048話 勢ぞろい
「なあ、ペイスは何作ってんだ?」
「俺が知るかよ。ペイスに直接聞け」
夏の終わりとなれば、気だるげな暑さが続く。
モルテールン領は乾燥しているのでジメジメとした蒸し暑さとは無縁ではあるが、それはそれとしても、暑いものは暑い。
そんな夏らしい中で、地面にだらりとへばっているのは、ルミニートとマルカルロ。俗にいう悪がき三人組の二人だ。
何故三人組なのに二人しか居ないか、といえば、答えは単純明快。リーダーが今屋敷に籠って作業中だからだ。
モルテールン家の領主館は、冬は暖かい。そして、夏の暑さでも快適に過ごせるように風通しを計算されて作られている。
それはとりもなおさず、夏場は館の中の空気が外に漏れやすくできているということだ。
「何か、いつもと違う匂いじゃないか?」
「そうだな、何だか草っぽい匂いだ」
「何作ってるんだろうな?」
「だから、俺が知るわけねえって言ってるだろうが」
ルミとマルクは、いつもの通り親の手伝いから逃げ出して、領主館の傍に居た。二人の秘密スポット。
普段であれば、香ばしい匂いであったり、甘い香りであったりと、色々な匂いがその場には漂ってくる。共通点は、どんな時でも美味しそうな匂いであることだ。焼き菓子らしいときもあれば、飴のような時もある。ジャムのような時もあれば、揚げ物のような時もあった。無論、何を作っているのかまでは外からは分からないが、想像するだけでも楽しくなる。ルミとマルクの密かな楽しみなのだ。
しかし、今日に限ってはいつもと違う。青草を踏みつぶしたような、或いは麦を刈り取っている最中のような、どこか馴染のある匂い。そんな匂いがしていた。
嫌な匂いというわけではないのだが、美味しそうな匂いとは違う。
ルミもマルクも十一歳。幾ら食べてもすぐに腹の減る年頃。育ち盛りの慢性空腹児童にとって、匂いで空腹をごまかそうとしていた当てが外れた形になる。
「よし、何作ってるか覗きにいこうぜ」
「あん?」
「だってよ、気になるじゃねえか」
「気にはなるけど、知らねえぞ。またお預け喰らっても」
領主の館というのは、下働きも多く出入りする。
先春に領主館が建て替えられた際、部屋数の増加や諸々の作業負担増から、侍女や侍従、下男下女も人数が増えていた。元難民の寡婦であったり、騒乱や盗賊禍で身体的に障害を負ったものであったりの雇用先ともなっている。
そんな彼ら、彼女らが出入りする為に、領主館には働くものの為の通用口が存在している。
日頃、館を含めてあちらこちらをうろちょろと探検している悪童二人。通用口の出入りの仕方などは、既に承知していた。
子供二人がこっそりと館に忍び込み、匂いの出どころである調理場の傍に着いたとき。調理場の中からは楽しそうな声がしていた。
『薬効の抽出というのが厄介で、煮ると駄目な薬効成分というのも多いのです』
『色は綺麗ですけど……』
『凄い匂いでしょう? これを上手く組み合わせていくのも腕の見せ所というものです。知識と経験と、勘とセンスの必要な作業ですね』
中からは、壁越しのくぐもった声がする。ペイストリーとリコリスの楽しげな会話だ。
漂ってきている匂いは相変わらず青臭い匂いではあるが、楽しそうにしているところから察すれば、お菓子作りをしているに違いない、と子どもたちは考えた。そして、自分達が将来の主君と仰ぐ少年の作るお菓子が、不味かった試しがないことを、誰よりもよく知っている。
「何作ってるんだろな?」
「よく見えねえよ。なんかをすり潰してるのは見えるけどよ、肝心の中身が見えねえ」
そのうち、厨房からは子供たちのよく知る匂いが漂いだした。甘い匂い。砂糖の水溶液が熱せられる時の匂い。飴細工の時の香りに間違いない。
これはやっぱり新しいお菓子だ、と期待に胸が膨らんでいく。
その矢先だった。
「こら!! お前ら何やってる!!」
「げっ、見つかった!!」
「逃げろ!!」
突然の怒声。
逃げ足はペイス並みに素早い悪童二人。自分達がこそこそ覗いていたのが見つかったと気付いた時には一目散に逃げ出していた。その素早さには、目を見張るものがある。
声を掛けた人間からすれば、その無駄な才能を、別のことに活かせと思うばかりだ。
「大きな声を出して何か有りましたか? なんだ、ニコロじゃないですか。どうしました?」
「いえ、大したことじゃありませんよ。大きなネズミが居たんです」
「ああ、いつものことです。また草むしりか鶏の世話から逃げて来ていたのでしょうね」
「全く……」
