケ払いでも快く契約してくれるに違いない。
ボンビーノ家はこれからもずっと続いていく。
これは間違いなく安心感につながるし、安定しているとみられる要素。
「当家は一応伝統派と呼ばれる立ち位置ですから。うちの強みは、長く続けてきたことそのものでもある。今後も続いていくとアピールできれば、得られる者はとても多い」
「それは分かるわ。うちの実家みたいなところだと、どうしても得られない信用ってのがあるもの」
ボンビーノ家の強みは、長く続けてきた歴史の積み重ね。
領内に良港を維持し続けてきたという点や、領内に南部街道を独占しているという強みも有る。ただ、これらは経済的な強みだ。
信用という点では、老舗に勝る信用は中々ない。
「当家は、私の代替わりの前後で色々とごたつきました」
「そう聞いてるわ。お兄さんを追放せざるを得なかったとか」
「ええ。そして、それを覚えている者は縁者にこそ多い」
「そりゃそうでしょうね」
ボンビーノ家は古くからある名家だが、当代に代替わりする時はそれはもう揉めた。
他家の介入が有ったらしいというのは今でこそ分かっているが、当時は色々とすったもんだがあったのだ。
ボンビーノ家の縁者は、当然それを知っている。
「だからこそ、私の次の世代は安心だと思って貰わなければ。二代も続けてお家騒動があると思われるのは、不利益しかありませんし」
「それで、パーティーってわけ。なるほどね」
次代も安定しているとなれば、ボンビーノ領への投資も呼び込みやすい。
経済的安定は軍備の安定にもつながるし、軍備の安定は安全保障の安定にもつながる。
パーティーを開いて、無事にウランタの次の世代に繋がったのだとアピールする。これは、ボンビーノ家としては必須ともいえる重要な行為だ。
ウランタは当主として確信を持っているし、ジョゼも必要性には頷く。
「それに合わせて、下働きや侍女も新しく雇い入れるつもりです。スプレの周りでも、世話をする人間を雇うべきでしょうし、給仕も増やさねば」
「そうね。子育ては大変って聞くし、パーティーも盛大にやるなら失敗できないものね」
「ええ」
ウランタは、子爵家当主として色々と考えるべきことが多い。
人員を増やすことも、当然の検討課題だ。
「それで、誰を呼ぶの?」
「そうですね。出来れば王家から誰か呼びたいですが……そこまでは欲張り過ぎかな?」
「うちの実家の伝手なら、呼べるんじゃないの?」
「そこは、当家の実力で呼ばないと。モルテールンに頼りっぱなしと思われるのも困りますから」
「ふうん」
ウランタは、ただでさえ親モルテールンという評価が有る。
実際、先の大戦後に伝統派が大粛清されたことで親戚関係が軒並みリセットされてしまった以上、頼れる親戚と呼べるのはモルテールンぐらいなのは確か。
ここで何から何までモルテールン家に頼ってしまうと、それはそれでボンビーノ家がモルテールン家の子分と思われてしまう。
あくまで対等。
そういう気構えを持つべきだとウランタは考えているので、我が子の誕生パーティーの招待客ぐらいは自前で集めたいと思っている。
「レーテシュ伯は、呼ばない訳にはいかないでしょうし、招待を受けてくれるでしょう」
「レーテシュ伯ねぇ。そうね、呼ばないって訳にはいかないわね」
パーティーの招待客であれば、まずは派閥の長に声を掛けるのは筋というもの。
ボンビーノ家は海賊討伐騒動の際、隣領が軍事力を行使することを見越してレーテシュ家に庇護を求めた。上下関係というならその時から始まった関係性が今でも続いている。
南部において陸上交通と港を持つボンビーノ家は、海上交易で最大の権益を持つレーテシュ家とは切っても切れない関係。
関係が悪化すればそのまま交易に大ダメージがある訳で、出来る限り仲良くしておきたい相手だ。
招待するなら、優先して招待状を送らねばならないだろう。
「他にも、周りの人には一通り声を掛けないとね」
「なに? 派閥でも作るの?」
「そうじゃないけど、うちと利益がぶつかるって言うと街道沿いの人だし。変に難癖付けられないよう、招待ぐらいはしとかないと」
「そうね。その通りだと思うわ」
ボンビーノ家の抱える権益はかなり儲かるが、未だに虎視眈々と利益をかすめ取ろうと狙っている家は多い。
特に、南部街道を領内に通す領地貴族は、海沿いと森沿いの街道両方を抱えているボンビーノ家に対してご機嫌を取りつつも足を引っ張ろうとしてくる。
海沿いの街道を持つ家は森沿いの街道に関税を掛けろと言って来ているし、逆は逆で同じように騒ぐ。
下手に招待からハブいて、嫌味を言う口実を与えることも無い。
またそういう雑多な連中を集めておいて、ボンビーノ家の力を見せつけガツンと一発頬を張ってやるのも一興である。
「そういえば、ペイスも呼ぶの?」
「勿論。他の誰を呼ばずとも、モルテールン家の当主と次期当主には最優先で招待状を送らなきゃ」
あまりにも当たり前すぎてウランタも特に言及していなかったが、子供の誕生を祝おうかというパーティーに、その祖父母を呼ばないなどというのは余りにおかしい。
余程に不仲でない限りは、祖父母に孫の顔を見せるというのは貴族として当然である。
遺伝子の鑑定なども存在しない社会である以上、血縁関係の証明というのは証言が全てであり、血の繋がった人間の証言は相当に重たいのだ。
祖父母が孫に対して「あの子の子供の時にそっくり」などと言えば、それはもう血の繋がりを第三者でも感じてしまうだろう。
ここでモルテールン家の人間を呼ばないという選択肢はあり得ない。
あり得ない以上、当主と次期当主を呼ぶのもまた当然である。
ウランタの言葉に、ジョゼはふうと小さくため息をはく。
「あの子が来るなら、トラブルが起きそう」
「そうならないように努めるのが、ボンビーノ家当主としての私の務めだよ」
ウランタは、心配性な妻の言葉にあははと笑い声をあげた。