483話 気の早いお祝い
「若様、お帰りなさい」
「ニコロ、今日は貴方が当番ですか」
「ええ。俺に出迎えて貰って、若様も嬉しいでしょ?」
「嬉しいですとも。王都から仕事……お土産も持って帰ってきましたからね。楽しみにしていてください」
「今、仕事って言いかけませんでした?」
「さて、気のせいでしょう」
王都からペイスが戻ると、早速仕事が待ち受けていた。
逃げないように出迎える人材を残しておくほどの体制だ。
ちなみにシイツは休みを取って家族サービスをしているとのこと。上が休まねば下が休みを取り辛いからと、無理やり休みを取らされたとかなんとか。
「王都はどうでしたか?」
「変わらずですね。母様にストレス発散の対象にされそうだったので、逃げてきました」
「良いんですか?」
「良いんです。先の予定が有るので、時間がどれだけ潰れるか分からない不確定な状況を避けたのです。何の問題も有りませんよ」
「その割にお早いお帰りでしたが?」
「予定が早く片付いただけです。前倒しで予定が消化できるのは良いことですね。うんうん」
「最初からそのつもりだったでしょうが。アニエス様もお可哀そうに」
母親に顔を見せろと父親に言われたとき。ペイスは、ピンと感じた。これは、父親が自分に面倒ごとを投げようとしていると。
忙しさが日常となっている我らがモルテールン子爵家。お肌が文字通り若返るスイーツまで手に入れてしまった昨今、王都での注目度はいやが応にも高くなるというもの。
さすれば母親にも社交の負担は重くのしかかっていよう。
きっと、ストレスも貯めている。
そこにペイスがのこのこ挨拶に出向けばどうなるのか。まず、抱き人形扱いになるのは間違いない。猫かわいがりされて、更にはリコリスとの仲を冷やかされたりするに違いないのだ。
要は、母親のストレス発散に付き合わされる。
直感でそう感じたペイスは、すたこらさっさと逃げ出した。
「逃げ出した先が仕事ってのも大変ですね」
「そうですね。それでも母様のおもちゃにされるよりマシでしょう」
息子を構い倒したい母親とは、距離を取るのがベターだ。
ペイスは、仕事を早速とばかりに始める。
モルテールン領の領主代行の仕事はかなり幅広い。司法行政立法軍事の全てをトップダウンで決める体制である以上、トップ不在は全ての仕事が滞る。
領政を円滑にすることは、気楽なお菓子作りのために必要なこと。
粛々と業務を捌いていく。
「若様、次の予定の時間です」
「おや、もうそんな時間ですか」
ペイスが執務を取るときは、仕事の進みも非常に速い。
現代人としての教育的素養を持つペイスは、情報処理の速度も速いのだ。
それに加えて、生来持って生まれた集中力の高さもある。パティシエとして培った集中力の使い方の上手さもあり、仕事をやっている時は本当に人間か疑わしい程にスペックが上がっている。
同時に、時間の感覚が恐ろしく希薄になる。
その気になれば一時間でも二時間でも、ずっと集中していられるのだから、部下が声を掛けねば時間を忘れて没頭していることも多い。
「次の予定は何でしたっけ?」
「ナータ商会との面会ですね。会頭が先ほどから別室でお待ちです」
「それはデココも退屈でしょう。早速応接室に行きますか」
「暇つぶしのアレもあるし、退屈はしてないんじゃないですかね。あはは」
モルテールン家の執務室は、最近になって増えたものが有る。
ピー助の全身模型だ。
木彫りで作られ、塗装も施された等身大ピー助が、応接室には飾ってある。
勿論、大喰らいの上に日々成長する成長期真っただ中の大龍であるから、今現在のピー助とはまるきり大きさの違うものになってしまっているのだが、置いておくことに意味が有るとして応接間のインテリアになっていた。
ちなみに、本物を見ながら作れる以上、本物そっくりに出来上がっている。
