485話 姉妹
ボンビーノ子爵領ナイリエの一角。
海を一望できる立地に建つ館に、特定の人間が集められた。
広義で言えばボンビーノ家にとっても身内の人間。狭義で言えばボンビーノ子爵夫人の血縁者だ。
「姉さま方、こうして会うのは久しぶりですね」
「ええ」
「ペイスも元気そうじゃない」
ヴィルヴェ、シルヴィエーラ、ソイレ、リリアナの四人。
彼女たちは今、ペイスと一緒に一室に集まっていた。
「あのジョゼが、お母さんになるなんてねぇ」
「ねえ、時間がたつのは早いわよね」
集まっている場所は、ボンビーノ子爵邸。
三人寄れば姦しいのが四人も居るのだ。姦しいを二乗したぐらいには騒がしい。
やいのやいのと会話が弾み、止まる気配が欠片も見えない。
ウランタの考えた最善策。
それはずばり、モルテールン姉妹の招集であった。
そもそもウランタが不安をぬぐい切れない理由は、信頼できるアドバイザーが居ないということに尽きる。
知識というものが口伝で伝わる世界。何か分からないことが有った時、ネットの検索も本での探索も出来ない。
例えば、オフチョベットしたテフをマブガッドしてリットにすると言われたところで、スマホもパソコンも図書館も使えない時。何のことかを自前の知識だけで理解できる人間は殆どいない。
同じように、出産に際して何かしらトラブルが起きた場合。何をどう対処すれば正解なのか。慌てて調べることなど出来はしない。
この世界において、知識とは人に属する財産なのだ。
ウランタは、ピンと閃いた。頼れる人間がここに居ないなら、呼べばいいじゃないかと。どうしてもボンビーノ家の中だけで考えていたが、こういう時こそ婚家の人脈を使えるでは無いかと。
ウランタの義姉たちは出産経験のある親戚であり、本来であればウランタの身内が行うべき活動をしてもらえる。
そして何より、ペイスがついてくる。
ここに至って、ウランタは安心してジョゼの出産を迎えられる気持ちになった。
まだ十代。若さという点では溢れんばかりの将来性が有るが、やはり経験不足は如何ともしがたい。初めて迎える妻の出産。その上近親者に女手が無いとなれば、ジョゼの血縁者を身内として頼るのは最善策だ。
目下、中々な対価を提示されたペイスが、ボンビーノ領に姉たちを集めたところ。
ウランタは別室で忙しなく仕事をしている頃だろう。
集まった女性陣の中で男一人。
ペイスが、姉たちに向かってどうせならば有意義な時間を過ごそうと提案する。
「折角集まったので色々とお聞きしたいことが有るのですが、構いませんか?」
「勿論よ。弟の頼み事なら無下にはしないわ。その代わり、うちにも何かお土産頂戴ね」
「分かってますよビビ姉様」
情報収集にはかなり力を入れているモルテールン家ではあるが、やはり身内の口から内情を直接聞くことほど確実なものは無い。
自分の耳で聞くことも大事だと、ペイスはそれぞれの状況を聞く。
勿論、姉たちもタダでペイスに情報を与えたりはしない。
商家の平民に嫁いだ者も居れば、貴族家に嫁いだ者も居るが、皆が皆モルテールン家との繋がりが自分の立場を作っていることを自覚しているし、情報の価値というものをモルテールン家に居た時から教えられてきたのだから。
情報交換、という形が一番大事。
つまりは、世間話が盛り上がるということだ。
「うちの旦那、最近狩猟にハマってるのよ」
ハースキヴィ準男爵家夫人、という御大層な肩書のあるヴィルヴェ。愛称でビビ。
彼女が、自分の旦那であるハンスについて、最近感じた愚痴をこぼす。
曰く、新しい領地も落ち着いたところで、見回りと称して狩猟に明け暮れるような状況にあるという。子供も小さいというのに、泊りがけで狩猟に行くことも珍しくないのだとか。
