474話 休憩にはお菓子を
「陛下」
ジーベルト侯爵が、執務室で執務に励む国王に声を掛ける。
既に二時間ほどずっと机に向かっていることを気にしたからだ。
「陛下、少し休まれては如何でしょう。先ほどからずっと根を詰めておられるご様子。臣としましては、陛下のご健勝に勝る国益はないと愚考致します」
「うむ、そうだな。少し休憩を入れるか」
執務椅子の背もたれにもたれかかり、ぐぐっと背伸びをするカリソン。
背中の骨から、ポキポキと音がする。
どうやらかなり凝っているようで、伸びをしたところで僅かに痛みが有った。
これは本格的に休憩を取った方が良いと、カリソンは椅子から立ち上がってソファーの方に足を進める。
「ジーベルト、お前もお茶に付き合え」
「は、御相伴させていただきます」
折角休憩するのだからまったりとティータイムと洒落込みたいところだが、忙しい政務の合間とあってはそうもいかない。
だが、一人で休憩してもつまらないので、腹心の部下を休憩に誘う。
誘われた方には否という答えは存在しないので、そのまま男同士のティータイムが始まる。
お茶の用意をするのは、ジーベルト侯爵の部下。
儀典の宮廷貴族に属する侍従長だ。
彼の仕事は王のそばにあって、快適な生活が出来るようサポートすること。
休憩のお茶を用意するのも職務に含まれる。
ソファーでだらしなく背中を背もたれに預ける国王の前と、休憩中であっても背筋の伸びているジーベルト侯爵の前にそれぞれお茶が配られる。
ちなみに、毒見役が毒見をした幾つかのお茶の中から、侍従長がランダムに選ぶ。
そして、残ったお茶は侍従長や他の部下が飲み干すことになっている。
毒殺を警戒せねばならないのが、国王という立場だ。
「ん? このお茶はいつもと違うな」
「左様ですな。おい、このお茶はなんだ?」
ジーベルトの声が険しくなった。
お茶の味が違うということで、カリソンは一口含んだものをハンカチに吐き出した。
諸事物騒なことであるが、一応の用心だ。
お茶の件は侍従長が責任を持つところ。老人とも呼べるその男は、落ち着き払った声で問われたことに答える。
「はっ、ルーラー伯より献上されたものと聞いております。疲労回復に良いとのことでしたので、淹れたものにございます」
ジーベルト侯爵の問いの答えに、カリソンはふむと軽く頷く。
お茶の手配は侍従長の職分で、お茶の味や茶葉の種類の選定も、勿論彼の仕事のうちに入る。
カリソンが割と休憩中に飲むお茶をルーティーン化しているのが珍しい方で、歴代の王も普通の貴族も、体調や気分によってお茶の銘柄や淹れ方を変えるものだ。
侍従長は、自分の仕事を真っ当にこなしただけである。
疲労回復に効果的というのなら、確かに今の疲れた状況に合う。
見事だと一言褒め、カリソンはお茶の続きを楽しむ。
しばらくリラックスする時間を楽しみ、おもむろに部下に話しかける国王。
話題の内容は、今飲んでいるお茶についてだ。
「ルーラー伯も、色々と失地挽回を狙っているということか」
「はい。そのようですな」
政治的に痛い失点をしてしまったルーラー辺境伯は、目下影響力の回復に邁進していると聞く。
軍事行動でどこかを攻めて求心力回復、とやらないだけ短期的な視点ではなくある程度長期的な視野を持っているのだろうが、その一環で国王の機嫌も取ろうと思ったのだろう。
「うむ、なかなかうまい」
「はい」
茶葉自体はどうやらヴォルトゥザラ王国経由の輸入品らしいが、この国にはない風味が味覚を楽しませる。
休憩時間に思わぬ喜びが有ったと、気持ちも楽になるカリソン。
お茶は確かに疲労回復に効果が有りそうである。
「しかし、北はいよいよ危うくなってきたな」
ぼそりと呟くカリソン。
気持ちが楽になったところで、政務の方に意識が向いたらしい。
「ナヌーテックですか。エンツェンスベルガー辺境伯がご健在で御座いますれば、国防については心配ないものと思っておりますが……」
エンツェンスベルガー辺境伯は、そもそもが北の脅威に備えるのがお役目。
防備もガチガチに固めて、年がら年中工事をしている。城も防壁もあちこちに立ててあるし、それらに兵も配置している。
今から戦争が始まったとしても大丈夫なほど、しっかりと防備をしているというのが、エンツェンスベルガー辺境伯領の評価である。
「向こうも、色男の存在は十分わかっているだろうよ。その上でことを起こすとなれば、何か対策をもっているのかもしれんな」
「対策ですか? 一体どのような」
「俺が分かるわけなかろう。分かっているなら備えている。分からないから対策なのだ」
「はい、その通りかと。愚かしいことを申し上げました」
