475話 ナータ商会王都支店本日閉店
「ペイストリー様!!」
「何事ですか、騒々しい」
その日、モルテールン家の執務室に駆け込んできたのは、中年男だった。
ここ最近はよく駆け込んでくるなと思いつつも、ペイストリーは相手に対して落ち着くように言う。
「デココ、大商会を率いるあなたが、そんなに慌ててどうしますか」
飛び込んできたのは、ナータ商会会頭のデココ=ナータ。
未だにナータ商会本店からモルテールン家領主館まで、全力疾走できる体力を維持していることは驚きである。
落ち着き払ってデココを嗜めるペイスに対し、駆け込んできた男は謝罪の言葉を口にする。
「はい、申し訳ありません……じゃなくて、大変なんです!!」
「どうしました?」
「王都の店から、大至急救援をとの連絡が有りました」
ナータ商会は、目下王都に新しい店を出そうとしている。というより、既に営業をプレオープンしている。
既存の店は別の用途に使い、目ぼしい機能の移転というのが正しいだろうか。
王都の大通りに面し、最も人通りの多い場所に構えてある大きな建物が新しい店舗になる予定。
馬車止めや裏庭もあり、専用の井戸まであり、従業員用の寮もまでも付設されているとなると、そうそう売りに出されるものではない物件である。
幾らナータ商会が金を積もうが、普通は手に入れるなど無理な物件であったが、何の因果か、大店が急に経営を傾け、大通りの一等地の物件が売りに出されることになった。
この情報をいち早く掴んだモルテールン家が、各所への影響力をふんだんに使って書いとったのだ。
「大至急? 向こうから連絡が来たのなら、何日も前の連絡でしょう?」
普通、王都にある店と、モルテールン領の本店とのやり取りは、馬車や馬を使う。
護衛も付けた立派な馬車が連なってキャラバンを形成し、モルテールン領からレーテシュ領やボンビーノ領を経由して王都に向かう。帰りも同じ道で、南部街道は行きと違う方を使う。
安定して交通しているので、ペイスも時折手紙を預けたり預かったりする。
往復ではなく片道と考えても、一ヶ月は掛かる道程だ。
大至急というものも、一ヶ月かかっての連絡というなら一日や二日は誤差である。そんなに慌てて駆け込むほどのことでは無いと、ペイスはデココを宥めようとした。
しかし、商人は大きく首を振った。
「それが、どうやらカセロール様に魔法で送って貰ったらしく」
「え?」
ペイスは、デココの言葉に驚いた。
「店の人間が、血相を変えて。【瞬間移動】で来たというので、大ごとだと思いまして」
「そうですね。父様が慌てて送るのなら重大事件でしょう。しかし、それなら父様が直接きそうですが」
カセロールの魔法は言わずと知れた【瞬間移動】。他人にも瞬間移動をさせることが出来、なんなら他人だけを送ることも出来る。
モルテールン家の切り札の一枚であり、カセロールが首狩り騎士と恐れられる所以でもある
しかし、カセロールは現在国軍の隊長。
国軍に所属するということは、能力の全てを国軍の為に使うことを意味する。
例えば、明日酒を飲みたいので、今日は訓練軽めにします、などということは許されない。
どんな時も全力で訓練するべきであり、腕立て百回出来るところを二十で済まそう、などというのは懲戒ものだ。
魔法も同じ。
本来なら三回使える魔法を、私事に使いたいので一回だけにします、などというのは通らない。
いついかなる時も、国軍の為に全力を尽くせるようにする義務が、カセロールには有る。
国軍の責務に縛られたカセロールが、言葉は悪いがただの商会員の為に魔法を使うというのは、かなりの異常事態である。
「何か、来られない訳がおありなのでしょう」
「そうかもしれません。その飛んできた部下というのは?」
「連れてきております。呼んできましょうか」
「ええ」
デココも詳しい事情はまだ聴いていない。
そこで、王都から飛んできたという商会員を召喚する。
やってきたのは、いかにも商人然として賢そうな男性。
三十そこそこだろうが、淡い赤髪よりの茶髪をした、小柄な男であった。
「ペイストリー=モルテールン卿、お会いできて光栄です。小職はナータ商会の王都支店を預かります」
「堅苦しい挨拶は不要。急ぎの用事なら用件から述べなさい」
「はっ!!」
虚飾虚礼を嫌うモルテールンの流儀。
まだるっこしい挨拶をするぐらいなら、さっさと用件から言うのが手っ取り早い。
軍人家系らしい、実利一辺倒のやり方だろう。