デココは、応接室でピー助模型をしげしげと眺めていた。
モルテールン家のお抱えとして、この模型の制作を手配したのは自分である。故に、何故飾ってあるのかもよく分かっていた。
はっきり、他家の来訪者を油断させる為だ。
飾ってある模型は、時期こそ古いものの間違いなく等身大だった。それは神に誓って断言できる。
模型の大きさは、小型犬程度の大きさ。
幾ら大龍が伝説上の生き物だとはいえ、この模型を見ただけならば、欠片も恐怖心を持てない。
愛玩動物のような可愛らしい模型である。
大龍は怖くない。
わざわざモルテールン領までやってくる人間に、そう思って貰いたいのだ。モルテールン家としては。
大龍を庇護していることは周知の事実であり、全身丸ごと高級素材であり、成体は一つの領地を壊滅にまで追い込んだほど。
モルテールン家としては、警戒を少しでも薄めたい。
そこで、彫り上げたのが可愛らしい赤ちゃん時代のピー助模型という訳だ。
幾ら怖い怖いと思っていても、実際に赤ちゃんピー助の模型を見て“原寸大”と言われてしまえば気も緩む。
たとえ実際は、鉄格子すらひん曲げてしまうほどのパワーを持っていたとしても。
「模型が気に入っているみたいですね」
「これはペイストリー様」
「待たせてしまいましたか」
「いえいえ。先ほど来たばかりです。お時間を頂戴しましたこと感謝申し上げます」
応接室に入ってきたペイスに対して、慇懃に頭を下げるデココ。
貴族に対する礼節として、満点に近い礼の仕方だ。
「お互い長い付き合いですし、そう気張った態度でなくとも構いませんと、いつも言っているでしょう」
「勿論です。しかし、カセロール様ならばともかくペイストリー様に対してはそうもいきません。油断するとごっそり大損しかねませんから、油断せぬよう態度から戒めております」
「ははは、そうですか」
デココも熟練の商人。それなり以上に経験も積んできたし、商談だって何十回何百回と経験している。
それでも尚、ちょっとでも油断すると足元を盛大に掬ってきそうな相手がペイスだ。
相手の言葉にほだされて態度を崩し、気を抜いたところで痛い目をみる可能性も無きにしも非ず。慇懃な態度でしっかりと心の武装をしておかねば、モルテールン家の御用商人は務まらない。
「今日はどのような用件ですか? 単なる茶飲み話でも構いませんが、そういう訳にもいかないんでしょう?」
「はい、流石はペイストリー様。その通りです」
「あからさまに煽てますね。それだけ大事な話ということですか」
「実は、王妃様方の件でと言いますか、牧場の件で」
「む?」
先だって、第一王妃と第二王妃が揃ってナータ商会に来店。馬車を置く駐車場でばったりと鉢合わせたことで譲れ譲らないの諍いとなり、ちょっとした暴力事件まで起きた。
ナータ商会からすればいい迷惑だが、ペイスとしても事件の発端が自分の献上したスイーツであっただけに無関係とはいえない。
実に迷惑極まりない話だ。などとペイスは憤慨したこともあるのだが、そもそもの原因を作っておいて怒るという理不尽さに、従士長などは呆れていた。
結局詫びが入って王家御用達の牧場から物資買い付けの権利を得たことで手打ちとなったのは記憶に新しいところ。
「このあいだ、新しい仕入れ先ということで王家御用達のミーク牧場並びにダイア牧場に行ってきまして」
「勅許状は誰が持って行きました?」
「カセロール様とコアントローさんです。ご当主様は我々を置いてすぐに戻られましたが、やはり仕入れを任されるにしても一度この目で見ておきませんと、質の見分にも差しさわりが有りますので」
「ええ、そうでしょうね。……羨ましい」
ボソっとペイスが呟く。
自分は牧場に足を運ぶなと言われたのだから、行ってみたかったという気持ちが漏れた。