外を確認したことで、ペイスは従士のニコロが来ていることに気付いた。
大きな声をあげ、ドタバタとしていれば、厨房の中の者も気づく。そもそも、領主の館に忍び込むようなのが誰かなどは、分かり切った話だ。
「それで、ニコロはどうしてここに? 仕事がいっぱい残っているでしょうに」
「ええ、おかげ様で泣きそうですよ。なんすかあの食い物ばっかりの明細。どれだけ買い込んできたんだって話で……って、違う。ここに来たのは、若様を呼びに来たからですよ。明日の出立の準備らしいです」
「そうですか。まあ、急ぎでは無いでしょうから、こっちの作業がひと段落したら向かうとしましょう」
「一体、何をしていたんですか?」
ニコロは、厨房の外からひょいと中を覗いた。そのまま中に入れば、独特の匂いがした。青臭さと、それと併せて甘い匂い。
ペイスのお菓子作りにかける情熱は周知のことであるが、大量の物資の買い付けに成功しただけに、しばらくはこんな調子で厨房に籠り切りになるだろうと、皆が既に達観している。
猫にまたたび、ペイスにお菓子作りだ。
「飴ですか?」
「ええ。ただの飴ではありませんが、飴は飴です。ちょっとね、シイツがお父様と話していて、勘に引っかかるものがあったらしいです。無視も出来ませんから、軽く備えておこうかと思いましてね」
「備え?」
「何も無ければ、新商品。シイツの勘が当たれば実用品になる飴ですよ」
ニコロと会話しつつも、ペイスの手の動きはいささかも衰えない。
「ふぅん、まあ出来上がりを楽しみにしていますよ」
ニコロの気だるげな言葉に、横に居た少女も反応した。
「私も、ペイスさんが作るお菓子は楽しみなのです。いつも素敵なお菓子ばかりですから」
傍に居たリコリスにしても、何を作っているのかまでは知らない。
婚約者の作る菓子をよく味見しているだけに、期待だけが膨らんでいる状況だ。にこにことした笑顔で、ペイスの作業を見守っている。
「よし、出来ました。試作を重ねた甲斐もあって、これは上出来ですね」
「そりゃよかった。何を作っていたのかは気にはなりますが、それは後にして、とりあえず執務室の方に急ぎましょう」
作業が片付いた所で、ニコロは少年を急かす。大急ぎで呼んで来いと言われたわけではないにしろ、領主を待たせている事実には変わりないからだ。
当の本人は、飴を包みつつ、のほほんと婚約者と会話していたが。
「リコリスも、幾つか持っていて下さい」
「はい。……では、私は自室に戻りますね」
「明日は王都に向けて出発ですからね。母様たちに捕まらないように気を付けて。捕まると、着せ替え人形にされますから」
「大丈夫です。着ていくものは決まっていますから」
少女はニコリと微笑んだ。
王都で調達してきた流行のドレスの御直し。ここしばらく、リコリスはそれに掛かりきりだった。ようやく、アニエスやジョゼといったモルテールン家女性陣のOKも出たので、着ていく服は準備万端だと胸を張る。その様子はどこか幼げである。
凄く素敵な服なんですよ、とぱたぱた手を振る愛らしい動きに、ペイスは微笑みで応えた。同じことを、いい年をした大人がやればわざとらしいが、少女にとってはごく自然に出た仕草。
年相応の無邪気さが時折こうして表に出てくるのも、リコリスなりにモルテールン家での暮らしに慣れてきているという証だろう。
明日の準備という事で、少女は自室に戻り、次期領主の少年は従士を従えて執務室に至る。
ペイスの歩きは、ダンスレッスンの影響もあって少々足早だ。
「失礼します」
「遅いぞペイス」
ノックと同時に部屋に入ったペイスの目線の先には、大人たちがずらりと居並ぶ光景があった。
カセロール、シイツ、グラサージュ、コアントロー、トバイアム等々。ペイスと連れだって入ったニコロを含め、モルテールン家の専任従士のうち、多少なりとも腕っぷしに自信のある連中ばかりが揃っていた。皆の目が一斉に少年へ向き、何事かとペイスは首を傾げた。
忙しい中、これだけの面子が集まっていて、のほほんと茶飲み話と言うわけでも無いだろう。
「何かありましたか?」
「大ありです。シイツさんの勘がまた当たりっぽいですよ」
そう言って一通の手紙を手渡してきたのはルミの父親のグラサージュ。普段はどこかしらお気楽なところがある彼が深刻そうな表情をしているだけに、かなり大きな問題なのだろうと察しは付いた。
筒状になった手紙。モルテールン領に着くまで、長いあいだ巻物になっていたからだろうが、癖が付いて、くるんと丸まっている羊皮紙だ。ペイスがその手紙の差出人を目に入れた時、彼らが集まっていた理由が分かった。
