476話 ペイス、思いつく
ナータ商会の馬車止めエリアは、荒れ果てていた。
何かが割れた瓶のようなものが転がっていたり、馬車の車輪と思われるものが、折れた車軸と共に放置されていたり。
地面もあちこち濡れているし、どうやら血のようなものも転々と飛び散っている。
明らかに、この場所で暴力行為が起きたという痕跡。
「王妃ともあろう方々が、乱闘ですか」
ペイスは呆れるしかなかった。
よりにもよって、この国で淑女の鑑ともいわれる人間が、乱闘騒ぎを起こしたというのだから。
モルテールン家としては、ナータ商会のプレオープンを丸々潰されたことになる。
どう考えても、生半可なことで許せる被害ではない。
「王妃様方は、乱闘を押さえようとされました。モルテールン卿に迷惑を掛けることにあるから、止めるようにと」
「それで」
「しかし、周りの友人の方々が……こう、過熱したといいますか」
「とり巻きを制御できないのなら、派閥など作るなと言いたいですね」
現場を見ていた商会員によると、最初は口論だったという。
どちらが馬車を停めるかでもめ、お互いに譲らず口論になったと。
そのあたりで王妃たちは理性的にことを収めようとしたらしい。カセロールが呼ばれたのはこのあたり。
その後、カセロールはペイスを呼びに行くよう手配した。
口喧嘩はそのころには収まり、無言のにらみ合いになっていたという。
ひとまず場が落ち着いたと判断したカセロールは、すぐに来るであろうペイスにこの場を預けるようにとの伝言だけ残し、仕事に戻った。中央軍というのは暇ではないのだ。
さて、問題はこのあと。
カセロールが居なくなって、ペイスが来るまでの空白の時間。
誰かが「モルテールン卿に御迷惑を掛けたのはお前たちのせいだ」という意味のことを言ったらしい。
それはお前たちのせいだろとお互いに言い合いになり、口論がエスカレートしたところで軽く小突くような感じになり、それが押し合いになり、もみ合いになり、馬車の中のものを投げ合うようになり、乱闘騒ぎに発展してしまったそうだ。
「王妃様は、どうされました?」
「今日は一旦お二方ともお帰りになられました」
「当然でしょうね」
ここまでの騒動を起こしておいて、どの面下げて居座るのかという話である。
流石に問題の二人が帰ったということで、ペイスは事後処理に当たることになった。
◇◇◇◇◇
明けて翌日。
ことがことだけに王都に泊まっていたペイスの元に、使者がやってきた。
モルテールン家別邸では久しぶりの息子のお泊りに、母アニエスが物凄く喜んだ一幕が有ったのだが、それは余談である。
やってきた使者は、国王の代理という肩書で来た。つまりは勅使だ。
ペイスとしても蔑ろにすることは出来ず、居留守も使えない。
やむなく、別邸の応接室で使者を接遇することになった。
ちなみに、カセロールは息子に対応を任せると決めて、仕事に行っている。任せておけば安心だという信頼が有るのだろう。
「この度は、大変な騒動を起こしてしまい、誠に申し訳ない」
勅使が深々と頭を下げる。
最上級の謝罪を見せ、ペイスに対して謝る。
ペイスとしても、相手を無下にすることは出来ないが、かといって、謝って貰ったからこれでおしまいね、とはならない。
何とか貴族として落としどころを見つけ、感情の整理をつけねばならない。
「王妃様方に成り代わり、深く謝罪申し上げる」
「今更別人に頭を下げられましても……」
問題を起こしたのは、王妃とその取り巻きである。
幾ら高貴なものとはいえ、部下に謝らせておいて御仕舞にすようというのは虫が良すぎると、ペイスは感じていた。
それゆえ、思いっきり顔を顰めて不快感を表明する。
怒っている、不快だ、腹が立っていると、全身でアピールする形。
実際、ペイスとしても怒っているのだ。ナータ商会はペイスのお菓子を売るお店。それのプレオープンを台無しにされたのだから。
腹立ちを収めるには、目の前の使者の謝罪だけでは無理である。
「ご尤も。おっしゃる通りです。勿論、本来であれば騒ぎを起こした全員をここに連れてきて謝罪させるのが筋。それは重々承知しております」
「はあ」
確かに、ペイスも筋を通すならそうだろうと思う。
乱闘した全員が反省し、全員が揃って謝罪して、ようやく許すかどうかを決めるスタートラインに立てるだろうと。
筋の通らないことが嫌いなカセロール当たりなら、この時点で更に怒っているかもしれない。
余計に腹を立てたことが分かったのだろう。
使者は更に続けてペイスの憤懣を宥めようとする。
「しかし、そうなりますとここに大量の高位貴族の令嬢や、王妃様が来られることになりましょう。そうなれば、更に余計なご迷惑を重ねてしまします」
「まあ、それは確かに」
言われて、ペイスも少し怒りの矛先が丸くなった。
確かに筋を通すなら全員がペイスの所に来て頭を下げるべきかもしれないが、そうなるとモルテールン別邸は貴族であふれかえることになるし、王族まで来ることになる。
更に騒ぎになるだろうし、ご近所にも迷惑が掛かるだろう。
それは謝罪する姿勢としては不適切だとの意見は納得できる。
「ご迷惑をお掛けした段に関して、心からお詫び申し上げます。幾重にもお詫びいたします。平に、平にご容赦を。申し訳ありませんでした」
改めて頭を下げる勅使。
勅使というのは王の代理であり、本来は頭を下げることなどまず無い。王が謝罪することなど殆どないからだ。
しかし、ペイスに対しては真摯に謝っている。
その事実は、ペイスとしても認めざるを得ない。