何かしてくるだろうという予測は出来ても、それが何であるかまでは分からない。
当たり前のことではあるが、言われてその通りと感じたジーベルト侯爵は頭を下げる。
「北が怪しい以上、最低でも東と西は落ち着いていて欲しいものだが」
「落ち着きませんか」
「落ち着くという希望は捨てたくないが、残念ながら動くだろうな。恐らくナヌーテックが手を回しているのだろう」
もしもナヌーテック国が侵略的野心を持っているとするなら、単独で神王国と戦うようなことはしないだろう。
幸いにして神王国は、ナヌーテックと比べても遥かに国力が上である。
勿論かの国も大国と呼ばれるのに十分な国力を持っているのだが、単純に比較の問題だ。
ナヌーテック単独で神王国に勝つのは、軍事的にはまず無理だ。
だが、一国で対処できないなら、他の国も巻き込もうとするのが世の道理。
とりわけ、神王国に恨みが有り、旧地快復を狙っているサイリ王国などは誘い甲斐が有ることだろう。
「かつての大戦を思い出しますな」
ジーベルト侯爵の呟きに、カリソンは顔を顰める。
かつてカリソンが王子だったころ。
この国は、四方から攻められてかなり危険だったのだ。文字通り存亡の危機。
襲われた相手には、ナヌーテックやサイリ王国も含む。
あとほんの少し間違っていたら、或いはモルテールン子爵一人がいなければ、今頃は神王国は滅び、他の国の領土となるか、奴隷の傀儡国にでもされていただろう。
思い出したくない過去だ。
「頭が痛くなる。だが、救いが有るとすれば南は落ち着いていることだな」
「レーテシュ伯ですか」
ジーベルト侯爵が南と聞いて思いつくのは、真っ先にレーテシュ伯爵だ。
外交手腕は極めて高く、聖国と相対しても全く気にせず領地経営をしている。
「モルテールンとボンビーノもいるぞ」
カリソンは、笑いながら追加の二家をあげる。
南部と言えば、その二家も忘れてはならないだろうと。
「モルテールン子爵は中央軍所属ですが?」
カセロールは、宮廷貴族である。
宮廷貴族のトップに居るジーベルトとしては、割と譲れない線引きである。
出来ればそのままずっと宮廷貴族でいて欲しいほど。
「あそこは息子の出来がいいからな」
はははと国王は笑う。
確かにモルテールン子爵は軍務系の宮廷貴族だが、息子の方は立派に領地貴族をやっているという笑いだ。
「左様ですな。正直、羨ましく思います」
「ほう」
「どうにも自分の子供たちと比べてしまいます。あれほどの才能を持ち、実績も十分な男子など、そうはおりません。自分の子がああであればと……つい」
「それは俺もそうだ。ルニキスあたりは多少見習っているようだが、他の者も大いに見習って貰いたいものだ」
「左様ですな」
ペイスを見習うなどとんでもない。などと、カセロールあたりは言いそうだが、傍から見る分には確かに見習わせたいほど優秀である。
お菓子、軍事、経済、政治、お菓子、経営、お菓子。全てに秀でているのだから。
アレが量産出来れば、きっと国力は大きく向上するだろう。そして虫歯が量産されるだろう。
「そういえば、モルテールンから贈られたものがあるとのことでした」
「何だ? いつもの焼き菓子か? それとも豆菓子か?」
「新商品、と聞いております。毒見も終えておりますので、もってこさせましょう」
話を傍で黙って聞いていた侍従長が、さっと手際よく準備する。
臣下の貴族からものを貢がれることは良くあることの為、特に気にせず出されたお菓子を見る。
「これがモルテールンの新商品?」
「はい、オランジェットと言うそうです。砂糖煮にしたオレンジを乾燥させ、チョコレートをまぶしましたのだとか。貴重なカカオが手に入ったので、陛下に献上をするとのことで、臣が預かりましてございます」
見た目は、透き通ったオレンジに茶色いチョコがついている。
今までカリソンは、チョコレートの豆菓子、アマンド・カラメリゼ・オ・ショコラなども口にしたことが有る為、特に気にせずオランジェットと言われたものを口に入れた。
「ふむ、旨いな」
最初に感じたのは、フルーツの香り。
ものがオレンジだけに当然かもしれないが、実に爽やかに感じた。
そして甘い。
フルーツそのものも甘いが、なによりチョコレートが甘い。
お茶を口にすれば、丁度よくなる程度ではあっても、やはりお菓子らしいお菓子である。
「なかなか美味しゅうございます」
「まあ、政務の合間に摘まむのには丁度いいな」
執務をこなしていると、疲れもするし小腹もすく。
ちょっと一つつまむには、丁度いいお菓子かもしれない。
「妻たちも、きっと喜ぶだろう」
美味しいお菓子だから、妃たちにもおすそ分けしてやろう。
国王の軽い気持ちは、更なる騒動の引き金となる。