カセロール曰く、牧場で牛乳だのなんだのと目にすれば、燥ぎ回るに決まっている。大人しくさせる苦労を考えるぐらいなら、最初から行かねば良い。だそうだ。
ペイスのことをよく理解している父親である。
スイーツに関しては領内の産業の一つとしか考えていないカセロールは、勿論蔑ろにする気持ちは無いにせよ、特別扱いする気も無い。利益が出て、外交的に利用でき、雇用を産んでくれれば十分なのだ。
王家御用達の牧場からの仕入れに関しても、ペイスほど目の色を変えることはなく、高級品のブランド戦略の一環として使えそうなら使おう、といった程度だ。
故に、部下を代表してコアントローが状況を検分の上で勅許を管理し、仕入れ担当として実務をデココが担うという体制になった。
デココにしても常に王都に居る訳では無いので、モルテールン家の代理人として部下が仕入れを行うことになるだろう。
「羨ましいとおっしゃられる気持ちも分かります。流石は王家御用達ですな。飼われている牛も皆素晴らしい牛ばかりですし、牧草地の手入れも隅々まで行き届いていました。人手も多く掛けられている様子で、高級品として仕入れるなら、既存の商品の五倍は仕入れ値が掛かるでしょう」
王家の看板をあげているような牧場だ。掛ける費用と品質を天秤にかけたなら、百パーセント品質の方を選ぶ。どれだけお金が掛ろうと、最高のものを作り上げるのが仕事だ。
その分、普通に買うとなれば仕入れ価格は馬鹿みたいな値段になるはず。ペイスでなければ喜ぶようなものでは無いだろう。
「ますます見てみたくなりました」
「それはカセロール様に申し上げて下さい。私としては、仕入れに問題はなさそうだというご報告と、仕入れるのであれば予算の見込みは当初の想定を上回りそうだというご相談に上がったのが、今日の本題です」
「なるほど」
モルテールン家にとって、スイーツというのは領地の産業の一つ。今では主要産業となっている製菓業のことを指す。
最終的には製品となって世に出回る訳だが、産業である以上はコスト意識というのも大事である。
既存のラインにそのまま新しい仕入れ先の原料を使うとなると、今までのコストに比べて何倍も原材料費が掛かりそうだ。
金がかかるのであれば、勝手に仕入れるという訳にもいくまい。王家が自分たちで消費する分にはコストなど度外視で良いだろうが、産業として製品に製造に使うとなればデココの一存という訳にはいかない。
誰がどう見ても、モルテールン家のトップが判断するべき事案だ。
報告を受けたペイスは、実に尤もだと頷く。
「予算に関しては都合をつけます。元より超がつく高級品を用意しようと思っていたところです。王家御用達の看板を利用させてもらい、更なる付加価値向上を狙います。ナータ商会が王家御用達と看板をあげれば、益々株も上がるというもの」
「……当商会は別に王家御用達では無いのですが」
「御用達の牧場の材料を使っているので、嘘は付きませんよ。商品に王家御用達原料使用と書くだけです。御用達を目立つように描いてしまうので勝手に誤解する人が居るかもしれませんが、そんなことは知ったことじゃないですからね」
「詐欺だと言われても知りませんよ? 責任は取ってください」
「勿論です」
ペイスは、デココと共に悪だくみの詳細を詰めていく。
「あ、そうそう、忘れるところでした。こちらをお納めください」
「何です?」
打ち合わせの途中、思い出したようにデココが布の塊を置く。
「心付けと、当商会が手配した最高級布地の一式です」
「はい? なんでまたそんなものを」
賄賂というなら受け取れないぞと、ペイスの目つきはきつくなる。
デココは平然と、贈り物の理由を告げる。
「ジョゼフィーネ様へ。少し気が早いですが、出産祝いを」
デココは知っていた。
そろそろ、ボンビーノ家からおめでたい知らせが届くであろうことを。