「ラツェンプル騎士爵家……かの有名な金欠騎士からですか。王都で舞踏会のある、このタイミングで? 胡散臭いことこの上ないですね」
「中を見てみろ。もっと胡散臭い内容が書いてあるぞ」
父親に促され、ペイスは羊皮紙の巻きを伸ばす。
「うわぁ……これはあからさま過ぎるでしょう」
手紙に書かれていた内容は、一見すると何の変哲もないものだ。
「昨今、諸事物騒な折、高名にして高潔なるモルテールン卿に大事無きよう、王都にて当家の者が勝手ながら護衛につき……」
内容を呟きながら読み上げるペイス。端的に要約するならば、王都でラツェンプル騎士爵家の家人が護衛するぞ、という宣言文である。
自分の身ぐらい自分で守れる、という自負のあるカセロールにとっては、大きなお世話だと声を大にして言いたい。
「どうしてこう、シイツの勘は当たるんだ? 絶対魔法か何か使っているだろ」
「知らねえですよ。坊がダグラッドに集めさせた情報からピンときただけですぜ?」
今回の舞踏会に先立ち、モルテールン家には王家直々に一つの命令が出ていた。
それは、朝早くからの市内パレードへの強制参加命令だ。市内行軍への従軍命令とも言う。
カドレチェク公爵派の政治的喧伝を公然の秘密とし、王子の生誕祝いのパレードが行われることは既に決定事項。公爵と王家の親密具合を内外に広くアピールする狙いがあると同時に、王家としても後継候補の大々的な顔見世と箔付けという意味を持つ。
その一団に、晴れて陞爵したモルテールン家の人間を混ぜるのは、どう考えても政治的意図がある。
「警備は最警戒態勢で当たるべきでしょうかね」
「うちの連中は総動員だな」
モルテールン家のパレード参加の意義。
それがどんな意図かと言われれば、まず真っ先に考えられるのが大戦の英雄を味方につけているのだという宣伝。
巷で吟遊詩人に歌われているように、カセロールの勇名は広く知られている。これから次代を担う王子の味方に、英雄が居るとなればそれなりの威光として使える。少なくとも、敵に回すことを躊躇させる一要素ぐらいにはなる。
或いは、日和見を決め込んでいる中立的貴族の取り込みを狙う。
戦後の復興期とは、言い換えれば不安定期。国王の足場を固める時、不安要素として潰された家や降爵された貴族は多い。そして、その逆は恐ろしく狭い門になる。
王家としては、自家に権力と権益を可能な限り集中させたい時なわけで、新たな爵位の授与は勿論のこと、爵位の位階を上げることにはとことん消極的な立場をとってきた。そもそも各々の貴族家が力を持ちすぎていたという過去の教訓もある。
そこにあって、久方ぶりの陞爵の報せである。これに驚かない貴族はほとんど居ない。
自分達に味方しておけば、モルテールン家のように陞爵するかもしれない。そう思わせることが出来れば、中立的な者でも利に聡いものは雪崩をうって派閥の長に靡くだろう。
さて、そうなってくると当然出てくるのがゴマすりの輩。
自分達も美味しい思いをしたいと、すり寄ってくる連中と言うのが必ず存在する。そもそもパレードの従軍命令自体が、そんな連中の誘蛾灯としての意味を持つのだから。
気を付けるべきは、それに混じって邪な行動を企む連中である。
ラツェンプル騎士爵家のように、無理矢理にでも押しかけようとする者の可能性は議論されていた。ただし、それは予想の中でも、悪い方の予想の一つだ。
「使えそうな男手は、全員連れて行こう。王都で中央軍の目の光る中、不埒な行動をとるとは思えんが、何かあったなら使える人手は多い方が良い。この分だと、足手まといがもっと出て来るぞ」
「ただでさえ忙しいってのに、迷惑な」
「もしかしたら、そうやってうちに嫌がらせするのが目的かもしれん。が、それを議論するにも時間がない」
「坊、例の件には対策は打てたんですかい?」
例の件、と言われて、改めて大人たちの目がペイスに向く。
その視線を受け、自信ありげに少年が頷いた。
「ええ。これがその対策です」
「何です、こりゃ。飴ですかい?」
銀髪の少年がずいと差し出したものを、シイツはひょいと抓む。どれどれ、と他の連中も興味津々。
「ええ。ですが、ただの飴ではありません」
「ほう?」
ただの飴では無い。その言葉の持つ意味は、穏やかならない。
常でさえ突拍子もないことを次々とやらかしてきた次期領主のいう「ただごとでない」飴とは如何なるものか。
ニコリと笑った少年が言う。
「のど飴です。それも、とっておきの、ね」