何とも貴族的なことであるが、ビビとしては家庭をもう少し顧みて欲しいとため息をこぼす。
ハースキヴィ家の興隆は、モルテールン家にとってもプラス。出来ればいい方向に向かって欲しいが、義兄ハンスの気持ちも分からなくも無いとペイスあたりは苦笑気味。
かつては魔の森のすぐ傍に領地を持ち、気を抜けば恐ろしく獰猛な獣がわんさか襲って来たのだ。決して生活も豊かとはいえなかった。
しかし、東部で隣国との戦いが起きた際に助力した功績をもって、新たに領地を獲得。領地替えとなったのが数年前。
新しい領地も隣国と接し、森が領地の境界となっているのは変わらない。しかし、魔の森と違ってごく普通の森だ。危険な肉食獣とて数が居ることも無い。むしろ間引く為に狩れば毛皮も金になることから積極的に顔を見せて欲しいぐらい。というのがハンスの言だ。
今まで培ってきた自分の腕前が、領地の為になり、家族の稼ぎとなる現状。目に見えて成果が有るなら、楽しくて仕方ないのだろう。
「ハンス義兄様が狩猟? それまたアクティブな趣味ですね」
「この間も、森に入ってね。泊りがけで三日も家を空けてたの」
「それはそれは。さぞ成果も大きかったことでしょう」
東部は比較的豊かな土地だ。
神王国南部ほどでないにしても、雨量にも天候にも不足は無い。さぞ、野生動物も多いことだろう。
ましてや、今まで国境ということで手つかずになっていた森だ。大きいのから小さいのまで、獲物を探すのに苦労は無いはず。
しかし、ビビは首を横に振る。
「成果は、鹿が二頭と兎が一匹。あとはリスっぽいのが一匹ね」
「三日掛けた成果にしては大人しいですね」
ペイスは、ハンスの腕前を知る人間だ。
弓に関しても人並み以上の腕が有り、馬を駆るのも上手く、武術の腕前にしても騎士として恥ずかしくないものを持っている。
あのカセロールが、愛すべき長女を嫁がせても良いと思ったほどの人物なのだ。実力は国内でも上位になるはず。
それが、目ぼしい成果が鹿二頭と小物となると、少々物足りない。
狩猟というのは軍事訓練も兼ねることが多く、何ならペイスがかつて鹿狩りを指揮した時などは五十を超える獲物を狩った。
ハンスにしては大人しい成果とのペイスの言葉に、モルテールン姉妹全員が同意する。
「そうなの。だから、浮気でもしてたんじゃないかと疑ってみたのだけれど」
「ほう」
「どうも、本当はもっと沢山狩れていたそうなのだけれど、森の中に人が住んでたっていうのよ」
これが本当に言いたかったことなのだろう。
声を潜めるように、深刻な顔でビビが告げた。
「ハースキヴィ領の森に、領民でも無い人間が居ついていたと?」
「そう。それも四家族ほどが」
旧ハースキヴィ領は南部にあったが、新ハースキヴィ領は東部にある。
先の東部戦線での戦いにおいて勝ち取った領土の再配分の過程で、ハースキヴィ家は陞爵の上で広めの領地を拝領した。
結果として隣国と接することになってしまった訳だが、その境界ともなる森の中に人が居たなら、ちょっと怪しい気配がする。
「サイリ王国からの難民ですか?」
「どうやらそうらしいの。住みついて半年未満だってことらしいけど、妙な話よね」
「ええ」
「……で、ペイスはどう思う?」
ビビからすれば、領内の問題について是非ともペイスに相談したかった。今日は絶好の機会だ。
モルテールン家は情報を集めるのが得意な家であるし、人脈もコネも多く、更には中央政界の深い所にまで踏み入って存在感を発揮している。
自分たちには見えないものも見えるだろうと、ビビはペイスを後ろから抱きすくめる。そのまま顎でペイスの頭頂部をぐりぐりと可愛がる。
迷惑そうにしたペイスだったが、ここで抵抗しても援軍が増えるだけだと知っているので、そのままの姿勢で考えを述べた。
