482話 定期報告
神王国王都、モルテールン別邸。
毎日誰彼と訪問者がある王都名所の一角に、屋敷の主とその息子が揃っていた。
モルテールン子爵カセロールと愛息ペイストリーだ。
国軍大隊長としての任務が有り、また昨今の怪しい情勢下ではカセロールが王都を離れることは難しい。従って、息子の方が定期的に父親の元に報告を持ってくるのだ。
「父様、定期報告です」
「うむ、ご苦労」
ペイスは、従士たちを集めて行った状況報告会について、内容をまとめたものを父親に報告に来ていた。
報告の報告だ。実に回りくどい話だが、これも偏に父親を補佐するペイスの仕事。
実質的に領地運営の全てはペイスが取り仕切っているが、名目的には父親であるカセロールが領地の主。それはどうあっても動かせないし、動かしたくも無い。
故に定期的な報告は欠かせない。
かくかくしかじかと、ペイスは要点を整理して報告していく。
開墾状況が予定より前倒しで進んでいること、人口増加が予想の中でも上振れしていること、魔の森の開拓が順調であること、チョコレート村と本村ザースデンを結ぶ高速道路の第一回補修工事が終わったこと、高速道路の延長計画が進んでいること、今年度収支の黒字額見通し、軍備状況と常備軍の状態などなど。
説明事項は多いが、一つ一つは端的に進む。テンポよくポンポンと報告していき、疑問が有れば都度カセロールからペイスへの質問が飛び、ペイスがそれにこたえる。
「領地運営は順調そうだな」
今回の報告で一番カセロールが気にしたのは、軍備状況についてだ。
千数百。ざっと丸めて確実に動かせるところで千二百ほどの常備軍の状況は、カセロールとしても念入りに確認しておきたかった。
国軍の隊長としては、もしも有事が有った際に率いる軍は国軍であろうと思われる。しかし、カセロールの一存で動かせる戦力として、モルテールン領軍というのは大きい。保険という意味合いでも、万が一の際の伏せ札としても、有効活用する機会が訪れるかもしれないのだ。
使わずに済むならそれに越したことは無いが、有ればそれだけカセロールの精神的ゆとりが違ってくる。
順調そうな領地運営の報告とあわせ、満足げに頷く父親。
「はい。大きな問題ごとも無く、予定通りに進んでいると思います」
「結構なことだ」
内政は順調そのもの。軍備も怠りなく、資金的にも余剰はたっぷりあり、政治的立ち位置にも不安は無い。
モルテールン家は、今現在の時点で不安要素は一つしか無い。
「こちらはどうですか?」
不安要素が領主に質問する。
ペイスの問いに、カセロールは顔を少し顰めた。
順調そのものと言って良い領地経営に対して、宮廷貴族としてのカセロールの状況は実に悩ましい状況だからだ。
「王妃様方の件だが」
「はい」
「とりあえず、新しく拝領した元直轄領で、カカオを始めとした果樹の育成を始めた。元々肥沃な土地だったし、他所から苗木……成樹というのか? そこそこ大きく育った果樹も移植している」
元々神王国は大陸でも南寄りにあり、割と気候には恵まれている。
そこに、水利を兼ね備えていて長年土壌改良も行われてきた優良な農地を拝領した訳だ。
何ならその土地を巡って奪い合いが起きた歴史が有るほどには恵まれた、元々は王家直轄領であった土地。
カカオの生育に向いているということでペイスが強奪、もとい拝領した訳だが、名目上はモルテールン家に対しての褒賞である。
これはこれでカセロールに対しての各貴族家の嫉妬が三割増しぐらいにはなっているのだが、元より妬みを受けまくってきたカセロールにしてみれば何ほどのことも無い。
ちなみに、この元直轄領はペイスも殆ど手を出していない。
王家の直轄領だったことから、代官が居た為だ。土地の情勢に詳しく、地理にも明るく、周辺事情にも精通している代官の人間をそのままモルテールン家で引き継いで雇用しており、ぶっちゃけ何もしなくとも利益だけ上がってくるのだ。
実に美味しい。
代官の下に一人、モルテールン家で直接雇用した若い人間を付けていて、それが育てば代官も代替わりするだろう。
そうなれば、名実ともにペイスのペイスによるペイスの為のカカオ農園が出来上がるのだ。
じゅるりと涎を垂らしそうな話である。
「良いですね」
ペイスは、父親の言葉に満面の笑みだ。
ひまわりが咲くが如くデカデカと、ご機嫌ですと顔に書いてある。フルプライスの満点笑顔だ。
「結果が出るまで、最低半年は掛かるだろうが……ペイス」
父親が息子の名前を呼ぶ。ただし、少し小声で。
察したペイスは、父親の方にぐぐっと顔を寄せ、内緒話の体制になる。
「お前の指示通り、うちの手の者が、真夜中にこっそり、土の中に龍金を埋めた。これであの土地一帯は、魔力が豊富に含まれた土地となるだろう」
「結構なことです」
カカオを育てるだけなら、別に直轄領で無くても良かった。豊かな農場は他にも有るし、モルテールン領内の土地を地道に改良しても良かったのだ。
しかし、あえてこうして新しい土地を手に入れたのは、のっぴきならない事情と、一つの有力な仮説が有ったから。
カカオ豆が魔力の豊富な土地で育つと、若返る効果が有るというのがその事情。魔力の“質”が、生育に影響するのではないかというのが仮説だ。