「また、陛下や王妃様方より手紙と、直接お言葉を預かりました。申し訳なかったと」
「……そこまで言われては仕方ありませんね」
やれやれ、とため息をこぼすペイス。
直接謝罪を口にしたというのは、恐らく事実なのだろう。目の前で言う為に出向くとなると余計に迷惑が掛かるから、使者に伝言を持たせた。手紙を見れば、確かに一文の自己弁護もせず謝罪の言葉を書き連ねてあった。
「謝罪について誠意を示す為、謝罪の品も預かって参りました」
そして、ある程度ペイスの怒気が和らいだことを見て取ったのだろう。
更に謝罪の品も預かってきたという。
「謝罪の品?」
「はい。お持ちしても良いでしょうか」
「ええ」
一端部屋を出た勅使は、正装をしたうえでマントまで羽織り、高々と口上を述べ、敬礼したのちにペイスの前に片膝をつく。
「こちらです」
そして、一通の手紙を手渡した。
「これは?」
「モルテールン家に対して、勅許状です」
「拝領します」
手紙に目を落とせば、封印は王家の紋章。
国王陛下からの正式な文書ということだ。
これは適当に受け取る訳にはいかないので、ペイスも敬礼で受け取る。
その後、一言断ってから中をみると、書いている内容は数行であった。
正式な国王の印とサインも有るが、内容はシンプル。
「……王家所有の牧場との取引を指し許す?」
「はい」
汝、ペイストリー=ミル=モルテールン
此の者に王家所有のミーク牧場並びにダイア牧場との一切の取引を指し許す
第十三代国王カリソン=ペクタレフ=ハズブノワ=ミル=ラウド=プラウリッヒ 勅印
陛下の勅が有るとなれば、堂々と出来る公式なもの。
「王家は、幾つかの牧場を所有しております。本来であればこことの取引は決められた者を通してしか出来ません」
「存じております」
「しかし、今回はわびとして、モルテールン家に限り、この牧場からの産物の取引を許すと仰せです」
王家直営の牧場や農場は、王家の為の食料供給を行っている。
当然、神王国でも最上の土地を使い、最上の人材を囲い、最上の手間を掛け、最上の農作物を生産しているのだ。
その牧場から、農作物を買い取る権利をくれるという。
「……つまり、王家御用達の牛乳や卵が定期的に購入できる?」
「量には物理的な限りは有りますが、その通りです」
「流石は陛下!! なんたる名君!! これで生クリームもバターも最高級のものが作れます!!」
ペイスは、思わず飛び上がって喜んだ。
モルテールン領でも牛は育てているし、鶏も育てている。
しかし、この国でも最上級品が手に入るというのなら、それに勝ることは無い。
ペイスとて、何十年、何百年と連綿と続いてきた伝統ある牧場の実力を舐めたりはしない。
牧畜に関しては素人のペイス。幾ら自分が頑張ろうと、やはりそもそもの原材料の質は王家直轄牧場の方がモルテールン領の牧場より上であろう。
最高のスイーツの為にまた一歩進んだ。
これを喜ばずにいられようか。
ひとしきり喜びまくったペイス。
落ち着いたところで、使者は改めて今回の来訪目的を尋ねる。
「では、王妃様方の件は許していただけましょうか」
「そうですね、仕方ありません。陛下の勅許に免じて、水に流すこととしましょう」
「ありがとうございます。肩の荷が下りてほっとしております」
ようやく、勅使は自分の任務を果たせたと胸をなでおろした。
正直、ペイスを怒らせたとなった時、カリソンもどうやって宥めるかに頭を痛めたのだ。牧場との取引で水に流してくれるなら、安いものだと思っていることだろう。
「それで、そもそもどうして乱闘などと?」
一息ついたところで、ペイスは気になったことを聞いてみる。
何でこんなばからしいことをやらかしたのかと。
「さすれば、モルテールン卿の献上されましたお菓子にございます」
「どれのことでしょう?」
「オランジェットと言われるものです」
すると使者は、ことの原因を話し始める。
どうやら、ペイスが王家に贈ったお菓子が原因だという。
どういうことかと首をひねるペイス。
「あれに、どうやら優れた美容効果が有ると」
「あ゛……」
言われて、気づいた。
つい先日、実験結果が出たばかりではないか。
仮説として、魔力の篭った土地で育ったものは、効果が増幅されると。
カカオは美容にいい。
亀の背中からもぎ取ってきたカカオに、何かしらの美容効果が有ったとしたら。
それはさぞ効果も大きいことだろう。
「更に、あれは特別なもので、数も無いという話でした。どうしてもそれが欲しいと思われていたらしく、お二方が譲ることも無く」
「数の限られるものを取り合っている。物が物だけに、どちらも引く気は無いということですか」
大亀からもぎ取ってきたのだから数が有る訳も無い。
珍しいものだから、おすそ分けとして王家に献上したのだ。
もう一回くれと言われても、無い袖は振れない。
だが、本当にもう無いことを知らないのなら、限られたお菓子を確保しようと動くことも有るだろう。
「今後はどうされるのですか?」
「……正直、火種は燻っております」
王妃たちが求めているのが、ペイス謹製の“美容効果のあるお菓子”だとすれば、これからも争いごとは続くだろう。
まして大亀のカカオは「若返り」の効果が有るという疑惑まである。
本当に若返るお菓子が有るなら。
それこそ女性は絶対に譲らない。
王妃二人を納得させて和解させることなど、不可能に思える。
使者は、またご迷惑を掛けることも有るかもしれないと済まなさそうな顔をする。
しかし、ペイスは違う。
「……僕に、いい考えが有ります」
ペイスは、にやりと笑った。