商会員は、慌ててペイスに報告をする。
「実は、ついさきほど。店にエミリア王妃様とそのご友人方が来られて」
「ふむ」
「更にそのすぐあと、間も明けずにエルゼカーリー王妃陛下とそのご友人も来られまして」
「……は?」
ペイスは、言われた内容が実に不自然に感じた。
そもそも、エルゼカーリー第一王妃がナータ商会のお菓子を欲しがっていたことは知っている。事前に報告を受けていた。
だから、隠れてお忍びで来るかもしれないとは思っていたが、まさかプレオープンの日に来るとは思っていなかった。店がまだ本格的に開店していないのだから。
これから開店営業するのに、問題が無いか確認するためのプレオープン。
しょっぱなから、イレギュラー中のイレギュラーである王妃陛下の来訪など、何の為のプレオープン中という話だ。
どう考えても配慮の有る行動とは思えない。
更に、エミリア第二王妃も問題である。
そもそも、第一王妃はまだ事前に聞いていたから話は理解も出来る。やってきた日がおかしいことを除けば、マシな対応だろう。
しかし、エミリア第二王妃の場合は、何も聞いていなかった。
いきなりプレオープンの日に来るとは、王宮の警備やどうなっているのかと怒鳴りつけたいぐらいである。
その上、不仲で有名な両者が、よりにもよって鉢合わせ。
トラブルというのは、ドミノ倒しのように連鎖するように出来ているのだろうか。
「お二人の間でかなり険悪な雰囲気になりまして。エミリア様は自分の方が先に来たと言い、エリゼカーリー様は自分は前もって話を通していたと言い……馬車止めは左程広くないので全員分を入れる訳にはいかなかったのですが、どちらも譲らず」
「……はあ」
日頃から仲の悪い権力者同士。
些細なことでも譲れ譲らないの喧嘩はあった。
今回は、馬車の駐車スペースで揉めたようだ。
王妃本人と取り巻きが来るなら、馬車の数も数台。或いは十台を超えるかもしれない。
それが二名分。
どう考えても、一店舗の馬車置きに停められる数ではない。
どちらかが引けとなれば、それは揉めることだろう。
「とりあえずは今日はお二方とも一旦お引き取り願えないかと言ったのですが……」
「引かなかったと?」
「はい。そしてモルテールン卿を呼べとの一点張りで」
何か目的が有ったのか。
引けと言われて簡単に引くような方々ではないとしても、喧嘩腰でぶつかるとはよっぽどである。
「それで父様が?」
「はい。カセロール様をお呼びしたのですが、すると今度は違う、ペイストリー様の方だと」
カセロールが呼ばれて、魔法を使った経緯はよく分かった。
王族二人がモルテールン傘下の店の前で大げんかなど、あってはならないし、すぐに対処せねば拙い。
しかも、二人の女性は、ペイスを呼べと言ったらしい。
実に頭の痛い話だ。
「……はぁ、それで、御二人は何とおっしゃっておられたのです?」
「すぐに、王都に来て欲しいと」
簡潔であるが、肝心の用件がさっぱり不明だ。
これはどうしたものかと悩む案件だろう。
「行くしかないですね」
「坊も余程に騒動に愛されているようで」
傍で話を聞いていた従士長が、茶々を入れる。
騒動の申し子というのはペイスの別名であるし、トラブルメーカーとしての才能は国内随一と自他、もとい他の認めるところだ。
「愛されるのはリコリスからだけで良いのですが」
「お、御馳走さんでさぁ。今の言葉は、しっかり伝えときますんで」
「行きたくないですね……どう考えても碌でもない話ですよ?」
用件も伝えずにただただ王都に来いと呼びつける。
王族というものはわがままというのが相場だが、それにしても何か隠すべき用件があるのか。
モルテールンの機嫌を損ねることが不利益になると理解しているであろう人間のやり方に、首を傾げるペイス。
「いいねえ、この国で一番二番を争う美女にモテるなんざぁ。羨ましいこって」
「なら代わりましょうか?」
「俺じゃあ不足が過ぎるってもんで。スケコマシの称号は、坊にって決まったんで」
「そんなもの聞いてませんよ?」
「今言いました。さっさと行って、ちゃちゃっと解決してきてくだせえよ。仕事が溜まってんすから」
「はぁ」
ペイスは、ため息をこぼしながら王都に【瞬間移動】した。
◇◇◇◇◇
「それで、何事ですか」
王都のナータ商会支店にペイスがついた時。
そこには明らかに何かが暴れたような惨状があった。
「……店内で、乱闘騒ぎが起きました」
ペイスは、天を仰いで瞑目した。