「サイリ王国側がよっぽど荒れているのだろうと思います」
「うん?」
「森の中まで来ておいて、ハースキヴィ領に入らないのはハースキヴィに対して不安が有るからでしょう。先の東部戦線では相当に“勇名”を響かせましたから。サイリ王国の民であったならば、警戒して当然でしょうし?」
「不本意だけど、分かる気はするわね」
サイリ王国ルトルート辺境伯と、神王国フバーレク辺境伯との戦争。
神王国側は先手を取られてフバーレク辺境伯が亡くなり、サイリ王国側は反攻を受けてルトルート辺境伯の命と辺境伯領を丸ごと失った。
戦いの場で、片一方が一方的に攻め込んでいるのなら。戦いの被害というものも片方だけのもので済む。しかし先の戦いでは、前半でフバーレク領、後半でルトルート領が戦場になった為に、無事だった方というのは存在しない。どちらも手酷く被害を受けた。
最も大きな被害を受けたのは、巻き込まれた民衆である。
自分たちの与り知らないところで決められた戦争によって、自分たちの村は壊され、蓄えていたものは奪われ、働き手の命は失われた。
サイリ王国の庶民からしてみれば、どっちが攻めたの攻められたの、正当性だの正義だのは分からない。有るのは、ただ隣国の兵士たちが自分たちの住まう土地を蹂躙していったという結果だけ。
当時南部からの援軍として参戦していたハースキヴィ家も、サイリ王国民からすれば自分たちを襲って来た肉食獣のようなものだろう。虐げられる者にとってみれば、貴族の違いなど分かりはしない。
「どうしても逃げ出したくなるほど、サイリ王国で“何か”があった。しかし、ハースキヴィ家の庇護を受けるというのも怖い。だから両国の間にある森に逃げ込んだと考えると、割と納得できるのではないかと」
「なるほどね。それで、うちはどうすればいいと思う?」
「ハースキヴィ家のことは義兄様の決めることですよ。見つけた流民を難民として保護してもよし、あくまで法に則っとて違法入国の越境者として処罰してもよし、見なかったことにして放置しても良しです」
「ペイスならどうする?」
「僕なら? 僕が義兄様の立場なら、保護ですかね。労働力は多くて困ることは無い。付随して色々と問題は有るでしょうが、優先順位の問題です」
ペイスがトラブルメーカーと呼ばれる理由が、少し分かったとビビは頷く。
物事に優先順位をつけ、優先度の低いものは綺麗に無視できるのがその理由だろう。弟の場合は“特殊”な理由が絶対的な最優先になっているから、他の諸問題が色々と起きるのだ。
しかし、言うことはいちいち尤も。ハースキヴィ家にとって最優先を考え、それを基準に判断するべきだろう。
「参考にさせて貰うわね」
「はい。ただ気を付けてください。最近は物騒な噂も聞きます。無いとは思いますが、工作員という可能性も有りますので」
その後も、ペイスと姉妹たちの雑談めいた情報交換は続けられた。
それは、ボンビーノ家のケラウス従士長がやってくるまで続いた。
「皆さま、わざわざご参集頂き感謝申し上げます」
「実の姉の一大事です。お気遣いはご無用のこと。ご丁寧に恐縮です」
モルテールンの姉弟では、貴族の序列的に一番上が子爵夫人のジョゼ。次が子爵家嫡子のペイスになり、次が準男爵夫人のビビである。
代表してペイスがケラウスと話し、他の姉たちは余所行きのお上品なすまし顔をしていた。皆が皆お嬢様然とした演技の仮面も大したものである。
母アニエスの教育が行き届いた、余所行きの態度が揃ったところで、ケラウスがジョゼの元に皆を案内するという。
「それじゃあ交代で、ジョゼの傍についていてあげましょうか」
喧しさと騒がしさの血族集団は、がやがやと騒音をまき散らしながらジョゼのサポートを行うのだった。