若返る効果については、それはもう実証実験済み。王妃で。
どうやら時間制限というか、効果に制限時間も有るようで永遠に若くいられる訳では無さそうなのだが、それにしたところで月単位で効果があることは人体実験、もとい検証が済んでいる。
故に、もっと若返りスイーツを量産しろという強烈な圧力がモルテールン家には課せられていた。
実に面倒な事情だ。
その上で、魔力が出来るだけ均一かつ均質に整備できる広い土地が要る。まだまだ検証や実験は必要だが、モルテールン家にはペイスも居ればシイツもいるし、何ならピー助という大龍まで居るのだ。それらの魔力がどういう影響を及ぼすのか、まだ分かっていないことの方が多い。モルテールン領内で実験を避けたい理由だ。
出来る限りの外乱、すなわち余計な不安要素を減らして、純粋に条件を絞って実験をしたいなら、魔力的にまっさらな土地が欲しかった。
元王家直轄領の拝領は、何とも都合がいい。土地は豊かだが魔力的には新品も同然。故に、今分かっていることだけを試すのには相応しい。
魔力についての整備さえできれば、若返りスイーツも量産出来るだろう。
「しかし、魔力を補充するのはどうする気だ?」
魔力の豊富な土を作るのに、実験環境では龍金を埋めた。
魔力を吸い込み、蓄え、そして放出する龍金という貴金属は、魔力を含ませて植物を育てるには現状で最適。むしろ必須。
しかし、ゴールドやプラチナ以上の価値が有るものが塊で埋まっていますとなれば、アホでなくとも盗んでやろうという人間が出てくることは想像に難くない。
こっそり掘り返すだけで、人生三回は遊んで暮らせるのだから。
龍金を埋める作業をこっそりと行ったのは窃盗防止も兼ねている。
環境が整ったなら、以後は環境整備の継続が大事。
魔力が生育に大事というのなら、どうやって龍金の存在を悟られずに魔力を補充するかだ。
これに関して、ペイスは考えていたことを父親に伝える。
「例の“特別肥料”を使うつもりです」
「……ああ、あれか」
特別な肥料とは、親子の間の隠語。
その正体は「大龍の糞」から作った肥料である。念のためもう一度。“”“大龍の糞”““だ。
この、龍の“体内残留物“から作った肥料は、人を大量に喰らった龍の”消化物“ということで扱いが大変に繊細なのだ。
罷り間違って「モルテールン家は人間を肥料にしている」などと言われることが無いよう、情報管理に気を使っている。
肥料を撒いていたら、うっかりお骨がこんにちは、などという状況はモルテールン家にとってよろしくない話になろう。
どでかい魔力の塊のような生き物のブツだけあって、魔力が豊富に含まれているのは事実。龍の討伐時点では使い道も大してなく、普通の肥料と変わらないだろうと思われていた。
鶏糞や牛糞から作られた肥料のように、農作物の収穫量や質が上がってくれればうれしいなあ、程度の話だった。
念のためというよりは、普通に捨ててもモノがモノだけに邪魔になるから、肥料にでもした方が有効活用出来るんじゃないかという、勿体ない精神の賜物だった訳だが。
人生というのは、何が有るか分からないものである。
魔力肥料、と家中で呼称しているそれは、最早モルテールン家にとって機密の塊となってしまった。
これで隠さねばならないものは幾つ目だろうかと、カセロールはふっと遠くを見る。
物思いにふけることしばし。カセロールはスっと気を取り直し、息子に尋ねる。
「その辺はお前に任せるとして、この後はどうする? アニエスに会っていくか?」
王都まで来たのなら、母親に顔ぐらい見せろ、という父の言葉に、ペイスは少し困った顔で首を横に振る。
「母様には別の機会に会います。今日は、ナータ商会の方に顔を出すことになっていますから」
「ナータ商会? 何の用事か知らんが、親に少し顔見せるぐらいは構わんだろう」
ナータ商会はモルテールン家お抱えの御用商会。
というより、モルテールン家の商業担当部門と言っても過言ではない。
勿論商会のトップは普通の商人であってモルテールン家との雇用関係は無いし、別にモルテールン家が資本金を出したわけでも無いのだが、主要顧客が創設以来ずっとモルテールン家であるし、トラブルが有った時のケツ持ち役がモルテールン家である。
ナータ商会もモルテールン家に対してそれなりの金額を税として、また献金として納めているので、神王国的にはナータ商会はモルテールン家の紐付きと見られていた。
モルテールン家とズブズブな関係にあるナータ商会だ。少々予定がずれたところで、何ほどのことも無いだろう。
勿論蔑ろにして適当に扱うなら反発もされようが、息子が母親に挨拶をしていたからという理由であれば、幾ばくか遅れてしまったところで商会長は気にも留めまい。
しかしペイスは約束が有るからとの一点張り。
何でも、どうしても外せない用事らしい。
成人もしている息子が頑なに断るものを、無理強いも出来ないと、カセロールはふうと息を吐く。
「そういう訳ですので、母様にはよろしくお伝えください」
「そうか。アニエスも残念がるだろうが、仕方ないな」
息子が立ち去ったあと。
執務室に残ったカセロールは、仕事を続ける。
「どうせ近いうちにまた顔を合わせるだろうしな」
カセロールの呟きは、独り言として誰聞くことも無く虚空に消えていった。